プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

ここで質問をして、誰かが答えてくださるとうのは私にとって癒しでした。
でも、もう質問すら思い浮かびません。
死にたくないです。生きたいです。
でも、その選択肢が閉ざされているように感じます。
死ななくては、という気がするのです。
この先、もっと悪いことがたくさん起きる、その前に死ななくては、と。どのみち、私には耐えられないから。

もう仕事もないし、何もない。
、、、と思う反面、自分が手にしている山ほどのものを感じます。
健康なはずの肉体や、平和な日本に生きていること(大災害の被災地や、海外の最も貧しいスラム街にも仕事で自分の足で行きました)、とりあえず今も布団にくるまって寝ていてスマホを弄っていること。
こんな状態で死にたいなんて贅沢すぎる。

でも、生きていたくないんです。

それで、質問は?、、、と言われることが多いので無理やり質問します。

明日から、何をすればいいか教えてください。

A 回答 (11件中1~10件)

書くべきか、止めるべきか。


しかし、書かずにはおれないという性分。
やはり、自分の気持ちに素直になる。それが私の生き方ですので、
この質問に関しては、これで最後にします。

誰にも言えない事。
それを抱えて生きていく事の辛さ、苦しさ。
相手がどう思うかという不安。
精神を病むというのは、そういう心の闇だと思うのです。

『横になって秘密をを打ち明けよ。そうすれば救われる。』~17歳のカルテより



言えない事、知られたくない事。
それはあなたにとって、とても大きな出来事だったのだと思います。
でも、心には限界があります。
その限界をどこまで耐えるのか。
すべてを受け止めてくれる人は、確かにいないかもしれない。
しかし、自分のなかで解決できないから、精神を病んでしまっているのだと思います。

私から、
『もう自分は死んだ(死ぬんだ)と思って、話してみたら。』
とは強く言えません。
それが出来ないあなたの気持ちも解るから・・・。


少し重い話ですが私の場合、(もう遠い過去になりつつありますが)
主治医に対して私自身は、すべてを話しています。
その方が楽になれるから。
相手がどう思うかなんて、考えもしなかった。(どうせ死ぬんだから)
ただ思い浮かぶがままに話していましたね。
開き直りというのかもしれません。
これでも何も変わらないなら(変われないだろうし)、本気で死ぬつもりでした。
※この頃は、よく死に場所を探しに行きました。

で、薬をもらって帰る。
その頃は、ただ死ぬ為の準備としかとらえられなかった。
薬も死への準備にしか過ぎなかった。
数千錠は貯めた。※今もまだ持っています、心のお守りみたいなものですね。衣装ケースに満タン入れたままです。
その事が、ある意味安心感につながったと、今は思います。
『いつでも死ねる。』という安心感。
歪んだ安心感だけど、心にとってはそれは安らぎになっていったように思います。
そこから、私の症状に向かい合えるようになったのです。
死ねる安心感に頼るというのも不健康かもしれませんが、
それも私にとっては必要な事だったのでしょう。

最初の主治医は、話は聞いてくれた。だけどその時だけだった心が軽くなったのは・・・。
投薬も安定剤1錠のみで、次の診察まで苦痛で仕方なかった。

2人目の主治医は、話の中から私の症状を的確に見抜くタイプの人。
話しの内容よりも症状改善に主眼をおいた先生でした。
投薬にこだわる先生でしたので、効かなければすぐに処方を変えるというスタンスでした。
予約外でよく見てもらったり、電話で発作的症状の対処法を聞ける事ができる先生でした。
これが、私の薬を貯める=死ねる安心感につながり、
また、自分の過去ではなく、自分の症状に目を向けるきっかけになりました。

今から思えば、死にたいという強い気持ちが、私から恐怖をなくしたのかもしれませんね。
他人に対しても自分に対しても・・・・。

症状が改善に向かってから、私は復職しましたが、
上長からアルバイトにいたるまで、全員に自分の病や症状を打ち明けました。
それが、私が生きていく上で必要な事だと思うようになったからです。
『自分の気持ちに素直になる。』『ありのままの自分でいる事』
それが受け入れられないのなら、会社を辞めるつもりでしたから・・・。


私の過去ですので、あなたと同じにはならないと思いますが、
あなたにとって何かのきっかけ(気づき)になればと思います。

日記にあなたの言えない事や知られたくない事を書くというのも、
何かのきっかけになるのではないかと私は思います。

今は出来ないと思いますが、
精神世界(気持ち(恐怖・見捨てられる等))と精神疾患(症状(罪悪感・希死念慮等))を
ある程度冷静に分けてみる事も大切な事だと思います。

少なくとも、
あなたを『見捨てる』という気持ちが、私の中にあれば、
ここにこういう回答はしないですよ。
私の場合、あなたに対する気持ちは、『見守りたい。』という事です。

少しづつ、あなたは変わってきている気がします。

『人は人に傷つく、けれど結局、人は人に癒される。』~学校より
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
仕事がなくなることが不安で不安でどうしようもなくて、ただひたすら寝逃げをしています。
一応処方内ですが、これまでは会社で眠気が出ると困るので頓服も割って小さく飲んでいたので、一錠ニ錠でも眠気が強くでるので…。もう、はやく入院してしまいたいという気持ちと、やっぱり仕事をしたい、、、という気持ちで揺れています。もちろん、後者の選択は今すぐにはないのですが。

仕事のみなさんに病状を話したということ、とても尊敬します…。私は隠して、隠して、余計辛くなるという繰り返しだったので。
とはいえ、今の私にそれができるか、といえばできないんです。どうしてもできません。1年前に戻っても、できないと思うんです…。

「見守る」という言葉をかけてくださったこと、とても救われました。
この世にそういう人がいるというだけで救われます。でも、どうか、重荷に思わないでください。
私が質問していても回答しなくては、、、と思わせていたら申し訳ないなと思っています。
これまでいただいた回答の全てに、感謝しています。ありがとうございます。

お礼日時:2015/10/22 21:30

すこし違う角度からの回答となります。



『現実世界と精神世界~心の拠り所~』

>私がいなくなるとみんなが幸せになる。
>…という、世界で生きていかなきゃいけない理由はなんなんでしょうね?

生きる理由。生きていかなくてはならない理由。
これは、難しい問いです。
哲学や宗教の域にはいってきます。
また、人それぞれの価値観や考え方によっても答えは異なります。

ですので、私なりの解釈で書くしかありません。
しかし、あなたにとって、それが求めているものかどうかは解りません。

まず、生きていかなければならない事。
苦しみ、つらさ、悩み。
生きている限りそれがなくなることはないと思います。
『生かされている。』言い換えれば『生きていかなくてはならない。』
という領域を出ることがまず必要な事だと私は考えています。

私にとって生きる事、生きている事は、感じる事なんです。
生きている事。=感性が起点
生きていかなくてはならない。=苦しみが起点。


>私がいなくなるとみんなが幸せになる。
これは、かつての私が感じていたことと同じなんです。
自分を責めて、そうすることでしか生きられない。
周りの環境が見えないから・・・。

あなたの質問に回答していて思う事は、
受け止めてくれる存在が必要という事。
その1点に尽きるような気がします。

>かつて、うつ病を患ったことがある上司で、「自分の時は、ベッドから起き上がることができなかった。
>あなたは、出社することができるし、重症ではないはず。
鬱と一言で言っても、症状は様々です。
鬱だから必ずこんな風になる。という概念をもっている人が多いですが、
その概念を持つこと自体が、狭い世界しか持っていなないと思います。
精神疾患の精神世界は、奥深いものです。
他人と比べられるものではありません。
ですが、人は自分の人生をベースとしてしか語れません。
あなたの上司とあなたは、同じ精神世界ではありません。

で、悪いのはどっちだ。と思うかもしれません。あなたなら悪いのは自分と思っていると思います。
私から言えば、上司もあなたもどちらも悪くないのです。
住んでいる精神世界が違いますから、同じ精神疾患であっても比較対象にすべきではありません。
それを理解できない人があなたの上司だった。それだけの事です。

>だから、休職してもらうわけにはいかないし、
>だからと言ってそういう人をクライアントの前に出していることは会社としてリスクだし、
>迷惑をかけているという自覚はあるか?」と。
これが一番そのことを示しているように思います。
ただ、あなたに非があるとすれば、
それは、周りの理解を得るための努力をしてこなかった(できなかった)事だと思います。
おそらくそれが出来ていれば、上司がこういう言い方をすることはなかったと思います。


ここで、あなたの『できない。』について書きます。

素直な気持ちになれない。
心開けない。
信じられない。
自分を責めてしまう(自暴自棄ともいえます)

これらの元にあるものが、あなたの罪悪感だと思います。
※鬱状態というのは、罪悪感も症状として存在します。
その度合いがあなたの場合、特に強いのだと思います。

受け止めきれない人が、あなたの生きていく環境の中にいるということが、
あなたにとって、自分を責める要因になっているように思うのです。
事あるごとに、自分を責めて、心を閉ざしていく。
心が閉ざされれば、そこは自分だけの精神世界です。
これが罪悪感の症状の起点になっているように思います。

ですが、あなた自身の病状は、きっかけを作れば良くなると私は思っています。
復職された主治医との関係がその一つ、
また、偶然に(こういうめぐりあわせと言えるかもしれません)回答した私とのやり取り、
この小さな『点』これを増やして『線』にしていければよいだけだと思うのです。

復職された主治医に、心を開くことができる理由。
私の回答に、心を開くことができる理由。

また、私と、主治医に開いている心(心の開き方の度合い)は、まったく同じではないはずです。
もし同じなら、あなたがここに質問する意味がなくなるからです。
それは、なぜそういう違いが出てくるのか。という理由。

理由を自分なりに考察すること(※やり方は後述)が、『点』を『線』に変えていくきっかけになると思います。


>通院や入院にも罪悪感を感じます。
>私よりもっと必要な人がいるのでは?
>例えば、通院や入院で回復したら、もっと人や世界に貢献できる人が。

今は、『点』しかないですから、自分の考えや思いがこの世界のすべてに見える事だろうと思います。
私から、今のあなたに伝えたいことが、あなたに実践できるか自信はありませんが、
まず、投薬によって最低限の精神の安定を図ることが大切だと思います。
これって個人差があると思いますけど、薬って結構重要です。
自分に合う薬の組み合わせが見つかれば、『今までの自分はいったい何だったんだろう。』て思えるほど変わります。
ただ、あなた自身の罪悪感が、その薬の組み合わせに至るプロセスを阻害していることが、一番心配な事なのです。

そこで、実践してほしい事があります。
入院されてからでも構いませんので、日記をつけて下さい。
ここに書き込んでいるように、ありのまま、自分の気持ちや考えを書いていくことが大切です。
できる事なら、その気持ちに対して、『なぜそう思うのか。』という自分なりの考察を書ければさらに良いと思います。
それを、見せる見せないは、あなたの自由です。
何年か(あるいは半年でも)して読み返せば、ある程度自分の変化が解るはずです。
それは、自分に対して客観的になる。という事です。

自分の精神世界に浸っていては、苦しみ(あなたの症状で言うなら罪悪感)しか残りません。
それが、今のあなただとおもいます。
ですが、始まりがあったという事は、終わりもまた存在します。
苦しみだけではない精神世界をあなたが知る機会は、
あなたが自分で死なない限り希望(夢)という形で存在すると私は考えています。

『自分の気持ちに素直になること。』
『ありのままの自分でいる事。』

どんなに苦しくてもそれだけは、心の片隅に置いて下さい。


最期に
私の考えや価値観は、世間一般の中ではかなり偏っていると思います。
私は、この世界で生きていく事で一番大切にしているのが、『感性』。
生きていかなければならない、という、自分の精神(感性)に負担になる考えは、すべて捨てる事で生きています。
例えは
夜空。星・月を見ていると綺麗だなと思たり、
山の森林に行くと、空気が澄んでいて気持ちいいとか。
海の潮騒の音とか、川のせせらぎとか。
そこには、『生きていかなくてはならない。』って考える理由なんてないでしょう。
生きているから、そういう自然を『感じられる』
そういう精神世界の持ち方もあるとおもうのです。

このように現実世界と精神世界の違いを見つけるもの良いと思います。

追記
あなたの人生は、あなたにしか切り開けない。
時に、勇気・気合・根性・開き直りが必要な時があります。
今がその時だと、私は思います。
入院する事。その行為も大変な努力が必要です。
入院先の主治医やスタッフさんとの出会い。あるいは他の患者さんとの出会い。
その出会いを無意味なものにしてほしくない。というのが、私の率直な思いであり願いです。
ありのままの自分を出す勇気・開き直り、それをしてほしいと思います。

少なくとも、まったくの他人である私の意見や想いを信じられる心が、あなたにはあります。
その心を忘れないでください。

私のハンドルネームに隠された、私の真実をあなたは見抜けるかもしれませんね。
※奥深いというよりも、今の私そのものと言えるでしょう。

かなりの長文になりましたが、
あなたの思いや疑問があるときは、
また質問してください。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
私は誰にも心を開いていないのだと思います。
…が、誰にもというのは語弊がありますね。私はきっと闇の星空さんには開いているのだと思います。
主治医には…。
今の主治医には、絶対に生きているあいだ人には話さないと決めていたことを話してしまったこと。この話題を出せる世界で唯一の場所を得られたという安心感があります。ただ、なんというか。目の前にいる人への恐怖感は主治医でも家族でも友達でも会社の苦手な人でも、同じようにあります。
私が最も信頼できるのは友達という存在でしたが、今は彼女たちとこあいだにもごく薄い紙が介在しているように感じるんです。
透けるほど薄い紙なのに、今までと比べると大きな隔たりがあるような。
見捨てられるのが、怖いんだと思います。以前は、友達に対してだけは(本当に親しい友達のことです)見捨てられる、という思いはなかったのに。
入院は、おそらく、一ヶ月後くらいからになるはずです。
頑張ります。
きっとその前に何らかの質問をしてしまうと思いますが…。

本当に本当にありがとうございます。
頂いたコメントは過去のぶんも含めて毎日読み返しています。

お礼日時:2015/10/19 13:02

お礼ありがとうございます。



>やっぱり、ものすごく、希死念慮が強いです。一瞬浮上したように思えたのは、気のせいだったのでしょうか、、、。
少し私の事を書こうと思います。

私の希死念慮について。
幼稚園の頃から、そういう気持ちがありました。
それは、受け止めてくれる存在を探している行為だったように思います。

これって、一度考え出すと抜け出せない。
死んだ後の事を想像してるとも言えるかもしれません。
本当に死ねば、何もなくなる(無になる)のかもしれません。

私の孤独というのは、
おそらく誰も知らないし、理解されることも、気づかれることもない。
それは、どんなに開ききった心で相手に伝えても、伝えきれるものじゃない。
そして何より、相手に理解されるものでもない。

でも、心の中では理解されたいと思ってる。受け止めてほしいと思ってる。
死ねば、私が生きてきた痕跡が残る。
その痕跡を見つけてほしいという思いがあるのです。
すなわち、死んでからの自分を想像している。

あるいは、苦しみに満ちた自分から、何もかも消しさりたい。
無になって、その苦しみが消えるなら、その方が楽だと思えるほどに。

現実からの逃避のための希死念慮。
死を想うことが、自分を保つ唯一の方法だったから。
死を想う事、それは、何者も寄せ付けない自分の世界にこもり、
心閉ざすことで、生きる希望が死ぬことだと思い込ませたかった。
そうすることでしか、自分を保てなかったからだと今は思います。

約30年の時を経て、
自分の希死念慮が、なぜなくなったのか。それは今でもよくわかりません。
ただ、精神を病んだことで、気づきに変わり、冷静になれたからだと思っています。
精神を病んだことは、私が生きていく上で必要な事だった。
と考えなければ、説明がつかないのです。

さて、私のことはこの辺で置いておきます。機会があれば、また書くかもしれません。

>この言葉の一部を変えるということですよね?
>「普通に」の部分でしょうか?
>私は、適当に過ごして、適当に働けるようになりたいと思っています。
なかなかの考え方です。そういう考え方もアリだと思います。
今のあなたには、その方がしっくりくるように思います。

ちなみに、
>私にとって、頑張ることは普通に過ごすこと、普通に働くこと、なんとか1日を終えること
私が変える部分は、1か所だけです。
先の回答にも書きましたが、あなたが良くなればわかると思います。
あえて、答えを書かないのは、あなた自身でその言葉の大切さを感じてほしいからです。
『ある言葉」というのは、とても素晴らしい言葉ですよ。
このサイトの人生相談のカテゴリーに質問する人の大半が理解できないし、
その意味すら解らないと思います。
『これって、普通の人では、なかなか到達できない考えなんですよ。』
と書いた私の真意もそこにあります。

あなたに『その言葉』が理解できれば、
その頃には、ここに書き込まれていないかもしれません。
あるいは、私のように、回答者側におられるかもしれませんね。

>今は、とにかく自分が劣っている気がするので、100%でやっても劣っているような、そんな気がしてしまうんです。実際、劣っているんです。
少なくとも、どこも劣ってないですよ。生きるという意味において。
『私にとって、頑張ることは普通に過ごすこと、普通に働くこと、なんとか1日を終えること』
これを言える事は、とんでもなくすごい事なんです。あなたはまだそのすごい事に自分で気づいていないだけです。

追記
私の人生において影響を与えた本・映画です。
興味があれば、一度見るもの良いでしょう。
・二十歳の原点・高野悦子著
・17歳のカルテ・原作スザンナ・ケイセン(DVDで見ています、)
・学校・山田洋次監督(DVD)
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
これで、この質問は閉めますので、あと一度、答えていただけたら嬉しいです。

私がいなくなるとみんなが幸せになる。
…という、世界で生きていかなきゃいけない理由はなんなんでしょうね?
想定内でしたが(だから入院は会社の籍が完全になくなってからにしようと思っていたのですが)、新しい人に引き継いだ仕事に小さなトラブルがあり、久しぶりに出社しました。
「私がいなくなるとみんな幸せになる」というのを改めて実感してしまったんです。
やっぱり私には選択肢がもうありません。
通院や入院にも罪悪感を感じます。
私よりもっと必要な人がいるのでは?
例えば、通院や入院で回復したら、もっと人や世界に貢献できる人が。
私は、きっともうできません。
会社を辞める決断をした頃、はっきりと「存在が迷惑だ。あなたが会社にいることがリスク」と言われたんです。
かつて、うつ病を患ったことがある上司で、「自分の時は、ベッドから起き上がることができなかった。あなたは、出社することができるし、重症ではないはず。だから、休職してもらうわけにはいかないし、だからと言ってそういう人をクライアントの前に出していることは会社としてリスクだし、迷惑をかけているという自覚はあるか?」と。

事実、私が辞めた後のあそこは、平和に見えました。私の存在がいけなかったんだと実感しました。
ごめんなさい。こんなこと書いて。

本当に本当に本当に、とても。
感謝しています。
ありがとうございました。

お礼日時:2015/10/15 21:18

質問への回答ありがとうございます。


自分の感性、心、気持ち、あなたの感性、心、気持ち、
それは、心の会話。
私にとって、生きている事への確認でもあります。
あなたから見て、会話と認識してくれたことを嬉しく思います。

さて
>私にとって、頑張ることは普通に過ごすこと、普通に働くこと、なんとか1日を終えること
これって、普通の人では、なかなか到達できない考えなんですよ。
この文章の『ある言葉』を変えたものが、今の私にとっての生き方なんです。
そのある言葉は、今は秘密です。ですがあなたならおそらくわかるようになるはずです。
※カンが良ければ今のあなたでもわかるかもしれません。

>治療をする。それを頑張ろうと思うんです。
一歩を踏み出せば、あとは流れのままに身を任せればよいでしょう。
あまり気負わずに、ゆっくりとあるままに進めば道は開けると思います。
立ち止まってもいいし、振り返ってもいい、
あるがままの素直な気持ちでいる事が大切ですから。


>命がなくなるかも、生きたい。…と思ったことがあるので、死にたいと思うこと自体が罪悪感があります。でも、、、それも受け入れられるようにならないといけないのかもしれないし
いろいろ考えているみたいですね。
そういう考えられる心の余裕って、結構大切なことだと私は思います。
やっぱり、主治医が復帰されたことが大きいのでしょうね。
この質問を書かれた時と全然違いますから。
私としても、安心感がありますね。

でも、不思議ですね。
あなたの質問文やお礼文を読んでると、
まるで昔の私の日記を読んでるみたいな気になるんですよ。
生きる事とか死ぬこととか、
私は、日記という形で自分の気持ちや考えを書きましたが、
あなたにとって、ここに書き込むことが、
『生きている自分』への確認なのかもしれないですね。

最期に
入院という大きな決断は、あなたにとって意味のあることだと私は思います。
経験と体験、そしてあなたの心と感性は、何かを感じ取れるはずです。
大切なのは、自分の心で感じる事。
ありのままの素直な心で生きる事。

あなたの苦しみやつらさが少しでも改善される事を願っています。

『ある言葉』の意味が、あなたに解ると嬉しいですね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
こういう風にここで会話ができることにとても感謝していますし、癒されているし、生かされていると思うんです。
でも、現実の世界でそういう関係が結べないのは、
私に非があると思うんです。
私がいなくなれば、周りのみんなが幸せになる、という思いは子供の頃から消えません。
闇の星空さんも以前、子供の頃から希死念慮があるとおっしゃっていましたよね。(記憶違いだったらごめんなさい)
やっぱり、ものすごく、希死念慮が強いです。一瞬浮上したように思えたのは、気のせいだったのでしょうか、、、。
>頑張ることは、普通に過ごすこと。普通に働くこと、、、、。
この言葉の一部を変えるということですよね?
「普通に」の部分でしょうか?
私は、適当に過ごして、適当に働けるようになりたいと思っています。
適当って悪い言葉のようですが、誰かが適切な場所に適切な力を使うという意味もあると言っていた記憶があります。
そうできたらいいな、と思ってるんです。
今は、とにかく自分が劣っている気がするので、100%でやっても劣っているような、そんな気がしてしまうんです。実際、劣っているんです。
やっぱり今日はダメなんだと思います。
消えてしまいたい。

でも、消えるってできないんですよね。
例えば自死できても、遺体は確実に残って。
消えるってできないんですよね。

いつも本当にありがとうございます。

お礼日時:2015/10/12 22:10

お礼ありがとうございます。



少しホッとしました。
正直なところ、この質問文を読んだとき、
本当に心配だったんです。
精神の極限状態に見えましたから。

以前(過去)の私の、もはやどうにもならない精神状態とそっくりでしたので、
どうやってここに書き込むべきか悩みました。
届かない思いを書くべきではない事だけは解りましたので、
現実問題としての対処法を書くしかなかったのです。

その思いが、あなたに伝わるかどうかさえ確信が持てないほど、
悩みました。


さて、私の事はこの辺で一旦、置いておきます。


>でも、あんまり依存もしたくないので、、、。セーブはしたいと思うんです。
>やっぱり私はおかしいんでしょうか。
>ある一線を越えると依存しているように思えてしまうんです、、、

精神状態が不安定な時は、拒絶と否定しか出来なくなるものだと思います。
主治医に対して、理解してほしい。と思う反面、理解されるとは思えなかったりするものではないでしょうか。
それも含めて精神疾患だと私は考えています。
言い換えれば、依存することが不安や恐怖だと考えてしまうと言えるかもしれません。

でも、私がホッとしている(安堵している)理由は、
少なくとも、特定の人の前では、依存に対しての壁がない事です。
この事は、あなたの病状改善に大きく影響すると思います。

この質問文を見たときに、もし完全に心が閉ざされた状態であったなら、
私を含めた回答者にお礼がない状態になると思いました。
そうなった時も踏まえての回答でしたので、
お礼文が付いたときは、『まだ可能性は残されている。』と思いました。
大丈夫、あなたは改善できると私は思います。
すぐに良くならなくても、少しづつゆっくりと進めばよいだけです。
立ち止まっても、後ろに戻っても、焦らない事です。
それらも含めてのあなたの人生ですから、光(希望)のない人生はないと思います。




最期に
私からの質問です。答えづらかったら無理に答えなくても構いません。

私の以前の回答も含めて、あなたが私を受け入れてくれたこと。
それは、私にとってもとても嬉しいことですし、私自身があなたに救われているのも事実です。
私には人を救える(助ける)力はないと、自分では思っています。
少なくとも、私自身の精神疾患は、いまだ存在しています。

かなり以前のあなたの質問の回答でshift-2007さんが言った言葉。
『質問者にとって現時点で本当に役に立つ回答者は元患者です。
けどここにはめったにそんな人はいないです。
ここで元患者を見つけるのは病院で健常者を探すようなものです。
元患者がいない理由は2つあると思います。
元々この病気の完治者が少ないのと、このカテゴリで回答するのが元患者にとっては心の負担になるからでしょう。』

私は元患者ではなく現患者です。ただ『緩解』に近い状態ではあります。
shift-2007さんが思っている元患者というのが、緩解に近い患者=元患者を意味するのか解りませんが、
私自身、このカテゴリーで回答するとこが心の負担になると思ったことはありません。

自分の歩んできた人生において、精神疾患(言い換えれば精神的に弱い)が、私にとって必要な事だったと今は思っています。
それは、自分の精神状態において、精神が弱い事に依存しなければ生きていけない(現在でも)からだとも言えます。
でも、こんな私でも、健常者から見れば普通である(普通にしか見えないと大半の人から言われます)。らしいのです。

あなたにとって、私の回答(意見・思い)というのは、本当に役に立っているのでしょうか。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
まずは質問に答えます。
いただいている言葉は、役に立っている、という言葉以上に今の私を救ってくださっています。
主治医よりも、まわりの誰よりも私の素直な気持ちを話している気がします。
本当に、ありがとうございます。
ここで会話をしているように、主治医にも心を開いてきちんと話そうと思うんです。
それがどうなるかは分かりません。結果、心なんて開くべきではなかったと思うかもしれません。可能性としては、そういうこともあり得ますよね。
でもきっと、、、それでいいんですよね。やってダメならまたやり直す、、、。そういう風に生きていく、で。
今日も変わらず、死にたいと思ってます。
命がなくなるかも、生きたい。…と思ったことがあるので、死にたいと思うこと自体が罪悪感があります。でも、、、それも受け入れられるようにならないといけないのかもしれないし、、、。
うつ病は、二回目で、25歳頃一度めのうつ病にかかりました。薬の大量服用をした時、運悪く当時働いていた会社のクライアントから電話がかかってきました。私の記憶にはないんですが、めちゃくちゃな対応をしたらしく…。当然ですが、その後クビになるのと同然で会社を辞めました。もちろん、それはそれだけのことをしたと思っていますし、最低なことですよね。
あの時、死にきれていれば、、、その後こんなに辛い思いをしなくて良かったのにな、と思ってしまいます。
今回は、絶対にああいうことしない、と決めていました。でも、苦しいままなんですよね。
でも、助けてと言おうと思うんです。
頑張って治療を受けます。私にとって、頑張ることは普通に過ごすこと、普通に働くこと、なんとか1日を終えること、でした。
でも、治療をする。それを頑張ろうと思うんです。
いつもありがとうございます。

お礼日時:2015/10/11 23:49

元々は海外にも仕事で行っていたくらい頑張っていたんですね。



頑張りすぎたのかもしれませんよ。
いまの教育は競争を強いるものが多く、学校の友達も敵と思えてしまうほど、
気持ちの休まらない窮屈な状態の中で頑張り続けなければならない。

社会に出ても味方より敵が多いと感じてしまったり、
仕事量が自分のキャパシティを超えるような状態を強いられると、
どこで立ち止まったらいいのかわからなくなってしまいますよね。

真面目で頑張り屋さんほど、精神的疲労は溜まりやすくなってしまいます。
脳が、それを危険と判断して休養をうながすのが、
精神的疲労による障害として現れることが多いですね。

やっと立ち止まれたんです。

まずは、辛い自分の味方に自分がなってあげてください。
傷ついた人に話しかけるように、「どうしたの?」「何があったの?」
と声を掛けてみてください。
そして自分の気持ちを自分に打ち明けてみてください。

その後「どうしたい?」と聞いてみてください。
答えは自分が知っているはずです。

精神的疲労からくる不調は対人関係が影響していることが多いです。

子供のころから「早くしなさい!」とか「何でできないの!」などと
厳しい指導をされてしまうと、ヒステリックになりやすく、
精神的にも過敏になりやすくなってしまいます。
戦いのイメージが多くなり、勝つか負けるかの意識が強くなっていきます。

7歳くらいまでは自分の親から、それから先生や友達の親など外の大人たちから
影響を受けて、指導の受け方、指導の仕方を学び、
13歳くらいまでに一応自立した自分を作り上げます。
それから難問にぶつかるごとに、自分の対応を改善していきます。

子供のころの周囲の指導者と自分の関係はいかがでしたか?
頑張りすぎることがクセになっていませんか?

http://www.egogram-f.jp/seikaku/sin-d.htm
↑エゴグラムという自己分析です。
分析よりも気になる質問を書き出すことが重要です。
質問の中で、直したいと思う項目を書き出してみてください。
(実際のエゴグラムの質問を例にして説明すると)
会話で感情的になることは少ないですか?という項目に、
現状の答えは、はいだけど、いいえと答えられるように成りたい。
というように、回答に悩む項目を書き出していきます。
書き出した項目を読んでいると、どんなことに気をつければいいか、
明確な目標が見えてきます。

明確な目標を紙に書いて、毎日読み上げていると、効果は大きくでます。
数ヵ月後にまたエゴグラム分析をすると、結果が変わっていて、
自分の変化に気づけます。
無理せずに続けられる自己啓発の方法ですので、
ゆっくり、じっくり、やってみてください。

嫌なイメージが頭から離れないときは、イメージの中で電車に乗って
景色を眺めるようにそのイメージを見てみます。

電車が通り過ぎれば景色は変わりますから
自分の好きな景色を描いて、そこに降りましょう。

後方に嫌なイメージが残っていても、そのうち消えちゃいます。

素敵なイメージがいっぱいできるといいですね。

自分は一番の自分の味方でいてあげてください。
頑張り過ぎないようにしてくださいね。
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お礼ありがとうございます。



>私は精神を病んでいるのかな…。
>生まれつきのような、そんな気もするんです。
普通の人の場合だと、いい気付き。と言えるかもしれません。

精神を病むというのは、ある意味証明できないものだと思います。
見えない部分ですから、どう考えて、何を思っているのかわかりませんから。
そういう方面の回答は、他の健常者さんに任せるとして、
少なくとも、ある物事(考え)に固着してしまう。
その事によって、日常生活に支障があるのなら、私は精神を病んでいる。と思います。

生まれつき精神を病んでいる人はいないはずです。(先天性の障害をもって生まれた場合は除く)
少なくとも、0歳-1歳児で精神疾患というのは例がないと思います。
4歳児くらいからは、病まではいかずとも、自我が芽生え周りの環境を理解し始めますから、
心身の不調が現れると思います(私もこのころから死にたいという気持ちがありましたし)。

・・・・・これ以上書くと専門書みたいな回答になりそうなので一応ここまで。(興味があれば、調べればわかります。)



>自分の中に自分が2人いる感じです。
>精神を病むってなんなんでしょうね。

精神を病む事の一番の問題点は、周りが見えない事なんです。
例えば、『死にたい。』『自虐行為』に思考がロックされてしまう。
思考のロックがかかれば、どうやっても自力で抜け出せなくなります。
ただ精神としては、このまま死なれては困るので何とかしようとするわけです。
そこには、精神の葛藤があります。
『生きていたい』『救われたい』という思考を作り出すという行為に奔走します。
ですが、肉体は1つしかありません。しかも根底の精神『死にたい』がロックされている以上、入る隙がありません。
となれば、もう一人の自分を精神の中で作り上げて保とうとするわけです。
漫然な自傷行為なんかもその例だと思います。
ただこの精神の自己防衛反応のもたらす行為というのは、最初に病んだものとは別のものですので、
記憶の中で、自分が2人いる。という状態を作り出します。

こういう状態になってしまえば、改善は非常に困難を極めます。
いわゆる、病理と症状、気質・性格・人格が完全に固着してしまうからです。
そうなると通院ではどうにもできません。
入院して、
最低限として、投薬を見直し、問診を重ねてあなたの固着した思考を1つずつ解きほぐしていく、
という方法になると思います。

>主治医だって、本当は陰で私のことを笑っているのでは?そんなこと思ってるひとに心なんて開かない。、、、と自分の中で全てが完結していってる気がするんです。
見事なくらい固着してしまっています。
これがあなたのここ最近の書き込みで、前に進めない原因の1つなんだとおもいます。(少しだけ理解できた気がします。)
本来なら、主治医との関係性を築いて、固着した思考のロックをはずすことが可能なのですが、
あなたの思考のロック状態は、主治医にまで及んでいる。だから投薬の変更もできない状態なんだと思います。

入院すれは、主治医を信じなくとも、強制的に薬をのまされます。
投薬の変更や増減も、あなたの表情や態度、入院生活の監視により、決められます。
つまり、あなたが主治医と向き合わなくても、強制的にそういう治療方針がとれるわけです。
これは、大きな意味を持ちます。投薬により、あなたの症状に変化が必然的にあるということです。
症状が収まってくれば、心の余裕が生まれます。
その状態までいければ、主治医との関係性も持ちやすくなるのではないでしょうか。

最期に
あなたに、生きたい・救われたいという気持ちがあるなら、
そして入院まで行動ができるのなら、
入院時に、質問文・お礼文を印刷して渡しましょう。(主治医でなくてもナースステーションで渡してもよいでしょう)
あなたに楽な気持ちで生きたいという思いがあるのなら、
自宅にタクシーを呼んで入院先の病院まで直行してください。
冷静になれない場合は、救急車を呼んで、死にたいと伝え、緊急入院先まで連れていてもらえれば確実に入院できると思います。

変えなきゃ何も進めない。
でも変えることができない。=思考のロックと気質・性格・症状の固着
これは、主治医や医療のサポートなしでは困難です。

私としては、あなたの苦しみを少しでもよいから、楽になる事を書いたつもりです。
少なくとも、このままあなたが死を選ぶか、苦悩し続ける姿は見たくないのです。
私の言葉が、あなたにとってどこまで信頼してくれているのか解りませんが、
ここに書き込まれたあなたの過去を含む質問文・お礼文に対して、
あなたの気持ちは、あなたのありのままの気持ちであると、私には思えます。

私にそう思わせる、気持ちやつらさがここまで書けるのであれば、あとは、それを開放するだけです。
もし、私の回答に、あなたが不信感や探りを持っていたとしたら、私はおそらくここまで回答することはなかったように思います。



今日は、一端この辺で・・・。
※疲れているのか予定より眠剤が効き始めるのが早いようで、思考が回らなくなってきました。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
やはり、入院をと考えています。
今仕事には行ってはいないのですが、有給消化で会社に籍だけがあります。それがもう間もなく終わるので、それが終わったら入院、と主治医と話しました。
主治医。休診してた主治医が復帰し、久しぶりに主治医の診察を受けたんです。
やっぱり多くを1から話さなくても分かってくれる主治医の存在は大きいな、と。ずっと呼吸が浅くて息苦しかったのが診察後呼吸が楽になったんですよね…。
実は、他の病院に行ってみましたが(全ての事情を
話してセカンドオピニオンという形で自費で診察を受けました)、やはり今のクリニックに通うことにしました。そして、間もなく入院するかと…。
これまで、どんなに主治医に入院をすすめられても拒否し続けてきました。それは、主治医の
言葉がすっと入ってこなかったからです。でも今回は素直にそうなのかな、と。

そして、いつもすっと入ってくる言葉をくださる闇の星空さんも入院をすすめてくださいましたもんね。
いつも私の心には何を言われても「でも」という言葉が浮かんでいたんですが、それが少し減ったような、、、。
今回の診察は、主治医が戻っていると知らなかったので事前の用意は何もできなかったのですが、次回はこの質問をプリントアウトするとか、少しずつ心を開いていけるようにしたいと思っています。
でも、あんまり依存もしたくないので、、、。セーブはしたいと思うんです。
やっぱり私はおかしいんでしょうか。
ある一線を越えると依存しているように思えてしまうんです、、、

わけのわからない感じでごめんなさい。
本当にありがとうございます。

お礼日時:2015/10/10 10:12

おじさんです。


多分、地道な苦労の積み上げをしなこなかったのかもしれませんね。
楽なことばかりしてきたのでしょうか。
生きるためには、小さなことを大切にしていきたいですね。
朝起きて、背伸びをし、今日も健康に起床できたことに感謝する。
歯を磨き顔を洗って髪を整える、そういう小さな一つ一つを丁寧にしましょう。
朝食のネギの入った暖かい味噌汁の美味しさに感謝をしたいものです。
小さなことを丁寧にやらずに、面白いことを追いかけても楽しい毎日にはなりませんね。
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この人(質問者)にとって解決ってなんだろう


ストレスのない世界を望んでいるならこの地上にはないよ
この人に限らずこのカテの質問者たちは致命的に何かを勘違いしている気がしてならないのだよね。
ホント致命的に・・・

私から見ればこのカテの質問者達に欠落しているのは哲学と宗教だよ
だから自分という人間の扱い方を知らない
それ以外言いようがないね。
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まず、病院に行く。


そして、ありのまま話す。
出来れば入院する。

結論と解決だけを書くならば、それしかないと思います。

少なくとも、今のままでは何も見えないのではないでしょうか。
心というのは、常に自分に素直であろうとするものだと私は思います。
『死にたい』という気持ちは、今のあなたにとっては正しいのです。
『生きたい』という気持ちは、未来が見える人にしかありません。
『生きていたい。』という気持ちは、あなたの希望(願望)であり、あなたの精神を超えた魂の気持ちです。

>この先、もっと悪いことがたくさん起きる、その前に死ななくては、と。どのみち、私には耐えられないから。
未来が描けない。
だから『生きたい。』と思えない。
『死にたい。』と思い『生きていたい。』という希望を持っている、
と言えるのではないでしょうか。

少し現実身な書き方になりますが、
ここ最近のあなたの書き込みを見ていると、
『出来ない。』という事から動けないように見えるのです。
それがなぜなのかまでは、今の私には知るすべがありませんが、
少なくとも、大きく環境を変えない限り、『生きたい。』(※意味は前述)には、たどり着けない気がします。

自分の殻の中の心地よさに浸ることでしか、日々生きられないようにみえるのです。
『心地いい。』という言葉に反感を持たれるかもしれませんが、
死を思う事は、心地いい事なのです。
現実逃避の一番楽な方法は、死を思う事だと私は思います。
以前にも書きましたが、私自身、幼稚園の事から自殺願望(死にたいと思う)がありました。
それは、死を思う事が、自分にとって心地よかったからだと今は思います。

その心地よさは、あなたの未来(希望)を消すためのものなのです。
言い方を変えれば、精神を病む事によって引き起こされた、思考のロックなわけです。
思考のロック(あるいは思考のループ)という言葉の真意を知ったのは、
私自身も最近になってからなのです。
数年前、症状が極度に悪化して、予約外診察を受けた日。
その2週間後の診察日、症状はだいぶ良くなっていました。
その時に主治医が言ったのが、『思考のループがだいぶなくなった?』だったのです。
その時私は、思考のループが、『死にたい』という気持ちをロックするのだと気づきました。
それから自分の事を冷静に考えられるようになっていったのです。

今ループにはまろうとしているな。という感覚が解るようになり、病状が急変する前に対処できるようになったのです。

あなたには、そういう『気づき』が必要だと思います。
それは、ループに固定された今の状態では、どうやっても無理な事です。
だから、環境を変える(できれば入院する、いわゆる日常と隔離された状態)が必要なのではないかと思うのです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
もう、入院なんだろうな…と思い始めました。本当に、このままよく分からないままに自分を傷つけることを辞められない気がするので。
おっしゃる通り、私は死にたいという感情の中にいるのが心地いいんだと思うんです。心地いいという言葉が一番合っているのかは分かりませんが、、、。私は私に死にたいと思わせたいし、苦しめたいし、一生そこにいろと思っているんです。
でも。
反面、救われたい、楽に生きたいと思っている私も確かにいるんです。
だけど、周りの人は「前者の私」につくだろうな、、、と思っていて、周りも信頼できないんです。
主治医だって、本当は陰で私のことを笑っているのでは?そんなこと思ってるひとに心なんて開かない。、、、と自分の中で全てが完結していってる気がするんです。
自分の中に自分が2人いる感じです。
精神を病むってなんなんでしょうね。
私は精神を病んでいるのかな…。
生まれつきのような、そんな気もするんです。

お礼日時:2015/10/08 21:40

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