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私の知り合いで、こんな事を言った人がいます。
「なんで、大学には芸術学部とか文学部演劇科とか、政経学部とか法学部とかあるんだろうね?
 芸術学部や演劇科に行くやつらが、全員、有名俳優、超有名お笑いタレント、有名演奏家など、要するに芸能界で充分食っていけるだけのタレント(出演者、創作者)や、それを支える業界人になれるわけでもなかろうに。
 同様に、全国の数多の大学に法学部があるが、その全ての卒業生中、一体何人が司法試験を突破出来るんだ? あんなにたくさん法学部、いらねーだろ、東大法学部と中央大学法学部の卒業生だけが法科大学院に進学して、残りの法学部は全部廃止しろ。
 政経学部にしたって、政治家になりたい奴が行くわけじゃねーだろ? あの中のごく一部の優秀な連中が、地方自治体の職員を目指す程度であって、残りは全員サラリーマンじゃねえか。」

要するに彼が言いたいのは、
「社会人、会社人間になる最後の学生生活を送る大学での授業は、法曹界、文化芸術方面など、ごく限られた人だけが実際に活躍できる学問を学ぶ大学は、東京芸大、東大法学部、中央大学法学部、などのごく限られた大学のみ残し、残りの大学、学部は、全て実業に則した事を習わせ、4年間、ずっと新入社員研修みたいなことでよろしい。
 極論すれば、大学の学部なんてのは”士農工商、プラス医、教育”さえあればよい。(士=地方公務員養成を目的とする政経学部行政学科など)
 弁護士や検事、裁判官に成れない、なるつもりもない人間が法学部など通っても学生、大学、教員、三方にとって無駄だから、看板を行政学部に代えて、公務員養成機関にすればよろしい。
 同様に、俳優、音楽家、タレントや業界人(映画監督、映画技術者など専門技術を要する者)になれそうもない奴が、芸術学部や文学部演劇科に通っても意味ない。そういう勉強は、ごく限られたエリートのみが教育を受ければよい。もしくは大学なんか通わずに徒弟制度で芸能界入りすればいい。芸術系の学部学科を卒業して、結局、芸能・芸術界はおろか、地方の博物館の学芸員にすらなれず、勉強した学問とは何の関係もない職に就くほど、本人、親、そして社会の無駄になることはない。人生の遠回りだ」
ってことなのです。

 私は
「学費を出すのが本人か、親か、奨学金かはさておき、自分の勉強したいことを学ぶのが大学であって、必ずしも将来、それで飯を食わねばならない義務はないわけだから本人の好きにすればいいんじゃないの?
 っていうか、そういう、”遊び”みたいな学部(語弊がありますが)がたくさんあるってのは、現代日本が、豊かで飢えの無い、平和な証拠じゃないの?
 それにごく一部の選ばれたエリートだけが芸能界入りできるなんてのは、北朝鮮みたいじゃん。」
とも思いますが、彼の最後の言葉
「芸術の勉強なんかして、結局それで飯を食えずに、普通のサラリーマンや普通のパート主婦をしたのでは人生遠回り」
っていうのは、心にグサッと刺さりました。

彼のいう事は一理ぐらいは当っているのでしょうか?
芸術系の学部学科を出て、それとは関係ない仕事をしている人は、”人生遠回りした”って思うのでしょうか?

A 回答 (8件)

まぁ一理ありますね。

こんなはずじゃなかったと思ってる人はたくさん居ますよ。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>こんなはずじゃなかったと思ってる人はたくさん居ますよ。

ま、たしかにそういう意味では農学部や工学部や商業系の学部を出ても、それと全く関係ない仕事をしている人もたくさんいるでしょうな。

お礼日時:2015/09/11 22:57

学問の探求は個人の興味と才能で進められます。

本来大学は学問の探求の場であったのが、今では仕事・就職の為の場に成り下がってしまった現状になんら違和感をもっていない方の質問ですね。そういえば専門学校とあまり替わらないような大学が多いですよね。このような疑問が出るのもあたりまえでしょうか。

大学で好きな興味のある学問を探求するという4年間は、人生の中で充分意味のある時間だと思います。人間は働く為に生まれてきているわけではないのですから。そしてその興味が仕事に結びつくなら、こんな幸運・幸せは無いでしょう。
けして人生の遠回りではありません。人生の目的が仕事ではないからです。
稼ぐのは人生のための手段でしかありません。何が人生の目的か?よ~く考えてみたらいいと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
仰るとおり、この人の考え方では、大学が四年制の専門学校になるだけですね。

お礼日時:2015/09/16 20:39

この質問は身近に芸術系出身で、関係ない仕事をしている者が居ないから


ここで問われているのだろうが、身近に多く居る非芸術系出身の人で、
出身学部学科と関係ある仕事をしている人に「人生近道した」かどうか
聞いた方が早いのでは?
こういう人、身近に沢山いますよね。

果たして「人生近道した」という回答がどれほどあるのだろう。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>身近に多く居る非芸術系出身の人で、
出身学部学科と関係ある仕事をしている人に「人生近道した」かどうか
聞いた方が早いのでは?

仰る通りですね、そういう人に聞いてみます。

お礼日時:2015/09/16 20:38

>私が問うているのは、大学の学部学科の事なのですが、貴殿のお答えは部活動や趣味の追求のようでして、すこし違うような気がするのですが・・・



読解力ではなくイメージ(想像力)が足りていないと思います。若い時代の数年を捧げるという点では部活も大学学部(学問の種類)も私の中では何も変わりません。「就職がゴール」でその直前期は「職業訓練や実学の習得に徹するべき」という発想であれば(法律も十分実学ではありますが)、高卒で就職する子の部活と大卒の専攻はなおさら似た位置づけになるでしょう。

しかしそもそも就職は人生のゴールではないし、卒業後に社会で数十年働くことを考えると、その後の生き方が「若年時のわずか数年の経験や知識で規定拘束される」というのもおかしな話です。「新卒採用→終身雇用」という日本的、ガラパゴス的な島国発想にとらわれすぎているとも思います。人生には「転機」というものもある、ということを忘れてはならないと思います。

野球をやめて営業マンになるのも、法曹や演劇をあきらめ家業を継ぐのもある種の「転機」であり、そこでの選択は後ろ向きとは限りません。打ち込んできたことや過去の選択や学びがその先も続く別の人生にとって無駄だと断ずるのは「貧困な想像力の産物」だとしか思えません。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
仰るとおり、想像力が欠けてましたね。

お礼日時:2015/09/16 20:37

単なる愚痴です!言えばきりがないし、屁理屈つけているだけですね!その知り合いの人の学歴や仕事しりたいです!ここまで言うのならその人

、東大法学部法律学科出て、司法試験いっぱつで合格して、法曹界にでも従事しているのかなあ?まるで東大不合格になった奴が、東大だけが大学じゃない!っと言っているようですが、どう聞こえますか?
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プロ野球選手になれなかった高校球児は野球をやる意味はなかったのでしょうか。

野球ならまだしも、プロがなく実業団もない(つまり食えない)スポーツをやる子供たちは揃って無駄な回り道をしているのでしょうか。縁側で将棋を指す波平さんはプロ棋士になれないと悟った時点で将棋をやめなければならなかった、今は単に無駄なことを惰性で続けている馬鹿なのでしょうか。

食いぶちを幼い頃から考えない人生は愚かな負け組決定なのでしょうか。何ともあさましく味気ない価値観。

私は芸術も法律も専攻していないエンジニアだけれど、いまもオンでもオフでも日々芸術や法律の一端に触れながら生きている(それらは仕事にも生活にも溶け込んでいる)と感じているし、それらを大学やその先まで学んでいる他人が世の中にたくさんいるのはありがたいことだとも思います。

学びの質や習熟度は程度の問題であって、それほど重要ではありません。むしろ知識や才能がゼロに近い人がいるから無尽蔵の人もいる、そのピンキリのレンジのほうが重要だろうし、そのレンジはその世界に関心を持つ人の数が支えている。

数が質を生む、質の源泉は数、ということもあろうかと思います。プロスポーツや芸能界をプロになれない/ならない/経験すらない多くの愛好家=ファンが支えているように。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
私が問うているのは、大学の学部学科の事なのですが、貴殿のお答えは部活動や趣味の追求のようでして、すこし違うような気がするのですが・・・

私の読解力が足りないのでしょうか?

お礼日時:2015/09/12 09:23

たしかに大学の数が多すぎるので(実際に定員割れで破綻する大学や学部も多数出ている)彼の言うことにも一理はありますが、現状を考えれば極端すぎる意見だと思います。


けれど実際は4年間新人研修みたいなことをやってる大学が大多数ではないでしょうか。
「新人」もいろいろであって、世の中には様々な職種や会社があるのですから、それを学問というくくりで体系的に分類したものが学部なんでは。

今どきの子は昔に比べて精神性が幼く社会性も身についていないと思います。
半世紀前までは大学に行ける人間というのはある程度の家柄だったり経済的余裕のある家の子供だけでしたけど、今は奨学金という名の借金をしてでも大学へ行く。
逆に言うと昔は高卒で十分社会に出て行ける素養や環境があったけど今は難しい。
今どきの高卒の子じゃ電話一つまともに取れない。口のきき方も知らない。
余裕のある大企業でもなければ一般教養レベルからの新人研修などしていられない。
大学4年間で勉強すべきは講義や机上の勉強だけじゃなくバイトやサークル等を通じた人との関わり、社会経験も含むものです。
なぜ高卒よりも大卒が未だ有利かと言えば新人研修を受ける以前の基礎や基本がとりあえず出来ていると見なされるから。
わかりやすく言えば大学に4年間通えたという実績が少なくともあるからです。

一方で受けたい教育を受けられる自由があることは決して悪いことではないのであなたの意見に同意します。

<芸術系の学部学科を出て、それとは関係ない仕事をしている人は、”人生遠回りした”って思うのでしょうか?

どう思うかは人それぞれではありますが、遠回りって悪いことではないのでは?
人生100年という時代です。そんなに急いでストレートに道を歩まなくても良いのではないでしょうか。
寄り道や回り道というのは無駄なことなのでしょうか。
若い時分に夢をみて頑張って、その夢が叶わなかった人はすべて敗北者で役に立たない人間なのでしょうか。
努力が実った人間しか認められない世の中というのはずいぶんと息苦しく生きづらい世の中でしょうね。
何を以って豊かさや幸せを追求するか、大学というのはそれをじっくり考える場であって欲しいと思いますね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
若いときに夢を見て、好きなことを追求するためにあるんですね。
私の知り合いの主張は、
「大学院新進学者などの少数者を除けば、大学とは、実社会に出る直前の最終学校であるからして、学業内容はすべて実業の為の予行演習の場であるべき」
ですが、これと正反対の意見ですね。
まあ、どちらが絶対に正しくて、どちらが絶対に間違っている、ってものでもないですから、どちらも両立できる社会であってほしいですね。

お礼日時:2015/09/12 09:05

そりゃあお二人とも四分の一ずつ当りで、残りの半分は学校法人の都合。

例えば大教室で行う授業は教師一人で百人を超える学生から授業料を取れる、だからその手の学部学科ばかり増える。芸術系も同じ静物など人間さえ要らない、もちろん採点は必要だからそれはやるが、最も安価な助手が一枚幾らでこなす、演劇も当たり外れが大きく情熱的な教師はギャアギャア叫んで自分の哲学を披露するが、それが正しいか現在の世界に通用するかは別、かえって学生が教師無しで自主的に演出とかいろいろ試行錯誤したまたまプロがボケっと見てて「ああいつ使える」と卒業なんか無視で引き抜く事もある、生き延びられるのはそいつらだ、この世界は腹を抱えて笑うほど愉快だから(学生には悲惨の極み)非常に頻繁にマンガになるし面白いからロングセラーになるいわゆるお仕事物。法学部、経済学部、商学部は、目的の無い人が入るところで、就活しか考えず遊ぶと地獄、醒めている奴は専門学校とダブルスクールし、司法試験は無理だから、税理士、司法書士、まだあるけどわたしゃ理系だから出て来ない。生き方は幾つかあって、独立して頑張るのと有名弁護士の事務所に売り込みパシリで何とか生きる、誰かの書類をどこかの市役所に取りに行ったりする、女性だとそこで結婚しちゃっても仕事を続ける。根性のある奴は夜間専門学校に行ってよじ登る。人数が一番多いのでめくるめく世界。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
学校経営の為に、それらの学部があるんですね。

お礼日時:2015/09/12 08:59

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