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ルターに関する文です。
"Weil die kaiserliche Majestaet,"erwiderte Luther,"eine schlichite Antwort begehrt,so will ich
eine Antwort geben,die nicht stoesst und beisst.Ich verlange,dass ich durch Zeugnis der Schlift,oder aber durch einleuchtende Gruende ueberwunden werde;・・・

die nicht stoesst und beisstの意味ですが、訳では「率直な答え」となっています。stoessenは「ぶつける」とか「突く」、beissenは「噛む」という意味が載っていますが、「ぶつけない、噛まない答え」というのでは意味がわかりません。
どういう風に考えればよろしいのでしょうか?

A 回答 (3件)

まずこちらから終えましょう。



>「皇帝がschlichite Antwortを望むなら、自分は聖書を傷つけないような答えを出しましょう」という意図で言った言葉だと解釈するのは無理がありますか?

これは無理です。stoßenやbeißenの相手は、皇帝、諸侯その他、その場に居合わせる人たちです。
いろいろ考えましたが、「eine Antwort geben, die nicht stößt und beißt」を「率直な答え」と訳している理由は一応わかるような気がします。この場合、stoßenもbeißenも、「突っかかる」「噛みつく」ということで、攻撃、反発という似たような意味だとは思うのですが、Daniel Schenkelの著作にあるように、「eine Antwort geben, die nicht stößt und beißt」というテキストが文献として最も信頼できるものであるとすると、ルター著作集のヴァージョン、「ohne Spitzfindigkeiten und unverfänglich」は、「nicht stößt und beißt」の意味を誰かが解釈して伝えたものと考えられます。stoßenは、いろいろと細かい論拠を挙げて突っつきまわすような意味で、beißenは、噛みつき、批判して相手を困らせること、ととれるでしょう。皇帝や諸侯は、イエスかノーかの簡単な答えだけでよいと言っているので、ルターは、stoßenやbeißenをしない答えをします、と言っているわけです。弁明も何もせず、単刀直入にノーというわけで、そういう意味では「率直に答えます」という訳になってもおかしくはないですね。これを、「刺す、ぶつかる」、「噛みつく」と直訳しても、読む方は何を言っているのかわかりませんし、ここまで書いたような事情がわかるように、「細かなことを言って反発したり攻撃して困らせたりしない答え」と訳したのでは長すぎます。それで、意訳として「率直な答え」としたのでしょう。「率直」というのは、飾り気がなく、ありのままを言う、ということです。ルターは、自説を撤回できない理由として聖書の文言や神の言葉、良心などを簡単に挙げたあとで、教皇や公会議の矛盾と誤りをありのままに指摘したわけです。だいぶ回り道をしましたが、結論としてはやはり、「率直な答え」という訳でよいのだと思います。
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この回答へのお礼

>皇帝や諸侯は、イエスかノーかの簡単な答えだけでよいと言っているので、ルターは、stoßenやbeißenをしない答えをします、と言っているわけです。弁明も何もせず、単刀直入にノーというわけで、そういう意味では「率直に答えます」という訳になってもおかしくはないですね。これを、「刺す、ぶつかる」、「噛みつく」と直訳しても、読む方は何を言っているのかわかりませんし、ここまで書いたような事情がわかるように、「細かなことを言って反発したり攻撃して困らせたりしない答え」と訳したのでは長すぎます。それで、意訳として「率直な答え」としたのでしょう。「率直」というのは、飾り気がなく、ありのままを言う、ということです。
 
とても難しいですが、ようやく納得がいきました。ありがとうございました。

お礼日時:2015/10/29 22:24

>出典は「1870年にドイツで出版された、ハイデルベルク大学神学教授ダニエル・シェンケルの手による『ヴォルムスとヴィテンベルクのルターおよび現代における教会刷新』の一節」とあります。



確認しました。著作権のない古い書物なので、インターネット・アーカイヴで読むことができます。NHKのテキストに引用されている文は、125ページにあります。

Daniel Schenkel: Luther in Worms und in Wittenberg und die Erneuerung der Kirche in der Gegenwart
https://archive.org/stream/bub_gb_Y6krAAAAYAAJ#p …

「nicht stößt und beißt」を含む文は、ルターの弁明の最後の部分で、注釈がついており、このテキストが最も信頼できるとあります(Obiger Text ist wohl der zuverlässigste)。回答No.1でリンクを張ったルター著作集と違うところを見ると、著作集としてまとめられているものは、ルター自身の筆によるものではないのかもしれません。Ludwig Hoffmeyerのテキストで読む限りは、「nicht stößt und beißt」が「率直な答え」とはとりにくいのですが、Daniel Schenkelのテキストでは、ルター自身の言葉となっており、ルター著作集の「ohne Spitzfindigkeiten und unverfänglich」に対応する個所です。ということは、nicht stößtがohne Spitzfindigkeitに対応し、nicht beißtがunverfänglichに対応します。unverfänglichは、回答No.1では「当たり障りのない、無難な」という意味だと書きましたが、verfänglichは、人を困難や困惑に落とし入れるようなことを言います。beißenが比喩的にこういう意味になり得るのか、また、stoßenが「細かいことにこだわる」というような比喩になり得るのか、グリム兄弟の古いドイツ語辞典などを見てもすぐにはわかりそうにはありません。もしかすると、先のルター著作集のように、ほかの言い回しで後世に伝えられているものがいろいろあって、それとの比較で「nicht stößt und beißt」を「率直な」と解釈しているのかもしれません。ちょっと難しいですね。かなり専門的になるので、NHKのテキストの編集部を通して、筆者に聞かないとわからないかもしれません。
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この回答へのお礼

本当に難しいですね!放送では特に説明もなく、さらりとその訳で流していましたが・・・。「皇帝がschlichite Antwortを望むなら、自分は聖書を傷つけないような答えを出しましょう」という意図で言った言葉だと解釈するのは無理がありますか?ふと思いついたものですから。

お礼日時:2015/10/28 23:57

少しややこしくなりそうです。


「nicht stößt und beißt」では「率直な」という意味にとれないので、この文を検索にかけたところ、NHKの語学講座関係のサイトが出ました。ドイツ語講座のテキストにでも出ているのでしょうか。そのまま訳すと、「刺したり噛んだりしない答え」という意味ですね。
このエピソードは、1521年に、神聖ローマ帝国皇帝カール5世が、宗教改革に乗り出したルターを喚問するために招集した帝国議会のときのことです。ルターは、自説の撤回を拒否し、教皇と公会議の権威を認めないことを明言しました。議会はルターを異端と断定して追放し、その著作の販売・購読を禁止する決定を行い、これをカール5世の名によってヴォルムス勅令として発布しました。
http://www.y-history.net/appendix/wh0903-014.html

さて、NHKの講座に出ているらしい文なのですが、ドイツのサイトには全く出てきません。下の文ですね。
http://gogakuru.com/mypage_245637/diary/2014-10/ …

実は、この帝国議会のときのルターの弁明は、ルター自身の著作集の中に残っています。上のテキストで「nicht stößt und beißt」となっている個所は、ルターの原文では別の表現になっているのです。「nicht stößt und beißt (stoßen und beißen)」という表現が見つかったのは、ルターの著作ではなく、Ludwig Hoffmeyerという人の古い歴史書です。推測するしかないのですが、NHKのテキストを書いた人、たぶんドイツ人だと思いますが、こういう書物の記述をもとに書いたのではないかという気がします。下のような文章になっています。

Was für eine Antwort verlangte der Kaiser von ihm? — Ohne „Hörner". — Und was für eine Antwort wollte Luther, wie er sagte, geben? — Ohne „Hörner" und „Zähne". — An was für eine Antwort könnte man bei diesem Ausdruck denken? An eine Antwort, die nicht stoßen und beißen, die keinem weh thun sollte. — Daran ist hier aber nicht zu denken. Der Kaiser wollte eine kurze, bündige Antwort ohne Umschweife, ohne Bedingungen: ja, oder nein! — Welche Antwort gab Luther darauf? — „Weil denn.....helfe mir' Amen."
皇帝は彼からどのような答えを要求したか?―「角」のない答え。―そしてルターはどんな答えを言おうとしたか?―「角」と「牙」のない答え。―この表現で、どのような答えが考えられるだろうか?刺したり噛んだりしない、誰をも傷つけない答え。―しかし、そんなことは考えられなかった。皇帝は、短く的確、かつ単刀直入で、条件なしの答えを望んだ。つまり、イエスかノーかだ!―ルターは何と答えたか?―「(簡潔な答えを要求しておいでなので云々……)神よ、助けたまえ、アーメン」

テキスト
http://gei-digital.gei.de/viewer/fulltext/PPN640 …
原書画像
http://gei-digital.gei.de/viewer/resolver?urn=ur …

上の文脈で読む限り、文字通り「刺したり噛んだりしない答え」、つまり「人を傷つけない答え」、要するにルターが自説を撤回するという答え、ということになり、「率直な答え」ではありません。むしろその反対です。「率直な答え」に対応するのは、むしろそのあとの部分、「eine kurze, bündige Antwort ohne Umschweife」ですね。「短く的確、かつ単刀直入」、つまり、皇帝が「率直な答え」を要求したのです。上の文の最後の„Weil denn.....helfe mir' Amen."という個所は、ルターの言葉が省略されているのですが、ルターの著作集に出ているこの弁明では次のようになっています。今日はもう時間が遅いので、この部分は全訳しませんが、「ohne Spitzfindigkeiten und unverfänglich erteilen」という個所がありますね。「spitzfindig」は「細かいことにこだわる」、「unverfänglich」は「当たり障りのない、無難な」という意味です。ルターは、皇帝と諸侯が簡潔な答え(率直な答え)を要求するので、細かいことは抜きに、無難にお答えします、といった後で、神の言葉や良心に反することはできないと答え、教皇と公会議の権威を認めないと明言しています。

Weil denn Eure allergnädigste Majestät und fürstlichen Gnaden eine einfache Antwort verlangen, will ich sie ohne Spitzfindigkeiten und unverfänglich erteilen, nämlich so: Wenn ich nicht mit Zeugnissen der Schrift oder mit offenbaren Vernunftgründen besiegt werde, so bleibe ich von den Schriftstellen besiegt, die ich angeführt habe, und mein Gewissen bleibt gefangen in Gottes Wort. Denn ich glaube weder dem Papst noch den Konzilien allein, weil es offenkundig ist, daß sie öfters geirrt und sich selbst widersprochen haben. Widerrufen kann und will ich nichts, weil es weder sicher noch geraten ist, etwas gegen sein Gewissen zu tun.
Gott helfe mir, Amen.
http://gutenberg.spiegel.de/buch/martin-luther-s …

つまり、「率直な答え」に当たる部分は、皇帝が要求した「eine kurze, bündige Antwort ohne Umschweife」であり、また、ルター自身が答えの前置きとして言った、「ohne Spitzfindigkeiten und unverfänglich erteilen」ということになります。NHKのテキストにそう訳してあるのならば、それは「nicht stößt und beißt」を直接訳したのではなく、結果的に率直な答えを要求されたという背景を説明したものでしょう。これは、講座の中で直接扱うテキストとしてではなく、読み物として掲載されているのではありませんか? 推測ですが、そんな気がします。
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この回答へのお礼

Tastenkastenさん、出典を記載しなかったため、余計な御手数をおかけしました。出典は「1870年にドイツで出版された、ハイデルベルク大学神学教授ダニエル・シェンケルの手による『ヴォルムスとヴィテンベルクのルターおよび現代における教会刷新』の一節」とあります。

おっしゃるようにNHKの「まいにちドイツ語」の応用編テキスト本文です。毎週、週の後半にドイツ語圏の歴史上の人物を取り上げて、主に読解力を養おうとするもののようです。
執筆者は古田善文氏(独協大学 ドイツ語学科教授)共同執筆者として
Jutta Kowallik氏(明治大学商学部教授)
取り上げて下さった文と同様の文がNHKのテキストの文に続きます。
denn ich glaube weder dem Papst noch dem Konzil allein, weil es am
Tag ist,dass diese mehrmals geirrt haben und mit sich selbst im Widerspruch sind. Ich bin ueberwunden durch die (prophetischen und evangelischen )Schliften,die von mir angefuert sind,und gefangen im Gewissen aus Gottes Wort. Derhalben ich nichs mag noch will widerrufen, weil wider das Gewissen zu handeln beschwerlich, unheilsam und gefaerlich ist. Gott helfe mir. Amen.
>つまり「人を傷つけない答え」、要するにルターが自説を撤回するという答え、ということになり、「率直な答え」ではありません。むしろその反対です
>NHKのテキストにそう訳してあるのならば、それは「nicht stößt und beißt」を直接訳したのではなく、結果的に率直な答えを要求されたという背景を説明したものでしょう

どうもそのようですね!端念に調べてご回答いただきありがとうございました。

お礼日時:2015/10/28 20:47

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