アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

ぶかぶかのパンツを縮めてやりたいなら、それをまず引っ張って伸ばしておけばいいのだ。いじめっ子を弱くしてやりたいなら、ひとまずのさばらせておけばいいのだ。いいかっこしいの人をだめにしてやりたいなら、その人をさらにいいかっこしいにしてやることなのだ。......柔らかいものは剛いものに勝つ。弱いものは強いものに勝つのだ。......これでいいのだ。
(『バカボンのパパと読む老子』第36章 ドリアン助川 角川新書 91,92ページ)

*** *** *** *** ***

上記の引用文は『老子』のバカボンのパパ語訳です。状況にもよりますが、狭い範囲での人間関係については、きはめて有効な態度に思へます。たとへばQ&Aサイトでのやりとりなどは、この老子(およびバカボンのパパ)の思想にしたがつてゐれば、楽しく利用することができます。

しかしながら、大きなこと、たとへば国家間の交渉でこんな姿勢をとつてゐたのでは、多くの場合、国益は損なはれ、最終的には侵略を受けるかもしれません。

理論といふのは、部分と全体とでは、効果が大きく異なるのではないかと常常思つてゐるのですが、みなさんはどのやうにお考へですか。

A 回答 (4件)

こちらこそ。

    • good
    • 12
この回答へのお礼

あれからリンク先を読んでゐたのですが、長いのでなかなか進みません。

回答番号2に「きれいごと」について書きましたが、現在でも憲法9条の狂信者(に見える人)や集団的自衛権を短絡的に戦争と結びつける人たちがゐます。その多くは対案を示すこともなく、最終的には黙り込んでしまひます。対話の拒否です。話合ひすらしない、これこそが平和とは正反対の態度であり、この姿勢がすべてを物語つてゐるやうに思へます。

哲学カテゴリは対話であるべきではないでせうか。またお話を聞かせてください。ありがたうございました。

お礼日時:2015/08/10 21:28

これに続いて、


魚不可脱於淵、國之利器、不可以示人。
(魚は淵から出すべからず、国の利器は持って人に示すべからず)
とあります。
大切なものは出したり見せたりしないでしまっておきなさいと、ここばかりは駆け引きも運任せもなしです。国益のことはちゃんと考えているようです。
    • good
    • 13
この回答へのお礼

御回答感謝してをります。

>国益のことはちゃんと考えているようです。

おつしやるとほりです。御指摘ありがたうございます。『老子』は戦国時代のなかでの政治思想でせうから、国のありかたについての書物です。回答番号1のコメントに書きましたが、私としては、愚民愚治が老子の言ひたいことだと見てゐます。反対する人も多いでせうけれど。

引用が長くなるので終盤は省略しました。結局は為政者も知恵を使ふな、といふ言葉なのではないでせうか。余計なことは考へるな。といふことですので、コメントも、これで終了です。

お礼日時:2015/08/10 20:49

なるほど、、、確かに、と、思うところがありますね。



閉息された環境の、例えば イジメ に、対して、、、

『いじめっ子を弱くしてやりたいなら、ひとまずのさばらせておけばいいのだ。』

は、確かに、と?思いもする。

然し、国家間、、、或いは、為政者的な立場で在るならコレは正しくない。

『政権を奪い取るために必要な悪行を一度だけおこなってその後は悪行を繰り返さず民衆の心を掴んでいけばそれは“良い極悪非道”になる。』

 コレは、マキャベリだが、、、コレに近い、老子の道家と対立した、法家 韓非子 の、考え方が正しい。

と、、、公(おおやけ)の立場であるモノは、矢張り 老子的な態度では矢張り不味く、法家的な態度で無ければならない。




また、線引きの明確化 は、元々、和を持って尊し と、してきた、古より伝わる 大和 は、苦手で在り、違いなどない。と、した、鏡像関係を対人関係に求める、日本の 空気 の支配による在り方は、或いは、、、ここで言う 老子的な…緩さを、巧く利用しているようにも思えなくもないが、、、

『柔らかいものは剛いものに勝つ。弱いものは強いものに勝つのだ。』

と、なっているだろうか?

東アジア外交のみではなく、例えば、イジメの問題にしても、ブラック企業の問題にしても、様々なこの国の ヒズミ の、結果として現れる 自殺 の多さにしても、この老子的な緩さが、ツマリは、巧く使われてもいない。

と、僕は結論づけている。





 公に、法(法家)

 民に、情(道家)

の、カタチが望ましいが、、、この国は或いは全てが『和』で、終わってしまう。

その自分たちの姿は、矢張り省みなければならない。

戦後70年を、今までと同じ様な、内容の東アジアに媚びを売るだけの 和 の為の反省ではなく、その今もなお、 受 け 継 が れ なんら 変 わ る こ と の な い 本質に切り込むもので無ければならない。

と、僕は思います。

https://plus.google.com/102592967688884823261/po …
    • good
    • 13
この回答へのお礼

詳細な回答をいただき、ありがたうございます。リンク先を拝見したのですが、内容が把握しにくく、またのちほど読んでみます。

>いじめっ子を弱くしてやりたいなら、ひとまずのさばらせておけばいいのだ。

直接的な手段では、たいていの人間は反発します。さういふ人間の愚かさや弱さを糾弾するよりも、むしろ活用してゆくことこそが、素直な生き方であると私は思ひます。

>政権を奪い取るために必要な悪行を一度だけおこなってその後は悪行を繰り返さず民衆の心を掴んでいけばそれは“良い極悪非道”になる。

マキアベリのどの言葉なのか浅学にしてすぐには思ひつかないのですが、『君主論』にいくつか実例が記載されてゐました。『韓非子』は長いので部分的にしか読んでゐません。かつつさんの御指摘のとほりなのだと存じます。

>日本の 空気 の支配による在り方は、或いは、、、ここで言う 老子的な…緩さを、巧く利用しているようにも思えなくもないが、、、

私も老子の考へ方が好きなのですが、おつしやるとほり、日本的なところがあります。

>東アジアに媚びを売るだけの 和の為の反省ではなく、その今もなお、受け継がれ、なんら変わることのない本質に切り込むもので無ければならない。

この点はまつたく同感です。「きれいごと」だけの議論は国際社会では通用しません。

今後とも御指導たまはりたく存じます。

お礼日時:2015/08/10 20:39

ある理論を部分と全体に適用したときに違いが発生するか?と言う問かと思いますが、これについては具体例が思い付かず、考えられなかったので(plapoti さんの考えが聞きたいです)取り敢えず、老子に付いて感想を述べさせて下さい。



言ってしまえば、強い人の考えのように思います。弱者が真に受けると痛い目に遭いそうです。
パンツのヒモだって迂闊に引っ張れば自分が痛い思いをしそうですし。バガボン、大丈夫ですかね。

国家間、にあっては弱者には用いられないし、強者が用いるとしてもその差が大きくないと活用にはならないと思えるのですが。

老子はきっと強い人だったのでしょう。そんな哲学に思います。
また、机上にあっての論としては納得させられそうになりますが、実行するとなるとためらう気分になります。
    • good
    • 13
この回答へのお礼

いつも御回答ありがたうございます。

>ある理論を部分と全体に適用したときに違いが発生するか?

はい、さういふ問ひです。老子の例でかまひません。しばしばなされる議論ですが、世界中の人がこんな考へをすれば、平和になるのに、といつた話があります。同じ思想でゐると、無駄な競争があつたり、他人の幸福をねたんだり、全体としてうまく作用しないのではないかと考へてゐます。むしろ違ひがあるから楽しいし、その違ひを認めることが全体を安定させるのではないでせうか。世界をまとめる政府ができたところで、アニメ『ワンピース』を見るかぎり、平和とは無縁です。

>老子はきっと強い人だったのでしょう。そんな哲学に思います。

御指摘のとほりと存じます。民衆をアホにしておけば、国がうまく治まるのだ、と主張してゐまます。ただの愚民政策でないところは、為政者もアホであれ、と述べてゐることです。おもしろい人です。yy8yy8azさんの御意見にありますやうに、「実行するとなるとためらう気分になります。」

『老子』は限定的に活用するなら、有効な理論だと思つてゐます。私の場合は、あへて活用などしなくても、無為自然に、アホ質問アホ回答をしてをります。

お礼日時:2015/08/09 19:42

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

関連するカテゴリからQ&Aを探す