プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

上座仏教(上座部仏教、根本仏教、初期仏教、テーラワーダ仏教、原始仏教)では、

自分で調べて試して実践しなくちゃ駄目だよ、

さらには、今喋っているこの内容についても、

信じるべきではないよ、

とにかく自分で調べて試して実践しなくちゃ駄目だよ。

というようなことを言っている気がします。

しかし親の権威が損なわれるので、

クリティカルシンキングを教えるべきではない、

といった公約を掲げるアメリカの一部の州があります。


これよりも優れた思考は現代に登場しているのでしょうか。

どなたかご教示宜しくお願い致します。

A 回答 (2件)

馬鹿は自分で決して調べません。

直感や自己都合に依存します。
また、人というものは許される範囲で進んで嘘を付きます。
馬鹿はそのとき都合のいい加減であり、でまかせで生きています。たとえばこれを読んでいる人々。
仏陀は自灯明を強く説いています。分からないでしょう。
しかし、この21世紀になっても、就学を終えても自灯明を行えない知能程度の人はごまんといます。
自らの考えで人生するもよし、他に習う人生もよし。人それぞれに責を負う。
どうも、賢くなったら楽だと考える人が無数にいて、多すぎる。

より良い選択を行えたらその人生は実り有ったと呼べる。これは哲学として正しい。
そは、利他利自である。
人の評価で生きるもよし、自己が人として喜べる生き方でもよし。
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仏教の変化を含め、多くの宗教が変化していきます。


どうしてでしょうか?

また、多くの格言は、明らかに相互に反対のことを述べています。
どうしてでしょうか?

人が生きていくうえで、状況は様々に変化していきます。

生まれてきてしばらくは親に面倒を見てもらわないと生きてはいけません。
自我に目覚めて自身で思考するようになっても、しばらくは様々なことを学ばねばなりません。社会通念といった基本的な事項(たとえば「青・赤」信号についての守り事)については、「なぜ?」といった疑問をさしはさむ前に守らねばならないこともあります。
やがて子供を授かり育てるようになったり、あるいは身近な子供達に何かを伝えたり、教えたりする時期も来ることでしょう。
そういった子供達が大きくなって、伝えていくこともあるでしょう。

何かを信じるとか信じないとか以前に、関係性の中で人は生きています。

一見「論理的に正しい考え」というのは、「○○といった関係性・状況において」という前提条件・前文が欠け落ちていることが往々にしてあります。

他者との関係性において、その都度、適切だと思えることを選択して実践していく以外に、正解と呼べるものは無いのではないでしょうか?

より良いと思える選択を多く為しえたときこそ、「その思考は優れていた」と後世の人々が判断することでしょう。
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