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戦国の親の仇の感覚はどんなもんでしょうか?

父を討たれた今川氏真は、長篠の合戦では織田軍に入って戦っています。
北畠具教の娘・雪姫は父や一族が粛清された後も、正室のままで嫡男を生んでいます。
織田信勝(織田信行)の息子・津田信澄は、父親が粛清されているのに、普通に父親の仇(伯父でもありますが)に仕えています。

 生かしておいたら、仇を討たれる、裏切られる、このような感覚はあまりないんですかね?
逆に、父の仇と夫婦のままでいられるもんでしょうか?戦国時代の感覚は、どいういったもんでしょうか?相手の親族を皆殺しにするようなことは、思うほどはなくて、また、相手を恨まない感覚なんですかね?

 秀頼の息子、国松は処刑されていますが、天秀尼は助命されています。
石田三成の息子たちは、みな、助命されています。

 なんとなく、戦国時代は、ぎすぎすして相手や一族を根絶やしにする・・そんなイメージがありましたが、意外にさばさばした感覚だったんじゃないか?と思うんですがどうなんでしょうか??

A 回答 (2件)

勝手な歴史観で言わせて貰うので、そこはご容赦。



戦国時代は、食うか食われるか。
だから、自分の勢力に邪魔な存在或いは将来邪魔になるであろう勢力は叩き潰す。
それが、親兄弟で有っても。
そもそも、兄弟と言っても腹違いで別居だから情などない。そこは他人と同然。
だからと言って、無駄に一族郎党抹殺する必要はない。要は、邪魔な勢力さえ潰せば目的は達成。

雪姫の話が出たので、ついでに。
父浅井長政を自害させた親の仇で、秀吉の側室となった茶々(淀の方)も然り。
自分の勝手な解釈では、秀吉の子を宿せば、戦わずして浅井のお家再興と考えたのかも?

まぁ、武士の意地だの面子何て言えるようになったのは、江戸時代、世の中平和になってから。
最大の仇討は、大仏次郎の「赤穂浪士」を始め幾つか小説化されている松の廊下刃傷事件。
これらの原本は、概ね仮名手本忠臣蔵。
これが、公然と演じる事ができたのも、江戸時代が如何に平和な時代だったんだなと思う。
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どうなんですかね。


勝った方の武将の、考え方ひとつで、どちらにでもなったのではないでしょうかね。
討ち取った敵軍の一族、家臣団、領民を、自分のものにしたいなら、
敵の大将だけを討って、おしまいにするでしょうし。
自己の正当化や、周囲へのけん制の意味で、見せしめ的に一族を滅ぼしたりも。
ただ、いろんな伝えられている史実からして、
やたらと「親の仇」なんて軽率(?)に行動はしなかったようですね。
とにかく、家を存続させることを第一に考えていたのでしょう。
血も大事ですが、家の存続のためなら、養子も普通に迎えますし。
真田兄弟が東西で分かれたのも、
どちらが勝っても真田の家が残るようにという思いから、とも言われていますよね。
(来年度の大河ドラマ、楽しみですね)
「親の仇」なんて言うようになったのは、
泰平の世、江戸時代になってからでしょう。
戦もないし、見栄と、武士道なんていう精神論ばかり一人歩きするし、
町民の間で、「かたき討ち話」がもてはやされるし・・・。
歴史っておもしりですね~。
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