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万物の素材は火であるとし、宇宙はただ火のみから成ると断じた人々は、真の理論からは、およそ遠いもののようにみえる。かかる人々の指導者として、まず第一にこの論争の口火をきったのは、ヘーラクレイトスである。彼は晦渋な表現のために、ギリシア人の間では、真理を探究する真面目な人々よりは、むしろ心なきヤカラの間で著明な人である。というのは、愚かなものは、何でもゆがめられた言葉のかげにかくれているものを見ては感嘆し、これを好み、耳にこころよくひびくものとか、なめらかな言辞にいろどられたものとかを、真理だと思いこむものだからである。
(ルクレーティウス『物の本質について』第1巻635-644節 樋口勝彦訳 岩波文庫 39ページ)

*** *** *** *** ***

ヘラクレイトスのどんな表現によつて、「心なきヤカラ」「愚かなもの」が惑はされたのですか。

質問者からの補足コメント

  • へこむわー

    コメントでストラボンの出典をまちがへました。『地理誌』第14巻1章26節です。ついでに訳しておきます。

    「注目すべき人物が古来よりここ[エペソス]で生れた、暗い人[スコテイノス]とも呼ばれるヘラクレイトスや、ヘルモドロスである。」

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2015/09/26 14:03
  • 断片72の元ネタですけれど、Tastenkastenさんの訳文のほうがこなれてゐます。引用者マルクス・アウレリウスのコメントを期待したのですが、「ヘラクレイトスのことばを心に銘記しておく」ことの大切さを述べてゐるだけでした。高評価してゐたやうです。

    「不断に交わっているもの、つまり万有を支配するかの理性[ロゴス]、と人々は最も仲違いをしている。日々出会うことどもが彼らの目には無縁なものと映る」
    (マルクス・アウレリウス『自省録』第4巻46章 鈴木照雄訳 講談社学術文庫 66ページ)

    No.15の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2015/09/29 21:42

A 回答 (22件中1~10件)

ヘラクレイトスの著作は現在失われて、断片しか存在しません。


難解(あいまい)な表現としては、以下が該当しそうです。
互いに異なるものからもっとも美しいものが生じる。万物は争いより生じる。(断片8)
みずからと対立するものは、みずからと調和している。逆方向に引っ張り合う力の調和というものがあるのだ。たとえば弓や竪琴の場合がそれである。(断片51)
神は昼にして夜、冬にして夏、戦争にして平和、飽食にして飢餓である。(断片67)
火は土の死により、空気は火の死により、水は空気の死により、土は水の死による。(断片76)
戦争は遍きものであること、正道は争いであること、万事は争いと必然に従って生ずることを知らなければならない。(断片80)
魂には、自己を増大させるロゴスが備わっている。(断片115)
自然は隠れることをこのむ。(断片123)
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

先日の日中辞典韓日辞典の質問につづいての御回答ありがたうございます。ルクレティウスの言葉は、テキサス大学の先生がモンテーニュの見解(『エセー』第2巻第12章 岩波文庫原二郎訳(三)132ページ 私は持つてゐません)として哲学カテゴリでときどき引用なさるので、どんな用例があるのかと思つて質問してみました。「整備文」のやうなもの、期待です。

内山勝利編『ソクラテス以前の哲学者断片集』岩波書店
http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/09/X/0920910.html
にヘラクレイトスの著作が部分的に紹介されてゐるのだと思ひますが、この本も貧乏人には買へません。

廣川洋一『ソクラテス以前の哲学者』講談社学術文庫
http://bookclub.kodansha.co.jp/product?isbn=9784 …
のなかで取り上げられた言葉を読む程度です。ここではさほど難解な表現は見られません。

>神は昼にして夜、冬にして夏、戦争にして平和、飽食にして飢餓である。(断片67)

これは「謎めかして語る人」(ディオゲネス・ラエルティオス『ギリシア哲学者列伝』第9巻第1章 加来彰俊訳 岩波文庫(下)95ページ)といふ評価にピツタリです。

>魂には、自己を増大させるロゴスが備わっている。(断片115)

こちらは「暗い人」(ストラボン『地理誌』第1巻第26節 私訳)でせうか。

お礼日時:2015/09/26 13:34

お礼ありがとうございます。


へラクレイトス自身は、かなりひねくれた人として、他の哲学者から評価されていたようですね。
断片から窺われるのは、論理的な言説というより、ヘラクトレイトスが真理としている事をヘラクトレイトス独自の表現で語っている事です。
それが直接的で無い故に、理解しづらい、もしくは曖昧な表現と捉えられたと言う事でしょう。
断片67は、全ての現象は一見2面性を見せるが、その本質は同一であると言う事を言っているようです。
ヘラクトレイトスは、燃焼する火に自然現象のロゴス(もしくはその源泉)が存在すると考えていたようです。
その思想には、対立する現象の根源が変化にあるという考えがあります。
また、断片76は、事物が他の消滅による変化によりあらわれる事を示唆しているようです。
ヘラクトレイトスは、ロゴスにより万物の変化が生じる、もしくは規定されるという概念を根源としました。
断片123は、ロゴスは見えやすい物では無い事を示唆しますから、隠れたものを探し出す事を哲学として認識していたのでしょう。
Web上では、wikiや哲学者のWebページなどで、ヘラクトレイトスの真理と思われる断片が紹介されています。
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この回答へのお礼

追加回答をありがたうございます。断片集の解説をしていただいて助かります。

>かなりひねくれた人として、他の哲学者から評価されていたようですね。

ソクラテスは、ヘラクレイトスの著作を読むと溺れてしまふと嘆いたさうです。
「わたしに理解できたところはすばらしいし、理解できなかったところもそうだろうと思う。ただし、この書物は誰かデロス島の潜水夫を必要とするね」
(さきほどのディオゲネス・ラエルティオス第2巻第5章(上)135ページ)

>断片67は、全ての現象は一見2面性を見せるが、その本質は同一であると言う事を言っているようです。

なぞなぞみたいな言葉です。二項対立による極端な主張は集団社会にとつて好ましくないやうに感じられます。状況次第でさまざまな見解が採用されてゆくべきだと思ひます。今哲学カテゴリで集団的自衛権の問題が議論されてゐますが、反対派の意見のほうが排他的で柔軟な姿勢が見られません。平和とは相容れない態度のやうに私は感じてしまひます。

>断片76は、事物が他の消滅による変化によりあらわれる事を示唆しているようです。

?????
具体例があれば理解しやすいのかもしれませんが、前後の文脈もなく私の軽い頭では何を言つてゐるのかわかりませんでした。

>断片123は、ロゴスは見えやすい物では無い事を示唆しますから、隠れたものを探し出す事を哲学として認識していたのでしょう。

ロゴスとは、普通に「ことば」を指すのではないのですか。?????すみません。やはりヘラクレイトスは理解しがたい人のやうです。

今後とも御指導よろしくお願ひいたします。

お礼日時:2015/09/26 14:44

お礼ありがとうございます。


ヘラクトレイトスの言うロゴスは世界原理もしくは、事物の変化をつなぐ言葉(法則)です。
つまり、断片115は、魂は自らを増大させる原理(法則)があると語っています。
断片123は、「自然(が変化するロゴス)は隠れる事をこのむ」と語っています。
つまり、ロゴスは隠れていると言う事を示唆します。
ヘラクトレイトスにとっては、2面性のあるものの根源は一つです。
つまり、平和と戦争は状態を示しているだけで、世界は同一だと言う事を語ります。
平和→戦争→平和→....というように状態が変化している事になります。
闇と光があるのでは無く、光が無い状態が闇なだけです。
断片76も同様に、土→火→空気→水→土→火...と状態が変化していく事を語っています。
ヘラクトレイトスの真意はわかりませんが、世界がロゴスによる変化の連鎖で成り立っていると考えていたのは確かでしょう。
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この回答へのお礼

3度目の御回答感謝してをります。哲学カテゴリは対話がなければおもしろくありません。

ロゴスとは、ヘラクレイトスの著作では「世界原理もしくは、事物の変化をつなぐ言葉(法則)」を指すのですね。新約聖書でも特殊な用法がありますが、むづかしいものです。

>平和→戦争→平和→....というように状態が変化している事になります。

以前「平和」のラテン語についての質問が哲学カテゴリでありました。よく似てゐます。

>闇と光があるのでは無く、光が無い状態が闇なだけです。

この説明でしたら私のやうなアホでも判ります。光をパラメーターとして、ゼロのときを単に闇としてゐるだけのことなのですね。

>土→火→空気→水→土→火...と状態が変化していく事を語っています。

私は、土→日→祝→祝→祝→祝→祝→土→日...といふ毎日です。

お礼日時:2015/09/26 18:47

ヘラクレイトスは「暗い人」と呼ばれていましたが、質問文に引かれているルクレーティウスの文中の「晦渋」と訳されている語も「obscuram<obscurus」ですから、本来は「暗い表現」ですね。

もちろん「わかりにくい」という意味で言っているのだと思いますが、哲学カテに時々見られるような、書いている本人がはたしてわかっているのかと疑いたくなるような入り組んだ難解な表現ではなく、自然界の現象についての詩的な表現や、短いアフォリズムにパラドックスが含まれるような表現のため、真意が汲み取りにくいということのようです。読み手によって、多様な意味に解釈できるということです。
ヘーゲルの哲学史講義にも少し触れられています。まず、キケロが、ヘラクレイトスは故意に「暗く」書いたのだ、と言っていることについては、「月並み」と言って重要視していません。それよりも、「暗い」理由は、アリストテレスが言うように、文法的な問題にあるのではないかと言っています。つまり、句読法をないがしろにしているため、ある語が、その前の語にかかるのか後ろの語にかかるのかがわからないということです。ヘーゲルは具体的な例は挙げていませんが、ドイツ語版ウィキペディアに出ています。ドイツ語版のヘラクレイトスの項は力作で、優れた記事として推奨を受けています。それによると、たとえば断片1の文章、

τοῦ δὲ λόγου τοῦδ᾽ ἐόντος ἀεὶ ἀξύνετοι γίνονται ἄνθρωποι καὶ πρόσθεν ἢ ἀκοῦσαι καὶ ἀκούσαντες τὸ πρῶτον
https://el.wikisource.org/wiki/%CE%91%CF%80%CE%B …

の中の一度しか出てこないἀεί(常に)という語が、その前のἐόντος(存在する)という分詞にかかるのか、そのあとのἀξύνετοι(理性的でない、理解がない)にかかるのかがわからない、とアリストテレスが批判しています。この文は、Hermann Dielsの独訳では、

Für dies Wort [Weltgesetz] aber, ob es gleich ewig ist, gewinnen die Menschen kein Verständnis
この言葉(論理)はしかし、永遠であるにもかかわらず、人々から理解されない
(Hans Georg GadamerはFür diesen Logos aber, obgleich er ewig ist, gewinnen die Menschen kein Verständnisと言い換えています)

となっていますが、現代の翻訳家にとっても、この文法解釈をどうするかが悩みの種で、logosの意味も変わってくるらしいのです。そのため、logosをもっと一般的なDarstellung(表現)やErklärung(説明、言明)の意味にとった訳もあります。

Obwohl die hier gegebene Erklärung (lógos) immer gilt, werden die Menschen sie nicht verstehen
ここにある言明が常に有効であるにもかかわらず、人々はそれを理解しないだろう
(Christof Rapp訳)

ヘーゲルはこのあとに、ソクラテスのエピソードを引いていますが、すでにコメントにお書きになっているので省略します。最終的にヘーゲルは、ヘラクレイトスの暗さ(あいまいさ)の真の原因は、それが深く思弁的なところにあると言います。Verstand(理解力、知力、悟性)にとっては、数学などは容易でも、概念や理念は不都合である、しかし、ヘラクレイトスは、始めは矛盾に満ちたように見えても、意味を充分消化できれば、そこに深い思想を見い出せる、と書いています。ディオゲネスも同じように評価していたようです。
http://hegel.abcphil.de/html/heraklit_von_epheso …

ヘラクレイトスは一元論で、経験界を相対立するものの総体として見ていました。対立するものは、内部で折り返し、一方の極から他方の極へ変遷します。パラドックスな表現がたくさんあるのは、表面的には矛盾対立するものが見えるという現象を警句として示しているためです。

断片67
ὁ θεὸς ἡμέρη εὐφρόνη, χειμὼν θέρος, πόλεμος εἰρήνη, κόρος λιμός. ἀλλοιοῦται δὲ ὅκωσπερ πῦρ, ὁπόταν συμμιγῇ θυώμασιν, ὀνομάζεται καθ᾽ ἡδονὴν ἑκάστου.
Gott ist Tag Nacht, Winter Sommer, Krieg Frieden, Überfluß und Hunger. Er wandelt sich aber wie das Feuer, das, wenn es mit Räucherwerk vermengt wird, nach dem Duft, den ein jegliches [ausströmt,] benannt wird.
神は昼にして夜、冬にして夏、戦争にして平和、飽食にして飢餓である。それはしかし火のごとく変化し、香炉によって混ぜられれば、その時々の香りによって命名される。

昼と夜、冬と夏、戦争と平和、飽食と飢餓、これらは相対するものであり、われわれは常にそのどちらかの状態に生きているわけですが、その対立するもの同士の間には折り返しの段階があります。昼から夜への変わり目、冬から夏への変わり目、というように。その変化は周期的で、その時々の状態は多様であるということを上の断片は言っています。ヘラクレイトスの言葉で、「戦争は万物の父である」という訳で広まっているものがありますが、「戦争」という訳はちょっとまずく、相対立する要素の闘争、せめぎ合いによってこの世は動いていくということです。
この、矛盾対立するものが互いの中に織り込まれている状態、一方から他方へと常に変化する状態を表現するために、掛詞のようなものも使っています。

断片48
τῷ οὖν τόξῳ ὄνομα βίος, ἔργον δὲ θάνατος.
Des Bogens Name ist also Leben, sein Werk Tod.
弓の名前は生であり、その仕事は死である。

biosが、アクセントの場所により、「生(βίος)」にも「弓(βιός)」にもなることを利用しています。弓で射られたものは死にます。その名前が「生」でもある。射た方は、自分の身を守り、生を得るということでしょうか。
一部の研究者は、ヘラクレイトスのこのようなスタイルを、一義的でない、パラドックスによる暗号のような神託の言葉と比較しています。ヘラクレイトスは神官を務めた貴族の出身なので、あるいは関係があるのかもしれません。しかし、ヘラクレイトスの文章の様式の多様性から、古代の散文には手本と言えるようなものがないという研究者もいますし、言語学の方では、古典悲劇のコロスの文と比較する人もいるそうです。

もう一つ別の問題があります。いつもお話ししていることですが、日本人はことのほか格言が好きなのか、正確な意味、出典を知らないまま、どんどんコピペして広がっていきます。完全に理解はできなくても、意味深長に見える格言にありがたみを感じるという傾向はあるでしょう。しかし、これは必ずしも日本人に限ったことではありません。テオドロスの証言によると、ヘラクレイトスの信奉者たちがエペソス周辺で活動していましたが、彼らは何も理解しておらず、何かを尋ねると謎めいた語句を引用し、それの意味をさらに尋ねると、別の新奇な語句を口走る、という状況だったようです。彼らはヘラクレイトスの文言の内容を単純化し、寸言にして大衆に浸透させました。彼らの目的は名声を得ることだけであったと考えられ、真に哲学的な活動ではなかったようです。しかし、それによってヘラクレイトスの言葉が切り刻まれてかなり世俗化しました。ヘラクレイトスの文章の、誤解されやすい二面性が際立ったのには、そういう背景もあったようです。ルクレーティウスの批判にそれが影響しているのかどうかはわかりません。「真理を探究する真面目な人々よりは、むしろ心なきヤカラの間で著明な人である」と書いてあるようですが、プラトンはヘラクレイトスをよく学んでいたようです。

「暗い」というのは、ヘラクレイトスの性格からも来ているようです。同時代の哲学者たちをことごとく批判し、人を避け、やがて引き籠ってしまいました。
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この回答へのお礼

哲学カテゴリに投稿なさるのは久しぶりですね。いつもながら適確で詳細な投稿をありがたうございます。

>哲学カテに時々見られるような、書いている本人がはたしてわかっているのかと疑いたくなるような入り組んだ難解な表現

私も心配してゐます。深い内容の簡潔な回答よりも、空疎な中身の難解な文章の方がもてはやされる傾向があります。少数派ならばそれもおもしろいのですが、主流派になつてしまふとQ&Aの意義が失はれます。ヘラクレイトスにつきましては、断片集いくつかを読んだかぎりでは別段晦渋な言葉づかひもみられないので質問した次第です。

>アリストテレスが言うように、文法的な問題にあるのではないか

「常にこれが世の理であるのに人間はそれを理解できぬまま去来する。
つまり、「常に」という語をいずれにつけて区切るべきか、判然としないのである。」
(アリストテレス『弁論術』第3巻第5章 1407b 戸塚七郎訳 岩波文庫327ページ )

の箇所ですね。ロゴスの意味にまで影響するとは、言葉とは微妙なものです。このたびは外国語に訳をつけてくださつてゐるので読む時間が大幅に短縮できますし、誤読の危険性も少なくなります。先日「PLANETARY INFLUENCES ON HUMAN AFFAIRS」を「プラネタリウム内でのインフルエンザの感染は不満な状況である」と解釈したのですが誤りでした。

>ヘラクレイトスは一元論で、経験界を相対立するものの総体として見ていました

回答番号1の方からも教はりました。

>弓の名前は生であり、その仕事は死である。

これは巧みな表現ですね。和歌みたいです。

>正確な意味、出典を知らないまま、どんどんコピペして広がっていきます。

冒頭の話とともに、これも問題です。ヘラクレイトスも誤解されたまま鵜呑みにして広められてゐる部分があるのでせう。プラトンは『クラテュロス』『テアイテトス』ですか。

>同時代の哲学者たちをことごとく批判し、人を避け、やがて引き籠ってしまいました。

最期は水腫症だつたらしいのですが、難解な病状説明が医者に伝はらなくて亡くなつた、といふオチをディオゲネス・ラエルティオスが書いてゐます。

お礼日時:2015/09/26 19:20

断片1のリンクがうまく開かないようなので、もう一度張ります。



https://el.wikisource.org/wiki/%CE%91%CF%80%CE%B …
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この回答へのお礼

回答番号4を拝見したときは何のことかわかりませんでした。コメントを記載してから考へるつもりだつたのですが、律儀なTastenkastenさんらしいところです。

表題は古典ギリシャ語なら、引き裂かれたもの、もぎとつたもの、といふ意味の中性名詞の複数形なのですが、現代ギリシャ語では「抜粋」といふ用語になるのですか。Google翻訳ではさうなつてゐました。

お礼日時:2015/09/26 19:37

やはりうまくいきませんでした。

上から2番目のΑποσπάσματα (Ηράκλειτος)を開いてください。
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この回答へのお礼

>上から2番目のΑποσπάσματα (Ηράκλειτος)を開いてください。

開きました。ヘラクレイトスの断片集がギリシャ語(一部ラテン語)で掲載されてゐました。助かります、余計な本を購入せずにすみます。先日は回答番号7の方の回答を拝見して本を買つてしまひました。書籍のサンプル画像は二次元で厚さの感覚がなく、かなりのページ数で、文庫本ながらかなりの値段でした。Tastenkastenさんは貧乏人の味方です。cyototuさんとのやりとりを期待してゐます。

お礼日時:2015/09/26 19:47

興味のあるやり取りですね。



>世界がロゴスによる変化の連鎖で成り立っている

という言葉が気になります。私なら、

世界が事実による変化の連鎖で成り立っている

というところです。私にとってロゴスは常に事実の後付けですから。

>魂は自らを増大させる原理(法則)があると語っています。

この言葉も解らない。「法則」と言う言葉は日本人が西洋語の「Laws」とい言葉を蘭学の物理学(当時は究理学)ではじめて認識し、それが「法律」と訳すわけにはいかず、あえて、「法則」と訳した言葉ですから。西洋人にとって「Laws」一言で表される概念、すなわち、「法律」と「法則」の間の区別が付かないと言う感覚が、どうしても日本人は判らないからです。 そんな日本人固有な認識を、日本人とは全く世界観の異なったヘラクトレイトスの分析に導入することが自体が私には解らないのです。
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この回答へのお礼

先日は貴重な情報を御教示くださり、ありがたうございました。『夢の代』は図書館に行つて読みます。『徳川時代の宗教』は届きましたのでこれからです。モンテーニュ『エセー』は高価なので本屋でついでに立ち読みしてきました。今回はその質問です。

>世界が事実による変化の連鎖で成り立っている

私もそちら派です。cyototuさんとは考への程度がはるかに異なるのでせうけれど。言葉が世界をつくる、といふ主張がしばしばなされますが、空疎に思へます。

>「法律」と「法則」の間の区別が付かないと言う感覚が、どうしても日本人は判らないからです。

私もまつたく意識してをりません。「法律」と「法則」は別物です。いはれてみればそのとほりです。私はすぐに他人の考へに流されてしまひますので、万物流転です。

お礼日時:2015/09/26 20:07

#4さんへのコメントです。



自然科学の研究をするにあたって、自分が的を射た方向に進んでいるか、その反対に、全く非生産的な方向に進んでいるかの判断をする王道があります。

それは、正しい方向に進んでいれば、進むほどに以前より説明が簡単になっている、と言うことです。

もちろん、始めの直感に至るは情報不足であり、さらに論理の展開に熟れていないため、論理は未熟であり、始めの認識は不完全であることは自明なことです。ですから、その直感を正当化するには、その直感の方向での緻密な論理構成や情報の収集を行う仮定が不可欠です。そして、もしその方向に生産的な答えがある場合には、分析や情報の収集を進めれば進めるほど、その論理が以前より易しくる、これが経験則です。

ところが、論理の恐ろしさは、複雑な事象を考察する場合、たとえその方向に正しい答えがなくて非生産的な場合でも、前より複雑な論理を導入することで当面の矛楯を解決できてしまうところにあります。しかし、その論理は間違っているので、必ず新たな矛楯が生じて来る。そして、その矛楯は前より複雑な論理でまた解決できる。しかし、そもそもその方向が間違っているので、また別なところで矛盾が生じて来る。そこでまた論理を前より複雑にして、また当面の矛楯を解決する。この繰り返しの無限ループに嵌ってしまうと、自分の人生を恍惚としながら全く無意味な方向に進んで一生を終わってしまう。

ですから、始めに理解できなかったことを理解するためには、自分の理解が進めば進むほど、以前より論理が簡単になっているか、と言う問い掛けが必要だと言うのが自然科学の研究の王道です。

#4さんへ論旨を聞いていると、ヘーゲルに代表される後世の人たちは、ヘラクレイトスの言葉にいろいろな理屈を付けて前より複雑に解釈すれば、ヘラクレイトスの言葉の意味が解ると言っているようです。もちろんそれで、言葉の論理的な整合性を主張できるかもしれません。しかし、明らかにそれは未知な物の研究に対して非生産的であり、そんな方向に進んで行ったのでは、何か未知な物の発見へと導く生産性がなさそうだと言うのが、自然科学の研究における経験則です。

その辺りを見抜いて哲学者に辛辣な言葉を投げかけたのが、私が

https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9068952

で紹介したモンテーニュの言葉なのだと私は理解しています。

実際、私の物理学の研究では、「我何をか知る」で、懐疑論の限界を提示したモンテーニュの言葉の方が、その解答だとして哲学者の間でもて囃されているデカルトの言葉「我思う故に我在り」より桁違いに生産的な指針を与えてくれています。って言うか、デカルトのこの言葉は私の研究過程で、全く役に立ったことがありません。

何で、皆さんはヘラクレイトスは何を言っているのか訳が判らんと言うことができないのでしょうか。私には、以前ベルギーの国立美術館で見たムール貝の殻をバケツに入れただけでゴミ箱のように展示してあった作品を、これがモダンアートだなんていろいろ理屈を付けていたのとあまり変わらないのです。それって芸術でも何でもないただのゴミだよねって、何で言えないのでしょうか。それとも、ゴミではないといろいろ複雑な理屈を付けて一生恍惚として論理の世界で遊びたいのでしょうか。
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この回答へのお礼

御回答ありがたうございます。哲学には対話が不可欠です。

>#4さんへのコメントです。

回答番号4の方はクラシック音楽の作曲家で、着想のヒントを得るために文学や言語などの分野に投稿なさつてゐます。Q&A参加は仕事から逃れるための口実もあるとおつしやつてゐましたけれど。そのおつもりでお願ひいたします。参加者それぞれに仕事があつて、日常生活を豊かにするためにQ&Aサイトがあるのでせうから。もちろん双方に有意義なやりとりは大歓迎です。

>正しい方向に進んでいれば、進むほどに以前より説明が簡単になっている

この論旨は、いろいろな人が述べてゐるのを聞きます。素人が言ふのも変ですが、御指摘のとほりと存じます。

>モンテーニュの言葉

私は20分ほど立ち読みをした程度の知識ですが、納得のいく論旨でした。ヘラクレイトスの評価につきましては断片集の表現を読むと、表面的には比較的やさしい言葉づかひであつても、内容的には難解に感じました。基本的にモンテーニュの批判は合つてゐると思ひます。

>ゴミではないといろいろ複雑な理屈を付けて

ゴミであつても効果的に再利用すれば活用できるかもしれません。回答番号2のコメントで、一元論への批判としてヘラクレイトスの言葉を使用しましたが、使へるものは使へばいいのではないかと思ひます。著作として現存してゐないので、文脈から切り離されたために理解が困難な部分もあるのではないでせうか。そのあたりは「複雑な理屈」を補充してもまちがひではないやうな気がします。

私は回答者同士のやりとりでしよつちゆう投稿削除になつてゐたのですが、最近は運営の方針が変更になつたのでせうか。すくなくとも質問の論旨に沿つたものは削除にならなくなりました。Q&Aの目的からすれば当然のことですけれど。

お礼日時:2015/09/26 21:47

ヘラクトレイトスの思想を明確にしている断片は以下のとおりだと思います。


ロゴスは、ここに示されているのに、人びとは、それを聞く以前にも、ひとたび聞いてのちにも、けっして理解するようにならない。なぜなら、すべてのものごとは、ここに語られたとおりに生じているのに、彼らはまるでそれを見聞きしたためしがないも同然で、しかも、多くの話や事実を見聞きしながらそうなのだ。(断片1)
共通なロゴスに従うべきなのだが、ほとんどの人間は自分だけの智に頼って生きている。(断片2)
博識は分別を教えない。(断片40)
自然は隠れることをこのむ。(断片123)
ロゴスを法則と訳すのは不適当なようですから、これを仮に智と理(ことわり)と考えます。
ヘラクトレイトスの思想として推測されるのは、一見多元的なように見えるものの実体が単一であるとの考えでしょう。
断片1の解釈は難しいですが、多くのロゴスを見たり聞いたりしても、ロゴスの本質を理解出来ない事を意味していると解釈できます。(ロゴス(智)自体が多面性を持つが、ロゴス(理)が理解出来ない)
断片2では、人々が共通(単一)のロゴス(理)を理解しないで、表面的なロゴス(智)に頼って生きる事を意味しているでしょう。
断片40では、明確にロゴス(智)が、ロゴス(理)に結びつかない事を説いています。
断片123では、ロゴス(理)が隠れている事を暗示します。
ヘラクトレイトスの真意はわかりませんが、ロゴス(智)から、ロゴス(理)を見つけ出す行為が必要だと言う事を説いているような感じがします。
ヘラクトレイトスが見出したロゴス(理)は、万物が変化していく事のようです。
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この回答へのお礼

またまた回答をいただき感謝してをります。

>一見多元的なように見えるものの実体が単一であるとの考えでしょう。

これは有用な考へに思へます。Q&Aサイトでもときどき、答はひとつだ、といふ意見が聞かれますが、私は総合的なものが答だと思つてゐます。またそれが不特定多数参加型Q&Aの存在意義でもあるのではないでせうか。

断片1,2はセクストゥス・エンペイリコスが引用したおかげで残つた言葉ですね。『学者たちへの論駁』第7巻に出てくるらしいのですが、金山弥平・金山万里子訳(京都大学学術出版会)の第2分冊にあつて、私は第1分冊しか持つてゐないので参照できません。

>断片1の解釈は難しいですが

回答番号4の方からも説明がありました。アリストテレスは批判してゐますが、自身の『形而上学』はさらにわけのわからない内容です。私はめんどうな箇所は飛ばして読みます。

結局は前後の文脈がないために理解がさらにむづかしくなつてゐるのだと思ひます。

>博識は分別を教えない。(断片40)

これはディオゲネス・ラエルティオスが出典ですね。
「博学は見識(ノオス)を教えはしない。もし教えたとしたら、それはヘシオドスにもピュタゴラスにも、さらにはまた、クセノパネスやヘカタイオスにも教えたであろうから。」
(第9巻第1章 下91ページ)
さきほどの断片2もさうなのですが、回答番号6のサイトと比較すると、後半部分が省略されてゐます。どこの資料なのですか。ディオゲネス・ラエルティオスは単に、ヘラクレイトスが「気位が高く、尊大な男で」あることを示すために引用してゐます。意図的に省略してゐると思へないこともありません。

>断片123では、ロゴス(理)が隠れている事を暗示します。

「ヘラクトレイトスの真意はわかりませんが」とおつしやるとほり、私も情報が少なすぎてどう考へてよいのか判断しかねます。

お礼日時:2015/09/26 22:56

回答№9のlupanさんに依って私の意、は確実なものとなりました。


ロゴス、とは理性の事。勿論宇宙の本体に在る理性、の事。
人間は宇宙の産物なので理性あり。勿論人間以外の生物にも、またそれだけではなく宇宙に存在するもの悉く理性あるも、人間には認識できない。顕現しないだけ。

ヘラクレイトスは一元論者ではなく二元論者。
表裏一体、心物一体、の二元論。
そして、存在、現象は因果に依るとも云っている。

当時は言葉が未熟だったため晦渋な表現にならざるを得なかったと思います。
釈尊でさへ「空」なんて言葉を使わざるを得なかったのですから。

まな板の上の魚を捌くには包丁を使うように、西洋の哲学を捌くには東洋の"仏教"が必要ですね。
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この回答へのお礼

御回答ありがたうございます。私の質問ページはたいてい閑古鳥が啼いてゐますので、にぎやかになるのは助かります。

>ロゴス、とは理性の事。勿論宇宙の本体に在る理性、の事。

ますますわからなくなつてきました。自己と宇宙についてのシャンカラの思想ですか。『ウパデーシャ・サーハスリー』(前田専学訳 岩波文庫)は読みましたが、まだヘラクレイトスのほうがわかりやすく感じます。

>表裏一体、心物一体、の二元論。

「一体」といふところに重点があるのですね。

>まな板の上の魚を捌くには包丁を使うように、西洋の哲学を捌くには東洋の"仏教"が必要ですね。

私は西洋東洋の相違も時代をさかのぼれば共通するものが多くなつてくると思つてゐます。

お礼日時:2015/09/26 23:20

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