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っていう課題がでたんですが、質問の意図がわかりません。
どんな感じで答えればいいのでしょうか?

ナショナルな目線って何ですか??

A 回答 (6件)

ナショナルな目線を排除することは重要でしょう。



外国のことなら、私たちは「ナショナルな目線」を排除してみることができます。たとえば、アメリカの南北戦争などです。

日本人から(たぶん、アメリカ人以外のほとんどの外国人が同じ目線で)見た南北戦争は、人権運動の高まりから北部の奴隷制反対と南部の奴隷制賛成がぶつかり合って起きたものである、とされています。その結果、北部が勝利しリンカーン大統領の奴隷解放宣言につながり、奴隷制が廃止されたものの人種差別は撤廃されず、リンカーンは暗殺された、というのが簡単にまとめたものになるわけです。
このとき、多くの外国人は「アメリカという単一の国の中の内戦」と見るのが一般的です。

しかし、アメリカ人の歴史の見方からすれば、この戦いは「アメリカ合衆国とアメリカ連合国に分かれて戦った、国を2分する戦い」であり、南部が勝てばアメリカ連合国が合衆国から分離独立した可能性もあった、ということが比較的重点的に教えられます。
外国人である我々からすれば、アメリカが今でも一つの国であるのは当然のことですが、アメリカ人にしてみれば「国を2分する大きな戦争」であり、アメリカ国史の中でも比較的大きな出来事であったのです。

関ヶ原の戦いは日本人は「天下分け目の大戦」という意識があります。それは確かに勝利側の徳川家が350年にも及ぶ支配の基礎を作った戦いであるし、それは日本の歴史とか文化に多くの影響を与えた史実であるわけですが、それはあくまでも「日本人というナショナルな目線」であるわけです。

これを一歩引いて、外国人の目で見てれば「日本の武将たちの天下取りの最終段階であり、織田信長が纏めた軍団のうち、最初に天下を取った豊臣が没落し、徳川がそのチャンスを生かし、石田三成などは最後の起死回生の戦いであった」というほうがより正確な表現であると言えるでしょう。

日本人は今に続く歴史への影響を見て「天下分け目」という視点をクローズアップしがちですが、西軍vs東軍の状況を公平に見れば、東軍は最後の仕上げであり、西軍は起死回生の大勝負であったといえるわけです。

同様に明治維新も、日本人は当然のように幕府VS官軍の構図で見ますが、そもそも尊王攘夷という幕府の上に朝廷(外国から見れば王朝)が乗っかっているのが不思議になります。
したがって、外国人向けには日本人向けには(当たり前すぎて)ほぼ書かれないであろう前書きが必要になります。
たとえば「徳川幕府が開闢以来、その権力は衰え権威だけが残り、その権威も事実上徳川将軍の世代交代を追認する機能しかなかった朝廷(王朝)が、尊王攘夷という中華思想にみられる異民族討伐思想を西洋の進出に当てはめることにより、一つの思想的な核となり、機能的に限界の来ていた幕府を近代的な政府に更新させる原動力となった」というようなことです。
これらのことは、当たり前すぎて、日本史の教科書にはわざわざ書いていないことが多いわけです。

こういう「国民なら知っている事情」とか「その国の史実として当然の帰結」などは、ナショナルな視点に陥りやすいといえます。

ですから、こういうのは「外国人の視点で見たらなにを書いて、なにを書かないでいいか」ということを考える訓練になり、それが「日本という国をあぶりだす特色」になるのです。

たとえば私たちは、日本を含めて西洋列強が進出して植民地化を進めたのは世界史で知っています。西洋列強として日本に初めてやってきたのは誰でしょう。もちろん「ペリー」で「黒船」です。では、中国でペリーに相当する人物は?タイなら?ベトナムは??と意外に外国のことは知りません。もちろん中国人なら日本のペリーに相応する人物が教えられているでしょうし、タイやベトナムでも同じでしょう。しかし、それは国民として知るべき歴史であって、そこにフォーカスが当たってしまうと、ほかのことが見えなくなるのです。
ですから、その「その国民なら知っているナショナルな視点」を外して外国人や宇宙人の目で見てみることは、重要なトレーニングだと思います。
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No.2 です。

補足します。

「関ヶ原の戦い」を例に出しましたが、勝ち組・負け組は関係ありません。

》 歴史の教科書に載っている関ヶ原の戦いは「ナショナルな目線」で書かれたものです

現代に生きている我々の目線は「ナショナルな目線」になると思います。

また、

》 もし、石田三成の部下の一人が関ヶ原の戦いについて書き残していたものがあるとすると、それは「石田三成陣営からの目線」で書かれたものとなります。

と書きましたが、これは「ナショナルな目線」とは異なる目線の一例にすぎません。徳川方の武将の目線で書くことも可能です。本願寺の僧侶の目線で記述することも同様です。いずれも、ナショナルな目線ではありません。
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本当に、そのままの課題ですか?


 「ナショナルな目線を排して」・・・? 日本語になっていないような。課題を出した人の国語力を疑います。

 関ヶ原の徳川家康vs.石田三成にしても、明治維新の討幕側vs.幕府側にしても、どちらも「ナショナル」ではないですよね。

 言いたいのは、歴史の「勝ち組」の立場だけからではなく、負け組の立場・観点も考慮して公平・客観的に論ぜよ、ということなのでしょうが、もう少しきちんとした課題の定義を工夫すべきでしょう。
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このQ&Aサイトの以下の項目を丁寧に考えればいいと思うのですが。

。。

http://oshiete.goo.ne.jp/qa/9000436.html
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例えば、「関ヶ原の戦い」。



<1> 歴史の教科書に載っている関ヶ原の戦いは「ナショナルな目線」で書かれたものです。

<2> もし、石田三成の部下の一人が関ヶ原の戦いについて書き残していたものがあるとすると、それは「石田三成陣営からの目線」で書かれたものとなります。

課題の「ナショナルな目線を排して」は、<2>のような立場でと言う意味だと思います。
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つまり非国民の立場になって答えろってことかな・・やーね・・

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