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戦争になると多くの兵士は「俺は愛する家族を守るために戦争へ行くんだ」と言ってますが、意味が分かりません。自分一人が戦争に行った所で戦局が変わるわけもなく、行っても行かなくても国や家族の運命は変わらないと思います。たまたま家族の住むエリアの防衛隊に配属されるなら守ることもできるかもしれませんが、殆どは家族と関係ない遠い外国(かつての南方・大陸・今なら中東)で死ぬわけです。兵士というのは自分一人の参加で戦局が変えられると思うほど馬鹿なのでしょうか?

A 回答 (7件)

人間、幻想を持たないと、なかなか行動に移せないものなんですよ、たぶん。


自分の行動に意味があると思いたいわけです。
しかし、そんなものあるはずないんだから持てるとすれば幻想しかない。
全員が行くの嫌だと言えば、戦争そのものが成立しなくなるはずですが、これは幻想じゃなくて真実。
真実は達成が難しいので、ついつい幻想にすがりたくなる、ということでしょう。
幻想なので、自分の好きなように考えれば良いわけで、論理的整合性が取れているかどうかなんてのは何の関係もない。
そうした思考形態は、要するに、カタルシス発散のひとつの手段にすぎないわけです。
兵士が馬鹿というより、人間自体が未成熟な生き物だということじゃないですかね。
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Yamadaさんは投稿された回答をみて、いや、そう言うことを言おうとしてるんじゃないんだ、と思ったりしませんか。


言葉による表現を言葉どおりに、表面的な捉え方をしては真意は見えません。
なぜこうした表現になったのかを推測しながら言葉に接するのです。
たぶん、戦争に行って国を守ると言う事は、ひいては家族を守る事になるんだ、との思いがこうした表現になったのだと思います。
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「兵士というのは自分一人の参加で戦局が変えられると思うほど馬鹿なのでしょうか?」


→あなたの考えがおバカです。
兵士が自分一人で戦局が変えられるはずがないでしょう。
多くの兵士が集まった軍隊の総力によって戦局が変わるのです。
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日本の国は、国民に主権があり、政治を動かし、最終責任を取るのは国民です。


日本政府や皇室ではありません。
自分一人が日本の国の未来を背負っています。
世界情勢に疎い国民が多ければ間違った結果になります。

みんなの事を心配しながら注意し合って素晴らしい国を保ちもっと良い国にして行こう。という意味が込められているのが国民主権と思います。

近年は個人主義に埋没しがちですが、個人が戦局を変えるのだけが目的ではなく、
国際情勢はいろんな条件やいろんな判断する要因が絡み合っているのはご存じと思います。
その中で日本の国を背負って生きている個人が過去・現在・未来を見据えて色々な判断条件を考え、

自分は公のために何を成すべきか?
公の質を高めるには個人として何を成すべきか?
これも一人だけが頑張っても駄目だという人ばかりでは、他の最終責任者(国民)に迷惑を掛けることになると思います。
後世に何を残すのか? どのような国に住みたいのか? 理想を現実化する努力をするのか?
国に属している限り、自分は国民の一人であるという共同体意識は必要と思います。
国があることで守られていることも多いと思います。そのことへの感謝の気持ちに応えることも必要と思います。
国の運命を決めるのは最終責任者である国民一人一人の質の問題と思います。
「戦局が変わるのか」ではないと思います。
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じゃあ逆に、どういう選択を取れば家族を戦争から守れると思いますか?


家族ごと戦争が起きていない国に移住ですかね。でも、実際問題としてそれができる人は少ないと思いますので、結局結果的に多くの人が戦地に行かざるを得なくなるのでは。
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徴兵制では、出兵拒否は難しいでしょう。


そうでも思い込まなければ、納得できません。
戦争という異常事態にたいする論理武装。

実際は、生きて帰ることを最優先がホンネでしょ。
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思考回路が麻痺してるのもひとつの理由にあるかと思います。



日本の英霊とか、国際問題への政治への意欲とか、
そういうのに興味を向ける感情の中に「日本を守る」みたいなのがある人も、結構いるんですよね。
酔ってるんですよ。悪い意味とは言いきりませんけど、酔ってるのは確かです。
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