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こんばんは 

正確な論理思考をするために、認知バイアス(偏り・先入観・偏見)に関しての対処法やご意見を教えてください。

認知バイアス
認知心理学や社会心理学での様々な観察者効果の一種であり、非常に基本的な統計学的な誤り、社会的帰属の誤り、記憶の誤り(虚偽記憶)など人間が犯しやすい問題である。認知バイアスは、事例証拠や法的証拠の信頼性を大きく歪める。
http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E8%AA …

認知バイアスとは?
http://ronri2.web.fc2.com/shinri.html

1>日常会話では、認知バイアスは活用した方がよい?

2>論理的な思考をするには、認知バイアスをどうすべきなのか?認知バイアスは省いて数学やブール代数で考えるのか?

3>認知バイアスを多用に使って会話する人達にはどう対応した方がいいですか?

4>各々の認知バイアスに関してのご意見がありましたらお願いします。
  確証バイアス、認知的不協和、プロスペクト理論、他

5>例えば、男女における認知バイアスのよる差別と、子供を生める等の明らかな身体的特徴や思考の違いは何処で判断したらいいのか?
  能力があれば性別は関係ないのか?

質問者からの補足コメント

  • こんばんは NemurinekoNyaさん

    忙しかったのでお返事が遅くなりました。

    NemurinekoNyaさんに不快な思いをさせてしまったことを申し訳なく思っています。

    すみませんでした。

    正論を他人に伝えるのは難しいことです。批判的に聞こえてしまうのでしょう。

    私は、最近思うのです。「運は他人を批判しないこと」で廻ってくるんではないかと。

    Gooの削除は。コピペや自己主張や神秘的な事かな~と思います。特に、通報では?

    ブログの新設おめでとうございます。私は、ユング、フロイト興味があります。

    私の経験から、他人の助けになる自信はないので、陰ながら応援したいと思います。

    ありがとうございました。

    No.2の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2015/02/15 05:13

A 回答 (7件)

 どうも、認知科学をかじった俗にはボーさんと呼ばれているものです。



 まず、私がこういった問題に関して向き合う時の前提に、アントニ・オダマシオ氏が取り上げた症例念頭においています。ダマシオ氏はエリオットという一人の男性患者を紹介しています。エリオットの脳は腫瘍が大きくなって、両半球の脳が下から圧迫されていました。腫瘍の手術は成功したのですが、この後彼は大きく変わってしまったといいます。例えば、「次の通院日をいつにするか?」という問いに対して、この日は誰が来るかもしれない、この日は仕事があるかもしれないと、悩み続けて、答えを決められなくなってしまいます。他にも、書類を整理していても、その書類を事細かに読み始めますが、結局どう分類していいのかわからなくなって、一日つぶしてしまったりしてしまうこともありました。つまり彼は細かいことを検証する能力のみで、その中から「決定」する能力を失っていたのです。しかし、注目すべきはほかの認知テストや人格検査とうでは正常という結果しか出なかったという事です。そして、ダマシオ氏はエリオットを交流する中で、彼の感情が極度にフラットであることに気が付きます。エリオットはどのような状況でも冷静で論理的で、いらっだったり、悲しんだり、怒ったりすることがなかったのです。ここで、エリオットが手術で失った部分はいわば、脳のなかで前頭葉(理性や、この質問では論理的思考をつかさどる部分)と扁桃体(人間の感情や、もっと根本的な快不快をつかさどる部分)をつないでいた部分であったことが分かっています。
 つまり、そもそも人間の論理的な思考に伴う決断は、感情・情動が大きくかかわっているという事で、よく「感情的になるな」なんてことを言いますが感情がなければ決定は下せないという事がわかっています。ですから、今回の質問の認知バイアスというのも、こういうことにかかわっているのではないかと私は考えます。

 では、私たちはなぜバイアスなどというものを持っているのか、これはノーベル賞をっとった認知経済学者ダニエル・カーネマン氏とエイモス・トベルスキー氏(トベルスキー氏は亡くなっていたためノーベル賞は逃しています)のお二人が行った実験にこんなものがあります。

コインを十回投げた時、以下のパターン1と2どちらが出やすいでしょう?
パターン1、表表表表表表表表表表
パターン2、表裏表表裏裏表裏表裏

この質問に対して実験では、大体8割程度の人が2の方が出やすいと答えたようです。しかし、これはどちらも数学的にはどちらも1024分の1という確率で出るわけで、同じくらい出にくいし同じくらい出やすいんですよ。しかし、コインは裏と表の50パーセントというバイアスを持って2のパターンを選びやすくなっています。
 また、ゲシュタルト心理学者ソロモン・アッシュ氏の実験では、三本の線が書いてある紙(紙1)と一本線が書いてある紙(紙2)を被験者に見せて、紙2に書いてある線と同じ長さの線を紙1の中から探せという問題を出します。これは普通にやれば、ほぼ100パーセント正解するような簡単な問題です。しかし、被験者の前6人サクラを置いて、7人目が被験者、後ろの3人もサクラにします。そして、前6人のサクラには間違えた共通の答えを言わせると、被験者の約3分の1はまちがった回答をしたといいます。しかも、これは西洋における実験結果ですが、日本人を含めた東洋人のほうがこの問題に関しては間違いを選択しやすいという研究結果もあるようです。
 このようにバイアスが人間にもたらす効果を検証した実験はたくさんあります。ではなぜ、このようなことが起きるのか。これに関しては、心理学者ゲルト・ギーゲレンツァー氏は2つンことを挙げて説明しています。一つは最初に実験にかかわることでしょうが、脳みそってすごい高コストな部位なんですよ。脳の重さは体重の約2パーセントですが摂取するブドウ糖の約20パーセントを消費しています。ですから、できるだけ燃費を抑えたい部位なんですね。ですので、論理的に細かいことは置いておいて、大雑把な回答を選んで燃費をおさえているんですね。もう一つは、多くの人に合わせる方が生存率が高まるからという事のようです。
 上述のように、バイアスによって私たちは燃費よく、生存率を上げられたわけで、バイアスを無くすことは基本的にできません。ですからバイアスを無くすことより、バイアスがあるという事を前提において事に臨むことが論理思考をするための認知バイアスへの対処法ではないかと考えます。
 こういったことを前提において
>>1>日常会話では、認知バイアスは活用した方がよい?
 そうえすね。これは誰の著作か忘れましたが、アメリカで小学生を対象にした工場見学で、手を出すと危ないと説明しても、手を出す子が後を絶たなかったそうです。しかし、「そんな中一人の男の子が出を切断してしまったという事件が起きた」と説明するようになったら、手を出す子は一人もいなくなったそうです。これも一種のバイアスであると思います。こういった活用はできるのではないでしょうか?

>> 2>論理的な思考をするには、認知バイアスをどうすべきなのか?認知バイアスは省いて数学やブール代数で考えるのか?
 これは上で答えましたね。

>> 3>認知バイアスを多用に使って会話する人達にはどう対応した方がいいですか?
 そういう人たちには、1>の「アメリカの工場見学」のように説明するか、その意見がバイアスがかかっていることを説明するか2つの方法があります。しかし、両方使ってイエスバットの方法をとるとよいでしょう。まず、相手の意見を認める、次にその認めた意見を検証しなおしていく方向へ導く話法が有効でしょう。

>>4>各々の認知バイアスに関してのご意見がありましたらお願いします。
  確証バイアス、認知的不協和、プロスペクト理論、他
 意見は上で述べました。

>>5>例えば、男女における認知バイアスのよる差別と、子供を生める等の明らかな身体的特徴や思考の違いは何処で判断したらいいのか?
>>能力があれば性別は関係ないのか?
 これに関しては能力は男女それぞれ甲乙はつけがたいですが、そもそも脳の構造等々男女の違いがあります。私の知る限りではバイアスに関する男女の差を研究した実験を知らないので、コメントは控えさせていただきたいところです。しかし、脳の構造に違いがあるのですから、ある程度の分類は可能ではないかと思います。また、西洋東洋でも結果が違ったりすることもありますので、研究の余地はありそうですね。

 手短ではありますが、私のわかるのはこんなところでしょうか。急ごしらえのため誤字脱字乱文、記憶頼りですので引用間違いがあったらご容赦ください。
 合掌 南無阿弥陀佛
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この回答へのお礼

こんばんは、初めましてbaka-hageさん

>そもそも人間の論理的な思考に伴う決断は、感情・情動が大きくかかわっている
>論理的に細かいことは置いておいて、大雑把な回答を選んで燃費をおさえているんですね。もう一つは、多くの人に合わせる方が生存率が高まるからという事のようです。
>バイアスがあるという事を前提において事に臨むことが論理思考をするための認知バイアスへの対処法

詳しい回答に感謝、感激です。新しい発見です。勉強になります。ありがとうございました。

お礼日時:2015/02/07 00:06

補足ありがとうございます。




☆NemurinekoNyaさんに不快な思いをさせてしまったことを申し訳なく思っています。
◇不快な思いをしておりませんので、ご安心ください。
「寝ていないネコ」は最大級のほめ言葉として受け取っております。
違ったんですか~?
「何でも自分に都合よく解釈する」という認知バイアスが私にかかっている(・・?


ほいで、
仏教の言わんとするところは、
 この《認知バイアス》から離れ、自由になれ!!
ってことなんじゃないでしょうか。
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この回答へのお礼

こんばんは NemurinekoNyaさん

☆認知バイアスから自由になれ、ブッダが目指した真髄かもしれません。

「即非の論理」から、「我とは、非我にして我という」すると「我思う、故に我あり」似てますね。

やはり、精神論ですね。でも精神と肉体は切り離すことはできないので、これでいいと考えたのかも知れません。

これから、自分の才能に見合った「認知バイアス」にするならば、大楽思想で良さそうです。^^

☆イプシロン・デルタ論法、私が苦手な微分積分です。

任意の正の数 ε を才能とすると極限の適当な正の数 δに近づけるとなります。要は、波動のふり幅で才能に対する見返りも決まるということでしょうか?

私は、面白かったけど他の方はどうなんでしょうか?

☆ブログは猫の可愛い写真とか、例えば、丸い円に入ろうとする猫の動画は見ました。
あるいは、ホリエモンのようにアニメからパクルとか(笑)

お礼日時:2015/02/20 01:08

認知バイアスとは「情報処理の効率化」ということで、進化の過程で獲得されてきた形質の一つだと思います。

具体的にはいろいろあるようですが、それぞれがその人の人生の歩みにおける環境とタイアップして獲得された、一つ一つの人生の個性に応じた情報処理のスリム化と解釈していいのではないでしょうか。その意味で本質的に性向や職業病と同じものと言ってもよさそうな気がします。それらがいくつかの範疇に分類されるということでしょう。

 日常会話①は、その会話に参加している人のそれぞれのそうしたバイアスが絡み合う形で発展していくラグビーボール的なものと言っていいでしょう。バイアスゆえの個性が生じるのがその醍醐味です。
 ただ、公平な判断が求められる場合②にはそのバイアスを精一杯取り除くことが求められます。その際、判断の慣性としてのバイアスの存在はむしろ前提として、いかにその傾向を把握した対応をするかということが問題になると思います。
 ①と②の使い分けを状況に応じて適切にできれば一番いいんでしょうね。それぞれの人がそれぞれの時点でモードが違う、そういうむずかしさを抱え込むのが人生の宿命かもしれないですね。
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この回答へのお礼

こんばんは suzumenokoxさん

毎日忙しいので、お返事が遅くなりました。今日もへとへとな状態です。

私も同じような事を考えていました。

最近、運とは他人を批判しないことで廻ってくるのかと思っています。

ありがとうございました。

お礼日時:2015/02/15 04:54

名回答者は忘れません。



認知バイアスを修正するのは、生きながらにしての生まれ変わりですから
人によっては(おそらくは大多数は)かなりの痛みを伴いますが
今の自分を越えていくのは、今までよりも自分らしく生きれるでしょう。

感覚も上がり、適応力は驚くほどグッと上がりますから
どれだけ痛くても、十分見返りはあると思います。

人類の課題かなと思いますが、個人個人が何処まで行けるかですよね。
私、欲張りなもんで人間の可能性を最後まで見てみたいのです。

興味がある人には頑張ってもらえたら、未来は明るくなるでしょう。
応援してます。


では、失礼します。
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この回答へのお礼

こんばんは kanto-iさん

忙しかったのでお返事が遅くなりました。

kanto-iさんの回答は、いつも分かり易く素晴らしいと思いますよ。

最近、運とは他人を批判しないことで廻ってくるのかと思っています。

人類の未来は私も知りたいです。

ありがとうございました。

お礼日時:2015/02/15 04:53

No.1です。


回答を上げた後、tefu_tefuさんだと気がつきました。

認知バイアスとはどういうものなのかを、自分の中で認識
知覚できるようになる所から、本来は始まるかなと思います。

対応するというのは、たとえば野球を知らない人が
初めて野球をすることになったとします。
外野を守ると言うことが何だかよくわかりません。

どうやるか聴かれても「走ってボールを取れ」ぐらいしか
最初は教えられないと思います。

それを上手く対応するには、「ボールは放物線を描いて落ちてくる」
と言うのを知っていると、「ボールが飛んできた。とにかく走る」と
比べると動きが変わると思います。

風もボールの軌道に変化を与えますから、風力を計算に入れられると
より正確な落下ポイントが予測できます。

では、物理学者は誰でもフライを取るのが上手いのかと言うと
おそらくそうではないと思います。

それは、上がった高さや飛んでくるスピード風速と風向き(高さで変わる)を
その場での情報収集と体感で瞬間的に割り出し、反応的に動けるように
自分の中に確立しておくのを普段からやっていると対応できます。

バウンドもまた然りです。


相手がどんな球を打ってくるか分かりませんので
それに対処・対応が出来るかどうかは私の問題であり
相手の問題ではないのです。

私が守備について、手を上げたグローブの中に入るように打てと言っても
相手の認知バイアスは、そんなものは無視して話しを進めて来ます。


対応レベルと言うのは、そのぐらい自分を磨かないと
難しいかなと思う次第です。


認知バイアスがどういう物か、自分の中で確認できるようになってきたら
対応に向けて動き出すことができるようになると思います。

tefu_tefuさんなら、このぐらい書いても大丈夫かなと思ったので書いてみました。

自己を知り己を確立するのは容易くはないですが
時間と労力を、真摯に向き合うことに費やせば
人が常識で考える以上に、はるかに多くを得ることができると思います。
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この回答へのお礼

こんばんは、kanto-iさん

>回答を上げた後、tefu_tefuさんだと気がつきました。

覚えていただいたんですね。ありがとうございます。
成程、自分でやってみることが始まりであるということですね。

お礼日時:2015/02/07 00:08

こんにちは。





☆1>日常会話では、認知バイアスは活用した方がよい?
◇人を説得する、騙すことが目的であれば、相手の認知バイアスを積極的に利用すべき。
誤りを指摘するのであれば、認知バイアスがかかっていることを告げるべきである。


☆2>論理的な思考をするには、認知バイアスをどうすべきなのか?認知バイアスは省いて数学やブール代数で考えるのか?
◇数学やブール代数を適用する以前の、論理構成をする前の諸前提、仮定に既に認知バイアスがかかっています。

例えば、ユークリッド幾何学の平行線公理。
「平面上に直線と、直線上に存在しない点が与えられたとき、点を通り直線に平行な直線は与えられた平面上に高々1本しか引くことができない。」

これも認知バイアスの一例になるのでしょう。
そして、
これが真であることが証明できない以上、この公理を否定した《非ユークリッド幾何学》を展開することができます。

論理的な推論の誤りを生まない数学語で語られようが、
前提となる公理が異なっているのですから、
異なった結論が導かれます。

また、ブール代数などで扱えるのは、0と1、常に偽と真といった2つの値の片方しか取れないものに限ります。
したがって、
白と黒以外の様々な色合いをもつ現実的な問題には適していないという問題点もあります。


☆3>認知バイアスを多用に使って会話する人達にはどう対応した方がいいですか?
◇そのことを相手に指摘すべきです。
この際、互いの人間関係が損なわれる可能性がありますので、その表現には十分な配慮が必要。
そして、
指摘することによって険悪な雰囲気になったら議論を切り上げるべきです。
養老猛のいうように《バカの壁》は乗り越えられないので。


☆5>例えば、男女における認知バイアスのよる差別と、子供を生める等の明らかな身体的特徴や思考の違いは何処で判断したらいいのか?
◇この両者は不可分な関係にあるので、区別できないと思います。
認知バイアスには、個人的な経験、社会、文化、伝統、自然的背景などによって形成されているので。



☆能力があれば性別は関係ないのか?
◇たとえば、
数学をやるのに求められるの数学的な能力であり、
数学をやる上においては、
これを有している人であれば、
この人が男であろうが女性であろうが関係ありません。

しかし、
個人差はありますけれど、
一般的に男女間に空間認識能力などにおいては明らかな能力差があるのも事実です。

こうした事実を否定し、普遍平等的な観点から「男女間に能力差がない」と主張するのも、また、認知バイアスなのでしょう。
なお、
ここでいう「男女の能力差」は、
男女のどちらかが優れているではなく、
一般的に言って、ある能力では男の方が優れ、これとは違う能力では女性の方が優れている、
です

そして、こうした悪平等的な考え方は、個人差、個性の差、性差を無視した議論、理論になり、現実的なものにもならなければ、建設的なものにもならないであろう、と思います。


最後に一言、「どんな人も認知バイアスから逃れられない」とつけたし、終わりにします。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

こんばんは、NemurinekoNyaさん

>最後に一言、「どんな人も認知バイアスから逃れられない」とつけたし、終わりにします。

これは、寝ていないねこです。真剣にご回答していただいたことに感謝します。

OKwaveにも同じ質問をしました。皆さんのご回答を頂きたかったのと、どういう状況なのか確認したかったからです。
Gooさんにも良い回答者がおられることは分かりました。ありがとうございました。

お礼日時:2015/02/07 00:03

>1>日常会話では、認知バイアスは活用した方がよい?



偏見や歪みを活用する?


>2>論理的な思考をするには、認知バイアスをどうすべきなのか?認知バイアスは省いて数学やブール代数で考えるのか?

どうすべきかは、心理学で確立されています。
考えるのは、哲学の範疇で流れ的には数学の法則性が適応できるでしょうが
思考に組み込むだけで、数学として「プール代数で考えてみよう」ではないのでは?

論理的思考は、日常訓練で成り立つと思います。


>3>認知バイアスを多用に使って会話する人達にはどう対応した方がいいですか?

学んで対応を身につけることでしょう。


要点だけ書いてあるものを調べても、要点だけですから。
要点では全貌が明らかで把握するには至らないので、質問の内容だと思います。

詳細はご自分で調べるなり習うなりして、スキルを身につけたければ
身につけられるような所を捜すしか無いと思います。

Q&Aだけで、一つの確立された理論を学ぶのには無理があると思います。
基本が身についてなければ、疑問が出ての質問は内容がずれてしまいますので。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
そうなんでしょうね。

お礼日時:2015/02/06 23:58

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