No.3ベストアンサー
- 回答日時:
太平洋戦争は、米による経済封鎖(1941年8月)が原因です。
この経済封鎖は日本の南部仏印進駐(1941年7月)が原因で、南部仏印進駐は援蒋ルート遮断の為です。なので、支那事変(1937年7月~)が泥沼化していなければ米との戦争にはならなかったと言えます。よって、支那事変をどの段階で調停しておけばよかったか、ということになりますが、国民政府と日本の共通の敵(共産勢力)がいる時期の第2次国共合作前(1937年9月)だといえると思います。
が、実はこの時期、政府の外交努力により停戦協定(7月11日)が結ばれていますが、軍部の中国一撃論(中国など1ヶ月で降伏させられる、という考え)に押し切られる形で再び戦闘状態に突入してしまいます。この事実から判断して、支那事変を途中で停戦させることは出来なかった、と言えそうです。
とすると、支那事変(盧溝橋事件1937年7月)を防止する為にはどうすればよかったか、ということになりますが、盧溝橋事件当時の華北は抗日運動が危機的状況にまで高まっており、武力衝突がいつ発生してもおかしくない一触即発の状態でした。この抗日運動が高まった要因は、軍部の独走による華北分離工作(梅津何応欽協定、土肥原秦徳純協定などによる冀東防共自治政府の樹立)によるものと言えます。
では、軍部の独走を許さない為にはどうすればよかったか、と言いたいところですが、これを言ってしまうと一気に明治憲法(統帥権の独立)の成立段階まで遡ってしまいますので、敢えて軍部の独走には触れず、軍部が華北分離工作を行えないようにするにはどうすればよかったかを考えると、「満州事変の熱河作戦」あたりが元凶であると思います。
満州事変の終盤に行われた熱河作戦(1933年2月)と塘沽停戦協定により、長城以西に非武装中立地帯が設定されるなど日本の華北進出のための足がかりが出来てしまいます。当時の日本と中国の軍事力の差から見て、満州国と中国との間に非武装中立地帯といったものを設ける必要性はなく、これは将来長城を越えて華北へ侵入しようという意図があった為と言えると思います。事実、日本はこの非武装中立地帯に傀儡政権(冀東防共自治政府)などを行い華北へ侵入してゆくこととなります。
さらに、この熱河作戦が国際的にどう受け止められていたかを見てみると、
リットン調査団は、満州事変における日本の軍事行動の正当性を否定する報告書を国連に提出(1932年10月)していましたが、米を含む国際社会は満州国を容認する方向にありました。しかし、国連で日本の満洲領有の是非を問うているときに新たに発動されたのが「熱河作戦」です。これは、まさに国連への挑戦状といえるでしょう。この日本の新たな軍事侵攻に国連各国はたちまち態度を硬化させ、日本の満州からの撤退を求める勧告を採択することとなり、米は日本への強い警戒心を抱く結果となります。
よって、熱河省などへ進出せずに、満洲を東三省だけで手を打って、あとは満州国の建設に集中していれば、やがて国際的にも承認され、米からも警戒心を抱かれずにすんだのではないでしょうか。
戦後、満州事変の張本人石原莞爾も「満州事変の終末指導をいい加減にした」ことが国を滅ぼす原因になったと後悔していることが戦史叢書に記されています。。。
この回答への補足
>>軍部の独走を許さない為にはどうすればよかったか、と言いたいところですが、これを言ってしまうと一気に明治憲法(統帥権の独立)の成立段階まで遡ってしまいますのでとありましたが、それにも興味があるのでよろしければ教えていただきたいのですが・・・
補足日時:2004/06/17 23:39No.7
- 回答日時:
だいぶ煮詰まってきている感もありますが、私の意見というより、最近読んだ本で勉強したことを少々付け加えさせていただきますと、当時ヨーロッパで勃発していた戦争で、ドイツが破竹の勢いで勝ち続け、イギリスが連敗をしていた。
イギリスは優勢を取り戻すために、アメリカに参戦させたかった。しかし当時のルーズベルト大統領は「戦争しない」を公約としていたので、ドイツの同盟国であった日本からアメリカに宣戦布告するように画策。アメリカはそれまで蔑視していた日本が、日露戦争に勝ち、満州における鉄道経営に成功していたことに脅威と嫉妬心を持ち続け、桂・ハリマン条約の日本の一方的破棄によりその気持ちをより一層強くしていた。 ようするに「いつかギャフンと言わせてやるぞ」と思っていた。 イギリスとの同盟関係を破棄させ、ブロック経済により資源を持たない日本を追いつめ、ABCD包囲網でよりそれを決定づけた。日本としては、もはや戦うしかない状況下、戦いを回避するための最後の交渉に望んでいたが、決別。ハルノートと呼ばれる当然のめない条件を突きつけられ、開戦となった。 日本が進んで戦いたかったわけではなく、戦わなくてはならないように仕組まれたと言っても過言ではないように思います。
もう一つ、前述の「ハル・ノート」ハル国務長官が作成したものは、実はもっと緩やかなものであったが、ソ連のハリーホワイトなるスパイが画策し、日本にとって厳しい条件となった との説が近年の調査で明らかになった とのことでした。
参考図書:日本近代史(渡部昇一 著)
No.6
- 回答日時:
なぜ日本は第二次世界大戦に突入していったのか?
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鎖国状態にあった江戸末期に黒船来航を契機として高まった尊王攘夷の精神が、明治という時代を創りましたよね。このナショナリズムが膨張しすぎたからだと思います。
当時の人は、西洋列強に明らかな遅れを痛感した訳で、政治・産業・文化等を急速に取り入れていく一方で、各種天然資源の貧弱さを補うべく朝鮮半島から大陸へ進出していった。清朝末期では英を筆頭に蘭露米仏等の各国が様々な利権を侵食しているのを見て欲に目が眩んだ事と巨大なロシアの脅威を背景に日清・日露という賭けに出たら勝利した。同時に国民が天皇を神格化していった。こうした経緯から大正・昭和と進むにつれ日本という自分自身を見失った政治がなされた、或いは軍閥を抑えられなくなった。同盟国ドイツが欧州を制すると予測し、ロシアへ向かうよりも南進を拡大したためアメリカとの衝突は避けられないものになった。といった理由でしょうか?
どういうふうに違っていたら戦争を避けられたか?
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列強の利権争いが集中した当時のアジアで戦争を避ける術は私には見当たりません。
ただ、違った結果は得られたかもしれません。
「あの時」が何を指すかによりますが...
チャンスはいくつかあったと想定できます。
(1)昭和初期の経済政策
「5・15や2・26という軍が台頭する事件は防げた?」
金融恐慌による失業者対策、凶作による農民の救済、財閥を潤すだけの金輸出政策禁止など、所得倍増計画ではないが国をあげて貧困を救う政策を立案・推進する政治家が現れる。
(2)満州事変後の政策
「中国をはじめアジア各国を味方にできた?」
石原莞爾が本当の意味で五族共栄をやり遂げ、成功した満州モデルをもとに大東亜共栄圏を築きアジア各国の良き指南役になる。
(3)開戦前の政策
「近衛首相がルーズベルト大統領と会談?」
あれだけ大事な交渉だったので、国家元首同士が直接語り合えばハル国務長官等の意見にルーズベルト大統領が傾倒する事はなかった。
他にもいろいろとありますが、何れも結果論です。
No.5
- 回答日時:
特に日本においてということではなく、世界において。
帝国主義に決着をつけるための最後の大戦争は必要だったと思います。歴史が変われば、その組み合わせや勝者・敗者は変わるかもしれませんが。いずれにせよ必然と。そういう意味では3番さんのような自重しながらアジアに安全圏を作ろうとして、それが部分的に成功したとしても結果的には4番さんの言うように、他の勢力がどこからか出てくるだけ。それがドイツかロシアか、あるいは日本が現代のように完全なアメリカの支配下に入ったとするなら(それはそれで日本にとっては平和な時代でしょうが)、日本はアジア独立運動の際には標的として真っ先に槍玉に挙げられたりするのかもしれません。
まぁ日本が勝ち組に回るにはどうしたらよかったのかというテーマであれば、もう少し建設的になるかと思いますが、避けるというのはどだい無理な話でしょう。
それは地理的な問題でどうしても巻き込まれる運命にあったと。極東の島国という位置はロシア・アメリカに非常に魅力的だった訳で。要は日本も大国の狭間にあったわけです。そういう意味ではヨーロッパの小国と同じですよ。ただまぁお隣にはもっと小国があった訳だし、江戸300年の泰平と明治の奮闘のおかげでただ翻弄されるだけでは終わらない実力もそれなりに伴っていたのでしょうが。
ということでもし戦争を避けるという一点のみで語るならその実力を放棄し、ロシアかアメリカの植民地になるというのが一番でしょう。意地もプライドも自我さえも捨て去れば争いなんて起きませんよ。
但し、その後の冷戦対立の際に、直接的な戦場になる可能性も多々ありますが。
No.4
- 回答日時:
> なぜ日本は第二次世界大戦に突入していったのだと思いますか?
かなりの独断で
アメリカがどうしてもドイツ相手に戦争をしたかったから同盟国の日本に圧力をかけた。
中国や満州などの市場を日本に握られるのが、
アメリカの利益にならないから撤退させたかった。
当時の日本の仮想敵国はロシアであって、
ドイツとの同盟もロシアの牽制のためであり、
韓国、満州や中国への干渉もロシアからの侵略を想定しての防衛策だった。
以上より日本は対米戦をしないといけなくなってしまった。
回避策は、三国同盟の破棄(締結しない)
中国、満州などからの撤退、不干渉。
これで、対米戦は回避できるが・・・
恐らくロシアとの第二次日露戦争が始るので、
結局第二次世界大戦には突入することになる・・・
もしくはロシアを滅ぼしたドイツが間髪いれずに責めてくるので、
対独戦に突入し、結局第二次世界大戦に巻き込まれることになる・・・
No.2
- 回答日時:
No.1の方の意見通りで、補足あるいは短絡的表現になりますが大きな原因はふたつあったと思います。
1.日清戦争、日露戦争と近代化間もない日本が二つの戦争に勝ち軍部が天狗になり、国民もその結果天狗になり井の中のかわずになっていたこと。
2.当時は中近東の石油が未だ今ほど開発されていなく日本はほとんどの石油を米国から輸入していました。米国は日本の大陸政策に反対し日本への石油輸出をストップしました。石油がなければ軍艦も戦車も漁船も動かなくなるので軍部も政府もあわてました。
今米国は再び意に沿わない国を経済制裁で追い詰め、それでも効果がない場合はパナマやイラン、イラクのように理由を見つけて(作って)直接攻撃を行っています。
米国の石油禁輸を受けた日本は当時オランダの植民地で
産油国だったインドネシアを急襲して占領しました。アジアの友邦国をヨーロッパのくび木から解放する聖戦という今の米国が言っていることとほとんど変わらない理屈をつけています。イスラム教徒は占領米軍と戦うことを聖戦と位置づけています。何時の時代になっても人間の考えることに大きな差はないと思いませんか。
No.1
- 回答日時:
明治維新の頃の政治家はリアリズムで、日本の国力や国際情勢などを冷徹に読みきる能力があり、日清日露の戦争に勝ちました。
ところが昭和に入ると「明治は遠くになり」この戦勝の苦労を知らない軍人・政治家が物事を楽観的に考えるようになったのと責任の所在が曖昧になり、例えば天皇が「戦争反対」といえば乱心したとして退位されかねない状況になってしまいました。
個人が獅子咆哮して正論を言っても圧殺される世の中になったのです。
そんな時国内の不況を打破するため中国大陸へ侵出、引きどころで泥をかぶっても引く責任者がおらず、国際連盟を脱退すると国内が歓呼する様相になりました。
多分明治の政治家なら、暗殺覚悟で引いたと思いますが、精神論の時代になったのです。
時代の流れですから、戦争自体を回避することは不可能だったと思います。
例えば悪名高い「東条英機」も、毒をもって毒を制すると、そんな思惑で急進派の先鋒でありながら首相になり、(史実では優秀な軍人ですから)万一戦争になればどうなるか承知していたと考えますが、万一止めると言い出したら粛清されかねない危険がありましたし、個人の力では止められなかったと思います。
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