日本で英語を使う機会って少ないですよね。私は今英語を専攻に勉強している大学生ですが、実際日常生活で英語を使うシーンって授業の時と、留学生の友達と話す時だけです。私は英語をしゃべるのが好きだし、もっと話す機会が欲しいと思っても日本内ではお金を払って外国人がよくいるカフェに行くとかあるいはネットで探してきてとかくらいしか話す機会がないんですよね。
学校で習う英語は何を目的としているのでしょうか。受験の為だけなのならばすごく悲しくなってしまいます。また、日本人は総合してどれくらい英語に関心があるべきなのでしょうか。
回答よろしくお願いします。

質問者からの補足コメント

  • すいません書き忘れていました。
    わたしの意味する学校教育とは中学までの義務にあたるところです。

      補足日時:2015/05/06 19:44

A 回答 (12件中1~10件)

受験英語は俺も嫌ですが、海外にいた俺の経験で言わせてもらうと


受験英語も十分使えます。
日本人は英語を使う機会がないから関心がないのです

結論:英語を使いたいなら海外に行けばいい
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言語とは道具、手段、方法ではないでしょうか。

所謂コミニケーション・ツールでは。
戦時中、満州、中国へ行った父は片言以外の中国語は漢字を書いて聞いたり、読んだりしたそうです。
昔ですから今よりずっと字画の多い漢字を日本でも使っていましたから。

日本軍ですから、主に推薦されたのは(父よりの伝聞)で英語は情報将校でもなければまず憚られる
状態だったそうです。韓国語、中国語は劣等国の言語としてまともに学ぶ将兵はい無かったそうです。
余談ですが、イタリア語(こちらも同盟国)を学ぶ人、又は学んだ人を知っていますかと聞くと
ほとんど聞いたことが無く、イタリア文学、オペラ、音楽の関係者も当時は知らなかったと言って
いました。

必要だと認識されないと誰も学ばず、検討すらされないのが言語でしょう。当時韓国人、中国人に
日本語を教え、改名させ、改宗させようとさえしていましたから。

当時の父は主計少尉(本来会計ぐらい意味でしょうが、現在の総務、庶務、倉庫係、所謂何でも屋)で
現地人の力を借りなくてはうまく進まず、深夜までこっそり中国語を勉強したそうです。
当時どこでも中国人が管理者的立場にいて韓国語よりも中国語の方が仕事がはかどったそうです。

父は中国語を学び始め、片言の中わゆる国語と漢字のメモでなんとか任務を乗り切ったそうです。
教科書も無く辞書も無く、おおぴらに中国人に学ぶわけにもいかず十分な上達は無理でした。

日本及び日本軍は現地人(韓国人、中国人に限らず)とコミニケーションする考えは無かった
みたいです。数十万の日本軍人がいて中国語が会話、読書できる将校がほとんど表に居なかった
のでは命令はするが聞く気は無いいうのと同じでしょう。(勿論できる情報将校はいてもこの
人達はいわゆるスパイです。)

人命と戦費と資源の無駄づかいで終わってしまった。

必要に迫られて言語を習得した例は数多くあります。進駐軍(戦後のアメリカ軍です。)は大勢の
日本語通訳を7か月くらいの猛特訓で養成して日本の戦後処理に当たらせました。逆に驚いた
のは日本人の会話は通じないが、読み書き能力の高さ、知識の広さだったそうです。会話重視の
アメリカ人、知識重視の日本人の差でしょう。

昔アンコールワットに大勢いた現地の少年はかなり日本語が上手だったそうです。多少文法的に
変でも。戦乱や災害で日本人が遠ざかると後年会うとかなり下手になっていたそうです。

海外移民された方たちも日本人コミニュティがしっかり残ったところは日本語がキチンと継続して
いきますが、そうでなければやはり現地語主体になってます。日本語を使って商売や研究でもしない
と日本語の存続は難しいようです。

わたしもすでに67歳ですが、若い頃からこれからはグローバルだ、英語だ、英会話だ、マナーだ
なんて言われましたが、同級生も海外勤務や留学生でもない限り英語なんて使ってないし、なまじ
できると翻訳ばかりさせられたり、イエス、ノーのはっきりしない上司の通訳を務めさせられたり、
あまりいいことばかりないと言っていました。

ただし必要と思った人はそれなりに頑張って習得すればいいですし、能力の一つ(運転できる、料理できる、設計できる、家電に詳しいなど)と考えて学ばないなら他の勉強(歴史、国史、経済史、政治史
人物史など...私の現在の興味です...)など学ばれたらどうでしょう。

戦後教師もしていた父の言葉です。戦前、戦中、戦後はろくに教科書、解説本、辞書、教師も無く
学ぶにも機会と資金が十分無いとできなかったが、今の時代はなんでもある。無いのは学生諸君の熱意
だけだ!!!

この年になっても、ものすごく耳が痛い。







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私は英語が重要ではなかった昔に教育を受け、それでも選ばれて社内(米国)留学を経験し、とりあえず英語にさしたる不自由はしないレベルです。

とはいっても子供の頃の英語教育がおざなりだったためか、CNNニュースはよく聞き取れず、電話での会話はたどたどしく、書いた英語はしばしば直され、英語の文章を読むときは辞書が手放せません。

そのレベルでも英語が役立つことはいろいろあります:
1. 英語で論文を書くことが出来、学会に出張して困りません。海外の人から新しい(例えば工学的)知識を得ることが出来ます。
2. 社内留学に選ばれます。
3. 翻訳である程度稼ぐことが出来ます。
4. インターネットで英語の記事を読むことが出来ます。ニュースや医学知識。海外の事件ではCNNの情報が日本のマスコミより速いことがしばしばです。
5. 英語の本(最近ではkindle本)を読むことが出来ます。英英辞典なども。翻訳されない文書も読むことが出来ます (翻訳しないkindle本の方がずっと安い)。
6. インターネットでパソコンのアプリ、操作、トラブル対策の知識を得ることが出来ます。(英語の方が詳しいことがあります)英語のマニュアルも読めます。
7. 海外赴任した時に役立ちます。

日本の学校教育は教員のレベルも高くはありませんし、家に帰っても英語が使われることはありませんし、「読書」中心です。これではダメと言われたりしますが、韓国や台湾の人もおおむね似たようなものです。皆努力して語学力を磨いているのです。

「どれくらい英語に関心があるべき」かとのご質問ですが、結局英語(語学)は事業経営あるいは(サラリーマンなら)社内競争の中で幾らかでも競争に勝つ道具に過ぎませんので、何時どの程度に立つかあらかじめ分かっているわけではありません(昨今は英語を査定する会社も現れてはいますが)。
受験は勉強の単なるきっかけに過ぎません。それは歴史や音楽を学ぶ意味を論じるのとさしたる違いがありません。きっかけを掴む人と投げ出す人の差は十二年経った後ではっきり分かって来ます。一流大学に受かる人と二流大学にやっと受かる人の差です。
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わたしは日本人が英語を習うのは、中学生のころに「外国文化を理解するため、または、外国人の考え方を学ぶため」と英語の先生からきいたことがありますが、のちに、日本の学校教育で英語がはなせる英語教員は、ほとんどいないことを知りました。

 ただ現実は、英語は受験目的で仕方なく習うのではないかとはおもいます。 また、そういう英語を本気でならったところで、実用的に使えるものではありません。

それとともかく、わたしはのちに英語は独学ですが勉強をやり直しました。このとき、義務教育でならったことがかなり役にたった記憶があります。 あらたにほかの外国語を学ぶのに比較すると、英語は、ひとことでいうと復習するだけでかなりのことは思い出します。 そういう意味では、しごとなど、外国企業とのやりとりで、必要に迫られしようがなしに学び直した人は多いとおもいます。

わたしの場合は、外国人の友達ができたことが原因で、それも、いろいろ事情があり、かれらは日本語が話せませんでした。日本にきたこともない人たちでした。それで、意思疎通にどうしても英語が必要で習い直しましたが、その人たちと付き合う以外には、正直、意味のない言葉でもありました。 ただし、便利はよかったです。 ネットなどで外国の情報なども読めます。 日本で買うとかなり高いものでも、個人輸入で安く買えたり、また、外国から買い物すると、スムーズに行かず、異なったものが届いたり、壊れていたりして、その交渉も、英語でやれとりするのはけっこう面白くもありました。

その頃は、わたしは読んだり書いたり、聞いたりするのは、なんとかOKでしたが、会話はかなり難しかった記憶があります。 どうしても、文法が日本語とは逆だし、学校英語は文法中心に英文を解析した和訳中心なので、なかなか話すのは難しかったです。 相手が話している内容も、おそらく半分ぐらいしかわからなかったとおもいます。 書くのもそれなりに時間がかかりました。

その後、縁があり、イギリス人女性と結婚することとなり、それから、英語はわたしには、不可抗力的に必要なものとなりました。 妻は日本の配偶者ビザをとり日本にともにすんでいますが、つまは日本にくるまで、日本語はひとこともわからなかったこともあり、現在でも家庭の共通語は英語です。テレビも、最近は便利なもの(Chromecast)が売っていて、それを使えば、タブレット経由でyoutubeの番組が、家庭のテレビで見えるので、ドラマや様々な番組も、イギリスの番組しかみないようになりました。 ラジオも、車で妻と移動するときは、イギリスのラジオはほとんどが、ネットでストリーミング配信されているので、それをスマホから、ブルートゥースでfmトランスミッターに飛ばし、カーラジオで、イギリスのラジオをきいています。 自宅も、そのラジオをきいているか、さきほど書いたように、イギリスの番組をyoutube経由で、テレビでみていて、日本のテレビをみることはほとんどありません。

便利なのが、iphoneは、facetimeといい、標準の電話として、こちらも使えるようになっており、イギリスの妻の両親や親戚にかけるときも、無料でかかります。 だから、1年前に比較すると、妻も、またイギリスからも、かなりつまにfacetiemを使い、電話がかかるようになりました。 わたしも、妻の両親とは電話でよくはなすようになりました。

英語というと、みなさん構えてやりますが、現実は、英語圏の人は、英語以外の国語を使っている人たちは「外国人で英語は母国語でない」ということをしっています。 ですから、少々間違えていようが、発音がすこしおかしかろうが、あまり気にしないものです。 日本人でも、たまに外国人と出会って、怪しげな日本語で話していたところで、気にしないですよね。 それとおなじです。

妻と結婚してからつくづく思うのが、英語は「聞き取りがかなり難しいこと」です。 英語圏の人は外国人だからといって、わかりやすい平易な英語では話せません。 また大部分の英語圏の人は、英語以外は話せません。 (これは日本語しか話せない日本人と同じです) だから英語圏の人に対する話し方と同じ話し方ですから、最初は、面食らうとおもいます。 また、英語とひとこといっても、かなりの国で公用語となっているために、さまざまな英語があります。

イギリスの古いドラマを妻がいつもみているのですが、それは、中学生の学校生活をテーマにしたドラマですが、そこには、さまざまな英語が話され、それを風刺して、「黒人独特の英語」「ロンドンの下町の英語」「貴族階級の英語」「昔のBBCで話されていた標準英語」など、さまざまな英語ではなして、それを社会階層の違いから風刺して、物語が作られています。 

ながくなりましたが、日本人にとり英語は、教養以外のものではなく、また、その教養としての英語も現実は、意味のない「発音の性格さ」や「正しい表現方法」などに重点をおいて、それでも、英語はひとことも話せないのが現実です。 そういう種類の意見はもちろん正しいのですが、英語が普通に話せない人には、ほとんど意味はありません。 ある程度英語がはなせる人には、そういう教養としての英語は、役にはたちますが、どちらにしろ日本人の立場で論じたもので、英語圏の人たちが論じるものとはまた、かなり開きがあるものです。
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日本人に必要な英語は話すことではありません。

文章を読み、書くことです。
外国のサイトを見て情報を探すことはどんな会社でも必要なスキルです。英文でメールが来ることもありますので適切な返事を書くことも必要です。
 私のところには英語の迷惑メールまで来ます。ちゃんと英語が読めないと退職している私でもとんでもないことになります。
 その点ではセンター試験の英語の試験なんかとても素晴らしい英語のテストだと思います。
 どんなにしゃべれても読み書きが出来なければそれはただのバカです。アメリカでは小学生以下です。国立大学に入れる程度の人なら1年も留学すればちゃんと英語が話せるようになります。
 世界で活躍してる日本人はみんなそうやって頑張っているのです。
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#3の回答者です。



>私の投稿ミスなんですが、大学英語ではなく中学英語ではどうでしょうか。
とおっしゃると、今、現在、教職をとっていらっしゃるのでしょうか。どんな経緯で、そのような質問をされているのか、疑問を持ちました。

私の知っている英語科の学生は、「英語を話す」機会は、それほど多くなくても、「読む」「調べる」「書く」ということが多いのです。みんな本当に、朝から夜遅くまで勉強していたと思います。当初から良い所に就職しようとしている人たちと、大学の勉強が好きだという人と二分していました。私の友人で、教師になった人は、大学に来て、麻雀ばかりしているような連中を嫌い、腹を立てていました。

>学校で習う英語は何を目的としているのでしょうか。
言わずもがなですが、学習指導要領はご覧になっていますか?

学習指導要領 中学校 外国語
「外国語を通じて,言語や文化に対する理解を深め,積極的にコミュニケーションを図ろうとする態度の育成を図り,聞くこと,話すこと,読むこと,書くことなどのコミュニケーション能力の基礎を養う。」

もちろん、建前論であり、絵に描いた餅なのかもしれませんが、中学生にとっては、やっと外の世界に興味が広がり、海外を知りたいという欲求で、海外=英語という図式から、言葉の勉強を始める人もいるのではないでしょうか。また、音楽やら「ゲーム」「パソコン」など、ありとあらゆるものが英語を通して入ってきます。成長するにつれ、いろんな好奇心を持つもので、そこに英語が助けになるはずなのです。

「授業で英語を習う理由のひとつは社会的な希望を叶えてくれるツール(入学や就職)だ」ということに、仮に「入学や就職」という項目を除いたとしても、それを肯定してしまう人は、語学というものは、それだけのものでしかないのでしょう。いわゆる実用主義というのでしょうか、「使えるか」「使えないか」の二分してしまうものです。ただ、少なくとも、英語科の教師として、その人が、大学の英語科を選ぶ時に自分がどんな気持ちだったかを忘れて、そのようなことを言ったとしたら、おしまいでしょうね。

英語というよりも、「国際語」として、今は、「グローバル化」のスローガンの元に「第二言語化」させていく傾向にあるようです。「第二言語習得」は、特に、エスニック・イングリッシュ(地域社会で使われる英語、例えば、シンガポールやインド)になり、機能的な部分だけが突出して、文化的な継承がなく、コミュニケーションだけのツールと化してしまうのです。

日経ビジネスでみると「英語とは、コミュニケーション・ツール」だと言っている人がいます。それ自体は、悪いことではないのでしょうが、それを中学生・高校生たちに持ち込んで、そういうものだと教えたら、どうなるのでしょうか。使いこなしはとかもくとして、彼ら・彼女らの想像力を刺激してくれません。
英検やTOEICで点を取りさえすれば良いというような風潮がありますが、英語もひとつの文化ですから、いろんな側面を持って、子供たちにもいろんな夢を与えてくれるはずなのです。それを、みんな葬り去ってしまうような気がしているのです。

>日本人は総合してどれくらい英語に関心があるべきなのでしょうか。
こうしたものは、決めるべきものでも、全体論でも語れないと思います。そのときの時流や国のあり方によって変わっていくものです。例えば、明治の初め、福沢諭吉や中村正直の出した英語に基づいた書籍は、爆発的に売れたそうです。しかし、万民に英語への関心が傾くことはなかったわけです。

太平洋戦争後、ラジオによるNHKの英会話の放送が始まった時は、非常に人気が高かったそうです。その次に、1960年代だったと思うのですが、『奥さまは魔女』など、アメリカに対する好感度を高め、アメリカの文化に憧れるように、米国政府が意図的に行ったそうですが、当然、国民の関心は、アメリカの文化だけでなく、英語にも、関心は高まったようです。この頃、学校英語では、イギリス風の英語が、急にアメリカ風に変わっていったわけです。

こうしたブームを過ぎて、1999年の故・小渕恵三首相の私的諮問機関『「21世紀日本の構想」懇談会』の分科会で、「英語の第二公用語化」論というものが出てきたわけです。これは、非常に政治的要素が強いもので、外国人労働者の受け入れや、外国人地方参政権などが含まれています。当然、直接的なものには反論も多いものですが、その後、副次的な効果として、あらたな英語偏重が生まれ、すべての教科よりも英語が先行してしまうというような風潮が生まれました。例えば、大阪市のように、公立中学で、中学三年生の卒業までに、英検準1級~英検2級までを取得するなどという上から決めつけようとするのは、あらゆる面で常軌を逸しているとしか言いようがありません。各々の生徒の個性を奪ってしまっているわけです。出来る生徒はよくても、出来ない生徒は、劣等感に苛まれてしまうか、ドロップアウトしてしまいます。これは、紛れもなくイングリッシュ・ディバイドです。つまり、意図してか、しないかは別としても、「英語の第二公用語化」の目指すところは、そこにあるわけなのです。

英語が文化である以上、日本語も文化であるはずです。私たちの社会は、こうした時代の流れで大きな損失をしていることに、なんとか歯止めをすべきなのだと思うのですが……。
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それは卒業後にどんな職種に就くかによるのでは。


今のうちから明確に目標を定めていればそれに沿った使い道はいくらでもある筈です。
逆に、漠然としていれば使い方もやはり漠然なのでは・・・

例えば旅行会社や航空会社を希望していれば国内の観光地について英語で表現したり質疑応答したりするスキルを意識したり
或いは、将来英語教師になるつもりなら自分が実際に全英語で授業をこなす実験をしてみたり。

リタイアして今では個人的に全く英語の要のなくなった回答者ですが、今でもyoutubeのコメント欄などで人とやりとりしているのは楽しいですよ。日本や日本人が嫌いになったりうんざりしたときに英語で憂さ晴らしします。考え方が正反対のことが多いので。最近では特にユーモアについてなどが。

Another language,Another opinion.
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>昔授業で英語を習う理由のひとつは社会的な希望を叶えてくれるツール(入学や就職)だと聞いてすごくショックを受けたことがあります。

これってすごくやらしい考え方だと思うんです。

そうですか。それは残念。でもすべての授業はそうであるといえるし、そうではない、ともいえます。英語が特に「ツール」として意識されるのは、数学や国語などに比べて、まさに「使う人が少なく実用性が分からない」ために点数の差が大きくなる傾向があるからです。
曰く「英語を制するものは、入試を制す」です。

さて、話は変わりますが「諸外国では、外国語の授業をしていないのか?」という点に注目してみたいとおもいます。
結論から言えば「日本と同等の初等教育において、外国語教育を行わない国はない」といえます。どこの国であれ、それなりの初等教育を行うプログラムを有していれば、外国語の教育も行われているのです。
なぜでしょうか。

それは数学や科学・社会科などと同様、基礎を学ぶことで、その後、個人の必要に応じた高度学習ができるようにしているわけです。

外国語の基礎を学ぶこと、その大きな理由のひとつは「いずれ諸外国語を学ぶ必要が生じたときに、ある他国語を学んだメソッド(やり方・方法)を他国語に応用できる、ということです。すでに英語を母国語である日本語と比較しながら学んだ経験を有する質問者様は、他のヨーロッパ諸国語でもタイ語でもベトナム語でも今聞いたことがない言語でも、基本的には同じメソッドで学習できるわけです。

これがどの国の初等教育でも外国語を学習する一番大きな理由です。

次に、ではなぜ日本では英語を習うのか、です。戦前だと少し様子が異なっています。一般的な初等教育においては英語を習う学校が多かったものの、医学ではドイツ語・軍隊用語ではドイツ語やフランス語などが利用されていたため、初等教育からドイツ語やフランス語を扱っている学校もありました。

しかし、戦後は日本だけでなく英語を初等教育のカリキュラムに取り入れる国が多くなり、今では旧フランス植民地を除いて、初等教育の外国語は英語であるのが一般的です。

これには大きな理由があります。それは最新の学問書や経済書・その他の情報が英語を1次言語として発信されることが多いからです。
 逆をいえば戦前の日本でドイツ語やフランス語を習わせていたのは、その言語で最新の知識が得られたからでもあります。しかし、今では英語だけがほぼ唯一最新の知識を発信する手段になっています。

そのため、医学でも他の技術でも、英語で書かれたものを読んで研究または開発し、フィードバックも英語で行うことになります。日本のように自国語で大学教育を受けられる国はいいのですが、途上国のように自国語では、最新の科学を表現できない言語では、英語で授業を行うのがもっとも効率がよくなります。

したがって、世界的な風潮からしても「初等教育で学ぶ外国語は英語」という選択肢が日本においても有効になります。

最後に「日本人は総合してどれくらい英語に関心があるべきなのでしょうか。」です。
これには二つの意義が含まれています。
・英語に対しての関心そのもの
・外国語および世界情勢に関する関心
のふたつです。

個人的な意見を述べさせてもらうとすれば、多くの日本人が「英語(という道具)に関しての関心」は熱心に示すものの「英語から得られる世界情勢に対する関心」は非常に低いと感じます。

むしろ逆であるべきでしょう。

本来、日本人として望むべきなのは「日本が世界で生き残り豊かな生活を維持するために必要な政界情勢に対する関心」であり、そのために必要なツールが英語である、ということのはずです。
そのうえで、たとえば日本の首相などが、日本の立場などを、英語で直接訴えることができれば、なおよい、ということです。

ですので、個人的には安倍首相はあまり評価はしていませんが、彼のアメリカ両院議会での英語による演説はそのチャレンジを評価したいとおもいます。

でもね、実際のところ、八百屋のおじちゃんおばちゃんとか保育園の先生などの人々まで英語や世界情勢にそれほど関心を持つべきなのか、といわれればそうでもない気がします。

まず重要なのは「日本は日本語という母国語をもち、それを十分に理解した国民が国力を十分に発揮できる国」である、ということです。
それを理解したうえで「英語を使って発信したいこと(または吸収したいこと)がある人々」がうまく英語を扱えるようになれば十分であるといえます。もちろん、そういう人が多ければ多いほど、日本の国際的な地位(経済だけでなくソフトパワーなども)上がっていくでしょう。

個人的には、話す中身を持っていないのに、英語だけネイティブになってもしょうがない、ということです。英語で日本人が聞かれるのは「日本のこと(歴史や経済・社会制度など)」であって、それらを知らない日本人は返って馬鹿にされるだけなのが、世界の共通認識です(同様に母国のことを知らない人は馬鹿にされます)

英語の関心が上がるのであれば、母国に対する関心も上げてほしいのですが、なかなかそうならないのは、日本が平和だからでしょうか。

さて、いまさらこんなことを書きますが「日本人はこれでいいのだ」とおもいます。そもそも質問者様のように「日本人は英語にどのくらい興味をもつのがよいのか?」と疑問をもつ人々は、外国においてはそうはいません。

以外でしょうが、日本人は常に外国や世界情勢に関心が強く、江戸時代には多くの庶民が「地球が丸いこと」「白人が植民地化していること」などを知っていました。アメリカの黒船が来ても、実はそれほど驚いてはいなかった、とも言われます(幕府は対応があるので、大変でしたでしょうけどね)

そして、日本は漢字を通して、仏教を知ったり(本来はサンスクリット語)、アラブの天文学を知ったり、政治や経済まで取り込んで発展した国であるといえます。
明治維新後は、西洋諸語(英語・ドイツ語・フランス語)を駆使して、わずか30年程度で白人国家に勝てる国(日露戦争)になったわけです。
そして、太平洋戦争で負けた後も、高度成長の経済を作り、一時はGDP第2位まで登りました。いまでも3位をキープしています。

4位以下はいわゆるヨーロッパ諸国ですから、英語や西洋語ができないハンディなんてないようにも見えます。

しかし、実際は戦後も英語を通じて、技術を学び続け、高度成長期を経て、今があるといえます。
そういう意味で「英語」はこの150年ぐらい、日本の基礎を作り続けてきた、ともいえます。

ですから、英語を学びそれを利用できるなら、質問者様やまた他の人にとっても有意義であることはまちがいありません。今ではネットからでも英語が利用できる時代ですし、世界中の人が英語を利用するようになっていますので、ますます活用の場が広がるといえます。

日本人として英語に関心がなくても生活はできます。でも英語を利用できると、もっと豊かな生活ができるかもしれない(金銭的にではなくても)という、のが日本における英語の位置だとおもいます。
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もっともな疑問だと思います。



日本人で英語が必要な生活をしている人は、多く見積もっても1割いか
ない程度だといわれています。どうして、日本人全員が英語を習わない
といけないんでしょうね。

でも、翻って考えると、他の科目、例えば、物理や化学、あるいは歴史
なども、一部の人にとっては役に立つかもしれませんが、だれにでも役
に立つものではありませんよね。

学校の勉強ってそういうもんなんです。

特に日本ではコンピュータ関連の教育が遅れていて、プログラマなどは
常に人材不足だと言いますが、学校教育でコンピュータ関連科目は今も
大して重要視されていません。

学校で生徒にどういう科目を何時間教えるかは文部科学省が決めています。
学校の裁量で多少の増減はできますが、一定の枠を越えて学校が勝手に時
間を増やしたり減らしたりはできないことになっています。

今の時代は、インターネットが各家庭に普及して、わざわざ本を買ったり
図書館へ行ったりしなくても、かなりの情報を手に入れることができるよ
うになりました。

ですから、自分で勉強することができる人は、学校へ行かなくても勉強が
しやすい世の中になっています。

コンピュータのプログラマなどは、どこの大学を出ているか、ではなくて、
「何ができるか」という実力が勝負の世界です。東大を出ていようと、中
卒であろうと関係ないわけです。

マイクロソフト社の創業者ビル・ゲイツは、プログラミングに熱中して、ハー
バード大学を辞めてしまったとかいいますし、ドラゴンボールを描いた漫画
家の鳥山明さんは、親に「漫画ばっかり描いてないで勉強しなさい」と言わ
れていたそうですが、東大出身のサラリーマンよりはるかに多くの収入を得
ておられるはずです。

自分が何がしたいか、が大切だと思います。英語が好きで、英語を生かして
食べて生きたいならがんばって勉強してそうすればいいし、英語は好きでも、
英語に関係のない仕事に就くのなら英語は趣味程度にしておけばいいし。英
語で食べていこうと思ったら、「寝ても覚めても英語」みたいな生活を、少
なくとも人生の一時期は送らないと無理だろうと思います。

留学して、毎日英語を聞き話していても、1年やそこらでは、ネイティブの
言うことが何でもわかるようにはなりません。

ましてや、英語圏に住んだことがない日本人が、ネイティブなみに英語を話
せるようになるというのは至難の業でしょう。(不可能とは言いません)


私は、英語圏に住んだことはありませんが、主にテレビやラジオの番組で英
会話の勉強をし、一応、ゆっくり話してもらえれば、なんとか英語でネイテ
ィブと話し合いができる程度の会話力はあります。でも、ネイティブ同士が
普通のスピードで議論しているのは理解できません。

日本だけで英語を勉強し、海外に住んだことがない日本人としては、それでも
いいほうだと思っています。

発音とイントネーションは、比較的正確なので、「アメリカに住んでたことが
あるのか」と、何度かアメリカ人に尋ねられたことがあり、それはちょっとう
れしいんですが、でも、発音とイントネーションが正確だと、相手は、普通に
英語が理解できるやつだと思って、容赦なくナチュラルスピードで話し始めま
す。耳がついてゆかないので、大いに困ります。


日本人は総合してどれくらい英語に関心があるべきなのでしょうか、という問い
ですが、「どれくら関心があるべき」などというものはないと思います。関心の
あるなしは自然の流れですから、日本人は、もっと政治に関心を持つべきだとか
言っても、政治が面白くなければ、人はあまり政治に関心を向けません。政治が
面白くなければ、当然、投票率も低くなります。同じ事で、学校で習う英語が面
白くなければ、英語に関心のない人が増えるのは当然です。

「これからは国際化の時代だから、グローバルな日本人を育成しなければならな
い」みたいなことを文部科学省・政治家・一部の企業経営者などが言っています
が、まず「グローバルな日本人」って何かと言うのがあいまいで、みんな雰囲気
でそう言っているだけなんですね。

「グローバルな教育」を推進する計画を文部科学省に提出して認められると多額
の予算がもらえるので、大学は競って計画を提出し、京都大学などもそういった
グローバル教育をする機関を作ったようですが、教授自体が何をしていいのかわ
からず手探り状態っていうのが先日のNHKの番組で放映されていました。

海外部門でもないのに会議は原則英語でするなどと決めたアホな経営者もいて、
けっこう他の経営者からもバカにされているようですが、そういう人が文部科学
省の教育改革に関する会議の委員になっておられたりするから、日本の英語教育
がますますエリート主義・成果主義の面白くない方向に行ってしまうわけです。

海外のお客様をおもてなしするためだけなら、旅館やみやげ物やの店員が簡単な
英語を覚えればすむことだし、なにも小学校から、英語教師でもない先生が英語
を教える必要はないわけです。

これからも、日本の教育に、大いに正当な疑問を持って、みんなが当たり前だと
思っていることでも、変だと思ったら変だと言える人であってください。

あまりお答えになっていませんが、もし全部読んでくださったのならありがとう
ございます。

ひらしん
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます!
昔授業で英語を習う理由のひとつは社会的な希望を叶えてくれるツール(入学や就職)だと聞いてすごくショックを受けたことがあります。これってすごくやらしい考え方だと思うんです。きれいごとばかり言ってられないんですけどね。
私はビル・ゲイツさんや鳥山明さんみたいに何か熱中できることがないので、えらいことは言えないんですけど好きな事を伸ばせるっていいですよね。

お礼日時:2015/05/06 20:41

こんにちは。



『学校で習う英語は何を目的としているのでしょうか。』

学校といっても、大学の英語は、「実用英語」ではないと思います。文学があったり、言語学があったり、教育学があったり、また、新しい思想などを学ぶときなども、英語が媒体になります。一番、かけ離れていると思える仏教なども、その種類によっては、英語が必須だったりするのは、イギリスがインドを支配した時期に研究したものが多くあるからです。いわゆる漢訳・仏教に対する欧文訳・仏教というものがあります。欧文からみて、漢訳・仏教の不正確さが明らかになったのは、ひとえに、古代インド語とヨーロッパ言語が同じ流れを汲んでいたということからで、そこから、言語学が発達したという歴史を持っていたりするのです。

英語というのは、いろんな言葉を、自国の言葉として吸収していくという側面を持っていますので、極端に単語の多さに驚かされます。それだけに、英語の持つ柔軟性があるように感じます。

次に、英語というものは、英米だけのものではなく、例えば、中国人と話しをするときも、我々は英語で話すことが多いのではないでしょうか。また、お隣の韓国人も、意図的に英語を使ったりすることがあります。インド・シンガポール、香港のような第二言語が英語の地域は別として、マレーシア、タイ、インドネシアから来る人たちにも、ある程度通じることが多いのです。また、西ヨーロッパの多くは、衛星放送のお陰で、英語を理解する人たちが多いと思います。

最後に、私が勤めていた頃、もう20年近く前になるのか、中国人のアルバイトの人に来ていただきました。年は、20代後半だったか30代に入っていたか。彼は、日本語が堪能だけでなく、英語も出来て、仕事としての知識も抜群でした。私が働いていた部署には、一般の女子社員からは、総スカンの意地の悪いお局様がいて、その人にあれこれ、何でも頼むのです。そういう人の依頼でも、きちんと要点を掴み、見事にこなしました。そういう人は、ずっといてほしいと思ったので、上司が、会社で正社員として働いてほしいと頼んだら、見事に断られました。

その時、彼は、いずれ国に戻って、国のために働くという返事でした。何か目が覚めるような気がしました。日本人で同じように言える人はいるのでしょうか。語学とは関係がないかもしれませんが、やはり語学は、端に国と国との架け橋だけでなく、自分の国のために役立つということを、1人々々が自覚していたら、国全体では、もっと良くなっていくものになるでしょう。
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この回答へのお礼

こんにちは!
回答ありがとうございます。
インド・ヨーロッパ語源の話はとても興味深いです。これから学びを深めていきたいと思います!

私の投稿ミスなんですが、大学英語ではなく中学英語ではどうでしょうか。

お礼日時:2015/05/06 20:13

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