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ニ・ニ六事件後に軍部の影響力が強まったのはなぜですか?

A 回答 (3件)

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「ニ・ニ六事件の経緯」については↓をご覧いただけているものとします。

【ニ・ニ六事件後の軍部】(私の回答はNo3)
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9113395.html

↑のように、「ニ・ニ六事件」は陸軍内での一部が起こした派閥抗争(≠クーデター)であり、それによって発言力が増したわけではありません。

そのような意見は 過去の日本=軍部独裁の暗黒時代 という誤解や願望による思い込みだと思います。


>ニ・ニ六事件後に軍部の影響力が強まったのはなぜですか?

質問として成立していないので回答不能。

軍部の発言力が増したのは事実ですが、それは後述する「軍務大臣現役武官制」や「統帥権干犯問題」等の議会制度が原因であり、ニ・ニ六事件を原因とする非合法の暴力や恫喝によるものではありません。


まず統帥権ですが、
「軍隊の最高指揮権」であり、帝国憲法では以下のように定められています。

第十一條:天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス
第十二條:天皇ハ陸海軍ノ編制及常備兵額ヲ定ム


それに「統帥権干犯問題」を言い出したのは軍隊ではありません。

1930年のロンドン軍縮会議で日本政府が条約を調印したことについて、野党の「政友会」が前述の11条と12条を理由に天皇の統帥権を干犯していると問題化しました。

↑に対して、浜口首相は以下の答弁で退けています。

【最終権限は天皇にあるが、責任内閣制度なので内閣が条約を結んでもかまわない。
これが統帥権干犯なら、外務大臣が外交をするのは外交権干犯になる。】

しかし、この後に浜口首相は暗殺され、以後も軍部は内閣にこの天皇の憲法上の権限によって圧力をかけました。
マスコミや大衆も支持した為に、議会政治の機能が低下してしまいました。

↑の結果、議会で軍の発言力が大きくなったのは事実ですが、それも国民の指示を背景にした議会政治の中での事態であり、民主主義の範囲での事だと思います。



「軍部大臣現役武官制(このポストは「文官」だが武官しかなれない)」ですが、
これは、ニ・ニ六事件後に、弘田弘毅内閣のスタッフが陸軍の意向を汲んで復活させた制度で、退役した皇道派のOBが政界に復帰するのを防ぐ為のものです。

確かに、これによれば、軍が軍部大臣を出さなければ組閣ができない&後任が決まらない ということになります。
しかし、だからといって軍部の自由に政治ができたわけではありません。
議会や政党や官庁も、他の閣僚との対立による閣内不統一や、官庁の不協力によって、辞職に追い込むことが出来たので、軍による独裁はできませんでした。

このような状況によって、戦前の政権は短命でした。
敗戦までの8年間に総理7人と9の内閣が生まれています。
(戦時の東条内閣も国務大臣の造反で総辞職しています。)

以上から、当時の日本は ダメダメであっても民主主義であり、国粋主義やら反動やら軍国主義ではなかったと思います。
(本当に軍国主義で纏まっていたら、あんな外交にはならないと思いますし、戦争をするにしても、もっとまともな戦略を考えられていると思います)

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軍部大臣現役武官制が復活した。


軍事予算を抑えようとしていた高橋是清蔵相らが暗殺された。

といった理由が考えられますね。
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「軍に文句を言ったら、殺されるかもしれませんよ」ってメッセージを発信したからです。

実際に多くの政治家が殺されています。
 ヤクザが「うちの若いもんは何をするか分からない」と言って脅すのと同じ構図です。
現実にそんな右翼団体はごろごろいたわけですから、そんな連中をコントロールすることもあったのだと思います。
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