プロが教えるわが家の防犯対策術!

以前にさせて頂いた質問からの派生質問です。

努力とは何なのでしょう
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/8974539.html?order=

多くの回答をいただく中で、自分の捉えている言葉の意味や表現の仕方と、多くの方が持っているその言葉に対するイメージ、表現の仕方がずれている、違っているのではないかと思うようになりました。
その確認と、できれば私自身の認識の修正が今回の質問の目的です。

公的な意味での努力を、自分で図る際のものさしはどうしたらいいでしょうか?

自分で努力したか否かは自分で判ることができますよね。過去の自分ができなかったことができるようになった。これだけ頑張った結果、これだけのモノを得た。など、自分の内面を評価して「これだけの努力をした」と言うことができると思います。

ですが、自分の内面とは別に、周囲のための努力、組織のための努力など、自分の内面とは別の努力の評価基準があると思うのです。
これを自分で他人に説明するときには、どうすればいいのでしょうか?

例えば仕事について。

> 自分の主業務をやりつつ、他の人の応援や、自己判断での提案や他部署でのお願い事なども動いている

そんなものは「努力」でも何でもありません。
あたりまえにやるべきこと・やらなければならないことです。社会人としての務めをはたすというのは、そういうことです。

上記は以前の質問からの引用文です。
回答者さんのおっしゃることは、確かにそのとおりと思います。
仕事ができるようになるのは当たり前。
では、仕事における努力とは、どういうことなのでしょうか?

私は、仕事で言えば自分の職掌をまず必要十分にこなす事。こなせるようになったという評価を得ること(工場勤務なので、例えば工員の技能評価などを参照するなどで、周囲からの努力評価を判断)。

次に、自分と関わりのある人や部署の仕事を助け、楽にしてあげられるように、より広い範囲の仕事をできるようになること(自分の工程の後の工程が作業しやすいように整えることや、自分の工程の前工程の作業を理解することなど。前後工程の人の作業の様子や、評価・謝辞などを参照にして評価)。

後は、前後工程をさらに広げて同じことを繰り返し、部署が変われば、また自分の職掌から同じことをしていく。
この繰り返しが基本的な努力だと思っていました。
自分の職掌の中には、より正確・安全・快速にできるカイゼンや、新しい方法の提案なども含みます。自分の職掌をよりよくするための事すべてを、自分の職掌と考えています。
他者へのヘルプをする時の基準も同じです。

でも、これは作業者が「当たり前」にすることで求められていることでもありますよね。
当たり前が努力ではない、とするなら、何を持って他の人は努力と考えるのでしょうか?

たとえば具体的に、工場勤務であれば、新規工程を創設するとか、技能検定を受かるとか、会社が正規に求めていないことを、業務とは別で達成することが努力なのでしょうか?
地位がランクアップすることが努力なのでしょうか?
それとも、ほとんどの人は、努力をしていない。当たり前を当たり前にこなそうとしているだけなのでしょうか?

もし当たり前を当たり前にこなすだけなら、「努力を説明・証明してください」「努力できていますか?」と問われてときにどうすればいいのでしょうか?

また、
>あなたのジョブコーチやカウンセリングもそれと同じ。
嘘でもほめるし、お世辞も言うでしょう。
だって、彼らの目的はカウンセリングを受ける「客であるあなたの気分を良くして」
「講習を与えることで客であるあなたを満足させることに」にあるからです。<

>周りはそれを見て、
「はい、はい、ご立派、ご立派、すごいね、真面目だね、努力家だね」とお世辞は言うでしょう。
それをあなたは他人の本音だと真に受けてるだけです。

残念ながら、そのお世辞は建前ですよ。
本音はあなたの無茶ぶりを見て「こいつ、おだてりゃ、すぐに木に登りやがる」
と逆にあなたのことを小馬鹿にしてたんでしょう、

あなたが彼らを馬鹿にしていたのと同じように。

会社もあなたをおだててりゃ、その分、せっせこ勝手にやってくれるんだから
別に止める必要も無い。<

との指摘も受けました。
私には「お前の周りの人間は、だれもお前を評価してない。評価してるように見せかけているだけ」
と言われたと理解しています。
また、不良率の低減や欲しい物が欲しい時に欲しい場所にあるように業務を遂行することも、当たり前で努力したとする材料にならないのなら、
数字や事象も、周囲の反応や評価もほとんどを否定されたら、何を元にして「周囲から望まれた努力に答えられているか」を確認し、方向修正していけばいいのでしょうか?

正直、今まで自分が「当たり前」と思っていた部分の認識すら揺さぶられて、わけが分からなくなっています。

どうか具体的例示や、説明を加えた上で教えていただけないでしょうか。

質問者からの補足コメント

  • スミマセン
    お礼のこと、公的な努力としてみた場合、どう見えるのかを教えていただけると助かります。昇給は定期昇給で、査定が出ているのか判断できません。また、sofialondonさんが仰る様に、最後は逃げました。間違ったエゴだけの努力を続けてきたのでしょうか?すべて煽てで甘えだったんでしょうか?
    建築は体力と体質(熱中症、水分2㍑補充しても倒れる。騒音で指示を聞き取れないなど)で「いらない」と言われトラックは「希に居る運転適正欠落者」として、試用期間内の退職でした。
    現在の職場は、工場で、約四ヶ月で、給与や何かで判断はできません。ジョブコーチと会社の一回目面談の結果が近日上がってくる状態です。職務としては、ベテランと比べた作業速度以外は、特に指摘が無く、自分が貢献できているかを図りかねています。
    経験上、そう外したことはしてないと思うのですが、結果を見ないとなんとも。

    ご教授お願いします。

    No.3の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2015/05/17 21:47

A 回答 (5件)

「公的な意味での努力」が為されたか否かを自分自身で測る指標の1つは、No.1の方がおっしゃっているように、給与・賞与や職階(職場での責任の度合い)になると思います。


と同時に、持ち場での作業効率や売り上げなどがアップしたか否かということによっても測れると思います。
要は、公的な場では、あなたは個人としてのみ存在しているのではなく、欠かすことのできない1つの部品のようなものとして存在しているのですから、公的な場(この例で言えば職場)の中でどれだけ自分の役割が評価されたか、ということによって知ることができるわけです。
したがって、目に見える形で示されるはずの客観的な評価(査定結果、と言い替えても近いニュアンスになると思います)で把握するようにして下さい。

公的な場では、あなた自身の個人的なスキルや努力は、実は、あまり問われません。
組織(職場も、もちろん組織の1つです)というものは集団全体として成果を上げたときに初めて評価されるのですから、結局のところ、組織にいる1人1人は、集団のために動かなければなりません。
つまり、あなた自身の考えだけで動くのではなく、集団全体にとって役に立つやり方で動かなければならないのです。
言い替えると、あなたが集団のためにプラスになる人でなければ、あなたが行なったことは評価されませんし、最悪の場合は雇い止めになったりすることさえあり得ます。

だからこそ、業務改善策で言えば、あなただけに通用する方法にとどめておくのではなく、全体として共有できるような形に発展させてゆかなければなりません。マニュアル化もその1つです。
その発展の過程が「公的な意味での努力」の1つになりますし、やはり、目に見える形にして示さなければなりません。
目に見える形にすることによって、自分自身の目で見ても第三者の目から見ても、いずれの場合でも客観的・共通の基準によってものごとを測ることができるようになります。

評価されない・自分がやったことを否定されてしまう‥‥というのであれば、はっきり申しあげて、組織としてはあなたが役に立てていない、ということを意味します。
たとえば、あなた自身は動いているつもりであっても、集団全体にとってはそれが役に立たず、売り上げアップなどにつながってゆかない‥‥。
そういうときには、集団の一員として与えられた役割(周りから期待されている内容)を果たせていないのですから、評価されなくてあたり前です。
ただ、勘違いしていただきたくないのですが、あなたという人間そのものを否定しているのではないのですよ。あなたがその集団の中ではたさなければならない役割(たとえて言うならば、あるドラマ[集団に置き換えて考えて下さい]の中での配役[役割])が務まっていないゆえに、ゼロ査定しているだけなのです。

つまり、公的な場では、ひとりひとりに割り当てられた役割というものがあります。
言い方は変な感じになりますが、公的な場はいわば舞台で、その場を構成している1人1人は俳優のようなものです。
与えられた配役をきっちりとこなし、全体として舞台が成功するように努めてゆかなければなりません。
このとき、◯◯さんという俳優さんは、◯◯さんという個を封じていますよね。あくまでも、役の中の◇◇さんになりきらなければならないわけです。

「公的な場での努力」というのはそういうことです。
与えられた役割を、個を抑えながらはたすこと。それも、あなた自身のためではなく、集団全体の利益のために。それこそが求められるのです。
ですから、行動はそのために行ないます。
たとえあなた自身が納得できなくとも、集団としてそれをやらなければならないのであったら、屁理屈などをこねる前にとにかく動かなければいけません。いちいち考えている時間は、はっきり言って損失につながりかねません。
そういうものなのですよ、現実の集団社会というものは。

厳しい言い方をしますが、あなたの認識は、あくまでも個人レベルでの努力にとどまっています。
要は、集団のためのものではない、ということです。
であれば、周りから煙たがられたり叱責されたりするのは、むしろ、当然過ぎるほど当然の結果だと思います。必要とはされないメンバーになってしまうのですから。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。教えていただいた二段階の努力の構造、使わせていただいています。

公的な努力について、私の経歴の中からkurikuri_maroonさんから教えを請いたいのですが、よろしいでしょうか。

以下の事例の場合、公的な努力と判断されますでしょうか?

自動車部品工場勤務(五年)専門知識無く、素人としての入社
派遣社員として入社。一年で正社員となる。派遣社員の間は、離職率・職場の問題児率の高いラインの工程管理を口頭にて委託され、残業率の改善とライン欠員時の柔軟性の確保を行う(多技能工を複数養成。自身も全工程の技能を修得)。

正社員登用後、外国人が七割のラインに班長(役職手当在り、直属は課長)として異動。生産数を上げて、火の車だった在庫数に余裕を持たせ、工数超過気味だったラインを予定工数内で収める。
作業マニュアルを見直し、現状に即したもに改定(課長に申告・了承を得る)。生産数の余裕を元に多技能工の養成、欠員時の柔軟性を確立。
リーマンショックにてラインの閉鎖。閉鎖直前には、3ラインを二人で管理。私は管理、相方は整備を評価されていたのいで、管理と整備を分担。相方が先輩のため、報告はその名義で。
閉鎖直前の工程遺移管の際、社長にマニュアル改訂を咎められる。正式な手続きを踏んで親会社にまで変更を伝えなかったため。
(この間約三年)
所属部署を変更され、工場の物流部門へ。
前任が、製造部門と衝突が多かったらしく、要望を聞き、ジャストインタイムを心がけていたら、重宝がられた。出来る事はしてして、出来ないことはできない理由と、できる予定を説明。理解を求める態度が好評だったらしい。
ただ、人数が少ない部署で作業員の負担が大きく、直属の上司が突然の退職。役職のつかないまま、先任として現場指示を始める。
この頃、家庭も問題を抱え、会社より離婚を進められた。
作業量の増大と、人員補填の見込みの立たない状況、上長まで含めみな素人と言う知恵の無さ(専門外ばかり)のなか、仕事と家庭の維持に絶望し自殺未遂し、退職(その後、上長も退職し人為に総入れ替え)。

その後三社勤めるが、内二社は「適性が無い」と言われ実質クビ(建築と運輸、全質問の上司の事例は運輸で2ヶ月で退社です)。
もう一社では、管理能力と勤務態度を評価され、派遣元から「正社員に」といわれる。

どうでしょうか?

お礼日時:2015/05/17 21:35

私は女で、バリバリ働いてるわけでもありませんが、


パートで厳しい目にあって、疲れはてました。
お弁当などを作る仕事をしてましたが、家で勉強したり、ありったけの力を
出して働きましたが、言葉一つで、
まるで怠けているような、仕事がいかにゆっくりして、
何も考えてない事になってしまいます。
もちろん、ありったけの力を出す、家で勉強するは、努力だと思います。
これも私は、自分自身で、立派な努力をしたと思います。

しかし、周りの人間の、態度で怠けているようになってしまうのです。

あなたの文章を読んでいると、とても頭の良い、純粋な、心の優しい方なのではと
思います。
人の仕事のヘルプまで、考えられて。
何もかも背負い過ぎて、真剣に考えて倒れ、障害になられたのでは?

突き詰めてしまうのが症状でしょうか?
世の中には心ない人もいてますよ。
無理しすぎだと思います。

どうすればいいかは、有名な精神科の先生に見ていただいて下さい。
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この回答へのお礼

>あなたの文章を読んでいると、とても頭の良い、純粋な、心の優しい方なのではと
思います。
人の仕事のヘルプまで、考えられて。
何もかも背負い過ぎて、真剣に考えて倒れ、障害になられたのでは?

どうも、他の方の仰りようだと違うと思います。怠惰で堕落して、できない言い訳ばかりする怠け者、というのが他人の目に映る私のようです。
それも真実の一面と思います。受け入れて直していかないとと考えています。

songorinさんは、ご自身やれるだけ頑張って、すごい方だなと思います。どうかご無理なさらずご自愛を。
私とは根本が違うのだと思います。周りの方も、直に認めてくださいますよ。きっと!

回答ありがとうございました。

お礼日時:2015/05/19 06:32

>数字や事象も、周囲の反応や評価もほとんどを否定されたら



違うよ、否定されてるのはあなた自身なんだよ。
自分に問題点があっても、治そうとしている感じじゃないし。
自分で色々と考えてるようだけど、ひきこもりの自己勉強と同じで、他から取り入れるものがないと何年やってもいい結論なんか出ますかいな。
精神科の主治医が怒ったのも、あなたがひとの言うことを聞かないからでしょ。それが発達障害なのかもしれんけど。
この質問文に書いてることは立派だけど、あなたにこれらができるのなら今の状況はない。
今まで何度か”自分の鋭い所”を書いていて、それは本当なのだろうと思う。ならば、障害者枠など使わずそれで食っていけば?
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この回答へのお礼

>違うよ、否定されてるのはあなた自身なんだよ。

直接言われるまで、気付きませんでした。ご指摘いただきありがとうございます。

>この質問文に書いてることは立派だけど、あなたにこれらができるのなら今の状況はない。

そうですね。私が自分にも嘘をついていたか、認識が間違いなのか、できていなかったんのでしょうね。
その視点で自分を振り返り、できること、修正可能なところから治して行こうと思います。

ありがとうございました。

お礼日時:2015/05/19 06:28

努力とは、なんだろね?



得手不得手の、潜在能力の差があるからね。

トビウオは、大魚に追われて空を翔ぶことを成し遂げ
鷹は、大空を舞って海には潜らない代わりに、視力,スピード,鋭い爪を身につけ。

飛ぶ鳥のハシグロアビは、餌を求めて81mほど潜水することを成し遂げ
マッコウクジラは、飛ぶことはおろか、歩くこともできず、深海3000mまで潜る。
個人差があるから、誰もがは、当てはまらない

出来そうな事から、積み重ねればよい、

森の木陰のある若木は、太陽を求めて高く伸びようとして疲れて枯れ、
森の木陰のある若木は、太陽を求め枝を曲げて日差しにあたる、
森の大木は、若木のころを忘れて不恰好と笑う。

上を見すぎて目的を忘れ、上から見すぎて初心を忘れる。

当たり前は、当たり前で無い時期が有り、自分に対する当たり前は、成長と言い
他人に対する当たり前は、押し付けと言う。

上司は、経験のフィルターを持っており、個々に合わせて指導することを、采配を振るうと言う。
常日頃、部下の能力を、把握しておかないと難しいよね。

成果は競うが、努力事態を競う習慣が無いので、考え方が特殊かもしれないが、
個人の努力は、貴方の考え方に近く

集団の努力は、
ある者は良いネギを出し、別の者は良い肉を出し、良い豆腐を出し
そして鍋料理の完成ですが、
個人をどう比べればよいものやら。

強いて言えば、隠し味にダシを加えた上司への評価になるのだが
巡り巡って自分への投資と捉えている。
・ 上司が出世すれば、上があく
・ 部下が育てば、違う試みができる
・ 同期が助けあえば、効率がよくなる
・ 皆で助けあえば、失敗のリスクがさがる

個人と集団の、評価は性質が違うので、どんな個人評価をしましょうか?
もし、バイキング・パーティーするなら、何を持ってきます?
そして楽しく終わったら、何を評価しますか?

アフリカの諺:
「もしあなたが、急いで行きたいなら、一人でいけ。しかし、もしあなたが、遠くへ行きたいなら、一緒にいけ。」

旅行する目的も、だいぶ性質が異なりますね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

おなべの喩え、分かりやすかったです。
私の場合、なべ奉行が持ってきてほしいともうモノを提供できていないのかもしれません。
一度振り返ってみます。

難しいです、必要とされる努力って。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2015/05/19 06:25

基本的には、会社組織であれば、きちんと評価されている場合は、給与があがったり、賞与で差がつくのが当たり前です。


そういう目に見える形でしか、組織は個人の業績に応える事が出来ません。
言葉などの、不確かな情報をあてにするより、そういう評価がきちんとされているかを把握した方が良いですよ。
いわゆる業務改善に関しては、直接行動するのも大事だとは思いますが、きちんとマニュアル化するなどの行動が評価される要素ではないですか?
組織としては、君自身のスキルに頼るよりも、周囲がきちんと行動出来る方が良いわけです。
もちろん、自己防衛の為に、特殊な知識を他者に公開しない方法も考えられます。
ただ、そういうのは、あまり評価の対象にはならないですよ。
資格を取ったり、職制で上位に上がるのは、努力の結果であって、それ自体が努力では無いです。(向上心が高いとは言えるかもしれません)
他者へ、君が努力(向上しようと考えている行動)を説明するならば、自分の行動を素直に説明すれば良いだけだと思いますよ。
業務改善に関しては、会社は常に求めているでしょう。
普通は、提案内容や、提案回数などで、きちんと評価されているはずです。
普通の業務で、まわりの質問に答えているのは、評価はしずらいですが、きちんとしたスキルをもっているのならば、そういう質問に答える立場になるはずです。
それを、余分な行動と思われていたら、評価されないのは当たり前です。
質問文の内容では、君はきちんと行動出来ているわけでしょう?
ならば、きちんと説明すれば良いだけです。
否定するのは、どういう人ですか?
上司が、君に期待している事が達成出来ていないならば、それを評価しないのは当たり前です。
君が職能の範囲で、それをきちんと達成しているならば、普通の評価は得られているわけです。
それ以上の評価を得たいのであれば、それ以上の行動が必要なだけでは無いですか?
評価されたいのであれば、どうすれば評価されるかを、上司から引き出さなければ駄目ですよ。
君自身に、人望と能力があれば、自然と君は引き上げられるはずです。
引き上げられないのならば、何か、欠けている面があると言う風に解釈するのが普通でしょう。
会社が究極に求めるのは、コスト削減と収益率の向上です。
コストには、人件費も含まれます。
支出の中の人件費の割合が決まっているとしたら、個々の給与を上げる為には、人員を削減するしかないわけです。
人員削減につながる業務改善ならば、きちんと評価されますよ。
個々の労働強度を下げるのは、第一段階です。
最終的には、元の労働強度まで戻して、人員削減するのが最終目標なわけです。
工数削減も同じ事です。
そこまで、考えれば、会社としては評価せざるを得ないと言う事です。
君の疑問点がどこにあるかは、正直わかりません。
単純に良い人でいたいだけなら、疑問は無いでしょう。
評価されたいのなら、どうしたら評価されるかを引き出さなければ、答えは得られないと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>他者へ、君が努力(向上しようと考えている行動)を説明するならば、自分の行動を素直に説明すれば良いだけだと思いますよ。

そうしてみます。素直に書いたつもりが、怠惰だ堕落だエゴで努力じゃないと言われ、混乱していた部分もあるかと思います。過去の職務履歴書や、日記など読み返して見ます。

>会社が究極に求めるのは、コスト削減と収益率の向上です。

この部分の意識が少し足りないかな、とは思いました。仕事を効率化するのは、みんなが少しずつ楽になるためと思っていましたから。
上司の思惑や、ご指摘のいろんな事を当てはめて、自分を振り返り、今の職場に利用できる部分をかがしてみたいと思います。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2015/05/19 06:20

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