プロが教えるわが家の防犯対策術!

空高く舞い上がり過ぎて、太陽の熱で蝋の翼を溶かされ墜落したイカロス。とても有名な話ですが、なんか教訓だよねこれ、っていう感じが最近します。
理想や価値を高く高く求め過ぎることは、かえって良からぬ結果を招き寄せるのではないかという暗示があるのかなと。
低いものを求めよとは言わないけれど、地に足の着いた幸福な人生の為には、このイカロスの教訓はとても為になるのではないか。

皆さんはどう思いますか?経験談、まつわる思索、雑感などお寄せください。

質問者からの補足コメント

  • 教えてGOOはお礼に短めの文字数制限が設けられているのですね。知りませんでした^^;

     話は始めに戻りますが、大人になってマンガを呼んだりやゲームをしたりしなくなったのですが、ある時期を境に、再びするようになりました。最近、九井諒子と言う漫画家を見つけまして、「ダンジョン飯」という漫画が有名なのですが、彼女の「竜の学校は山の上」という短編集を一昨日買いました。二時間もかからずに読んだのですが、語り部風の作風で、読みやすいというよりは聴きやすい作品です。ダイダロスの話に雰囲気の似たものがあり、紹介してもよいかなと思いました。

    No.5の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2015/11/02 21:14
  • よろしければ二度とは言わず、何度でも回答お待ちしていますね^^

    No.4の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2015/11/02 21:19
  • 歌聴きました。個人的には今ひとつだったのは、私に鉄の意志など無縁だからでしょうか。だらだら生きている私には、風船の歌くらいで丁度良いかな^_^;
    飛鳥も歌っています。

    誰かこの糸
    たぐり寄せてくれないか
    千切れるほど

    繋いでくれるなと、真っ直ぐに飛ぶイカロス、繋いでくれよとフラフラとぶ風船と。。

    いやあ秋も深まりましたね。(*^_^*)

    No.8の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2015/11/04 23:27
  • HAPPY

    今回のBAは、イカロスからダイダロスへとガラリと視点を変えてくださった雨合羽さんにしようと思います。どの方の回答も私にはありがたいもので、決定は難しかったです。ご参加の皆様ありがとうございました。

      補足日時:2015/11/06 23:10

A 回答 (9件)

こんにちは。

少女のころはブルフィンチの分厚い文庫が大好きで、文学者というのはブルフィンチのように縦横無尽に古今の詩文を引いて知識の泉を人々に汲ませる重厚な博学者なのかと思っておりました。でも、あれほど呼吸のように、誰某はこう書いています、なんて抽斗と筆がつながっている人は、どうやら史学、国学、自国の文化のルーツを探る仕事によって磨かれている人ではないかと思います。
正確を求める論証主義のアカデミズムで育った大学人を文学部なら文学者と呼ぶ近年の日本では、ああいう人は出ないのでしょうかね。手元にはもうブルフィンチの本はありませんから、いくらか少女の頃の憧憬で贔屓目かもしれませんが。

 ****

イカロスの物語は、むしろ名工である父ダイダロスの、業や運命にまつわる物語の一挿話のように思います。
ダイダロスは才能と技術への慢心、過信、自尊心があるでしょう。神学でこれらはヒュブリスと呼ばれ、神に罰せられることになっています。
ギリシャの神は、さかしらな人間、技に優れた挑戦的な野心のある人間を、よく苛めます。機織りの上手な娘なども憎まれます。限界を知れと、人間のくせにいい気になるなと、思うらしいです。

それにしても、ダイダロスは、甥の才能を妬んで突き落としたり、調子づいた息子を落下事故で亡くしたりと、才能と技術の高さのわりには不穏な身の上です。ちょうど、人間の歴史が、技術を得て、制作し、創造しながら、世界にたいして支配的になり、競ったり他者を蹴落としたり取り返しのつかない失敗をしたりするのと似ています。
不可能と思えることを企て、挑戦し、形にしますが、心は立派でもなければ善でもなく悪でもない、ただ秀でた脳と手を使ってがつがつと仕事をするそのさまは、なんだか科学の権化のようだと思います。
御用科学者として迷宮を作り、迷宮に困った人に筋の通った助言をすると英雄の命を救ったからと罰せられます。また、才能の世界にはしのぎを削るような妬みや競争もあり、また必ず失敗がつきものであることを思い知らされます。そういうダイダロスを見れば、イカロスは息子さえ失うほどの失敗のエピソードで、わたしたちの科学を省みれば背筋の凍る話です。
この回答への補足あり
    • good
    • 13
この回答へのお礼

こんにちは^^
雨合羽さんは文学少女だったのですね。私は、ゲーム・漫画少年でした。活字はどこか静かな異世界で、憧れはするも近寄りがたいものでした。中には外から見た印象とは違う豊かな世界が広がっているのでしょう。
 
・・・

 引用と脈絡が自然とつながり、知性の源泉へと導いてくれる文学者というのは、仰るように自身の発生したところと、そのルーツに詳しい人であるのだろうなと思います。ずい分前に他界した祖母などは、花と和歌に通じていて、私の知らない世界を随分深く諭っていたようです。今となってはそのような話をすることも出来ません。

チープな物言いになってしまいますが、過ぎたるは及ばざるが如しといいます。切れる職人の技は非の打ち所がなく、これが人の手によるものなのかと感嘆するような出来栄えです。神がそれを戒めるのは、仰るように出来た人類ならいざしらず、現世の人類がその生み出したものを使っていたずらに道を外し大火傷をするようなことを歴史において繰り返してきたからではないでしょうか。立場上、ダイダロスの翼を与えられたのは今を生きている私達であって、背筋の凍る話(つまり今の現代)を実際に生きてみれば、知らないことによって心の安寧を保っているという不穏当な事実がそこには有ります。
(私などは文明の利器を享受してはいますが、その成り立ちについては全く知らず、ただただ驚きながらドーナツ喫茶でiPhoneをいじっています。市民の知らぬところで、恐ろしい秘密の研究や計画なども世界ではされていることでしょうが、知らないので心を揺らすことはありません。が、人の乗っていないのに揺れているブランコのような空虚を感じて不気味でもあります。)

自由を求めて行き過ぎた腕を振るったダイダロスに、(短絡的な私は)非があるとは思えません。しかし、真の自由を求めたならば、ミノスの王さえ諭す事ができたやも知れぬと、思わないでもない。人類の科学技術は天井知らずの発展を続けています。それによって自由を拡大し、未来には想像を超えた世界が広がっていることでしょうが、大火傷を繰り返すであろうことは目に見えています。以前、別の質問に、三百年もすれば平和になると根拠なく回答しましたが、事実を見れば、そうはならないでしょう。文明の堆積によって質的変化を生じないかぎりは、人類の業は止むことがないように思います。

お礼日時:2015/11/02 21:11

回答番号8のやうな明るい解釈がいいですね。

カタクルシスでは読むのに疲れます。
    • good
    • 2
この回答へのお礼

実はふと、このイカロスの翼について引っかかる事を思い出しました。それは、中世の彫刻家ベルニーニの言葉に、「私は、大理石をあたかも蝋であるかの様に扱う。云々。」というものがありまして、ダイダロスの話は伝説のみに括られる話ではないのじゃないか、と思い至りました。ダイダロスの腕前はベルニーニの如くであり、時間は順序逆になるが、塔で死んだ息子を弔うために翼のついたイカロスの像を彫ったのではないか?などと少しリアリティのある想像を勝手にしています。堅い解釈もベルニーニのように読み解けば素晴らしい像が結ばれます。流石のベルニーニも、豆腐に彫るという事は敵わなかったに違いないでしょうから。

お礼日時:2015/11/04 19:22

こんにちは、あほなさん。


呼ばれたようなので現れてみましたが
たぶんラフランスだと思ひます。



わたしがイカロスのファンになったのは
小学校の音楽の教科書に載っているこの歌

がきっかけで、このイメージが抜けません。

今もこの歌を聴くと涙がでます美しいからです。
単純にまっすぐカタルシスです。


人間の解放されすぎた本能や慢心に対する
警告だとか教訓だとか言われても、


翼が溶けて堕ちて死んだイカロス本人は実は
後悔も反省もしていないのぢゃないかしら。

本人以外の人たちがイカロスを憐れんだり
嘲笑ったりする姿も面白いのだけど。
この回答への補足あり
    • good
    • 13
この回答へのお礼

いらっしゃい、いらっしゃい(*^_^*)
ラフラフランス、ぶらぶら散歩するのも私は好きですよ(^O^)ノ
この歌、私は聴いたことないかも知れません。自宅に着いたら聴いてみます。

ニュートラリングさんは、ギアをハイに入れて、どこまでも高く飛んだイカロスの全部を肯定するのですね。自由になったその瞬間を切り取って、歌にしてみれば本当に素晴らしいのでしょう。

ニュートラリングさんの回答はいつも力強いですね、私などはそれを聞いてムムッと耳を立ててしまいます。今回も、ライナー性の当たり、レフト前ヒットです(^ー^)ノ

歌の感想は補足に書きますね。
ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2015/11/04 18:16

九井諒子さんですか。

読んでみます。わたしも一頃はマンガから離れていましたが、また読んでいますよ。作家性のあるいい作家がどんどん出ていますね。良い意味で大衆は細分化しましたね。昔のマンガ家より、描きたいものを描いている気がします。
    • good
    • 13
この回答へのお礼

確かに最近の漫画はとてもバラエティに富んでいます。量も多く、巨大書店のワンフロアを占めるほどになっていますね。
九井諒子さんの作品、ぜひ読んでみてください^_^
所々にユーモアも挟まれていて、読みやすいですし、絵も上手です。
また感想聞かせていただけると嬉しいです
(*^_^*)

お礼日時:2015/11/04 18:04

こんばんは。

回答番号3,4のplapotiです。

>よろしければ二度とは言わず、何度でも回答お待ちしていますね^^

おしやべりは好きなのですが、周利槃特とか六祖慧能とか、さつぱりわかりません。存在性質さんのことなら少しは話せるかもしれませんけれど。

>教えてGOOはお礼に短めの文字数制限が設けられているのですね。

初めは400字制限でした。あまりにも短いので800字をお願ひしたところ、1000字に緩和されました。このくらゐが妥当な量だと感じます。多すぎると、だらだらと書いてしまひます。

amaguappaさんが回答してくださつてゐますから、私は用済みです。neutralさんやmiko-desiさんもお出でくださるとよろしいのですけれど。反則技で、こぶたんさんも誘つてみませうか。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

私もギリシャ神話はほとんど知らないにもかかわらず質問してしまった口です。気楽に行きましょう。仏道系の話も、ふーん、そうなんだ、位に聞いていただければ結構です。楽しくQAができたらいいではないですか^^

色々な回答者様方が来てくれるとうれしいです。こぶたんさんにも良ければお声をかけたいですね^^ゲームでもしながら回答の集まるのを待っていようと思います。色々な方から様々なお話が聞けるのは楽しいです。

お礼日時:2015/11/02 23:19

回答番号3のplapotiでございます。

コメントを拝見しました。アポロドーロスの記載は短いので、いろいろな解釈ができると思ひます。後世のブルフィンチが書いたもの(野上弥生子訳 岩波文庫211-213ページ)はかなり肉付けがあつて、少し印象が変るかもしれません。

>高い理想によって我を忘れることさえあると思います。

私もこれがいちばん怖いことだと感じます。ユングはまつたく読んでゐませんのでわかりません。回答番号2の方はフロイトがお好きだと、ニュートラルさんがおつしやつてゐました。確認はしてゐませんが、筒井康隆が、若いときにマルクスとフロイトにかぶれないやつは馬鹿だ、と言つたさうです。私はまさしく馬鹿です。

>高貴な一角獣を名乗るプレーヤーにも聞いて欲しい回答でした。

(笑、笑、笑)○○だけど素直な人ですね。対話の意志があるのがすばらしいと思つてゐます。きれいごとが好きな人は、ただ自分の意見を主張するだけで、他人の意見を聞かず、都合が悪くなれば黙りこんでしまふ、そんなタイプが多いのですが、この素直な人は例外的です。それに以前のやうに、わけのわからない科学(?)用語を濫用することもなくなりました。
この回答への補足あり
    • good
    • 1
この回答へのお礼

若い時を乗り過ごしつつあるあほなですが、だとしたら私も馬鹿なのでしょう。マルクスもフロイトも読んでないwユングはフロイトの弟子だったのですが、自身の学究の成熟するに従って袂を分かつたようです。フロイトの様に強い力を持つ師と別れる時は分厚いストレスに晒されたことでしょう。

一角獣の彼はおっしゃる通り素直な人で、時々一陣の風の様な回答を放ち、スッキリさせてくれます。惜しむらくは、馬鹿なことにコンプレックスを抱いている様で、自身の思想に固執しがちです。プラポチさんと話していると馬鹿なら馬鹿でいいのだと思えるのですが。

知能の薄い聖者に、周利槃特がいますが、彼の事を思えば、人の知能の高い事は、いかに諸刃の剣に陥り易いかが分かります。
その高い知能で何でも片付けようとしてしまいがちなのですね。

一方素直な人は何の障害もなく得難い答えに辿り着き、当然の様にそれを手中におさめます。出典は略しますが、六祖慧能の言う様に、素直な心が徳そのものであるという理由はこれではないかな。

二度に渡るご回答ありがとう御座います。お陰で電車の時間を楽しく過ごせました。

お礼日時:2015/10/30 22:49

ミーノースはテーセウスとその仲間の逃亡を知って、ダイダロスに罪ありとし、彼とミーノースの女奴隷ナウクラテーとの間に生れた子イーカロスを迷宮内に幽閉した。

彼は自分と子供のために翼を作りあげ、飛びあがらんとする時に、翼が太陽のためにその膠が溶けて放れないように高みを、また翼が湿気のために放れないように海の近くを、飛ばぬように、と子供に命じた。しかしイーカロスは父の命を無にして、夢中になってしだいしだいに高く飛んだ。そして膠が溶けて、彼の名によってイーカーリアーと呼ばれている海に落ちて死んだ。
(アポロドーロス『ギリシア神話』高津春繁訳 岩波文庫 175ページ)

*** *** *** *** ***

質問文に出典の記載がありませんので、最古の資料とおもはれるものを挙げておきました。これに沿つて回答いたします。

高くても駄目、低くても駄目、と言はれてゐますが、高度計を装備して数値で判断できるわけでなく、経験によつて会得するしかありません。人間だれしも失敗から学ぶのではないでせうか。痛い思ひをしなければわかりません。イカロスの場合はわかつた時が死の時だつただけのことです。緊急脱出でもあり、充分な準備もできてゐなかつたのではないでせうか。だれも責められないと思ひます。逃げなければ殺されてゐたかもしれません。膠が溶けなくても、途中で疲れて落下して死ぬかもしれません。そもそも翼で上昇できる高度であればむしろ気温が低いのではないでせうか。イカロスは学校で学んで知つてゐたのかもしれません。やはり本当に学べるのは、自分自身の失敗からです。

>理想や価値を高く高く求め過ぎることは、かえって良からぬ結果を招き寄せるのではないかという暗示があるのかなと。

あほなさんがおつしやるやうな比喩的な意味で考へてみます。人それぞれ生き方がありますので、あくまで私個人について書きます。「高く求め過ぎる」といふのは要するに、視野が狭いといふことです。上ばかり見て、横や下が見えてゐません。人間の理想とされるやうなものは注目しなくてもそれを高く評価できます。しかし多くの人が否定するものに対しては意図して評価しなければその価値が見過ごされてしまひます。世界全体を理解するためには、理想よりも、その反対のことがらを特別視するくらゐでちやうどバランスが取れると思ひます。
    • good
    • 2
この回答へのお礼

典拠を示してくださり有難うございます。勉強になります。
なるほど、イカロスは囚われの身だったのですね。これは私の知らなかった大きな(伝説上の)事実です。
すっかり私は、ドラ息子のイカロスが自分に与えられた翼にいい気になって、何処までも飛んでいけるような気がして太陽に近づいて落ちた、そんなふうにさえ思っていたのです。イカロスごめんよ。そんな誤解に基づいたイカロスに自分を重ねて見てたあほなでした。

自分自身の失敗から学ぶ。私もそう思います。何度も同じ失敗をして、自分の性向を見極め、そうして初めて学ぶことさえ有ります。回答後部、バランスの取り方について、プラポチさんの流儀を、いろいろな質問で見て、このイカロスの話の比喩を自分なりに考えたのでした。特に、高い理想によって我を忘れることさえあると思います。世界全体を理解するためには、理想よりもその反対の事柄を特別視するくらいでちょうどいい、これは慧眼かなとおもいます。心理学者のユングも、自分に好ましくない事柄を如何に転じて見るかが、人格のバランスをとるためには大切である、みたいなことを言っていたように思います。

よくある物語としては、神様が物乞いに変身して、旅人を試すみたいな話がありますが、人の忌避するところや盲点に宝があるというのは、心理的には認めがたいが事実なのでしょう。
ご回答ありがとうございます。高貴な一角獣を名乗るプレーヤーにも聞いて欲しい回答でした。

お礼日時:2015/10/29 23:22

子供の純真さというか無心さというか無軌道ぶりというか、そういったことを比喩にして、欲望の赴くままに行動しちゃいかんよ的な教訓かな、という気が。


「理想や価値を高く高く求め過ぎること」に少し近いけど、それよりも、感覚(感情)に流されないように、という意味が強いように思う。
父親の注意を忘れてしまったということで、年長者(親)の言うこと聞かないと酷い目に遭うよ的な嘘っぽい意味も、もしかすると若干は加味されているかもしれない。
    • good
    • 13
この回答へのお礼

なるほど。理性的なものを戒めるよりも、感覚的な行き過ぎを戒めているのではないかということですね。確かに空をとぶのは気持ちの良いことで、イカロスはその感覚に酔いしれたのかもしれません。
親の言うこと、(躾なども含み)というのは、子を確かに思ってのことであり、他人からは聞き難いものです。ウソっぽいというのがどのようなニュアンスなのか分かりかねますが、でも確かに子どもに嘘をついてその場をなだめるみたいなことも現実にはあるので、なんとも言えないなぁと思いました。
違った角度からのご回答有り難うございます。

お礼日時:2015/10/29 19:02

> 理想や価値を高く高く求め過ぎることは、かえって良からぬ結果を招き寄せる


↑たぶん、そういう意味ではなくて人間の傲慢さを批判したものと思います。
そしてたぶん、イカロスさんには、誠実さ、謙虚さ、が足りなかったのではと。
    • good
    • 14
この回答へのお礼

ご回答有り難うございます。
人間は偉い、なんでもできるよ、みたいな姿勢が良くないということでしょうか。
誠実だったかどうかは私には分からないのですが、謙虚さは足りなかったと思います。
行き過ぎを戒める教訓としては同じでしょうか?

お礼日時:2015/10/29 19:03

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

関連するカテゴリからQ&Aを探す