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以下は自分で作った謬説だ。

眠らなくて生きている人間と動物は霊魂と体で構成された。霊魂は意識、詰まり感覚か感じか感知の能力を持って、又は、本当の「自分」とも言える(仏教の「無没識」に似ている)。

眠る時にも死ぬ時にも、霊魂と体は分離する。体と分離した霊魂は、先の体の全ての関係を失った、先の体の記憶をも含めて。そして、体と分離した霊魂は別の眠っている体(空の体)と組み換える。霊魂と新しい体が結合する時に、新しい体は目覚める。霊魂と新しい体が結合する時に、霊魂は新しい体の脳を含んだ全部を獲得する(脳は記憶と思想を含んだ)。

だから、自分(霊魂)が眠る度に先の体を去って、新しい体に入るが、知る事は全然出来ない、然も、これが自分自身だと思う(先の体の全ての記憶を失って、新しい体の全ての記憶を獲得したから)。

死ぬ事と眠る事は同じだし、霊魂が体を去る事である。違いは、死んだ体が霊魂を入れる能力を失ったから、目覚める事は出来ない。

例えば、甲乙丙の三人がいる。甲は霊魂Aと体aが有るし、乙は霊魂Bと体bが有るし、丙は霊魂Cと体cが有る。甲乙丙の三人が眠っているなら、甲が目覚める時に、彼の霊魂と体の組み合わせはAaかBaかCaだかも知れない。甲と乙が眠っていると同時に、丙が死ぬなら、丙の体cは霊魂と結合する事が出来ないが、丙の霊魂Cは別の体と結合し続ける。

貴方が貴方の現在の思想と記憶を持っていて、貴方の現在の体を感じたり支配したりしている訳は貴方(貴方の霊魂)がこの体の中に逗留しているからだ。一旦体が眠ったり死んだりしたら(詰まり意識を失った)、貴方(貴方の霊魂)はこの体を離れて、別の体に逗留しに行く。

本文中の「霊魂」と「意識」とは、感覚か感じか感知の能力だ。私は私の思想と記憶を持っていて、私の体を感じたり支配したりしている。貴方は貴方の思想と記憶を持っていて、貴方の体を感じたり支配したりしている。体が眠っていた時に、貴方の霊魂と私の霊魂が移ったら、目覚めた私はもう私の思想と記憶を持たなくて、私の体を感じる事も支配する事も出来ないが、貴方の思想と記憶を持っていて、貴方の体を感じたり支配したりしている、同様に、目覚めた貴方はもう貴方の思想と記憶を持たなくて、貴方の体を感じる事も支配する事も出来ないが、私の思想と記憶を持っていて、私の体を感じたり支配したりしている。

貴方は今貴方の現在の体を感じたり支配したりしている(脳の中の思想と記憶を含めて)、然し、貴方の意識は移れる。貴方の意識は別の体に移って、別の体を感じたり支配したりするし、貴方の先の体の全ての関係を失う。例えば、今貴方の体を針で刺せば、貴方は苦痛を感じるが、別の体を針で刺せば、貴方は苦痛を感じない。これは貴方の霊魂が貴方の現在の体の中に居るからだ。霊魂が移ったから、貴方の霊魂の居る体は交換された。その時に、貴方の新しい体を針で刺せば、貴方は苦痛を感じる。

以下は以上の謬説に反駁だ。

(一)

一つの生物がそれ自分を感じたり支配したりする事が出来れば(感覚か感じか感知の能力を持つ)、この生物が意識を持つと言える。一つの生物の意識は、この生物の一つの能力に過ぎない。この生物がこの能力を持っている訳は自然選択の進化の結果からだ。

生物は無神経系から、簡単な神経系に進化させて、再びもっと複雑な神経系に進化させた。一つの生物が神経系を持っているかどうかは、この生物が感覚か感じか感知の能力を持っているかどうかを決定するし、一つの生物の神経系の複雑さの程度は、この生物の感覚か感じか感知の能力の強さの程度を決定する。換言すれば、一つの生物の意識は、この生物の神経系の一つの能力に過ぎない。貴方の意識は、貴方の神経系の一つの能力だ。一つの蚯蚓の外的刺激に対する簡単な反応も、それの神経系の一つの能力だ。ただ貴方の神経系が蚯蚓の神経系より遥かに複雑だから、貴方は感覚と感じと感知の能力を持っているが、蚯蚓は外的刺激に対して簡単な反応を出来るばかりだ(でも、それ自身は余りに強い感覚を持たない、それの神経系が十分に複雑でないから)。

全ての生物は独特だ。貴方は貴方この生物だ(もっと正確に言えば、貴方この生物の神経系だ)、貴方の霊魂の代わりに。

(二)

一つの生物の意識は、この生物の大脳から産生されたし、この生物の大脳を離れて存在することが出来ない。

沢山の常識も、一つの生物の意識がただこの生物の神経系の一つの能力である事を証明出来る。

例えば、

1)一個人が眠っている時に、彼の大脳がまだ全く休息していなければ、彼はまだ微弱な意識を持っている(夢などの様子)。

2)一個人の大脳への血液の供給が足りない時に(例えば、蹲って突然に立ち上がる)、彼の意識は弱るか、又は暫く消えさえする(失神)。

3)一個人の大脳の重要な組織が損傷されば、彼の意識は弱るか、又は永遠に消えさえする(脳死)。

4)生まれたばかりの赤ん坊は余り意識を持たないし(研究は、生まれたばかりの赤ん坊が余り痛覚を持たないのを証明された)、それの大脳の発育に連れて、それの意識は段々産生される。

(三)

この謬説には因果転倒の間違いも有る。霊魂(又は、意識)が体を感じたり支配したりしているのではなくて、一つの体がそれ自身を感じたり支配したりしているのだ(この現象は霊魂か意識と称される)。でも何故一つの体がそれ自身を感じたり支配したりしているのか。自然選択の進化の結果からだ。

(四)

別の角度からも、この謬説を反駁できる。例えば、

1)霊魂の移動に必要な媒介と道筋は何か。移動している時に、どんな形式の物か。活動力はどこから来るのか。

2)生物は無しから有りへ、少しから沢山へだ。更に、客観世界の乱雑性では、意識を持っている生物の量が無作為に増減する事が示されている。

3)意識の移動は、一つの自然律と仮定するが、それの存在と意義はどこにも見つけられない。

4)この謬説は記憶の確実性を認めない。貴方は、昨日自身の体を支配していた者が貴方自身かどうかを確かめなくて、自身が体の記憶を獲得したからこの様に感じると思う。この話に寄れば、貴方は一秒前に、一刻前に自身の体を支配していた者が自身かどうかをも確かめられない。これは更にこの謬説の荒唐無稽さを増加する。

5)沢山の証拠では、この世界は偽又は無秩序でなければ、この謬説の成立する可能性がないのが示されている。然し、この世界は偽又は無秩序であれば、如何なる予想出来る状況と予想出来ない状況の発生する可能性がある。この為、憂慮する必要は尚更ない。

A 回答 (3件)

あなたの謬説は、大変面白く読ませていただきました。


私も霊魂の存在には否定的ですが、生物の意識が大脳を離れては存在しえないというお説にも
賛同しかねます。

いわゆる「臨死体験」というものがあります。私は、その数の多さと、共通点の多さから、科学的
に否定することは出来ないと考えています。医学的に、「死」と判断された人の意識の体験であります。
また、脳死状態の人が、家族の呼びかけに反応したという話もあります。臨床記録として存在する
ものであれば、科学的に即却下できるものではないと思います。

生命というものの実体は、まだまだ遠くにあるように感じます。
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私は霊魂の存在を知らないので、肯定も否定もしない者です。


ド素人の思いつきなままですけど。

霊魂の正体はウィルスのような寄生感染者ではないか?
恐怖や平和や喜び、悲しみを伝染させるから。
霊魂が3次元世界に生きて宿主を探す、そして繁殖する。というのはわかります。
霊魂が生きてないなら繁殖能力と繋がらないんじゃないかと。
ミームともいえます。

1)霊魂の移動に必要な媒介と道筋は何か。移動している時に、どんな形式の物か。活動力はどこから来るのか。

もし、自由度において高次元な存在であろう霊魂が、面白いギャグやドラマを演じてみせて欲しい。
人間の自由度は感情や理性で判断不能に陥る『笑い』
約束されずに感染する『微笑』
なぜそう感知し笑いという結果を残す?
微笑みで親しみを示す霊長類に大いに関係があると思うので。

恐怖や愛情は防衛本能、しかし恐怖とか不快なものを排除するのが生命の本質にあるはず。
なぜ、恐怖を見たいような欲求があるものなのか?
なぜ恐怖まで感染するのか?

自己保存を偽り勇気を持たせるためか、
排除しきれない恐怖を、自分の偽者をこしらえて罪をあてがう代理欲求するのか?

固体の保存で成功しなくても、種の保存の観点から
例え自分が死んでも、種の多数が生き残るなら自己犠牲も立派な本能ですね。
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で?

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