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社会カテには視野の広い方々がたくさんおられます。
よく、文系、理系の片方に極端に偏った考えの人がいます。
どうして極端に偏ってしまうのでしょうか。
社会には両方が必要なのは当然のことだと思うのですが。
何故、極端な考えに偏ってしまうのでしょうか。

A 回答 (10件)

>私は少し違っていまして、人間の感情がすべての基本と考えています。


私もこれには大賛成です。
人というものが関わることに関しては、全てそこに感情というものがありますものね。
大きな組織で、そこを管理するために専門の学問を学んできた人の中には、全てを理屈で解決する人が少なからずいます。
これまでのサラリーマン生活で思い知りました(笑)

>高度な管理社会になっている日本では、感情の基本を学ばず、最初から論理を学でいる高学歴者は多いですね。
こういう時代になってしまったのは、学問として学ぶだけで、実践経験が少ない所以だと考えています。
要するにみんなペーパードライバーなんですよね。
理論という確立されたモノがあって、そこに感情という不安定な要素を持った人が関わる。
当然乱数が増えるようなものですから、理論通りの結果にならない。
本当におっしゃる通りだと思います。

私のやってるような小さな会社なんかですと、逆にその理論がほとんど通じない場面が多いです。
むしろ大企業のマネをして、理論上完璧な組織・体制作りをしようとすると、逆に破綻します。
接する人と人が近ければ近いほど、そこに感情の作用する幅が大きくなるので、理論はあくまで指標の一つとしないと駄目になっちゃうんですよね。

だからやはりバランスが大事ですね。
でも、どうやら人の心を学びきるには人生は少々短すぎるみたいですが。
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この回答へのお礼

再度の回答ありがとうございます。
「大きな組織で、そこを管理するために専門の学問を学んできた人の中には、全てを理屈で解決する人が少なからずいます。これまでのサラリーマン生活で思い知りました(笑)」
→同感です。論理的に云うことが高等だと勘違いしているのでしょうね。
人間としての正しい感情があり、それを分りやすく説明するために論理が必要ということでしょう。
「要するにみんなペーパードライバーなんですよね」
→それは、うまい表現です(笑)。
「私のやってるような小さな会社なんかですと、逆にその理論がほとんど通じない場面が多いです。むしろ大企業のマネをして、理論上完璧な組織・体制作りをしようとすると、逆に破綻します」
→今は会社経営しているのですね。確かに、大企業と同じことは理解されにくいでしょうね。
「でも、どうやら人の心を学びきるには人生は少々短すぎるみたいですが」
→これも、うまい表現です。
私も友人達から、「じゃぁ、日本はどうすればいいんだ」と聞かれます。
私は「200年くらいすれば、日本も文化レベルが上がって、いい国になるんじゃないか」と答えています。
bfoxさんは、素晴らしい祖父母、両親の元で育てられたのでしょう。
戦前の人格教育を引き継いでいることが伺えます。

お礼日時:2015/10/13 18:47

現在の日本の考え方も、理系支持、文系はいらないという考え方ですが、日本は、軍事系のものを作らせようとしているから、職人を増やそうとしているのではないのでしょうか…。


脱線してしまいすいません。文系を卑下する人が多いのは、理系では、数学科なら保険会社系、薬学部なら薬の会社、工学部なら工場に就職するという風にたいていレールが決まってますが、文系、特に国文学部、英文学部では、理系と違いどこの会社に勤めるかということが決まってないからではないのでしょうか。理系を卑下する人の理由は、先ほど書いたことの逆の理由から話しているのだと思います。
私は1:1くらいがちょうど良いという考えを持っています。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
「現在の日本の考え方も、理系支持、文系はいらないという考え方ですが」
→そういうことを言う人がいるという程度だと思いますね。
でも、ゼネラリストからスペシャリストへ、職人を増やそうという傾向はあるでしょうね。
「文系を卑下する人が多いのは、理系では、数学科なら保険会社系、薬学部なら薬の会社、工学部なら工場に就職するという風にたいていレールが決まってますが、文系、特に国文学部、英文学部では、理系と違いどこの会社に勤めるかということが決まってないからではないのでしょうか」
→そういう意味もあるでしょうね。
そして、製造業が後発国に負けているので、工業スペシャリストの養成が喫緊の課題という捉え方もあるでしょうね。
「私は1:1くらいがちょうど良いという考えを持っています」
→同感です。

お礼日時:2015/10/14 17:46

得意不得意ある。

バランスが良い ≒ どっち付かず~器用貧乏、とも言う。

バランス良く100人使えない人間が居るより、50人は職人、後の50人はセールスマンの方が良い。文理も一緒だと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
「得意不得意ある。バランスが良い ≒ どっち付かず~器用貧乏、とも言う」
→得意不得意ある、その通りですね。
でも、バランスが良い ≒ どっち付かず~器用貧乏、とはいいませんね。
「バランス良く100人使えない人間が居るより」
→バランスがいい、という意味を取り違えているように感じます。

お礼日時:2015/10/14 15:24

no,10です。


返信ありがとうございます。

宜しければ、自分の質問に答えていただけませんか?
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9086103.html

質問者さんはどの様に感じるのか?知りたくなりました。
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この回答へのお礼

再度の回答ありがとうございます。
「宜しければ、自分の質問に答えていただけませんか? 質問者さんはどの様に感じるのか?知りたくなりました」
→かつつさん、その質問には私も回答していますよ。

お礼日時:2015/10/14 15:20

質問にある、文系、理系、と、は、違うのかもしれませんが、確かに、演繹法的な思考による言論が閉め、帰納法による思考からの、パターナライズされない考察にアレルギーを起こされる方は多いように感じますね。



ソモソモから考える事が苦手と言う事なのだと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
「質問にある、文系、理系、と、は、違うのかもしれませんが、確かに、演繹法的な思考による言論が閉め、帰納法による思考からの、パターナライズされない考察にアレルギーを起こされる方は多いように感じますね」
→そうでしょうね。
「ソモソモから考える事が苦手と言う事なのだと思います」
→そうでしょうね。

お礼日時:2015/10/14 08:41

経験値の差ということではないでしょうか?



私も、20代で一千万プレイヤーになって暴飲暴食に明け暮れ、大量消費し、外車に乗り回していました。

それが現在ではミニマリストとして慎ましく生活しています。
月の生活費なんて5万円程度です。

歳の離れた、平成生まれの干物妹がバツイチで風俗嬢でギャンブラーなので、私的に高利貸しで資産は増えるばかりです。

兄妹でこうも違うものかと呆れます。

せめて兄ほどの博才があれば良かったのですが、下手の横好きで困ったものです。

私個人としては、中学生の頃に読みだした、「不思議の国ニッポン(ポール・ボネ著)」という本で、フランスと日本の違いを学んだことでしょうか?
http://www.amazon.co.jp/%E4%B8%8D%E6%80%9D%E8%AD …

今風にいうと、海外の反応みたいな批評です。

こうして海外にも興味を持ち、大学ではいろんな国へ行きました。

で証券マンとして金持ちと交流し、金融アナリストとして独立し、十分稼いだので廃業しました。

現在ではただの大家です。
東京に2部屋ばかり所有しています。

その筋ではチートなこともあるでしょう。
知らないことも、そりゃ~多々あります。

残念ながら清廉潔白聖人君主でもないので嘘も冗談も付きますが・・・

ま~全体的にバランス良くありたいですね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
「経験値の差ということではないでしょうか?」
→そういうことでしょうね。
随分と派手な人生ではありませんか。
多分、同世代の中ではダントツの経験値でしょうね。
「ま~全体的にバランス良くありたいですね」
→そうですね。

お礼日時:2015/10/13 20:10

ワタシは理系ですが、学校を卒業したばかり


のときは、まるで社会音痴、経済音痴、政治音痴
・・・・でしたね。

円高? なに、それ?
てなものです。

それでも、引け目とか劣等感など感じませんでした。

文系なんてのは、所詮は数学ができなくて、仕方なく
選んだ落ちこぼれどもなんだ、てな具合に感じて
いました。

ところが、法学部の人間と知り合い、その論理的
思考に驚き、自分でも法律の勉強を始めました。

法律の勉強が進むにつれ、法律を支えている
政治や哲学経済などにも興味が出て来て
範囲を広げていきました。


”どうして極端に偏ってしまうのでしょうか。”
    ↑
今は、教養というものが軽視されていること
が挙げられると思います。

明治維新直後は、教養が重視され、大学の
授業でも、教養が重視されたのですが、
最近は、学問が高度化、複雑化、専門化、細分化され、
教養を学ぶ時間、チャンスが無くなってきた、
というのが一番の理由だと思います。

だから理系、文系を問わず、専門外のことについては
まるで音痴で、マスコミの受け売りとか、
視野の狭い自分だけで考えた、極端な意見しか持てなくなった
のでは、と考えています。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
「ワタシは理系ですが」
→tanzou2さんは理系なのですね。
「明治維新直後は、教養が重視され、大学の授業でも、教養が重視されたのですが、最近は、学問が高度化、複雑化、専門化、細分化され、教養を学ぶ時間、チャンスが無くなってきた、というのが一番の理由だと思います」
→確かに、そのような社会背景は影響しているでしょうね。
「視野の狭い自分だけで考えた、極端な意見しか持てなくなったのでは、と考えています」
→なるほどです。
多くの人が、tanzou2さんのように視野が広がればいいですね。

お礼日時:2015/10/13 18:13

まぁ当然と言えば当然ですね。


社会の問題、例えば環境問題を論じるのであれば、自然科学の視点で語るのは当たり前のことですが、実行には費用対効果や国際的な兼ね合いなど社会科学的視点が必要です。
そしてそれらは各々ある程度のレベルを要求されます。

簡単に言えば理系も文系も極めた天才がいれば話は早いですが、そんな人はそんなにいません。
だから偏りではなく、「自然科学的意見」であったり「社会科学的意見」という小分類なだけです。
どっかの理系の教授が国家の財政のことを語ったり、文系の教授が最新の環境技術を語るのは滑稽です。それと同じです。
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この回答へのお礼

早速の回答ありがとうございます。
「社会の問題、例えば環境問題を論じるのであれば、自然科学の視点で語るのは当たり前のことですが、実行には費用対効果や国際的な兼ね合いなど社会科学的視点が必要です」
→その通りですね。
「どっかの理系の教授が国家の財政のことを語ったり、文系の教授が最新の環境技術を語るのは滑稽です。それと同じです」
→同感です。

お礼日時:2015/10/13 15:36

バランスが必要だ!というのは、同感ですね。



でも、競争社会が進展して、他人より抜きん出ようと思えば、専門の道を極めるようになるからではないのでしょうか。
道を極めて行けば、行く道はだんだん狭くなっていきますし、思考の仕方も違って来るのでは。。。と思います。

また、昔、ジェネラリストを目指すか、スペシャリストに成るかと言われていた事が有りますが、昨今は、企業のトップでも、理系の人や専門分野を極めた人が増えて来たようで。。。
コンピュータリゼーションが進んで、情報や知識が細分化、複雑化してくれば、仕方がない事なのかも知れません。

しかし、時の政府のように、大学でも、文系は改組・縮小するようでは、日本の知識全体がバランスどころか、片びっこに成ってしまいます。
海外でも、かなりの関心を呼んだようですが。。。
著名な大学ランキングでも、日本の大学の凋落は顕著のようですが、このままアンバランスが恒常化して仕舞えば、ますます知識の集積は偏って行くのではないのでしょうか。

一旦、バランスを崩すと、片肺飛行のように、バランスの取れた水平飛行は難しくなりますね。
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この回答へのお礼

早速の回答ありがとうございます。
「でも、競争社会が進展して、他人より抜きん出ようと思えば、専門の道を極めるようになるからではないのでしょうか。道を極めて行けば、行く道はだんだん狭くなっていきますし、思考の仕方も違って来るのでは。。。と思います」
→そういうことでしょうね。
「昔、ジェネラリストを目指すか、スペシャリストに成るかと言われていた事が有りますが、昨今は、企業のトップでも、理系の人や専門分野を極めた人が増えて来たようで。。。コンピュータリゼーションが進んで、情報や知識が細分化、複雑化してくれば、仕方がない事なのかも知れません」
→確かに、そういう傾向がありますね。
「このままアンバランスが恒常化して仕舞えば、ますます知識の集積は偏って行くのではないのでしょうか。一旦、バランスを崩すと、片肺飛行のように、バランスの取れた水平飛行は難しくなりますね」
→その通りです。
それが、世界を席巻した日立、東芝、松下、ソニーなどが新興のサムスンに押されている理由なのだろうと思います。
日本の最高峰の大学でも、知識教育は素晴らしいのですが、創造力やアイデアといった教育はかなり低レベルです。
日本独特の風土でしょうね。

お礼日時:2015/10/13 15:33

それはその人の成功体験によってだと考えます。



持って生まれた性格もあるとは思いますが、生きていて出てくる問題には「ロジカルに事実のみを客観的に考える数学的な方が正しい答えがでる類いのモノ」と、「情緒であったり人の心の機微を考えて、人間という生き物に主眼を置いて考える方が正しい答えがでる類いのモノ」の場合があると思うんです。
いずれの方法で答えを出した場合でも、その出した答えが上手く行って成功した場合、その成功体験が残っているが故に全ての問題をそのアルゴリズムで解決しようとするのだと思います。
どこかの時点でそれだけでは解決できない問題もあると気が付く人は修正できるのでしょうが、そうでない人は頑なに一方のアルゴリズムに執着してしまう結果だと思っています。

>社会には両方が必要なのは当然のことだと思うのですが。
はい、私も当然だと思います。
しかし20代の若い頃にはそうでなかったです。
文系学問を学んできたくせに、「全ては理論理屈で考えれば良い!」などと思っていました。
事実それまで噴出してきた問題は、だいたいそれで片付いていましたからね。

ところがある事がきっかけで、「正しい答え」と「良い答え」の違いに気付かされて考えが変わりました。
「正しい答え」と「良い答え」という表現が伝わるかが微妙ですが、「ルール」と「正しさ」の違いと言いましょうか。
いずれにせよ、文系的思考、理系的思考、いずれも社会で生きていくには必要ですよね。
ただし、企業で生きていくには理系的思考の方が有効であるのは事実かもしれません。
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この回答へのお礼

早速の回答ありがとうございます。
「「ロジカルに事実のみを客観的に考える数学的な方が正しい答えがでる類いのモノ」と、「情緒であったり人の心の機微を考えて、人間という生き物に主眼を置いて考える方が正しい答えがでる類いのモノ」の場合があると思うんです」
→その通りですね。
「その出した答えが上手く行って成功した場合、その成功体験が残っているが故に全ての問題をそのアルゴリズムで解決しようとするのだと思います」
→ほとんどの人がそういう生き方でしょうね。
「ただし、企業で生きていくには理系的思考の方が有効であるのは事実かもしれません」
→よく分ります。
大企業になればなるほど、大組織を動かす説得力は理論的、論理的が主流ですからね。
私は少し違っていまして、人間の感情がすべての基本と考えています。
論理の最たるものである法律も、実は人間の感情が、正義感がベースで作られているという考えです。
高度な管理社会になっている日本では、感情の基本を学ばず、最初から論理を学でいる高学歴者は多いですね。
といいましても、bfoxさんがいいたいことは十分に理解しています。

お礼日時:2015/10/13 15:16

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