プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

戦前、新聞販売店は専売制という形式をとっていましたが、大戦中にそれが合売制へと変わっていきました。その背景には何があったのですか?

A 回答 (2件)

新聞社ごとに販売店という形から、一つの販売店が数紙の新聞を扱う形に。


単純に、人手不足解消のための合理化。
今でも田舎の方は、一つの販売店が数紙の取り扱いをしている処がけっこうあります。
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販売店って、○○新聞店という新聞の委託販売を行う会社なんです。



つまり運営そのものは個人商店であって、新聞社とは関係ありそうでないのです。

なので複数の新聞を扱って販売して良いのです。
売り上げはそのまま各新聞社に送金されます。

では、何で儲けているのか?
それは広告(チラシ)です。

その販売店のエリアで概ね3000部を仕切りに、各大手ないし県紙の販売所があり、小さいところは、大きい販売店に統廃合されます。

多く新聞を仕入れてくれる販売店には、新聞社からの拡張員などを投入してくれて、エリアの開拓を行ってもくれます。
そうして配達先が増えて、チラシの受け入れ部数が増えれば、販売店もより儲かる仕組みになっています。

聖教新聞社のように、販売店単独でやれるのには多くのボランティアの協力が必要です。

普通はチラシもない運営などできません。

ま~大きな原因としては読売・朝日の全国紙の戦争でしょう。
これで、特に都市圏での県紙のシェアが軒並み食われました。

大阪日日新聞社なんて知らないでしょう?
中日新聞も愛知県だけではなくなりましたし・・・
新聞共同体もできつつあります。
沖縄のように、全国紙の輪転機のない地域では、県紙が強いですし、全国紙なんて取ってる家は少ないでしょう。
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