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戦争の悲惨さは良く見聞しますが、その戦争に進んだ道のり単に過去の資料でなく未だご存命の方ぜひお聞かせください、
①参戦するまでの事実を、又は参戦直後を、諸資料有るようですが歴史はほとんどが勝者の過去と感じます、はたしてどの程度信用してよいのでしようか

A 回答 (7件)

当時生きていた方で、パソコンを使いこなし、戦時中のことなどを書き綴っている方々・・・・それがどっこい、今でもおいでになります。

次のサイトをご覧ください。
http://www.geocities.jp/kaneojp/
http://homepage2.nifty.com/DIG-Japan/link.htm
http://www.rose.sannet.ne.jp/nishiha/senso/gunta …

私自身は、昭和20年代後半生まれで、戦争は知りませんが、まだ子供時代は、戦後の混乱期の気配が残っていたと思います。祖父母や父母からはあまり戦時中の話は聞いたことがないのは残念です。幸い、終戦時18歳で、現在も健在な母に、たった今聞きましたら、次のような証言が得られました。
1. 戦時中は、日本軍がどこどこに破竹の進軍をして、敵をやっつけたといった勇ましいニュースばかり。皆、「神国日本」が負けるはずがないと思っていた。
2.日本軍が、実際にどんな戦いをしているかの実態は、何も聞かされなかった。
3.母自身は、軍需工場で働き、なぎなたの稽古などをした。よその工場には空襲が落ち、友人が沢山死んだ。
4. 当時住んでいた神戸では、飛行機が海側から山側に抜けるまであっというまで、3日に1回ほどは、空襲警報が鳴り、機銃掃射などが怖かったので、皆で大急ぎで防空壕に入った。

又、当時ビジネスの最前線にいた祖父の証言記録によると、日本の物量や兵力が、連合軍のそれに遠く及ばず、長期間の戦争継続が無理であることは、はじめからわかっていたので、何とか踏みとどまらせようと思ったが、始まってしまった。
終戦の玉音放送を家族で聞き終わった後、親族が「今回は負けたが、又いつか巻き返して敵をやっつけよう。」などと言った所が、祖父は「日本は今まで、戦争をすれば勝ち戦が多かったが、本来、戦争と言うものは大手術のようなもので、度々するものではない。平和が一番!今後、日本は経済戦で行くべきである。」と家族をたしなめたそうです。

戦争の原因には、私が回答した
第二次世界大戦の始まりの原因
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/3239455.html (No.8)
にあるように、3つほど大きな要因があるようですが、やはり、日本が植民地的野心からアジアへの侵略を行った面は否めないでしょう。

「勝者の論理」と言う言葉はありますが、どう贔屓目に見ても、当時のドイツと日本には理はなく、日本の侵略に付随して起こった民衆の虐殺行為などは、ヤスパース(ドイツ)の規定した、4つの罪(①刑法上の罪、②政治上の罪、③道徳上の罪、④形而上的な罪)
のいずれか、或いは人道上の罪に当たると思われます。

過去の他国への侵略行為について謝罪するのは、国際的コンセンサスか?
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/8966608.html(小生質問で、全回答に反論)

安倍首相の談話についてどう考えますか?
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9033883.html (No.10)

今年で戦後70周年ですが 
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9025707.html(No.9)
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この回答へのお礼

oozora2000 さん 紹介していただいた諸資料未だ詳細にはほとんど見ていませんが非常に参考にになります
早速私なりにの目線で再度検討を、極限状態と平穏な現在 時の世論 他諸々あり 又ほとんどの方々 自分の過去否定したくないのは実感として私も感じています
(過去の自分の歴史の過ちを認めようとはなかなかできないのが実情では) 諸資料紹介ありがとうございました
又諸月刊誌など有りますが ほとんど自分の主張で他の意見を反映したものとは言い難いように感じます(客観的な事実が無いのでは)

お礼日時:2015/08/08 08:34

戦争に進んだ大きな要因はドイツとソ連に結んだ条約にある。


ドイツとの条約によりイギリス、フランス、アメリカとの対決表明。
ソ連との条約により日本の容共政策表明と軍事北進への制限。

陸軍に対し外務省が妨害的思考で強く推し進めた上の条約。
ドイツと戦っていた陸軍、ソ連侵攻が研究常識だった陸軍。
外務省による陸軍に対する嫌がらせが対米戦争の要因。

陸軍による駐在武官外交が世界的戦争の時代情勢から重要性
を増大し外務省に対する低評価となっていた。で外務省の存在意義
を出そうと陸軍に対する妨害が実行された。 省益優先の外務省。

陸軍はドイツと戦っていたので対英米有効でソ連に北進が希望。
これを外務省が妨害。
経済封鎖のなか物資に不足し南方資源争奪の他、道無しとなる。

対米戦争に導いたのは独断外務省で有る。

秘密条約でない明確な条約で英米との対決を宣言しておいて
経済友好など有り得ない。戦争なら敵となる国はすでに敵なのだ。
日本として対米戦争の原因を考えるなら外務省の独断を押さえ

切れなかった政府指導部にあると言える。真珠湾攻撃?
すでに対日戦争を決定していたアメリカ政府指導部にとって
重要性は無い。戦争宣伝の一こまに過ぎないのだ。

国家の意志は条約で表明され対外政策が決定され戦争も。
だから戦争も外交の一環と言われているのだ。
ライフルや大砲の命中率で戦争は起きない。

外交つまり条約の選択により戦争は起きるのだ。
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この回答へのお礼

kawasemi60さん お礼遅れたこと お詫びいたします
諸助言ありがとうございます とにかく歴史(日本近現代史)知識不足と今時分(終戦記念日-8/15)特に感じています
  先の大戦に直接/関節、携わった方々現存される、今ならとUPしました 今回のあなたの助言参考になります、冒頭書きましたように
諸資料有りですが、いずれも自己弁明(大方の方がそうだと思います)、が先日TV/ラジオ番自分は中国の軍(民衆)を無残な方法で相当数殺害したと証言されてました(戦争時は当たり前だったのでしょう)私は感動しました、そのような事思い出しくもないのが本心と思い、戦争の歴史複雑で世界情勢他今回の大戦も相当以前にその土壌があったのですね、残念に思うのは当時のマスコミもそれをあおったようですね、理想は戦争のない世界、宗教は人類だけのものと思ってましたがその宗教が原因で又戦争残念ですね人類の英知で戦争の2文字消滅させたいもの、今回日本の総理より70年談話も取り方で判断迷います、皆さんありがとうございました うっすら覚えている(検閲のハガキ、戦死した親、ボウクウゴウ、防空頭巾、ショウユダン、B29 )私ですが、歴史の勉強不足痛感しました、そして又今後の若い方々未だ戦後70年足らず特に近現代史を必修科目にを希望します

お礼日時:2015/08/15 21:36

>>現在の朝鮮(南北)IS イスラエル 他 の根源は当時の大国(イギリス他)の影響強く感じますが それ関係の資料紹介ください



資料の提示は資料そのものが紙ベースなので難しいですが、アメリカ公文書館で閲覧できると思われます。

イスラエルは、確かに英米仏の力で建国しましたが、建国した原因を作ったのは日本人の外交官と、軍人です。

■杉原千畝
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%89%E5%8E%9F …
■樋口季一郎中将
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%8B%E5%8F%A3 …

リトアニア領事館の杉原が、ビザを発給し、シベリア鉄道で満洲まで避難してきたユダヤ難民に、更に入国許可を出したハルピン特務機関長だった樋口。
この二人の機転で渡米できた数千人のユダヤ人は、第二次大戦が終わってアメリカ議会に力を持ちました。
それで、中東の西洋化を目指してイスラエルを再興したのです。
これは、十字軍の遠征以来のニ度目の建国になります。

アイシスについては、建国といえるかどうか・・・ただの泡沫テロ国家かと思われます。
例えるなら、アフガンのタリバンでしょうか。

アイシスは、そもそもアメリカの支援でイラクの武装集団に武器を供給したのが原因です。
それが主人に噛み付いた結果ですね。
イラク戦争がなければ日の目は見なかったかと思われます。

朝鮮は、他の地域とは、ちょっと毛色が違います。
そもそもソ連へ亡命した金日成と、上海に亡命した李承晩との違いがありますが、朝鮮のインフラは、ほぼ当時世界最高基準でした。
工業地帯だった北と、農業地帯だった南。
金日成は工業遺産に目を付けてソ連の支援を受けて平壌を占領。
これで無傷で各種工業機械と発電施設を確保しました。
李承晩は、繊維関係の採鉱技術と農地は手に入りましたが、工業技術は手に入れられませんでした。
どちらにしても、超たなぼたの国を手に入れたのは、中東と違う麺ですかね。
しかも民間人の基礎学力は、異本の優れた教育制度のおかげで、飲み込みが早く、みんな良く働きました。
このあたりも中東とは違う麺ですかね。
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この回答へのお礼

area_99さん 今回も詳しい説明参考になりました
外国の例ありがとうございます、私はただ事実関係を知りたくUPしたのですが、学校教科書での昭和史ほとんど内容疑問だったので
資料(図書館)の①昭和史陸軍全史1~②戦争の歴史日本と中国 こんなに違う、日中の戦争観 読めば読むほど何が本当か?になるようです
極限状態と現状での認識では比較自体難しいでしようが (ほんの数冊見ただけですが)
 それでもしかしてご存命の方である程度の事実をご存知の方(軍政の幹部?)期待しUPでした

お礼日時:2015/08/04 20:20

ウチの明治38年生まれのお爺さんが、ラバウル基地で海軍参謀でした。


お爺さんの弟さんはガダルカナル攻防戦で戦死されましたが、お爺さんは戦後も生き残りました。

私は孫になりますが、将棋の相手をしながら、当時の資料を見せてもらったり、写真を解説してもらったり、戦争の話はよく聞きました。

なので、実際の戦争経験はありません。
ウチの親父がそもそも昭和14年ですので・・・

ま~いろいろと、戦友という方々からも当時のお話を伺いました。

それで、現在日本で行われている歴史教育の嘘に気付いたので、大学で歴史研究に没頭した上での結論です。
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この回答へのお礼

area_99さん 再度の助言ありがとうございます
>現在日本で行われている歴史教育の嘘に気付いたので
〇図書館などでの諸資料あの戦争について肯定的なものもあれば逆な見方有ですね、当時の社会情勢を現在の目線見ること自体が?で何が本当だったのかです
私は少なくとも事実を知っている人々が居たらと思いUPしました、しかし過去の自分の事は私もです自分に都合の悪い事はまず話されにくいと思いますが
匿名のこのコ-ナ-と思いでしす
 それと私の一番言いたいことは近代史で昭和初期~の事柄、教科書などではほとんど無に等しく思いました(現存する人々-又は遺族がいらっしゃるからですかね)
>ウチの親父がそもそも昭和14年ですので・・
〇それでは戦争体験はお父さんもないのですね 戦争ない現在が続いてほしいですね
>大学で歴史研究に没頭した上での
追加でお聞きしたいのですが
現在の朝鮮(南北)IS イスラエル 他 の根源は当時の大国(イギリス他)の影響強く感じますが それ関係の資料紹介ください

お礼日時:2015/08/02 18:23

当時生きていた人が、まさかパソコン使いこなして答えるだなんて、しないよ。

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この回答へのお礼

msys7410さん 助言ありがとうございます
>当時生きていた人が、まさかパソコン使いこなして答えるだなんて、しないよ
〇そうですね 大半の方お亡くなりになっているとは思いますが
あるいはと思いつつUPしました
私は実は超間接的にあの戦争と関係ある身です(終戦時3才)ですから当時20才でしたら現在90才ですね

お礼日時:2015/07/31 16:53

各国の公文書で、その事実は判明しています。



日本が太平洋戦争へと突入したのは、日本がそういう政策を取ったからに他なりません。

実は古代より脈々と周辺事態のせいで日本は戦争させられています。

古くは倭大乱に始まり、初めて邪馬台国に集団的自衛権が発動して、魏軍が中国から派遣されました。
この報を受けて、朝鮮半島から魏軍が渡海してくる前に、倭は新体制で和解したのです。
和解後、機内へ遷都し、大和王朝として、魏の律令制度を導入しました。
首都は魏の洛陽ではなく、秦の咸城を模倣した都としました。
宮殿が町の中心部に位置し、そこから四方八方に要となる、街道を整備し、北は東北、南は九州まで、幅10m級の軍隊が瞬時に往来可能な道を整備し、各地に宿場を設けました。
いくつかの天災の度に遷都し、最終的には京都へ落ち着きます。
倭国時代に邪馬台国の一部として朝鮮半島にあった国は、いつの間にか、倭人と中国人とワイ族(朝鮮人の祖先)と混血し、自主独立の精神を持ち出しました。
そうして4国に統一します。
これが高句麗・百済。任那・新羅です。
最も古いのが任那で、古くは句邪韓国と呼ばれています。
国境は、現在のソウル市あたりで、そこから南西が中国領で、楽浪郡と呼ばれていました。ば
日本は、大宰府で交易品を整え、博多港から出航し、対馬⇒釜山経由で、半島沿岸沿いにソウルへ交易品を輸送していました。
これはワイ族からの襲撃にそなえたからです。
ソウルの漢城も、平壌城も、楽浪郡の出城で、住民は城の中にしかいませんでした。
そこから中国山東省の万里の長城まで、人家はなかったのです。
ソウルからは、燕州軍に守られて洛陽へと運ばれていました。
これも集団的自衛権の行使ですね。
こうして中国と日本は二国間貿易でしばらく友好でした。

それが覆ったのは、モンゴル人が隋を滅ぼし、唐を建国したからです。
唐に変わっても尚、日本は当初は交易を交わしていました。
しかし、半島の新羅が、唐と結託し、高句麗・百済・任那を滅ぼしてしまったのです。
白村江戦争で、日本・百済連合軍と唐・新羅連合軍がぶつかり、日本の派遣艦隊は全滅しました。
この戦いで、日本は多くのことを学びました。
こうして装備品が改められ、強固な鎧と刀が生まれました。
それまでは、いわゆる西洋にみられる長剣でした。
それが鋼製の刀になったのです。
鎧にもその技術は活かされ、戦国時代には、なんと鉄砲の弾丸も防ぐ能力でした。
ぞの日本の侍の強さが判明したのが、鎌倉時代です。
100万という元・高麗の連合軍を二度に渡り、撤退させました。
第一次・二次日元戦争です。
その後、日本は再び戦乱に突入し、足利尊氏によって平定されます。
この頃には朱印船という朝鮮半島へ行かない、沖縄経由の南方貿易が主流になりました。
モンゴル人は信用ならんということで、漢族と交易したのです。
元々日本の民間人の服装も、魏呉蜀時代の呉服が定着しました。。
日本風アレンジといえば、羽織や袴を採用してことでしょうか。
女性の重ね着も同様です。
現在の日本のシーレーンはこうしてできました。
遠くはインドまで交易していたのです。
その後すぐに、朱印船貿易の利権を巡って、日本が二つに割れ、南北朝時代に突入し、その激戦が、なんと上海で起こってしまいます。
日本の朱印船で密貿易していた南朝船に、上海に来ていた北朝の正式な朱印船の船員が襲いかかり、上海の中国人の役人や軍ごと攻め滅ぼしてしまいます。
日本本土でも九州にいた南朝軍を降伏させました。
この事件以降、日本の海賊が脅威だと知った中国政府は、倭寇の取り締まりを幕府に依頼しましたが、今度は密貿易で手に入れた刀で、中国人が模倣犯をしだしたのです。
これが、香港島の九龍マフィアの始まりとなりました。
以来今日に至るまで警察当局と争っています。

そうして、日本では織田信長の日本再統一が図られ、部下の農民、豊臣秀吉がそれを成し遂げます。
で、君主の夢だった、天下不武を成し遂げる目的で、世界へ向けて出征しました。
これが日朝戦争です。
朝鮮の李王は、中国へと援軍を求め、楽浪郡で対峙し、日本の勝利に終わりました。
ここで急に秀吉が急死したために、それ以上の出征が中止になったのです。
朝鮮と日本は和睦したのですが、一部の朝鮮軍人が勝手に停戦協定を破り不意打ちに後方から襲撃してきました。
日本の艦船は、これを悉く駆逐しましたが、かなり犠牲が出ました。
以来、朝鮮には何も得るものが無いと分かり、以後あの国はないものとしていました。
また日本では大規模な震災と飢饉に見舞われ、他国のことなどにかまけている場合ではなかったのです。
あわせて石田光成のクーデターが起こりました。
徳川家康の東軍がこれを食い止め、日本に天下不武が行われました。
一国一城制が敷かれ、参勤交代によって江戸に一極集中型ビジネスモデルを形成し、世界一の上下水道を整備し、人糞は畑の再生へ利用されました。こうして世界一環境的な大都市になったのです。
以来400年間の長きに渡り、日本は泰平の世となりました。

この泰平の世を壊したのが、尊皇攘夷に反対する、開国革命派でした。
中心人物は坂本竜馬や桂小五郎などです。
勝海舟は開国派ではありますが、緩やかな発展を望んでいました。
あくまで尊王だったのです。
結局は、新しい天皇を選んだ開国改革派が農民を戦争に借り出し、勝利を得ました。
クーデターが成功した稀有な例です。
日本では中臣鎌足、源頼朝に続いて三例目ですね。
こうして、日本に明治近代国家体制が生まれました。
王制復古され、軍人や商人が政治を行いました。また高納税者の男子が政治参加しました。
貧乏人に選挙権は無かったのです。
農民の次男以降は軍人になり、労働者問題で。征韓論が施策されました。
西郷隆盛などは激しく反対し、再クーデターを図りますが、駆逐されます。
こうして朝鮮王朝の改革派の役人を取り込み、朝鮮の近代化が図られました。
この動きに、朝鮮の李王朝の后が、中国と結託し、自身の借財を日本に払って貰ったのにもかかわらず、中国の西大后に援軍を要請しました。
こうしてソウル市内で、日清が紛争を起すようになり、英国から買った新艦隊を中国が、誇示したくて日本へ派遣し、あろうことか、日本において狼藉を働きました。
日本はその時は英国製の旧式の軽巡しかなかったのですが、錬度とスピードで新型艦船を翻弄し、日清戦争に勝利しました。
これで、下関において中国から多額の賠償金と遼東半島、台湾、西沙諸島、南沙諸島を割譲されました。
また、世界は第一次世界大戦となり、ドイツを含むプロイセン諸国連合とG7が争いました。
※G7
・イギリス
・フランス
・アメリカ
・ロシア
・日本
・オランダ
・イタリア
日本は国連に従い、中国山東省のドイツ租界地へ攻め込み、また南太平洋のドイツ領へも艦隊を派遣し、これを殲滅しました。
その後三国干渉があり山東省は手放しますが、ロシアがGから離脱し、この対策の国連決議の為に、日本は国連軍として、シベリアへ参戦し、日露戦争へとなります。
この勝利で、本格的に、山東省を日本の租界地にしました。
中国はとっくにクーデターで崩壊し、半ば無政府状態でした。
一応袁世凱という軍閥がクーデター政権を樹立していました。
※中華帝国(後の中華民国)
国境が、現在の徐州や北京市郊外だったので、度々、中国の軍閥のテロに遭いました。
日本はそれを言いがかりに満洲を割譲させ、そこに満州国という属国を独立させました。
現在で言うと連邦を形成します。
そうして、パラオ・台湾・朝鮮・満洲と、大日本帝国連邦を作りました。
ロシアでは共産革命が日本人の画策で起こり、ソビエト連邦ができました。これがスターリン体制です。
これで日本はソビエトと不戦条約を締結します。
後にも先にもこれっきりですね。

その後、中国本土でのテロ対策に追われます。
本格的に兵士の増員が行われ、日本艦隊も派遣されました。
これが第二次上海事変です。
その後、テロの首謀者の蒋介石を追撃し、本格的日中戦争となりました。こうして南京攻略などを経て内陸へと更に北伐していきます。

中国へは、ドイツ、ロシア。イギリス。アメリカが支援していました。
日本はそんなドイツにペテンに掛けられ、ドイツ・イタリアと三国同盟を締結し、国連を脱退します。
これを受けて、アメリカなどの国連諸国は日本のシーレーンを封鎖します。
これでは石油の輸入できない日本はアメリカと開戦せざるを得なくなりました。
まず。ハワイと叩き、フィリピンを落とします。
そして、ベトナムからインド方面へとフランス軍を駆逐し、インドネシアでオランダ軍を駆逐。マレー半島から南アジアのイギリス軍を攻略しました。
これは、民間人を襲わない、軍人しか攻撃しない武士道な戦争でした。
しかし、イギリスは、なんとインドで民間人を軍人に仕立ててきました。
これに合わせ、日本も現地人に武器を与え、教育し、自主独立を促したのです。
日本が降伏した後においうて、連合軍に立ち向かい、多くの植民地が独立しました。

日本はご存知のとおり、原爆を投下されて降伏しました。
民間人の大量殺戮という国際条約無視の傍若無人な行いに、天皇が心を痛めたからです。
そうして、マッカーサーに対し、自身の命は好きにして構わない。
この戦争の責任は私一人の一存なので、これ以上、民間人は殺さないで欲しいと、国民の命乞いをしたのです。
後にも先にも、全世界の君主で、昭和天皇ただ一人ですね。こんなことしたの。
普通は逃げ出して、亡命します。
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この回答へのお礼

早速の助言ありがとうございます
実に細部にわたり詳しく現在までの道のり興味深く拝見しました、歴史の流れを知ることの重大さを、しかし現在の日本史(昭和史)ではほとんどがあの戦争の実態伝えてないのでは
参戦してからでは遅いその思いでUPしました私は昭和陸軍の歩みのごく最近の資料ですが当時の昭和陸軍の中枢、統制派と皇道派、永田 武藤 田中 他の諸々の考え~
貴方の助言であの当時の時代背景の出来た時代の流れ人々の考え時のリ-ダの歩み、当時と現在は置かれた立場違いますが何か共通するもの有るように感じました
 失礼とは思いますが、最後の下りの当時実際に体験されたのでしょうか、私は開戦後のショウユダン グラマン 防空壕 はおぼろげながら覚えてますが

お礼日時:2015/07/31 16:44

> 勝者の過去…


では無く、勝利を得た過去の事実、それによる傲慢の積み重ね、でしょうか。
しかし、その勝利に隠れた代償は知る由もありません。
当事者は、その代償を次の勝利で取り返す、そのため次の戦略はより大きくなる。
とにかくは勝てばどんな理屈も通る世で、それを目指す事が指導者たる資格なのです。

> 勝者の過去と感じます
意味不明。

> はたしてどの程度信用してよいのでしようか
記録だけを信じ、判断は貴方次第で、他人にゆだねるものでは無いと思います。
今の政府与党の政策を信じるか否かは、有権者の判断でしかなく、それと同じです。
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この回答へのお礼

早速の助言ありがとうございます、お礼遅くなりました
>とにかく勝てばどんな理屈も通る世で------
〇物事の善悪でなく勝つことがすべてなんでしょうね、平和な現在の推察ですが、あの戦争で負けたから良かったが私の結論です(アメリカだったから)
>意味不明   勝者の過去
〇上記と同じかもしれませんが 歴史とはほとんどが、勝利者の過去と感じた次第です(自分史に自分の都合の悪いことはまず書かないと思います-例が適当か?ですが
> 記録だけを信じ、判断は貴方次第で、他人にゆだねるものでは無いと思います
〇そのようですね ですから冒頭書きましたように つい最近の事ご存命の方、事の生業(現在90以上の方)に当時の事実をお聞きしたかったのですが
現在問題となっている諸々の事実関係-あるいは自己否定につながるかもと思いつつ、もう無理ですかね

お礼日時:2015/07/31 16:18

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