日本の近代化が始まったのは今から150年前であり、版籍奉還が1869年、廃藩置県が1871年で、ドイツの統一、イタリアの統一と同時期であることから、この3国は同時期に近代化が始まったと考えてよいと思います。
そして、第一次大戦後の1915年には日本は米英仏伊と並ぶ五大国の一員となっており、日本は100年前には既に先進大国であったのは明らかです。
しかしながら、戦前の日本は遅れており、先進国になったのは1970年頃だと主張する人が多い気がするのですが、彼らは戦前の大国だった頃の日本は無かったことにしたいのでしょうか?だとしたらそれはなぜでしょうか?
百歩譲って、戦前の日本はファシズムが生まれるような民度の低い国家だったと主張したいのであれば、それはドイツもイタリアも同じであり、日本、ドイツ、イタリアは戦前は後進国、小国であったことになりますが、そういう認識で良いのでしょうか?
No.7ベストアンサー
- 回答日時:
戦前の日本が大国ではなかった、先進国ではなかった、というのを技術的なレベルやインフラの規模に求めるなら、今のGDP5位以下の西欧国はどうなるのであろうか。
6位のフランスはともかくとして、ブラジルに抜かれたイタリアは先進国ではないか。イタリアは原子力発電所を作る技術をもっていないし、車は作れるものの、電化製品だって日常家電程度しか作っていない、戦前の日本が「ヨーロッパに比べていろいろ作れないから先進国ではない」というのなら、今のイタリアやスペインなどはそろそろ先進国から降りていただこう。
日本が戦前大国ではなかった、という幻想はどこで作られたか、その発端は東京裁判史観に始まるといえるだろう。
東京裁判史観の基本は「日本は、国力が小さいため中国や東南アジアなどの資源を欲したため侵略行為を行い、国力に合わない戦争の結果、本土まで壊滅的な打撃をうけ、敗戦に至った。侵略行為は罰せられなければならないので、東京裁判が行なわれABC級戦犯が刑に処された」ということである。
この見方の基本の中に暗黙のうちに含まれているのは「日本は他国を侵略してはいけない」ということである。だから戦争犯罪があり、連合軍はそれを裁くことができた、という論理である。
なぜ日本は他国を侵略してはいけないかというと、それは国力に合っていないから、でつまり「植民地をもっている欧米と違って、19世紀になってから近代化したような高校デビューみたいな国が、帝国主義なんか選んじゃダメだろう」という論法である。
こうなると、戦前日本が「大国」であると非常に具合が悪いわけだ。
では、大国とはなにか、それは「発言力のある国」であり、帝国主義的な時代にあっては「他の民族、他の地域、他の国家に自国の都合を押し付けることができる国」ということである。簡単にいえば「うちの国がお前んところを植民地にしたら、お前は文句なしに従えよ」と押し付けられる国のことであったといっていいだろう。
実際に、第一次世界大戦前後に、そもそも独立国として成立していたのは、西洋国とアジアでは日本とタイぐらいで、中南米はともかく、アフリカから中近東・アジアまではほとんど独立国は存在しなかったし、その中で自国の発言を軍事力や経済力の裏づけをもって主張できたのは、欧米と日本しかなかったと言っていいだろう。なにせ国際連盟は63カ国しか参加していない(後は植民地)のだ。
その世界連盟の中で日本は設立メンバーであり、常任理事国であったわけで、これを「大国」といわずしてなにを大国というのか、よほどの検討が必要であろう。
もし日本が戦前から「大国的地位」があったとみなが認めたらどういうことになるか、戦前から大国なんだから「どんな戦争をしたって、それは自衛権の範囲」であるとみなされることだろう。
戦後、この点を強く印象付け、日本の実態をミスリードしたのは主に左翼であったように思う。特に日教組と旧社会党の影響は大きいのではないかとおもうが、このような視点で検証したものはないだろう。
ただ、左翼的な視点で日本の歴史が語られていたのは事実で、特に江戸時代から戦前までの時代を、農民や労働者のプロレタリアートと武士階級やその後の資本家などのブルジョワジーの対立のように描いている教科書も実に多かった。
戦後の日本の政治的なバランスは、米ソの冷戦の影響もあり、常に社会党や共産党に代表される社会主義的な要求を自民党が呑むことで政策が進む、ということで、資本主義化において一種の社会主義への憧れとガス抜きが行なわれたものである。
したがって、教育課程においては日教組を枠内にコントロールしながら自由に教育させたために「戦前の日本は貧しく大国ではなかった」と指導していったのではないか、と推測する。
実際に私は管理教育世代だが、当時の授業の印象から「戦前の日本が世界に発言権がある大国だった」という認識は生まれてこなかっただろう、と思う。
ただ、敗戦当時の日本人は心の底から「戦争はいやだ」と思っていたようで、それが戦前日本の矮小化、評価の極小化につながっているようにも感じる。
戦前の日本は、世界でも有数の大国であったし、併合した朝鮮半島や台湾の行政に責任をもち、南洋州にも目を配り、国際連盟の常任理事国として大役を勤めていたわけで、戦後はこれを小さく見せようとする空気が蔓延したことだけは事実なんだと思う。
No.14
- 回答日時:
質問文ですか・・・?
>ドイツ。イタリアと同時期に近代化が始まった
質問者さんと同意見です。
>五大国の一員となっており先進大国であったのは明らか
国際連盟の常任国 プラス 米国、の認識のようですが、
先に書いた通り常任国だからと言って先進国であるとは言えない。
また大国だから常任国になっていたとの理屈も疑問。
アジアの大国という名目なら中国のほうが条件そろうしね。
日本が何年かけても屈服させることができなかった、
また戦後、米が本気で戦うのをためらった正真正銘の大国です。
当時は日英同盟があり発言力を強めたい英国が日本を子分扱いして巻き込んだ、
というのが実態でしょう。
「日本って大国だよね~」とか煽てられてハナタカになっていたわけです。
(日露戦争の勝利も英国あっての勝ちです、誤解なきよう)
>しかし、先進国になったのは70年代との意見が主流
これがなんで「戦前は大国ではなかった」との話になるのですか?
まあでも頑固な質問者さんの理屈(先進国=大国)で通すとします。
質問者さんも同意する、先進国と言い切れなかった、のだから
先進国ではないわけで大国ではなかったということです。
原質問の文章からはそのような回答になりますね。
まあ実際、西欧諸国の思惑に踊らされ続け
強国ドイツを潰したい英米の罠にはまって真珠湾を攻撃しちゃう子供です。
貧乏臭さから既得権(半島や満州)を手放す事もできず、
ロクな戦争計画も持たずに、兵糧攻めに我慢できなくて巨人をぶん殴った。
それが戦前の日本です。
どんだけ海軍力があっても、日露戦争時の装備と大して変わらない陸軍と
江戸時代な田舎の生活と、米国相手に戦争始めてもすぐには総動員体制を敷かなかった
マヌケな政府では、政治的な意味での「大国」とは絶対に言えないでしょうね。
経済的技術的にも大国な要素がほとんどなく、唯一海軍力のみ。
海軍大国であったのは間違いないと思いますが、それ以外は怪しいものです。
質問文に対する回答が無い、との事ですが
質問本文に対してとっくに結論は出ているのに、これ以上何が必要なんですか?
質問文ではなくタイトルに対して回答したほうがいいのですか?
>第二次大戦の戦いでは日本の敗戦が目立ちますが、シンガポールやインドネシアでは勝っているのですが。
これが重箱の隅。
大国とか先進国とか全体的な観点での議論をするに、
なんで一戦場の勝ち負けが出てくるんですか?
不意打ちで二流の植民地軍を蹴散らしても、それが全体の戦況にどう影響したんですかね?
敗戦が目立つのではなくて、日本が負けた、それだけです。
でも、ただ負けたわけではないとは思いますよ。
アジア諸国に独立の芽を植え付け、西欧諸国による世界支配を弱らせた。
いまだ西欧支配のままですが、昔と比較するとずいぶん変わっている。
そういうアジアの観点から見ると精神的な大国であったのかな、とは思いますよ。
グルグル回るだけになっているので
もう本件での回答はしませんよ。
No.13
- 回答日時:
質問者さんは、大国=先進国、だと思っているのですか?
常任理事国=先進国なら、ちょっと昔の中国も先進国なのですね?
僕は、戦前の日本は地域大国であっても先進国ではない、と発言しているのですが
その程度も読み取れませんか?
ご自身の質問文をもう一度読み直してもらえませんか?
No.12
- 回答日時:
大国の解釈ですが・・・
軍事大国であったことは間違いありません。
軍事力とアジア唯一の重工業のある国家として、また第一次世界大戦の戦勝国として、世界の政治大国の一角を占めていたでしょう。
経済大国であったかどうか?
経済大国というには、今一歩及びません。
第一次世界大戦の期間・及びその復興期に、ヨーロッパから膨大な物資の注文があり、経済規模が一気に拡大し、軽工業国から重工業国へと足を踏み出しました。
ですから、新興経済大国という言い方が一番適当でしょうか。
軍需・産業投資においては、経済大国の一角に相当する規模となりましたが、資金力は今一歩、技術力については、自国技術を背景とした経済拡大には、まだ時間が必要でした。
特に、民生分野においては、欧米(ソ連を除く)やアメリカと比べて見劣りしました。
ソ連・日本は、国策として富国強兵・重工業化を進め、民生分野への投資を抑え、軍需・産業の再投資を優先しました。
<参考>
戦前、日米開戦に至る大きな理由が「対日禁油」です。
アメリカからの石油製品・原油輸入が禁止された結果、軍艦・航空機・戦地での軍需物資の運搬が出来なくなることが確実となり、中国での軍事行動継続のために、新たな石油入手地を求めて、現在のインドネシアへの軍事進攻が行われました。
この頃の、年間石油類輸入総量が約200万トン、民需100万トン、軍需海軍50万トン、陸軍50万トンの規模でした。
民間エネルギーは、石炭に依存しており石油消費は大きくありませんでしたが、高性能で、出力を短時間に切り替える必要のある船舶である軍艦や、航空機、鉄道のないところでの運搬に欠かせない軍用トラックなどの燃料は、石炭では代替えできません。
現在、日本の石油・液化天然ガス輸入は、2億トンレベルですから、この頃の民間の石油必要量の小ささと、軍事利用の大きさがわかります。
運送手段に使われる、石油消費量から見れば、民間レベルでは、国とは言い難い状況と言えます。
ちなみに、アメリカでは1930年代には自動車・電気冷蔵庫が一般に普及していましたが、日本では1960年代に入ってからです。
つまり、民間レベルも含めた経済大国になったのは、1960年代の高速道路建設・新幹線建設を経て、1970年の万国博覧会の頃でしょうか。
No.11
- 回答日時:
先進国という言葉自体が新しいんです。
当時、経済における南北格差が大いに喧伝されました。
北半球と南半球の格差。
国の経済を発展面から評価して先進国と後進国と呼んだ。
そのうち後進国は無礼だとされ発展途上国と変わった。
1970年に先進国に成ったんでは無くて・・・
先進国という言葉が作られた時に先進国と分類された。
先進国というのは経済に関する認識評価であり大国とは
違う。現代においては経済構造の意味となろう・・・
つまり先進国とは経済の支配者が自分達の体制を地球
全域に広める為の宣伝言葉、スローガンに過ぎない。
今で言うグローバル・・・と同じでスローガン。
No.10
- 回答日時:
洗脳理論の信奉者も出没している感じですが質問に
対する最も適切な判断として当時の他民族や国家が
日本をどの程度の国として感じ、判断したかと思う。
日本が一人前の国として認識されたのは日露戦争の
陸戦後であります。観戦武官や派遣記者による日本軍
の戦闘がつぶさに報告され認識が変わりました。
最強最大のロシア帝国の大軍に対し、わずかな兵器を
携えた小柄な兵士が対峙し戦闘開始後、ほぼ1週間の
間、逃亡する兵士は無くどんな攻撃にも戦線を維持して
ついにロシア帝国軍を退けた。これを見たヨーロッパ・・・
ドイツやフランスの有力紙は社説において数百年続いた
植民地体制にいよいよ終わりが来たと論説した。
なぜなら数百年間で始めてヨーロッパの一流国と堂々たる
戦闘を成した有色人国家が現れたから。ヨーロッパ諸国が
それらの国々の教養人や政治家が日本を同等と認めた。
数百年に渡り絶望感の抵抗を続けていた多くの支配されていた
民族に取ってヨーロッパの強国に対抗出来る有色人国家の
現出がどれ程の希望を生み出したか。
ヨーロッパの社説は戦争の帰趨(きすう)に関わらず堂々たる
陸戦の一戦闘の観戦により認識を変えたのです。
社説の論旨はたとえ日本が戦争に敗北しても堂々たる戦闘は
大いに日本の国威を上げた、以後の世界は変化するという認識。
日露戦後、多くの諸国が代表団を日本に派遣した・・・
また多くの民族も多大なる困難を超え日本に代表を派遣した・・・
日露戦争が世界に与えた衝撃は歴史に例が無い壮挙と言い得る。
洗脳理論を正しいと思う前に当時のヨーロッパ有力紙の社説を
詳しく検討してほしい。
日本が大国であったかは知らない。
だが地球に数百年続いた体制を劇的に変えた国なのだ。
No.9
- 回答日時:
二流の植民地駐屯軍相手なら日本も善戦できたでしょうが、
本国軍が来たらボロ負け、というのが実態です。
太平洋戦線では米軍が主力ですから米軍に押されたと思うのでしょうけど、
実際はビルマ戦線においても中国戦線においても「勝つことができなかった」。
これが事実だと思いますけどね。
インパール作戦の敵はどの国でしたか?
一時的な勝利は先進国の証明にはなりません。
戦争は勝ってこそ価値あるもの。
途中経過など、まったく意味がない事を理解されてないのでしょうか?
戦争中の日本生産力に関するリソースはいわゆる書籍です。
どの本だったのかはすぐに出てきませんが、
信用できないのならご自身でも調べてみたらどうですか?
ところで、質問者さんの意図が理解できません。
いちいち重箱の隅をつついているだけで、本論については論理的説明がない。
一時的な戦闘の結果や、単品では意味のない兵器などばかりを検討対象とし
例えばパイロットの育成システムに関する優劣や
経済力や国土、海運力や動員できる人口(その国の人口とは違う)など
全体的な観点で語るものがまったく見えません。
一度、国家総動員という言葉を調べてみてください。
お聞きしたいことがあります。
これは質問ですか?
それとも意見のお披露目の場ですか?
補足にてご説明をお願いいたします。
No.8
- 回答日時:
ワタシも今までは、そんな気がしていたのですが、
質問者さんの指摘を受け、目から鱗の思いです。
言われてみればその通りです。
日本は戦前から大国でした。
それなのに、大東亜戦争で負け、米国の庇護下に
入ってやっと大国になれたのだ、なんてイメージ
でおりました。
これは、あれです。
占領下のウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム
(War Guilt Information Program)
つまり、何しろ日本は悪かった、という
洗脳教育が原因ではないでしょうか。
どこの国でも、物理的占領が終われば、心理的占領を
やります。
日本だって同じです。
明智光秀を悪者にしたのは徳川幕府ですし、徳川を悪者
にしたのは、薩長でした。
小国日本は、思い上がって米国に楯突いたが
米国の善意溢れる統治、援助のお陰で大国になれたんだぞ
という具合ではないでしょうか。
No.6
- 回答日時:
言い忘れたけど・・・第二次世界戦では軍馬も沢山使われた。
日本だけじゃ無いよ。 ドイツやソ連でも多く使われた・・・
戦争映画に軍馬はめったに出ないけど現実は軍馬が多い。
映画では派手な打ち合いが多いけど現実は単発銃の戦い。
機関銃の銃弾が嵐のごとく飛んでくるのは突撃戦の時だけ。
ジャングルの様な接近戦では自動小銃が活躍する。
No.5
- 回答日時:
先進国とか大国と言う表現は単なる感情的な物です。
歴史を考えるなら、一人前の国という意味が適切ですね。
戦前の日本を検討して見ましょう~
統治機構は近代的な体裁を整えており国交も多くの国
と有った。軍隊の攻勢も近代的軍事組織と言い得る。
戦争における士気も他国と比べて劣りはしない。
工業についても発達に力を尽くしていた。
まず近代機械工業の基礎であるベアリングを国産できた。
電子装置にしても無線についてはドイツ技術の勉強により
理論面では先端研究をしていた。軍艦を自国で建造出来た。
戦闘機を国産出来た。大砲や機関銃も作れた・・・
火薬についても研究開発の能力が有った。テレビジョン研究。
ベアリング生産能力は当時の世界では数カ国しかない。
アメリカの品質管理ですか?
あのぉーーー砲弾や魚雷の不発や暴発の苦情が戦争中に
殺到し専門の品質管理体制を作り、ようやく改善しました。
日本で有名な酸素魚雷実用化は品質管理により実現した。
他国では不良爆発にあきらめて酸素魚雷自体を止めた。
戦艦大和建造の過程でブロック建造や品質管理が開発された。
日本の品質管理は戦後のデミング理論だけによる訳では無い。
それに世界最初の近代ヘリコプター理論は戦前の日本人による。
アメリカのヘリ操縦免許の過程でこの日本人の名が教えられる。
技術的には八木アンテナとヘリコプターが日本の誇り。
ヘリコプターを見かけると自分まで誇らしく成る。
ああ・・それから国民数も領域で考えれば1億人を超えていた。
ああ・・・プリント配線も銅はく配線は戦前の日本で始められた技術。
これらを考えると一人前の国だったと想う~~~~
馬鹿馬鹿しいけど戦前だって電気洗濯機や電気冷蔵庫や扇風機
や電気掃除機は販売されていましたからね。他国に劣る訳じゃ無い。
世界征服出来る国力が無いのは言うまでも無い事。
戦前の日本が世界ランク5位以内というのは正しい。
異論に対してはヘリコプターの歴史で逆襲せよ!
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私の主張のどこが欠落しているのでしょうか?
大東亜戦争前の日本は確かに外交下手でした。ただ、日清・日露戦争には外交で勝利した部分もあり、またアジアでは日本(とタイ)のみが植民地にならなかった訳ですから、そういう意味では外交上手だったと言えます。日英同盟の締結など、まさに外交の賜物でしょう。
また、日本は国ぐるみで暴走したと仰いますが、それをもって後進国だというとすれば、ドイツやイタリアも後進国だったと言えるでしょうが。
確かに、100年前の日本は大国ではあっても、先進国だったとは言いきれないですね。
でも、アジアの中では先進国でしたし、ヨーロッパの中でも中進国くらいの実力はあったはずです。
また、当時の日本の地方は江戸時代と大して違いはなかったと言われますが、それを言うならイギリスやフランスだって田舎は封建時代と変わらない生活だったでしょう。
また、日本でも東京や横浜、大阪、神戸あたりに住む人は欧米的なライフスタイルを送っていましたよ。神戸には戦前の欧州スタイルの建築物が数多く残されています。
当時の日本は貧富の格差が大きく、貧しい人も沢山居ましたが、それはイギリスやフランスも同じことです。
第二次大戦の際は、日本の女性も軍需工場で働いていましたが、それが何か先進国の条件になるのでしょうか?
また、戦闘機も、例えばマレー沖海戦においては、イギリスの戦艦を撃破するくらいの実力がありましたし、アメリカを敵に回して数年戦えるくらいの力があったので、回答者様の言うような圧倒的な力の差があったわけではありません。アメリカも日本軍に対しては相当苦戦し、物量の差で何とか押しきったことが明らかになっています。
日本軍が善戦した証拠として、昭和20年5月にドイツが無条件降伏した後も、日本本土はまだ侵攻を受けていなかった訳ですから、少なくともドイツと同程度に強かったと言えると思いますよ。
すみませんが、
「日本も軍需工場に女性を投入しましたが、結果としては劣悪品の量産に終わりました。
あの米国も同様の事をしてたようですが、徹底した品質管理で高性能なものを作っていましたけどね。
それが、当時のの日米の実力です。
日本は、ぜんぜんまともなものが作れなかった。
ちなみにいうと、戦争中の日本人が勤勉だったというのもウソです。
なんだかんだと理由をつけて軍需工場の労働をさぼっていた奴がたくさんいた。
厭戦気分満載だったんです。」
ここの部分のソースを教えてくださいな。あなたの回答だけだと嘘臭いので。
日本軍は負けましたが、一時的にフィリピンを占領したこともあり、他国に比べて特に劣っていたわけではないですよ。フランス、イギリス、ドイツとも互角の強さでした。
ただ、アメリカは世界最強の軍事力を持っていたので善戦したものの最終的に押し切られて負けたというのが本当のところでした。
日本は五大国の一員であり、国連の常任理事国でした。
白人優位、西洋優位の考えが強かった当時、有色人種の国が一員になったということは凄いことなんですよ。
西洋人にとっては自分より劣っていると思われていた黄色人種の日本人が大国になったのは認めたくない人も沢山居たでしょうが、五大国中の下位国家、例えばフランスやイタリアと同等以上の力があったのは明らかだったために認めざるを得なかったのではないでしょうか。また、スペインやオランダ、北欧諸国など大国に分類されない西洋国家と比べた場合、軍事的にも技術的にも圧倒していたでしょう。
重箱の隅をつついているのは、あなたです。
一時的な勝利だけでは先進国の証明にならないというなら、アメリカ以外に先進国は存在しません。
第二次大戦の戦いでは日本の敗戦が目立ちますが、シンガポールやインドネシアでは勝っているのですが。
そしてそもそも、タイトルは「戦前の日本が大国であったことが無かったことにされている理由」なのですから、あなたも細かいところで揚げ足をとるのでなく、その部分を答えてくださいな。戦前の日本が大国だったことはあなたも認めていますよね?
ここは揚げ足をとる場ではなく、疑問を解決する場なのですよ。他の回答者様はちゃんと回答してくれていますよ。
私は、補足で戦前の日本は大国であっても、必ずしも先進国だったとは言い切れないと書いていますが、何か?
先進大国と書いたのは、戦前のアジアの中では先進大国だったというニュアンスで書いたのですよ。
これには異存はないでしょう。確かにアメリカやイギリスに比べれば遅れていますが、それに続くレベルにはあったはずです。
質問文は、「戦前の日本が大国であったことが無かったことにされている理由」です。これにきちんと答えてくださいね(2回目)。
すみません。私は先進国=大国 だとは一言も言っていません。あくまでアジアの中の先進大国であり、世界的には1大国です。
大国とか先進国の議論をする際に、インパール作戦やビルマ作戦の話を出してきたのはあなたでしょうが。私もそれに対応して別の事例を出しただけです。人を重箱の隅をつつくと批判する前に、まず自分を省みましょう。
また、勝った相手が植民地の二流の軍隊だったとどう証明できるのでしょうか。日本軍が撃沈させたプリンスオブウェールズはイギリス最強の戦艦だったらしいじゃないですか。
あなたが何か素晴らしい知見があるのかと思って補足でいろいろ聞いてみましたが、どうやら私の揚げ足を取りたいだけだと分かったので、そろそろ閉じさせていただきます。