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東洋哲学と東洋思想という言葉は何が違うのでしょうか?

A 回答 (6件)

古代メソポタミア文明には、神、という概念がなかったとも聞きます。

代わりに、バビロニア数学、と言われるものが栄え。既にゼロの概念を持っていた。といわれます。インドから伝わったものか、インドに伝えたものか、どちらかなのでしょう。バビロニア人の国家が誕生し、その国家は、無神国家、法治国家となると考えられます。
ハムラビ法典という、人類最初の、法律、が作られたようです。エジプト、インド、中国、共に、政治は、
神事、祭り事、であった時代に、バビロニアと中国の、蓁、だけが、法治国家、を志向していた。中学時代にハムラビ法典をみましたが。目には目をの、垣根を壊して盗みに入った者は、殺して侵入した場所に埋められる。と言うような事が書いてありました。バビロニア王国はエジプトに侵略され、人々はエジプトに連行され、バビロン幽囚、となります。やがて伝説のモ-ゼに率いられて、出エジプト、をなし、放浪の民となります。その放浪の中で、民族の存続、独自性を保つ為、神と契約した、ユダヤ人となります。神とは当然、エジプトの唯一絶対神、ラ-、を自分達のために作り変えたもの、となります。無神論者のバビロニア人が、創造主としての、神、を作ったのです。
西洋人が白い文明と崇め、異常に知脳が高い、現代イギリス市民と、古代アテネ市民との知能の差は、イギリス市民とアフリカで原始生活をしている人々との差よりおおきい。(古代ナテネ市民の方が頭がいい)とイギリスのある心理学者は言っていました。その後、構造主義哲学、などでは。文明人が頭が良い訳でも、優れているわけでもない。
生き方、が違っているだけだ。と気づいたようです。
古代ギリシャ哲学が、古代インド哲学の流入、影響によるものである事は、もはや明白といえそうな事です。
東洋哲学と東洋思想という言葉は何が違うのでしょうか。・???
哲学とは、菩薩行、であり、悟り=知恵=考え方(=理法)を求める事であり。思想とは、認識論、であり、思惑、を超え得ないものです。
古代インドには、バラモンという、最高身分階級がありました。しかし彼らは、軍閥、や武人階級ではなく、司祭階級であるとともに、指導者、階級であり。指導者たるべき、能力としての、知恵、を求められる階級、なのです。
愛だの、幸せだのと、凡庸な事を言っていたら、指導者とは誰も認めないのです。一般の人々にはないゆえに
、教え導くべく、悟り=知恵 を会得する事を義務づけられるのです。
百聞は一見に如かず。可愛い子には旅をさせよ。とか孤独なさすらいのみが人間の精神を高める(これは東洋思想の猿まね、ニ-チェの言葉ですが。
バラモンの子として生まれた男子は、学門を治めた後、40歳までは結婚をしてはならないという戒率のもとに、一人放浪、修行、の旅に出るなければならなかった。それがバラモン修行者であり、ボ-デイン・サツトバ(菩薩、悟りを求める者)なのです。プラトンの哲人思想が、バラモン階級を意識しており。イデア論が・・と悟った者はこの世を捨てる。さらに、・、と悟ったならば。この世とかの世とをともに捨てる、イデア界はかの世、を見ています。エイドス(実相)==イデア、との考えとともにですが。」
中国、日本でも、知恵の哲学。心の思想、宗教、だったのですが。西洋思想には、知恵の対極が心である。との考え、理解がありません。知恵は神の領分であり。愛、だの恋いだの、幸せだの思惑だけを考え論じるのが西洋思想=キリスト教形而上学なのです。物理科学も、神と、化学の女神としての数学を取っ払って。やり直しをしなければ。先は見えているのです。
哲学は既に何度も滅びました。釈迦の仏教が栄えたインドてでは、バラモン教の反抗、神の復活を意図する大乗仏教が起こり。ヒンズ-教として統一されます。西洋での哲学の最初の滅亡は、知恵を知識に置き換えたアリストテレスの形而上学の成立。2度目は、ロマ帝国による、武器技術での世界支配、3つ目は、パンとさ-カス、による人間支配への反発としてのキリスト教の成立=ユダヤ思想の復活、イエス、マホメットによる、ユダヤ思想の他民族への普及。そして最後は、今時対戦によるアメリカ=ユダヤ思想の勝利。ドイツ弁証法。春秋戦国という最も過酷な環境の体験としての知恵を持つ、中国思想の崩壊、そして日本人の欧米化では??
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東洋哲学→東洋における、ものごとの真理を追究するための道筋を示す学問のことです。



東洋思想→東洋における、ものごとの真理がこうあるべきだ、と指し示したものです。

哲学は「手法」ですが、思想は「価値」を表します。

「価値」についてはブログで詳しく言及していますので見てください。

http://3983.seesaa.net/
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哲学と思想を切り離すのは不可能です。


哲学者は可能です。
哲学とは何ぞや。教えられるわけがない。
知恵とは教えられないものなのです。

馬鹿にはわからない。やれやれ。いつまでも馬鹿ではないぞ。
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 こんにちは。



 ひとつの見方を提示(提起)します。


 1. 《思想》とは 生活態度を言う。

 2. 《哲学》とは その人・その地域・その時代に限らず人間のいるところにありうる生活態度をあらゆる可能性において捉えこれを認識し 理論づけたり体系立てたりするイトナミであり むろんその結果としての生活態度の実践であり得ます。

 3. 哲学のあつかう範囲をしのぐ思想もあり得ますが 一般に哲学は遠回りして――迂回生産によって――思想に普遍性を問い求めて行く作業です。

 3-1. 生活態度をかたちづくるには 相手となる人びとやそして周りの自然かつ社会的な環境とも言ってみれば対話をしていかねばならない。その思考について どういう論理で話を運ぶか。この論理の分野をもひとつの学問として やはり遠回りすることになります。

 3-2. 思想は もはやそのような道具となる分野には必ずしも進み入ることなく 目の前の現実に向き合ってすすむことがあります。




 4. 一般に哲学は 真理(ないし真善美)を問い求めるものと言われていますが たとえば日本人はこれを《もののあはれを知る》ことにおいて捉えました。言いかえると その直感や直観に頼っています。概念づけも概念による整理もほとんどしていません。

 5. 不立文字といった方針があったわけではなく ただただその心や境地の内に《まこと》や《うつくしさ》を捉えました。

   こころなき身にも
   あはれは
   知られけり

   鴫立つ沢の
   秋の夕暮れ

 という短い自己表現の中に《よきもの》を捉え 人びとともそんなかたちを通じて 思想ないし哲学を共有しようとしました。

 6. 《すでに頭を丸くして家族を捨て世を捨てた身ではあるが それでもこの夕暮れの風景には あはっと言っておどろき また きよらかなおそれをいだかせてくれるものがある》とうたっています。こういう生活態度であり それを鑑賞し――ほとんど言葉にしないままながら 無言のうちに――互いに哲学し合って生きたものと考えられます。日本も 東洋のうちに入りますから。

 7. これからは 東と西とが互いによいところをまなび合って さらに一般的な思想や哲学にして行くことがのぞまれます。
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哲学と思想の違いですか。



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しそう【思想】
一般に,哲学や文学,芸術,あるいは政治や社会認識,宗教や科学など,さまざまな分野の知識体系と,その根底にある総合的な観念体系を指していう。この根底的観念体系は,行為したり,話したり,書いたりする人間の表現活動のすべて,すなわちまた,知的な思考活動だけでなく想像力や感情をも含む人間の心の働きの表出のすべてであるが,単なる断片(想念)ではなく,人間が生きる世界と,そこでの人間の生き方に関する,なんらかの程度で組織立った(体系的な)理解の仕方である。

https://kotobank.jp/word/%E6%80%9D%E6%83%B3-73644
~~~~~~
なんか、わかりやすいんじゃないですか。
ですから、
思想は、哲学を含む。
で、特に政治、社会的なものを思想と呼ぶ。

それに、東洋を加えれば、東洋思想や東洋哲学になる。

インドや中国、日本に哲学があったのか、といえば、
「少なくともインドにはあった」と考えるべきでしょうね。
インドには、独自の論理学、修辞学、文法学、音韻学などなどもありましたし、
インドの哲学は、存在論や存在分析、認識論などなど、哲学の要素をすべてもっています。
インドの存在分析学、仏教のそれはアビダルマと呼ばれますが、何しろ原子論まで含んでいますからね~。
認識論、これは仏教の形で日本に入ってきていますが、潜在意識まで言及しています。フロイトがこうしたことを主張する前の千年以上前にですよ。
ただし、西洋の哲学が近代において神学から分離したのに対し、インドの哲学は宗教と不可分なものであったので、この両者は現代においても分離していません。
こうした違いがあるのも事実です。


それにですね~、
現代に通じる西洋の哲学は、ソクラテス、プラトン、アリストテレスを研究したアラビア哲学を輸入するところから始まるものですからね~。
数学、医学、化学なども先進文明地帯であったアラビアから中世に輸入することによって、西洋のそれは発達することができたわけでしょう。
古代ギリシアといっても、その知識や技術の多くは中東やエジプトなどの東方から輸入したものでしょう。

たとえ、インドに哲学と呼べるものがなかったとしても、
アラビアにはプラトン、新プラトン、アリストテレスなどに起原を有する哲学はあったとなりますかね。
アラビアには、非常に高度な哲学がかつてあった。
そして、哲学が神学の上位に位置した時代もあった。西洋で「哲学は神学の婢(はしため)」といわれる以前にです。
現代のイスラーム世界からは想像がつかないでしょうけれど…。
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東洋哲学?


東洋に哲学があるんですか?
初耳です。
哲学は古代ギリシャに生まれ、西欧に受け継がれた特有の考え方で、インドにも、中国にも、もちろん日本にもありません。
思想ならありました。
では、哲学と思想は何が違うのか?
哲学の役割は主として概念の分析です。
それに対して思想は概念を自明なものと前提して、それを組み合わせ、世界を説明することです。
古代ギリシャでは、自然の根源は何か、私とは何か、世界は一か多か、実体とは何か、存在とは何か、自然とは何か、人間とは何か、心とは何か、空間とは、時間とは何か、魂は不死か、愛とは何か・・・・・そういう基本的な概念を解明することに集中されましたが、果たして東洋で、そのようなことが問われたことがあるでしょうか?
東洋では、存在も、自然も、人間も、実体も、私も、・・・・・あたかも自明であるかのようにみなして、そのようなことは問われなかったのではないでしょうか?
インドの仏教でも、中国の儒教でも、そのようなことが問題にされたでしょうか?

たまたま19世紀の資本主義とともに、全世界に西欧文化が輸出されたために、インドで、中国で、新大陸のアメリカで、そして極東の日本で、哲学が始まって、あたかも、哲学が思想と一緒にあったかのように思われているので、そのような質問が出るのだと思いますが、それは日本の近代化が西欧化に他ならなかったからで、その結果です。
日本の哲学は明治時代から西欧化の一環として、始まったのです。

哲学は紀元前20世紀、伝説の民族で中央アジアにいたアーリア人が民族移動して、一つはギリシャに、一つはインドに侵入し、そこで初めて哲学を始めたと言われます。
19世紀の半ば、英国人・ウィリアム・ジョーンズがインドのサンスクリット語とギリシャ語の「音韻」を研究し、共通性があり、それをインド・ヨーロッパ語と名づけました。
つまりギリシャ語とサンスクリット語は共通の言語から、分岐したことが推定され、もともとは同じ民族に起源があるのではないかと言い、それでアーリア人がそれではないかと考えたのです。
アーリア人の共通の特色は目が青色で、髪が金髪、そして背が高い。
20世紀のドイツの独裁者・ヒトラーはユダヤ人との混血を嫌い、アーリア人の優生思想を唱えました。
アーリア人というのは哲学的な民族と言われます。
だから、インドに侵入した彼らも哲学的な宗教、バラモン教や仏教を始めたと言われます。
ただ、伝説ですので、実際にアーリア人がいたのかどうかは分かりません。
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