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なぜ、選挙がおこなわれるようになったのかを小学生でもわかるようにおしえてください。
日本のことではなく、世界全体としての選挙の始まりについて教えてくだしゃい。

A 回答 (5件)

選挙というと、近代民主主義の発明のように思えますが、実は違います。



選挙制度は紀元前の古代国家の時代からありました。古くはギリシャの都市国家(ポリス)の王政選択せず、民主制(共和制)を選択したところで行なわれています。なぜ王政が選択されなかったのか、理由は様々ですが、あまりにも王が好き勝ってやりすぎて追い出される場合もありましたし、移民が集ってポリスを建設する際に最初から共和制で行なうこともありました。

有名なローマは最後は帝政ですが、最初は王政、そして王を追い出して共和制だった時代がながく続きました。

古代の国家で選挙が行なわれるのは、政治と戦争が結びついていたからです。共和国時代のローマをみると、元老院という指導者階級が国の運営をするものの、市民が選挙権を行使して戦争や国の運営に意志を示すことができました。つまり選挙権=兵役だったのです。

これが選挙の始まりです。

一応、誤解のないように書いておきますが「王政の国だと、市民は選挙権も無く、強制的に徴兵されたのか」という疑問が残ると思います。
実は違います。ギリシャの王政ポリス、または北アフリカのカルタゴのような都市国家、またはアラブの王政国家などでは徴兵は一部あるものの、戦争のときは王が賃金で傭兵を雇って参加するのが一般的でした。
 古代は農業が基本ですから、男子が戦争で死傷するとそれだけ農業労働者が減ってしまったからです。また、選挙権などの権利もないのに、王が徴兵して市民が応じるわけがありません。特に嫌々応じて士気の低い軍隊はそれだけで負けてしまいます。
したがって、王政の場合は傭兵や奴隷解放を条件にした奴隷などを参加させて戦争を行なったのです。これなら、王が戦争していても市民は農業生産にいそしめます。

キリスト教の時代になると、ヨーロッパでは多数決の原理と「神の意志」を結びつけて考えるようになります。すなわち「神の意志は多数決の中に現れる」という考え方です。

これにより、特にカソリックは組織性を増していき、現代まで残る強固な組織を作り上げます。カソリックは一部を全会一致で決定する原則をもちながら、大多数のことを多数決で決定するようになりました。

欧米ではこのような多数決の原理は当然ながら政治的手法にも取り入れられるようになりました。
16世紀から17世紀にかけて、ヨーロッパでは封建制度が強まり絶対王政と呼ばれるほど王の権力が強まりましたが、それ以前の古代の終焉から中世にかけての貴族政治や教会統治などでは、政治的な手法として多数決を原則とする議会が活用されたのです。
しかし、この時代の議会は国家貢献=議会発言権=選挙権であり、多くの国で租税を納める富裕者が対象でした。古代のように市民が直接戦争に参加するわけではなくなったので、租税負担=選挙権になっていったのです。
そしてこの制度は長く続きます。

フランスなどはブルボン王朝時代に絶対王政になり議会は一時廃れましたが、市民革命後の市民政府樹立と共に議会は復活し、またアメリカは独立後にイギリスの議会制度を見習って国民議会を作って政府の運営を行なったため、近代民主国家は多数決と選挙がワンセットになったのです。

このとき、近代国家は市民に国家維持の義務を持たせました。国民国家であるから国民が兵士として国家を守る義務がある、とされたのです。この兵役と租税負担の両方の意味と、国民主権であることから、選挙による民主主義が開始されます。フランスでも当初、何度かの改正によって選挙が廃止されたり復活したりしたものの、安定的な政府運営がなされるようになると、選挙も安定して行なわれるようになりました。
アメリカの選挙は、大統領を選ぶことを念頭に特殊な発展を遂げたといえます。

選挙そのものは常に国家運営の負担(義務)と表裏一体を為すものです。徴兵や租税負担などの義務があれば、そこに権利としての参政権が生まれます。スイスのような小さな国家であれば、いまだに直接民主主義で議会制度をとる必要は無いのかもしれませが、日本のように1億も人口があれば、議会制民主主義は必須のこととなります。

近代的な選挙が行なわれるようになったのは、国民の平等主義と国民主権が市民革命後にスタンダードになったからです。日本も明治維新後、各国の選挙制度を学んで普通選挙を実施しました。

しかし、女性が選挙権を獲るには、20世紀の世界戦争までまたなければなりませんでした。一次大戦と二次大戦の結果、女性の社会進出が認められるようになり、その結果女性にも参政権が付与されるようになったのです。
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意見の集約が出来なくなったためです。


物事を決定するための正当性の源泉として用いられています。
もし、意見の対立がなければ、投票などするまでもなく
物事は決定します。

なにかを決定する方法は、物理的暴力でも良いし、
偉大な指導者が独裁的に決めてもいいし、
クジで決めてもいい。
しかし、偉大な指導者もいないし、暴力を使うのは返って高くつくような場合
投票というのは妥当性と正当性が得やすい。
だから、日本の選挙でも、投票同数の場合はじゃんけんで勝った方が当選します。

ちなみに、選挙に正当性や妥当性が見出せない地域や民族は、
何度選挙をやっても、気に入らない方は暴力で訴えてきます。

選挙なんてぜんぜん万能じゃないですよ。
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戦争が原因です。



かつて、国家というのは王侯貴族だけのモノ
でした。
だから、一般国民に選挙権などありませんでした。

戦争も、多くは王侯貴族同士の戦いでした。

しかし、時代が経ち、一般国民も戦争に参加させられる
ようになりました。
なぜ、一般国民が戦争に参加させられるように
なったのかは、別な問題ですので、興味があれば
新しい質問をして下さい。

戦争に参加すると、発言権が強くなります。
俺たちは国家の為に命がけで戦争したんだから、国家に対する
発言権も認めろ。

そういう声が強くなり、王侯貴族達も、無視できなく
なります。
無視すると、戦争がやりにくくなるからです。

そうやって民主制が発達してきたのです。
これを「重歩兵民主制」といいます。

民主制が発達すれば、選挙権も認められるように
なります。

選挙権が認められる、ということは兵士達に
国家への帰属意識が強くなり、愛国心が生まれます。
だから、経済、戦争において、国家の総力を結集
することが可能になります。

だから、民主制に成功した欧米列強がアジアアフリカを
侵略できたのです。
アジアで最初に成功したのが日本でした。

民主制にすれば強くなれる、ということで、世界がその
真似をするようになりました。
かくて、民主制が広く行き渡るようになったのです。

民主制にすると人権がよく守られるようになるから、
なんてのは、後から作った説明に過ぎません。
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統治形態の変遷小史 _ 人類が誕生して以来、一体どのように人間は統治されてきたのであろうか。


今でははっきり言えるが、まず最初は、最も強い者たちが、自分たちの掟を他の者たちに物理的に押しつけたのである。~ やがて民衆は、こうした専門知識人たちを打倒し、自分らを統治する他の専門知識人たちを民主的に選び出すにいたった。( ラエル )
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/8333446.html
*   *   *

映画で「 お猿の惑星 」と言うのがありましたが、
「 最も強い者たちが、自分たちの掟を他の者たちに物理的に押しつけた 」
「 やがて民衆は、~ 打倒し、自分らを統治する他の専門知識人たちを民主的に選び出すにいたった 」
革命が起こったのではないでしょうか?
パリの民衆がバスチーユ監獄を襲撃したように。

「 こうしたことは、もう続いてはならない! 」 ...
「選挙とは」の回答画像2
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クラスで学級委員を決めるでしょう?



たかだか30人程度の意思統一の為、自選他薦でクラスで投票して決めますね?

そういった意見の集約のためのシステムが選挙です。
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