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埴輪が、どのようなプロセスでつくられていったか教えてください。
垂人天皇?の時代に、殉死者制度をなくすためにつくられたっていう本がありますが、それより前にも、作られてるって聞きました。
どの地域から始まって広まったんでしょうか??
やっぱり、吉備とかからでしょうか??

A 回答 (2件)

5296さま



埴輪の起源は「吉備」とされています。

単純に言うと、弥生時代の後期後半(2世紀~)、吉備に埴輪に最も近いモノがあり、古墳時代初期(3世紀)にそれが大和に伝わり、埴輪になり、古墳文化とともに全国に広がった、と。

日本書紀の垂仁紀の殉死記述の真偽はいかがなものか。
わかりません。

実年代はさておき、垂仁陵とされている古墳
(勝手に宮内庁が「そうだ!」と言っているだけですが)
の年代は古墳時代中期初頭(5世紀)くらいです。

国内での発掘調査からの解釈では、
古墳時代の殉死の確実な証拠は、現在のところ、「ない」というのが、大方の見解と思います。

なぜだかわかりませんが、
古代日本では殉死は「ない」。
古代韓国では「ある」という解釈になっているようです。
当然、古代中国にはあります。
韓国の件は、古い情報かもしれませんので、最近はどのように解釈されているか分かりませんが…。
古代韓国の殉死事例は、高霊の池山洞古墳群が有名です(有名だった?)。概ね5世紀の話ですが。

なぜ、日本書紀に殉死の記述が必要だったのか?
なぜでしょう。
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この回答へのお礼

なぜ、日本書紀にはそんなこと書いたんでしょうね?
どうもありがとうございました!!

古代日本では殉死はない??
どれがほんとでうそなのか・・・。わかりません。

魏志倭人伝の鏡もそうですよね??

反論の反論に対する反論・・・水掛け論っていうんでしょうか??

考古学って難しいですね ( ゜д゜)

お礼日時:2004/06/17 11:41

参考URLをご覧ください。



参考URL:http://f1.aaacafe.ne.jp/~megalith/kouko7entouhan …
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この回答へのお礼

とってもとっても助かりました!!
ありがとうございました★

お礼日時:2004/06/19 00:08

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