A 回答 (13件中1~10件)
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No.13
- 回答日時:
前回のご質問にも記載しましたように「普遍的」という用語は用いるべきではないでしょう。
だからこそ「完璧な社会システム」といったおこがましい概念が出てくるのだと思います。さて、それはさておき、「人の心」ですが、それほど変わるものではありません。
生まれながらにして、「あらゆる可能性を秘めた心」です。
あなたが「悪魔だ!」と叫びたくなるような行為すら平気で行える心、同時に「おぉ!神よ!」と崇め奉りたくなるような行為すら行いうる心を、一人の人間の心は秘めています。
悪い心に染まっているように見えるのは、そのような環境に生きている人々が多いからに他なりません。
無論、心の側からの環境への影響もあり、相互に影響し合うものですが、心はコントロールするものでも、コントロールされるものでもないでしょう。
別のカテゴリーでの私の回答を参照された方がいいかもしれません。
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9006953
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/6177884.html
No.12
- 回答日時:
映画や小説のテーマで人工知能が意思を持つというのがありますが、現在の科学ではどんなに優秀な電算機でも意志を持つまでには至っていません。
そもそも人間の思考回路においてどの点で意志が発生するのかさえ明確ではありません。単純に考えて人間とは、そのような性質を持った生命体であると認識せざろう得ません。それが進化の結果であるのか過程なのか、同時代に生きているわれわれには見当も付きません。
アニメの世界では、50.60年前からロボットが人間に反逆する
という、話があったようです。
人間が高い知能を発揮するのはもちろん結構なのですが、「何
のため」という目的観が足りないと思っています。
No.11
- 回答日時:
回答No.9の続きです。
> 力を持った人間は、わがままです。エスカレートします。自分を「正義」にして、人々を抑圧する。更に、正義同士がぶつかって、もっと人々を抑圧する。これが、社会悪の根源ではないですか。
そうですよ。でも「現実は、より力の強いものが振りかざす言動が正義なんです」と書いたように、現実は力の強い者がこの世を制します。人間社会の真理です。力の弱い者がそれに対抗しようとすれば、集結して数の力に頼るしかありません。あるいはテロか。それでもなお力が及ばなければ、ただひれ伏し、言うなりになり、泣き寝入りするしかありません。
> 力を持った人間の「わがまま」を「正義」と呼んではいけないのですよ。
いくら理想論を言ったところでどうにもならなければ、それは負け犬の遠吠えです。現実は醜いんですよ。ときとして不条理で理不尽なものがまかり通ります。それを直視しないといけません。理想が現実になる可能性があるのであればいいのですが、それは無理です。理想は永遠に理想のままですよ。
> 「正義」は「普遍的」でなければ、「悪」に大抵なってしまうものではないですか。
何が「悪」か絶対的な定義はありませんよ。「悪」が悪いとするのは、相対的な考えです。正義も悪も人間の考えによるものなので、時代でも文化(価値観)でも社会でも変わります。「悪」が「正義」に変わることだってあります。北朝鮮では将軍様の意に副わないと粛清されるでしょ。粛清とは「厳しく取り締まって、不純・不正なものを除き、整え清めること」(辞書による)。あれが正義なんです。
やはり、「あきらめ論」ですね。
「理想」とか「希望」という言葉が、陳腐に響く社会は
人が人を憎み、疑い、自分のことしか考えない、非人間的
なものになってゆくことは、あなたも、良く分かっていら
っしゃると思うのですが。
No.9
- 回答日時:
人間の心を把握し、それをコントロールするなんてことは出来ませんよ。
強いて言えば、国民総背番号制のようにすべての人間の脳内にマイクロチップを強制的に埋め込み、携帯電話のようにどこにいても脳内にうごめいている思考情報を常にキャッチして、巨大な交通管制センターのようなところに送りその思考情報を集中監視し、必要によりその人間の脳にコントロール信号を送ってリモコンするんでしょうね。云わば人間をサイボーグ化すればよろしい。人間本来の自由な行動・思考に委ねている限り、その人間の心をコントロールすることは出来ません。心=感情ですから、感情を持たないサイボーグ人間ならコントロール可能です。「普遍的真理」「普遍的正義」の理解と実践によってのみ、可能ではないかと、今は考えています…とありますが、「普遍的真理」と「普遍的正義」そのものが存在しえません(それは虚構です)。仮定からして間違っています(現実逃避の発想です)。現実は、より力の強い者が振りかざす言動が正義なんです。北朝鮮では将軍様の言うこと成すことが正義でしょ。北朝鮮では将軍様の思うとおりに人民を表面的にはコントロールできているかも知れませんが、抑圧された人々は心の中で何(悪いたくらみ、憎悪、妬み、反逆)を考えているか分かりません。
悪い心にどんどん染まりつつあるのが現代社会であると思います…なら、人間をそのように追い込む現代社会の陰の部分に光を当てないと、人間の心を穏やかで健やかな方向にはもっていけないでしょうね。世界的に見ると、日本人の心は穏やかなほうです。外国では邪悪な心をもち、凶悪な犯罪に手を染める人が多くいます。それは質の低い社会の影響を受けているためです。生まれたときはだれでも善良で、何の邪悪な心ももっていないのに、悪い心に染まるのは、生い立ち(育った環境)と経済社会(国家の体制を含む)の環境(おもに差別)によるためです。
私は現在様々なものを「模索」している最中で、言葉も、「実験的に」
使っている部分もあるので、多少の誤解はもとより、覚悟しています。
しかし、この哲学カテで次のような言葉が飛び出たのは、少なからず
驚きました。
>現実は、より力の強いものが振りかざす言動が正義なんです。
力を持った人間は、わがままです。エスカレートします。自分を「正義」
にして、人々を抑圧する。更に、正義同士がぶつかって、もっと人々を
抑圧する。これが、社会悪の根源ではないですか。
この「正義」に蟻のように従ってきたから、人々は抑圧されっぱなしだっ
たといえるでしょう。
力を持った人間の「わがまま」を「正義」と呼んではいけないのですよ。
そんな、「イワシの頭」のような「正義観」をいい大人が持つことは「害
悪」だと私は思う。
「正義」は「普遍的」でなければ、「悪」に大抵なってしまうものではな
いですか。
諦めているなら、仕方ないけど、諦めていない人間に、つっかかるのは
愚かです。
No.7
- 回答日時:
人間の心を扱う科学は心理学から、
脳生理学、神経や免疫学等にとって代わるようになって来てます。
哲学は比喩を多様しますので心を「炎」とします。
炎は熱を持ち、熱が伝わる原因は3通り。
「伝導」
分子の振動が周囲に伝わること
「対流」
流体が膨張して浮き上がり、
浮き上がった流体が冷やされ収縮して沈む対流を起こす
「放射」
熱を伴う電磁波を放出し、
それを吸収する物質の内部エネルギーも増して温度が上がる。
原因が知覚されずに批判すると
熱の伝わる通路を持たずに出現した炎かもしれない。
『心は知覚と経験の通路』にある空間の映像のようなもの。
悪い心のままに動くのは悪い心を生産する機械に近い。
素直な気持ちの中に感謝や感動が倍加するのであればいいけれど。
炎精神コントロールの哲学的手段では
「意志する」です。
体に背くこと、感じるままを軽蔑することでもあります。
「服従とは軽蔑するための理由である」アラン
この逆説を知って、命令をなぜ承知しなければならないか?
という道筋が否定ではなく改良、改善を望むのです。
軽蔑するのは今ではなく後に後悔を残さないように。
ということだと解釈するのです。
因みに哲学は直感で仮説を述べ、批判したり提供するのもので
「心」を観測し統計をとって操作したり
体系化(固定化)する心理学とは敵対関係です。
No.6
- 回答日時:
古池や蛙飛び込む水の音 という。
芭蕉の句には心がない。と書いた事がありますが。芭蕉が心を顕わにしている。と思える句があります。
夏草や強者どもが夢の跡 悲惨かな兜の下のキリギリス そして無明庵(義仲寺)で読んだ句 義仲の寝覚めの山か月悲し 木曽の情 雪や生えぬく 春の草
いずれも。芭蕉が望んでその傍らに葬られたとされる。木曽義仲への執着を感じさせる句である。
木曽の情、には、一般の情、心を超えた、芭蕉を執着させる、武士道のあるいは、日本人の心、の源点となっているような、思想が含まれているのかも。と考えて見ると。
源氏の犬は身内を食う、と揶揄された? 悪源太義平に父を殺され。数人の従者とともに、母に抱かれ木曽に逃れ。中原兼遠に母は、、人となしたえ。と頼み2歳の駒王丸、を託します。
人間であるとは人間になることである。とはヤスパ-スの言葉と言われますが。東洋思想の受け売りとも言えるでしょう。古代インドでは、バラモンの子はバラモンとなるべく、修行の日々をおくられ。日本でも武士の子は武士になるべく育てられるから武士、となる。仏教宗派には、生の目的は真人になること。とするものもある。人となしたまえ。とは愛だの幸せだの、神だの霊魂だのと言っている、西洋思想とは、違う意味があります。兼遠は、駒王丸を特別教育で育て。兼党の子共達は親に命じられてかどうか、娘は嫁になり、もう一人は巴御前、と言われる女武者として仕え。息子兼光、兼平は、四天王に加えられ彼らとの信頼と絆は生涯揺るがないものだったようです。
後白河院や自らは鎌倉を出ない、頼朝の権謀術数に翻弄され。ほどなく攻め上がる鎌倉の大群に義仲勢は諸方で敗北。兼平は近江勢多で鎌倉勢を食い止め、その間に義仲を逃がす算段であった、ところが義仲は逃げずに敵を切り破りわずか数騎となっても湖水の畔へ駆けつけた。木曽に逃げ込めば、後の義経が藤原氏のもとに逃げ込み。藤原氏を滅ぼす亊になる。のと同様の結果になる。自分はもう死ななければ、自分を育ててくれた、人達に迷惑をかける。木曽には戻れないのです。
No.5
- 回答日時:
全ての存在は、量子的な不確定性に基づいており、無限に詰め込むと
存在確率の山が平らになって、無と等しくなる。
この「絶対無=不確定性無限」において、その無限の闇に認識体の仮定
断面(潜在的認識可能性)の運動(時系列化=プランク定数hの収束=
物体収縮=宇宙膨張)を想定すれば、相対的に無の風は光になり、
認識体はその光(量子相互作用パターン)の向うに、自己の補完
(相補的不確定性)としての宇宙を認識するのだ。
自我仮説(記憶=時間の流れ=過去=超光速)と空間仮説(予測=空間
の広がり=未来=光速下)の相補分化。
相対性理論の四次元時空の方程式において、時・空軸は虚数関係にあり、
空間軸と時間軸の等距離点で相殺され、“ゼロの面(界面原点)”が生じる。
それが「ライトコーン」、すなわち光量子の形成する面であり、光速
以下の領域(未来)と超光速の領域(過去)を分ける界面原点なのだ。
そこにおいて、存在の階層現象性において超弦(量子定常波=光速)に
還元される時、存在の依存する時空的広がり=非光速性は、物事を階層
現象表面的に(=いい加減に)捉える事で二次的に派生している幻想だ
と言える。
(不確定性原理において、存在を確定化しようとすると無限不確定に
発散する=いい加減に捉える事で有限な値(存在性)が可能になる事
に通じる)
人類は脳の発達により、生後の経験によって、遺伝子の変化によらず
行動を多様化させ、分業化=社会生命化する事が可能になった。
生物的な欲求や感受は肉体に依存しており、肉体的な利己主義に陥り
がちなところ、そうした自己の生存の社会的な拡張を自覚化できる
だけの認識の深まりを育成を怠り、お金や出世といった“馬車馬の
目の前のニンジン(アメ)”や、法規やモラルといったムチを発達
させた結果、実質的には助け合っている社会において、競い合い、
奪い合う弱肉強食のジャングルと化し、生物にとって本質的欲求
である“生きる事”=根源的喜びのはずの社会生命としての労働を、
お金をもらうためにイヤイヤ働かされるものに変質させてしまったのだ。
No.4
- 回答日時:
100m走、マラソンの記録でも、それがどこまでというのは見当がつきません。
しかし、100m走5秒フラット、マラソン70分は、地球上では人間では出来ないと思います。心を解明しコントロール出来るものが存在するのでしょうか?あるいは創造出来るのでしょうか?に関しても、何をもって解明というのか、どうしたら創造といえるのかを決めることは容易ではないと思います。しかし、神経生理、大脳生理などは解明を進めていますし、ロボットで対人応対するようなもの、プロットから物語りを創出する研究も進んでいます。 やがて、平均的な生活レベルの諸反応を自動機でやるシステムが出来るでしょう。それが心を解明してない、心を創造してはいないというのだとすると、成人の人口の半数が心を持っていない、中途半端で出来損ないの心しか持ってないというような判定にもなるでしょう。自分が良ければいい・他人には関心がない・他人をやっかむ疎む憎む恨む、品物にしか興味が持てない、何事にも興味を持たないのも、一つの心のあり方だとすれば、あるタイプのこころを持つ知的ロボット、寝たっきりで無反応のロボットを造るのもそうは難しくないでしょう。造っても価値がありそうではないですが、不安障害で行動や反応が出来ず固まってしまうロボットは造れそうです。私のパソコンはしばしば暴走し、書いたプログラムは永久回路に入ったように反応しなくなります。
完璧な社会システムを開発したという意味ですが、どのような変化にも対応して動くということを前提にしているのであれば、その《完璧な社会システム》は、人間の心が変わろうが、自然環境や資源、社会構造がどのように変化しようが、敵対結合離叛が急で人類が悲惨な状態だとしても、《完璧な社会システム》として機能するでしょう。
> 人間の心が変わらない限りなんにもならないとは、多くの人の共感するところと思います。
《多くの人の共感する》の判定基準が、「(1億人の中で)15人~20人もの多くの人が共感を示した」というケースを含むのだとすると、「人間の心が変わらない限りなんにもならない」というのを「多くの人の共感するところ」だともいえるでしょう。
しかし、私の周囲の30人前後の考えを想像すると「人間の心が変わらない限りなんにもならない」という考えを持つ人がいても、少数派だと思います。 そもそも「○○しないと、○○にならないと、なんにもならない」というような発想をする人が私の回りでは少数派です。
周囲がどうあろうが、環境がどう変化しようが、時間が止まったり遡ることが出来なかろうが、自分の生きたいように、やりたいように、好みのようにすれば良いじゃないか、苦労しようが破綻しようが、先のことを懸念し心配し不安を高めていくように努力して生きようという人は少ないです。 普遍的正義でも、演奏技術の向上でも、彼女との愛でも、子供の養育や躾けでも、英語会話レベルの上達でも、難民救済事業邁進でも、料理の腕の向上レパートリー増加でも、社内の地位の向上でも、自分が関心を持っていることにとりあえず相応の力を注ぎ、関心を寄せているというのが多数派だと思います。
「多くの人」という言葉に、こだわっているようですが、多数派という意味では
ないですよ。
「多くの心ある人」と言えば分かっていただけるかな?またこんな言い方をする
と、「上から目線」だなんて言われそうだが‥
ま、何というか時代の表面ばかりにとらわれないで、本質を見るような努力をす
ることを、お勧めするよ。
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