ソクラテス側にも、豚の快楽なんてろくでもないよね、と対抗している時点で、少し嫉妬交じりの感情が混ざっているわけですし
豚からしたら、ソクラテスが何を言おうと「それでも別に良いや俺幸せだし」と開き直られたら、ソクラテス側は負けてしまう気がするんです
「はいはい頑張って他人にも良いような行いしてね、俺はそれをどんどん消費するからね」と言われたら、なんかとてっても悔しいですし、それでも続ける気になれないのではないかとおもうのです、よっぽどの人で無いと

屁理屈に負けてしまいそうなんです・・・

https://oshiete.goo.ne.jp/qa/8641327.html
(回答番号15への質問者のコメント)

*** *** *** *** ***

教えて!gooで数数の名言を読んできましたが、これはベスト5に入る内容だと私は判断します。ちなみに私は回答番号17,23で参加してゐます。また私なら回答番号21をベストアンサーにします。

「不満足なソクラテス」による生産的議論、「満足した豚」の消費的理論、どちらを支持するか見解が大きくわかれるのはなぜですか。

質問者からの補足コメント

  • つらい・・・

    匿名の通報は困る、と書いたばかりなのですが、さつそく削除通知が届きました。ほんとうに困つたものです。特に今回は率直なご意見をうかがひたいと願つてをります。さきほど回答番号15として投稿してくださつた方には、お詫び申し上げます。

    No.9の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2015/10/09 22:49
  • うれしい

    豚の屁理屈が成立する要点は「豚には責任がない」といふことです。怠惰であつても、言ひたい放題、やりたい放題であつても、自分自身何も困ることがないのです。必然的に満足します。ところがソクラテスには責任や使命感があります。だれかが成し遂げなければならないときに、豚とソクラテスが存在した場合、豚は動きませんから、豚の分までソクラテスが働きます。

    生産的議論は消費的理論にはかなひません。ただのきれいごとに見えます。私がQ&Aサイトにおいてアホであることを正直に認めるのは、この「満足した豚理論」の応用です。賢い人にはさまざまな要求がなされますが、アホは何もできなくて当然です。何の負担もありません。何を言はれやうとも気楽です。

    No.24の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2015/10/10 18:41
  • どう思う?

    回答番号50のコメントは、共産主義の欠陥でもあります。といふより、共産主義ではさらに大規模な問題となります。富は、働いて働かなくても分配される、極端な表現ではさういふことです。資本主義だからこそ、今の状態で済んでゐる、といふだけのことです。共産主義とはまさに「人間とはどうあるべきか」に立脚したきれいごとに見えてしまひます。

    No.50の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2015/10/14 17:39
  • うれしい

    質問文の中に公約いたしましたとほり、このたびは回答番号21をベストアンサーといたします。

      補足日時:2015/10/14 23:06

A 回答 (58件中1~10件)

度々お邪魔しますよ^_^


(まさかgood数にそんな訳があったとは気づきませんでした。)
さて、私は 哲人vs家畜 論争に終止符を打つべく再参しました。

知恵の深浅で、人格の高潔さは測れない。
満足の大小で、人生の意義深さは読み取れない。
本当の意味で賢く、また本当の意味で満ち足りているとはどういうことなのだろう?
この問いに寄り添うことが、人にしか成せぬことなのではないでしょうか。

自称豚氏であるか、哲人であるかは表面的なことであり、根っこを掴むなら何方も人である訳です。互いの有利な点を除去すれば、本当の人の姿に近づけるのではないかと思いましたよ(^_^)
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この回答へのお礼

>自称豚氏であるか、哲人であるかは表面的なことであり、根っこを掴むなら何方も人である訳です。

おつしやるとほりと存じます。やはり「人間とはどうあるのか」が、哲学として問ひつづけるものだと思ひます。

長らくお付きあひいただき、ありがたうございました。

お礼日時:2015/10/14 23:04

もうやめ。

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この回答へのお礼

はい、承知いたしました。議論をしたいとおつしやる方もお出でにならないやうですので、そろそろ締切ります。ぶらげろさんをはじめ、みなさまありがたうございました。回答番号32のコメントに記載しましたとほり、今回のベストアンサーは、選択方法を公開し、それにしたがつて決定いたします。

お礼日時:2015/10/14 23:00

★ (№50補足欄) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


 回答番号50のコメント(=№50お礼欄:なぜ自分がひとの分まで仕事をしなければならないのだ、といふ疑問です。)は、共産主義の欠陥でもあります。といふより、共産主義ではさらに大規模な問題となります。富は、働いて働かなくても分配される、極端な表現ではさういふことです。資本主義だからこそ、今の状態で済んでゐる、といふだけのことです。共産主義とはまさに「人間とはどうあるべきか」に立脚したきれいごとに見えてしまひます。

 ★ (№53お礼欄) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 共産主義に関しては極端な言ひ方をしましたが、要約としてまちがつてゐるとは思つてゐません。

  >生産力の爆発的な発展があって それだけの生産品があふれているというわけのようです。

 ただの夢物語です。しばしば指摘されることですが、マルクスの発想は聖書のパクリです。歴史観はまさにそのとほりですし、「生産力の爆発的な発展」は神の国の楽園です。神を否定しておいて、楽園がやつてくるはずはありません。「受け取る」ことが約束されてゐるなら、働かうが働くまいが同じことです。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ わたしは マルクスの思想について 暴力革命を必然と見るところで――つまりは 人殺しを是認せざるを得ないと見るところで――お呼びでありません。
 
 ただし マルクスに関するかぎり その史的唯物論としての理論は 理論武装がかなりしっかりと出来ているはずです。
 ここに見られる《共産主義》観は ただの傍観としての誤解をまじえた一コマ一コマです。

 だって すでにいま現在でも 食糧は 世界全体で有り余っているのではないのでしょうか。配分がうまく成されていないだけなのでは?


 ★ 神を否定しておいて
 ☆ それは 第一に《観念の神》をでしょうし 第二にもクリスチアニズムの《有る神》を否定しただけです。つまりは 《無い神》を 暗黙のうちに立てていると言ってもよいはずです。
 ▲ (マルクス:ヘーゲル国法論批判) ~~~~~~~~~~~~
 へーゲルは国家から出発して人間を主体化された国家たらしめるが 民主制は人間から出発して国家を客体化された人間たらしめる。
 宗教が人間を創るのではなく 人間が宗教を創るのであったように 体制が国民を創るのではなく 国民が体制を創るのである。

 民主制と他のすべての国家形態との間柄は キリスト教と他のすべての宗教との間柄のようなものである。
 キリスト教は勝義の宗教 宗教の本質であり 神化された人間が一つの特殊な宗教としてあるあり方である。
 同様に 民主制はあらゆる国家体制の本質であり 社会化された人間が一つの特殊な国家体制としてあるあり方であり それと他の国家体制との間柄は 類とそれのもろもろの種との間柄のようなものである。
 ただしかし 民主制においては類がそれ自身 実存するものとして現われる。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



 ★ 共産主義とはまさに「人間とはどうあるべきか」に立脚したきれいごとに見えてしまひます。
 ☆ 《無い神》に〔無根拠という〕根拠を置くのであるかぎり 《人間存在についての当為論》からは自由であるはずです。


 歴史を《楽園から楽園へ》と経過して行くものとマルクスが見ていると捉えているようですが それは違います。
 少なくとも モノの自己運動が はたらく人間をつうじて生産のチカラとなって行くと見るかぎりで 人間が社会をつくって行くと見ているはずです。最終の到達点が 《楽園》であったとしてもです。

 モノの自己運動は 資本主義となって あらゆるものを商品と化しつつ 人間とその互いの関係をも商品どうしの関係のごとくにしてしまう。商品の象徴としての貨幣の自己運動のごとくに 人間とその生活をつくり変えてしまう。

 人間たるワレは おカネの自己増殖の運動と化してしまう場合がある。ひとの物象化である。
 しかも このおカネの自己運動としての物象が 人格化するとも言われます。

 マネーあるいは資本が ムッシュー・キャピタルとして人のかたちを採って――《神の子の肉化》のごとく――この世に現われ世界を歩き回る。
 資本という名の物象が 安倍晋三という人間あるいはシーチンピンなる人間のかたちを採って 人格を持つに到る。

 こういった過程をゆくというのが 唯物史観の説くところでした。
 これは そういった資本主義社会という現実が《夢物語》ではないところに そうであるがゆえに・つまりあまりにも過酷ゆえに その先に《楽園》に見えるコミュニズム社会を描いたのかも知れません。
 《きれいごと》を 単純に描いたとも思えません。


 
 マルクスの思想とマルクシズムとは 別だということを 言わずもがなのことでしょうが つけ添えました。
 マルクシズム――いろんな派生物があるでしょう――を批判したって たいしたことではないでしょう。

 そのツテでかんたんに言いますが 《不満足な》と《ソクラテス》とをつなげるなら それ相応の説明を必要とするのではないか。ソクラテスは そんな単純ではないはずです。
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この回答へのお礼

みなさん引用文の出典を明記してくださらないので困つてゐます。『ヘーゲル国法論批判』は真下信一訳(国民文庫52,53ページ)がほぼ該当します。これまで何度も書いてきましたが、出典記載のないものはウケウリにすぎず、読んでゐないものとみなしてゐます。(引用文の使ひ方で、これは読んでゐる、と判断できる場合もありますけれど。)

私は他人の解説書を読むのが好きではありません。時間がもつたいないと思ひます。ただし、先に聖書を読んでしまふと、それを基準にしてマルクスを判断するといふ先入観はあると思ひます。したがつて

>暴力革命を必然と見るところで――つまりは 人殺しを是認せざるを得ないと見るところで――お呼びでありません。

といふ部分も聖書のハルマゲドンだと解釈します。ねこひこさんやddtさんからは叱られさうですが、アウグスティヌスのぶらげろさんから批判されるとは思ひませんでした。

>すでにいま現在でも 食糧は 世界全体で有り余っているのではないのでしょうか。配分がうまく成されていないだけなのでは?

これこそが夢物語ではないのですか。配分できないのは、人間の本質にもとづくのではありませんか。

>第一に《観念の神》をでしょうし 第二にもクリスチアニズムの《有る神》を否定しただけです。

これは同意です。あまがつぱさんへのコメントに書きましたが、完全に否定したとは思ひません。このあたりはニーチェと共通するものがあります。

>歴史を《楽園から楽園へ》と経過して行くものとマルクスが見ていると捉えているようですが それは違います。

学生のころ、民主青年同盟の人たちからもそんな反論を聞きました。私にはそのやうな枠組みのなかで理論をこねくりまはしてゐるとしか読めません。

お礼日時:2015/10/14 22:30

お礼ありがとうございます。



>肩に力が入りすぎのやうに感じます。

お気遣いありがとうございます。

おそらくは、心配無用です。
自分ペースで、楽しく生きていますから。
プラポチさんから見ると、そう見えるだけだと思います。

生き方は、人それぞれですからね。

心身にお気をつけて、楽しく過ごされますよう願っています。
では。
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この回答へのお礼

ご丁寧にありがたうございます。律儀なkanto-iさんらしく感じます。「心配無用」ならよろしいのですけれど。食事をして風呂に入つてきました。パソコンを覗くと、ぶらげろさんからも回答がありました。それを見て気づいたのですが、回答番号55の「少し分量が多め」の本は『ヘーゲル国法論批判』でした。『ヘーゲル法哲学批判序論』はペラペラです。

お礼日時:2015/10/14 22:02

お礼ありがとうございます。



>共産主義の失敗の原因のひとつであると思つてゐます。

共産主義の敗因の一つは、蓋を開けたら資本主義だからだと思います。

マルクスは、経営者(資本を握り、特権を持ち力を持つもの)が
自分のいいように振る舞い、尊大で横暴なのを許せないので
マルクス主義を考え出しました。

その頃、あの国には経営者は多く居ました。

今は指導者と言う経営者が、国と言う最大資本を共産主義と言う
ベールで隠してやっていますから、マルクスとは真逆です。

表立っては共産主義ですから、資本主義に有るルールは作られず
マルクスが問題視した物をそっくり国と言う最大規模でやっています。

国の金は他人のふんどしです。
しかも、いくらでも搾り取れて、いくらでも規制できる立場です。

基本的人権が規制されるほど、人間は進歩しません。
中国の台頭は、人民服を辞めて自由をある程度増やして行ったからです。

マルクスは、民衆の平等を願いましたが
民衆の自由を打ち出した方が良かったことに気がつきませんでした。
時代のことですから、そうなったのでしょうが
学識の有る指導者も簡単に欲にかられる事が念頭に無かったのでしょう。

共産主義は、そういう二重構造ですから
指導者(支配者)の考えを超える人は出ません。
個人に自由な創造を持たせる事が国を発展させます。

同じく、親が規制(あれやれこれやれ、あれやるなこれやるな)で
育てたら、親を越えられません。
親より良い人生をと考えいじくるほど、しょぼい人生になる確率が上がります。

個も集団も、同じ法則で動きますからね。


私も以前はここに日参していましたが、目的はほぼ果たしたので
最近は来なくなっていました。
いつ全く来なくなるかは分かりません。

この質問が閉められたら、少なくとも当分は見ないでしょう。


あ、豚さんは豚さんでいいですよ。
豚さんを否定しません。
人は、飽き飽きするまで豚さんにとどまります。

真のアリストテレスに成りたい人を応援します。
私は、そっちが好きですから。
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この回答へのお礼

貴重なお時間をさいて何度もおつきあひくださり、ありがたうございます。豚は『資本論』のやうな大部の書は嫌ひです。部分的にしか読んでゐません。読破するには強靭な精神力が必要です。『共産党宣言』はいいと思ひます。薄くて有名な本なら、努力しなくても読んだことを自慢できます。読書効率が高いのは、ぶらげろさんが回答番号10で挙げてくださつた『ユダヤ人問題によせて』も同じです。『ヘーゲル法哲学批判序論』は少し分量が多めです。

>共産主義の敗因の一つは、蓋を開けたら資本主義だからだと思います。

このあたりは、どこに根拠をお持ちなのか私の読書量では判断しかねます。後半は納得です。私としては聖書の歴史観を安易にとりいれただけの骨抜き思想に思へます。

>学識の有る指導者も簡単に欲にかられる事が念頭に無かったのでしょう。

おつしやるとおりです。何度も書きましたが「人間とはどうあるべきか」に立脚したきれいごとの理論です。人間そのものを見てゐません。

>個も集団も、同じ法則で動きますからね。

これはpsytex1さんへのコメントにしばしば書くことですが、個と集団は別ものだと考へます。私はドーキンス派ではなく、グールド派です。

>私も以前はここに日参していましたが、目的はほぼ果たしたので最近は来なくなっていました。

お仕事もありますから、ほどほどにお出でください。私も仕事が優先で、今回はコメントも遅れがちです。Q&Aで精神的、肉体的に疲れて、運転中に事故を起すやうなことがないやうにだけは気をつけてゐます。このサイトはむしろ気分転換が目的です。kanto-iさんの投稿を拝見してゐて、肩に力が入りすぎのやうに感じます。gaituさんもそのやうなことを書いてゐたやうに記憶してゐます。ソクラテス派の特徴なのかもしれませんけれど。

お礼日時:2015/10/14 20:20

こんばんは、ぷらぽてぃさん。


ご返事ありがたう。44番。




【不満足なソクラテス】であることを
選ぶのは、その人間の勝手。

そうして【満足な豚】と自分を比べて
酔つぱらつて気持ちよくなるのも
その人間の勝手。

その人間は勝手に【不満足】
していたらよろしい。

ただしその人間が【不満足】なのは
その人間本人の責任であり
豚には全く関係ありません。


にもかかわらず、
人間のオレ様が【不満足】なのは
おまえら豚のせいだ、



などと呟く人間を






ご愁傷さま、と
哀れに思ふこともありますが、




豚としましては自分の人生(豚生)
を生きることに精一杯ですので、

【不満足なソクラテス】であること
を自ら選んだ人間たちをお世話する


なんてのはオレたちの仕事ぢゃない
んだよね、ぶっちゃけ。




豚も豚なりに自分の人生(豚生)
をするのに精いっぱいですので。



お恥ずかしながら……
と言おうと思ったのですが、


やめておきます。
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この回答へのお礼

neutralingさんからは、しよつちゆう叱られます。ぶらげろさんへのコメントにも記しましたが、おつしやることはよくわかります。今回は議論の対象として取り上げてみただけです。cyototuさんはさすがに鋭い切り口ですし、yy8yy8azさんやa_hona_gooさん、kanto-iさん、ニャンポコリンさんは正統派のすばらしい御意見です。k_jinenさんの提示してくださつた事案は示唆に富むものですし、pikarucheさん、suzumenokoxさん、amaguappaさんは重要な論点を提示してくださいました。psytex1さんとはいつもながら正反対の見解で自分を見つめなほすことができます。miko-desiさんやw_letterさんは新鮮な見方を教へていただいてゐます。ぶらげろさんは、ああ見えて人一倍気遣ひがあります。かざみどりさんが、なつくのもわかります。goodを大量に押してゐますが、何度も読み返してゐるからです。

お礼日時:2015/10/14 19:45

★ (№50への補足) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


 回答番号50のコメント(=№50お礼欄:なぜ自分がひとの分まで仕事をしなければならないのだ、といふ疑問です。)は、共産主義の欠陥でもあります。といふより、共産主義ではさらに大規模な問題となります。富は、働いても働かなくても分配される、極端な表現ではさういふことです。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ コミュニズムは ただの理論です。ですが 理論として・あるいはつまり未来の歴史への展望として 必ずしもそうではなく 次のように考えられました。:

 ▼ (ヰキぺ:ゴータ綱領批判) ~~~~~~~~~~~~~~
  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B4%E3%83%BC …

 資本主義からの移行の直後の共産主義社会の低い段階(* つまり 社会主義社会)では

   「各人は能力に応じて働き、労働に応じて受け取る」、

 そして将来の共産主義社会の高い段階では
  
   「各人は能力に応じて働き、必要に応じて受け取る」(本来はルイ・ブランに由来する表現)

 などの、のちにスターリンが定式化した〈原則〉である二段階発展論を明示した文書と読まれてきた。

 低い段階での記述では「個人は社会から、与えただけ正確に受け取る」と述べている。

 また、資本主義社会から社会主義社会への過渡期における国家をプロレタリア独裁とした。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ 要するに《必要に応じて受け取る》ことが出来るのは 生産力の爆発的な発展があって それだけの生産品があふれているというわけのようです。

 いづれにせよ いまの《満足した豚》の問題とは筋が違うようです。
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この回答へのお礼

共産主義に関しては極端な言ひ方をしましたが、要約としてまちがつてゐるとは思つてゐません。

>生産力の爆発的な発展があって それだけの生産品があふれているというわけのようです。

ただの夢物語です。しばしば指摘されることですが、マルクスの発想は聖書のパクリです。歴史観はまさにそのとほりですし、「生産力の爆発的な発展」は神の国の楽園です。神を否定しておいて、楽園がやつてくるはずはありません。「受け取る」ことが約束されてゐるなら、働かうが働くまいが同じことです。

お礼日時:2015/10/14 19:27

★ (№50お礼欄) 腕のわるい医者だと知つてゐて診てもらひますか。

 
 ☆ 情報(医学知識)は 対称性を成しません。

 ★ 医療現場で悲鳴をあげるのは、責任感があつて高度な技術をもつ医師です。
 ☆ 初めはそうでしょう。それだけです。学習して行きます。

 ★ 金を払つて仕事を依頼するとき、わざわざ仕事のできない人に頼みますか。
 ☆ 情報と知識があれば 仕事できる人に頼みます。

 ★ これが人間社会です。豚は期待されませんし、頼られません。
 ☆ だから 満足した豚なる命題(判断内容)は それだけで完結していると言っています。

 ★ 仕事が減ることはあつても増えることはありません。就業規則や労働組合によつて立場は保障されます。
 ☆ 保障される範囲は決まっています。

 ★ その分のツケをだれが払ふのか、といふことです。
 ☆ この問題が いまの問題なのでしょう。

 これは ちょうど保険の場合に似ています。健康でいられれば 保険を活用することもなく 保険料は掛け捨てになります。
 つまり 言ってみれば ほかの誰かのツケを代わりに払うひとがいるということです。これが 社会性です。共同生活および共同自治です。何の問題もありません。

 かつて生産性の低い余分の従業員をかかえていたのは 或る意味で 国の社会保障を企業が肩代わりしていたとも見ることができます。



 満足した豚が 問題であるのは 国鉄の労組員のかつての振る舞いに明らかです。しかし それが 何かソクラテスをよそおう人間がああだこうだと考え さらには善悪について裁きを下さねばならないというような問題ではありません。断じてありません。そのことを言い続けています。




 《消費的理論》は それとして――満足した豚という何らかの想像によって想定しようと思えば―― 作業仮説としてのごとく成り立つものと考えられます。
 けれども その理論の現実性としての問題は それ自身で完結しています。ほかの人や問題とは 基本的にカカハリを持ちません。

 《生産的議論》というのは それとしてあり得ますが ただそういう――特にあたかも悪人がいるとしてこれを悪人と規定して裁こうとするような――議論は 浅はかな内容しか持たず ましてや 消費的理論と対立するといったしろものではありません。

 満足した豚の消費的理論と もし対立するというのなら 社会の全体がです。人びと一般が対立するのです。
 そして 職場の取り決めや社会の法律にしたがって 処置すればよろしい。

 これだけのことを どうして 問題がほかにあるというように持って行くのですか?




 ★ 私は世の中の仕組みそのものが、豚に有利にできてゐるのではないかと考へてゐます。
 ☆ 《豚に有利に出来ている》といったところも おそらくあるのでしょう。そして 社会にとってそのことは 問題です。
 しかも この《豚》は どうしようもないのだ 人間の手に負えないのだということは 誰もが知っているのです。

 これを社会がゆとりを持って 共生の輪の中に入れてやることは 必要であり肝要です。そういうふうに生きる――何が何でも ともに生きる――というサダメに生まれて来ているのでしょう。
 あるいは ほかにどういう方法があるのか。これを問い求めて行けばよろしい。というだけの問題です。そういう問題提起の仕方をしてはいないでしょう この質問は。



 ◆ 屁理屈に負けてしまいそうなんです・・・
 ☆ という問題ではあり得ません。手に負えない問題だという認識ですが しかもその認識で 互いに共生する存在として社会が全体においてしっかりと取り扱っています。

 ★ 「不満足なソクラテス」による生産的議論、「満足した豚」の消費的理論、どちらを支持するか見解が大きくわかれるのはなぜですか。
 ☆ そもそもそういう対立する二者という見方が 成り立っていません。強いて言えば アホ豚とバカ豚との問題です。同じ豚舎に仲良く生きています。
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この回答へのお礼

またまた御回答ありがたうございます。

>医療現場で悲鳴をあげるのは、責任感があつて高度な技術をもつ医師です。初めはそうでしょう。それだけです。学習して行きます。

3種類ですね。
[1] あまがつぱさん御指摘の「巨大な力」による調整。
[2] 自力で悟る。
[3] つぶれる。

>満足した豚なる命題(判断内容)は それだけで完結していると言っています。

さうなのです。豚の中では完結してゐます。満足してゐます。

>保障される範囲は決まっています。

すこぶる大きな範囲です。

>その分のツケをだれが払ふのか、といふことです。この問題が いまの問題なのでしょう。

さすがに鋭いものです。私もここに着目して現実に対応してゐます。責任のない部分を最大限に活かすことです。法的には立証責任を負はないやうにする手法と同じです。これが豚のやり方です。ソクラテスの手法で正義、使命感、責任感、強固な意志、なんてものをもつてゐたら、背負ふ必要のないものを背負つてつぶれてしまひます。人間のできることには限界があります。ふつうは自分のことで精一杯です。

>国鉄の労組員のかつての振る舞いに明らかです。

ただただ、あきれるのみです。

>その理論の現実性としての問題は それ自身で完結しています。

さきほども述べましたし、回答番号54でneutralさんも指摘してくださつてゐます。今回は議論の対象として取り上げただけです。

>《生産的議論》というのは それとしてあり得ますが

これはcyototuさんを意識したものです。ぶらげろさんやねこひこさんが対決してくださらないものかと期待しました。豚は見物します。

>職場の取り決めや社会の法律にしたがって 処置すればよろしい。

Q&Aサイトの規約もさうなのですが、そんなものは不備だらけです。

>この《豚》は どうしようもないのだ 人間の手に負えないのだということは 誰もが知っているのです。

世の中にはさういふことが存在します。

>アホ豚とバカ豚との問題です。同じ豚舎に仲良く生きています。

(笑、笑、笑)そんな風にも見えます。

お礼日時:2015/10/14 19:05

お礼ありがとうございます。



>問題は消費する側のために、無償で永続的に生産をつづけることができるのか、といふことです。

問題は最初から明確に書いていただけるとありがたいです。
無償で永続は、あり得ません。
詳細は、ご自分で調べて下さい。

問題は、本来問題が浮かんだ人のものです。
その人が解決するべき自身の問題が起因です。
自分で解決を目指すことでしか、解決できません。

問題の回答を丸投げで他者に求める者は、ここで言う豚さんですが
その豚さんは、不満足な豚さんです。

ね(^_−)−☆
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この回答へのお礼

毎回ていねいなお返事をいただいて、感謝してをります。

>問題は最初から明確に書いていただけるとありがたいです。

「はいはい頑張って他人にも良いような行いしてね、俺はそれをどんどん消費するからね」と、質問文のgaituさんの言葉にあります。gaituさんも私もこれが現実の世界であることを知つてゐます。赤ちゃんの例は内容的に大きく違つてきますが、対比するうへで、おもしろい提案だと思ひます。また、さきほど補足欄にも書きましたが、これを理解しないことが共産主義の失敗の原因のひとつであると思つてゐます。

>自分で解決を目指すことでしか、解決できません。

御指摘のとほりです。今では職場でも豚であることを最大限に利用して効果をあげてゐます。私は豚を排除するのではなく(排除不能)、そこから学ぶことを大切にします。

>問題の回答を丸投げで他者に求める者は、ここで言う豚さんですが

豚は自分で考へるのは嫌ひです。何か疑問に感じたら、すぐに質問として立てます。豚の座右の銘は「明日があるさ」です。下記回答番号17。
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/8702419.html

今後とも御指導よろしくお願ひいたします。

お礼日時:2015/10/14 18:05

★ (№48お礼欄) 〔満足した豚さんのその状態は〕よくないことだと意見する人がゐますが


 ☆ この見方がマチガイです。良し悪しの問題には 力点はありません。

 人間どうしとして場を同じくしているといった共生感から始まって 特にはその職場の取り決めにしたがって処理すればよいだけのことです。

 《よくないことだと意見する不満足なソクラテス》は いるかも知れませんが 問題にはなりません。そもそも 満足した豚と対立する概念ではないからです。満足した豚は ほかの人間の話を途絶しているかぎりで すでに話が完結しているのです。そのソクラテスさんは 考えも浅く単に処理の仕方が間違ったというだけのことです。

 ★ さまざまな状況をひとまとめにして悪いことだと決めつけてゐる現状にこそ問題があると思ひます。
 ☆ 要するに あなたこそが 人間を豚だと決めつけてひとを裁いているというだけのことです。そうではなく 情況に応じて対処し相手に応じて処理するだけの話なのです。そこが分かっていない。


 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
   >豚を甘やかせてはダメである。

 だれもがわかつてゐますし、実行してゐることです。問題は効き目がないことです。糠に釘。豚には豚で応じるしかないと思つてゐます。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ 自分の考えにだけ閉じ籠ってそう思っているだけです。
 
 国鉄の労組の事例では 《効き目》があったぢゃないですか。それは いかに豚だと言っても 人間として――取り決めに従って行動し いわゆるコモンセンスでものごとを判断し互いに理解を行ない合うという方向を思いその志向性もある人間として――相い対することが 肝要です。
 
 そうしても《糠に釘》なら そのときもやはり就業規定などに照らして処理すればよろしい。

 ここでのマチガイは あくまで《情況や相手の人間について 良し悪しの観点に力点を置いて処理しようとする――つまり 人間を裁こうとする――その思い上がりに問題がある》ということです。

 ★ 私にかぎらず職場ではよくある状況です。
 ☆ よくはありません。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

このたびは大いに議論をすることがひとつの目的です。議論をしたいとおつしやつてゐた方は気づいてゐないのかもしれません。残念です。この事例は反対派が多くなるはずなので、最適の質問だと思つたのですけれど。いづれにしても、ぶらげろさんが三枚おろしで泳いでゐたのでは存在価値がなくなります。

>〔満足した豚さんのその状態は〕よくないことだと意見する人がゐます

これは引用の誤りです。職場の実態も知らないで、サービス残業させる(実際にはさせてゐるわけではありません)のは悪いことだと、このサイトで投稿するのを見かけるといふ内容です。

>その職場の取り決めにしたがって処理すればよいだけのことです。

そのとほりです。それが挙げていただいた国鉄の例です。別段変つたことをしてゐるわけではなく、ごくごく普通に人事の仕事をこなしたといふだけのものです。もし労働組合の言ひなりになつたら、単なる職務怠慢で、多くの人に迷惑をかけます。それこそが豚です。もしこの話に感動できるなら、それこそがミルと同じ世間知らずでせう。

>そうしても《糠に釘》なら そのときもやはり就業規定などに照らして処理すればよろしい。

私は世の中の仕組みそのものが、豚に有利にできてゐるのではないかと考へてゐます。もしさうであるなら、そこから学びたいと思ひます。

腕のわるい医者だと知つてゐて診てもらひますか。医療現場で悲鳴をあげるのは、責任感があつて高度な技術をもつ医師です。金を払つて仕事を依頼するとき、わざわざ仕事のできない人に頼みますか。これが人間社会です。豚は期待されませんし、頼られません。仕事が減ることはあつても増えることはありません。就業規則や労働組合によつて立場は保障されます。その分のツケをだれが払ふのか、といふことです。

Q&Aサイトでも、社会・職場カテゴリでそのやうな相談質問を見かけます。なぜ自分がひとの分まで仕事をしなければならないのだ、といふ疑問です。状況の詳細がわかりませんので回答しないのですが、大なり小なり、しばしば起こる問題です。

お礼日時:2015/10/14 17:27
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