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長文で申し訳ありません。

法は、道徳や社会通念のようなものを無視する者をも保護する一面がないですか?

周囲に自分がいやだと感じるからと 「○○の自由」を振りかざす人がいませんか?

近所に親の死により相続で得た不動産による潤沢な資金をもとに弁護士を使って周囲に、事実と異なる(事実と異なることの立証が困難)記載が多々ある文書を送りつけたり、調停や裁判を起こそうとする人がいて迷惑をしています。
都会の大学卒業後、都会で働いているきょうだい(この人はわたしの幼なじみ友人です。)
がいますが、そこでも手も足も出せない状態のようです。
恥ずかしくて故郷にもう帰れないと嘆いていました。
(親御さんがいたときは、一家でお盆や暮れに帰省していました。今はきょうだいも弁護士により面会謝絶だそうです。)

その内容は
・家の工事の音がうるさい。(ふつうなら受忍の範囲なのに。)
・ゴミだしが不適切だから(夜に出す。)注意したら逆切れ 
 怒られたのがとても怖かったから心理的に傷ついた。と訴える。
・ピアノの音がうるさい。
・町内会の当番などやりたくない。やらなければならない法的義務があるのか。
・町内祭の寄付も拒否・・・わずかな額なのに。 
・いやだと思った人には、面会謝絶を要求。 
 それでも接触しようとすると弁護士が郵便を送ってくる。

その人は所謂ニート。高校こそ地域一番の進学校に入りましたが、その後運が悪いのか大学受験で
失敗、何とか卒業した後も就職活動でも苦労したようです。職を転々したようです。
30代半ばから、どこも雇ってくれなくなり親元で養ってもらっていたようです。
ご両親とその上の代は周囲にもよく目を配り、民生委員をやったり、町内会の役員を引き受けたり、
地域の子供会活動に差し入れをしたりとてもよく出来た方でした。

警察や市役所に相談してもその行為自体には違法性がないので取り合ってもらえないそうです。
(たぶん要注意者リストにはあるのでしょうが。)

その人が使った弁護士に接触してもただ跳ね返すだけ。
市民無料相談で当番弁護士に相談した人もいますが、その内容が法的には訴えてきた側が有利で、
水掛け論になるだけだからと受任してくれなかったようです。
受任してくれる弁護士がいたとしても延々と水掛け論になり費用が膨れ上がるだけだろうとも言われたようです。(今は、弁護士も受難の時代だから、お金さえもらえるのであれば何でもやる弁護士もいるとは言っていたようです。)

権利の主張だけして、義務(法が定める義務と言う意味ではなく。)を遂行しようとしない。
近所付き合い、町内、会社や学校、サークルなど組織にいれば、我慢や妥協も必要なのに。
狭いコミュニティ(ひとりぼっち)にしか属しないものは、失うものもないから
何でもやり放題のようです。

金さえなければ、こんなこと(弁護士を使ってわがままを通す。)はできないのですが。
とても良い人だった、お父さんお母さん おじいさんおばあさんが浮かばれません。

このような人には、どう対応すればよいのでしょう。
かかわらければ良いとはいえ、地域の秩序を乱しています。
これでは住みよいコミュニティが壊れてしまいます。

法ってわがままを通すためにあるのでしょうか?
法は、道徳や社会通念のようなものを無視する者をも保護する一面がないですか?

・・・・・・・・・・・・・・・・・・
上記の内容とは別に、法の隙間をかいくぐって、道徳的には疑問符がつくような行為を
する者も世の中に増えたと感じます。
違法でないのでしょうが、
敵対的買収、株主の権利を強く主張、無理難題のような動議を出す。
ドラマ 下町ロケットに出てくるような、特許がらみのいちゃもんともいえるような訴えなど。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
気になったネット上の記事

法と道徳の区別がつかない人々
http://vergil.hateblo.jp/entry/20140511/1399788859

A 回答 (9件)

誰でもとは言いませんが、多くの人は静かに穏やかに暮らしたいと思っているはずで、この見解に間違いはないはずですが、そうではない人がいるから問題が起きます。

そして現実に問題が起きているからあなたも困っているわけで、その時、教えてgoo で穏やかに平和に暮らしたいだけだと言っても、相手に届かない以上、問題の解決にもならないため泣き言、愚痴だと言ってるのです。円満に解決したいと願っても相手がそれを願わなければ他の解決方法を探るしかないでしょう。その最後の方法が訴訟になると言っているのです。もし、相手の善意にすがるだけで訴訟も何も嫌だというなら、教えてgoo の場を使うのは親切に教えてあげようとする者にとってはた迷惑でしかありません。
相手方が「もし面会を強要したら……訴える」とでも言ってきているのなら、相手方は訴訟で決着つける、司法の判断に従うと言ってるのと同じだから、相手が訴えたのを絶好の機会ととらえて戦うしかない、と言ってるのです。戦うのも嫌だが穏やかにしても相手が納得しない、どうすればいいのか聞かれても答えようがないですよ。そんな方法などそこに住んでいるわけでもない他人が分かるわけはない。だから善意を期待出来ない相手の善意にだけすがり、思い通りにならないので「こんなのはおかしいのと違いますか」なんて他人の同情を求めるのを泣き言で愚痴だと言うのです。相手も相手ならあなたもあなたで、小生には五十歩百歩どころか目くそ鼻くそのようにしか見えませんよ。
ともかく、小生の知ってる人で泣き言で問題を解決した人はいません。とことん話し合うか、話し合っても駄目か、話し合いすら出来ないなら最後の手段として訴訟を選択しています。法治国の日本としてはそれしかないのです。そして訴訟なら相手方が起こしたのに対抗する方が楽なのです。
 世間の常識では(常識とは、普通レベルの教育を受けた人なら普遍的に持っているはずの知識と、その知識に基づく判断力をいいます)片眼しかない猿は不具の猿ですね。ところが片眼の猿しかいない所では両眼の揃っている猿の方が「みんなと違う変なやつだ」とされて不具合な猿にされてしまうでしょう。人間社会にも同じことが言え、互いに持つ常識の内容が異なればぶつかり合うわけです。それが今あなたの村に起きていて、両眼を持つあなたからしたら相手が片眼の不具者なのに、片眼の相手からすると両眼のあなたたちが不具者に見えるわけです。
 弁護士さん相手に戦うのが現実的でないみたいな意見ですが、一体、あなたの住んでいる所は日本と違うのですか。日本なら本人たちが堂々と戦うのは常識ですよ。小生の知ってる人たちは泣き言や愚痴なんか言わず弁護士さん相手に戦っていますよ。現実がどうのこうのと泣き言や愚痴を言っても問題は解決しませんよ。そんな人は誰も助けてくれませんよ。
 弁護士さん相手にどうのこうのは笑ってしまいますね。法廷で丁々発止やり合う訴訟を取り上げた下らないテレビ番組の見過ぎですね。あんなのを本当と信じて、穏やかな社会に暮らしたいと泣き言を言うしかないのなら、一切人に合わず面倒の起きない無人島にでも行って住むしかないでしょう。ともかく、小生はあなたの正反対で愚痴や泣き言を言ってる暇が合ったら堂々と立ち向かおうと考える人たちに随分と力を貸してきました。みんな普通の人、つまり小市民でしたよ。小市民でも自分が大変だとなれば泣き言や愚痴を言わず立ち向かうんですよ。
 訴訟は相手方と丁々発止やり合う戦いではなく、裁判所に向けた行為ですから、相手が素人であろうと弁護士さんであろうと一向に構いません。裁判所に向けた行為ですから裁判所に理解してもらえればいいのです。無知なあなたは完全に下らないテレビ番組に毒され、毒されて得た知識をまともで正しいと思っているわけです。片眼の猿ですね。
 あたなの意見を咀嚼すると、明らかに素人の一番悪い面が出ています。常識とか社会通念とか言いながら、自分の非常識、無知を自覚しようとしないどころか、なぜそう言われるかを考えることなく、反対に小生が常識はずれだみたいな言い方をする。あたなの世間は狭過ぎて古過ぎて、まるで一歩村から出たら違う藩で、住む人も常識も法も違っていたとという江戸時代のようです。つまり井の中の蛙ですよ。
 ともかく、あたなは、あなただけの常識で日本国の常識を否定しているのです。あなたに分かるはずはないですが。法規範は存在する一定の事実を存在するものと価値付けることから始めますから、自分を守ることに全力を尽くさない人は「何で今まで黙っていたのか」と、結局は最後に法の保護も受けられずに終わってしまうことがあるということを覚悟すべきです。戦うときに戦えない人、自分の権利を主張出来ない人は円満な人とは言いません。円満な人とは自分から問題を起こさない人のことであって、あなたのように、だだ、漠然と平和で穏やかでさえあればいいという人間のことではありません。勿論、泣き言や愚痴を言う人でもありません。
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ご返事を拝見するととんでもない考え違いをしているように思えますがどうでしょうか。


小生は、自分に道理があると思ったら訴えることが出来ると言ってるのです。お金が無くて弁護士さんを頼めないのが法的解決の選択を遠ざけているようですが、民事訴訟は弁護士さんに頼まなければならないものではありません。民事訴訟の原則は当事者本人同士が法廷で戦う「本人訴訟」で、頼める人は弁護士さんに頼んで構わないという制度です。法律専門家でも難儀な問題を弁護士さんに依頼せず自分や自分たちで戦い抜き、しかも弁護士さんを相手に戦って勝訴した個人や集団をいくつも見てきていますよ。ただ、自分の方から訴えると、小額ですが印紙や切手代を負担しなければならないので、経済的負担を避けたいなら相手方に訴えさせた方が楽ですよ、と言ってるのです。ここまで分かりましたか?。
繰り返します。訴えることが出来ると言ってるだけで、訴えなさいとは言っていません。日本国憲法が保障した最後の方法である訴訟に頼ろうとせず、それ以外の何かで解決出来るなら、そうしたらいいでしょう。
話し合おうとしない相手に話し合いを求めるのは、場合によっては強要罪にもなりかねませんが、だからと言って話し合いをしないで済ませられるはずがないですね。そうしたら訴えるか訴えさせるしかないわけです。それも嫌で、ただ、このような場所で相手を非難していても泣き言にしかなりませんよ。それとも問題解決のための方策を求めているのではなく、泣き言を言い、同情してもらうためにこの場を使っているのですか。
権利の主張は嫌みたいですが、あなたがあなたの生き方で生きているのはそういう生き方が権利として許されているからです。それを法律では権利といい人権といい、それを許す社会的合意が法律であり日本国憲法なのです。ただ、毎日の生活の中で、一々「これは権利の行使か否か」などと考えて生きているわけではないし、健全な社会ではそんな事を考えながら生きる必要もないのですが、誰かと衝突したら嫌でも考えざるを得なくなります。自分に理があっても、相手に届かなければ話し合いにもならないわけで、届ける最後の場が訴訟だと言ってるのです。いくらアホな相手でも「訴えることが脅迫だ」なんてことは言わないはずですし「嫌いだから裁判に出ない」とも言いませんよ。結局はお金のようですが、お金が無ければ法テラスに相談するとかしなければなりませんね。そういう人はごまんといて、またそういう人は、泣き言を言いませんよ。泣いて愚痴って同情を得ても解決にならないことを知っているからです。
あなたがこの場で相手方を非難し、自分に理があると主張出来るのも表現の自由が保障されている社会だからであって、ソ連などのような社会主義国や国家主義国では相手の非難どころか、自分の主張さえ許されませんよ。自分の好きな理屈は認めるが嫌いな理屈は認めないというのでは自由の国ではなく言論統制された戦前の暗い日本、ナチス時代のドイツ、旧ソ連と同じですよ。立場を変えたらわかることでしょう。相手から見たら、あなたの理屈が許されないものに見えているから相手はそのような行動を取っているのですから。
ここでは、あなたが嘘を言っていなという前提で述べているのですが、前提が違うかもしれない、正反対かも知れない。もしかしたらあなたの言う道徳観の欠如した人が立場を変えてこの場を利用しているのかもしれない等々、いろんなことが考えられるのがネット上のこうした場面です。というのも被害者だと相談した人が実は加害者で、被害者の取る方法を知るためにこのような場を利用することはあるのです。
最大の思い違い、知識の欠如を指摘しておきます。あなたは「赤系」、つまり社会主義系統が嫌いということですが、むしろ小生の受けた印象では自分と違う考えの人を「赤」と呼んで排斥した戦前の日本人と同じように思えます。「非国民」と言ったのと同じです。
ところが、あなた自身が自分の嫌いな社会主義政策に拠っているんですね。理解不能でしょうから簡単に説明しますが、町内会や自治会、名称は何でもかまわないですが、地域住民がお金を出し合ったり労働力を出し合ったりして地域のために何かすること、つまり「みんなの利益のための助け合い」はあなたの嫌いな社会主義思想の基本理念です。一人では出来ないとか困難だとかいう理由、みんなの問題だとかいう理由、そういう理由でみんなでお金や労働力を出し合うのは「地域のため、みんなのために自分を提供する」という意味で助け合いであり、社会主義思想なのです。
本当に赤系統が嫌いなら、助け合いを前提とする町内会などは出てくる余地も無いのです。あなたは厚生年金か国民年金に加入しているでしょうし、もしかしたらその給付を受けておられる年齢かもしれませんが、年金、保険、社会保障といった社会政策上の施策は社会主義思想から始まったものです。社会主義が嫌いならそういう社会保障への加入や社会保障からの給付を拒否すべきでしょうね。しかし、社会主義が嫌いといいながら社会保障を拒否した人は見ことがあたりませんし、嫌いと言いながらお世話になっている人ばかりで、こういう人を一体どう理解したらいいんでしょうかね。右手で赤が嫌いと言い、左手で社会主義思想にどっぷり使った生活をしているのは奇異としか言いようが無いですね。社会主義が嫌いなら、町内会などは止めて、他人に迷惑をかけないため自分で自分の身の回りだけをすればいいのです。私はそうしていますよ。 
「社会」はまさに、あなたの嫌いな赤系統から出ています。社会が嫌いなら社会の知恵や意見に頼るこのような場で泣き言を言わず、自分の力だけで堂々と相手に対決すればいいのです。
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この回答へのお礼

再びありがとうございます。
難しすぎてよくわからないのですが、訴える権利もありますと。と言うことですよね。
・しかし・・・多くの人は怒りの気持ちではなく、平凡に静かに生活したいのではないでしょうか。
一生のうちに訴訟を体験する人なんてどれぐらいいるのでしょう。
私の親族、友人関係では一人もいないです。
円満解決を望むのが日本人の文化なのではないでしょうか。

自分で戦うことが出来る とおっしゃいますが・・・
弁護士相手に、戦うことが現実的に出来るものでしょうか。
出来ないと思います。それだけ一般の人は口もペンも立ちませんから。
弁護士は話し合う人ではなく、依頼者の最大限の利益を追求する人なのではないか?と感じています。
(弁護士自分自身はそんなわがままを通さない人であっても。極端に言えば世界中を敵にしてでも弁護するとか。)

気になる質問がこのサイト上に出ています。
いまのところ無責任にも感じる回答しかありません。
ぜひ、回答者様のご意見を聞いてみたいものです。

http://oshiete.goo.ne.jp/qa/9118750.html

お礼日時:2015/11/27 10:49

二分割の二つめです。



「町内会の当番」の件は小生自身身につまされます。小生自身、町内会がどういう性質か、どういう規則なのか把握していないので町内会に入るのに二の足を踏んでいることを町内会側に伝えていまして、法律家が言うことなので町内会側も納得しています。それで「当番などやりたくない。やらなければならない法的義務があるのか」は、正しく小生が感じたことだからです。もし「その地域に住む人は、その地域の町内会に入らなければならない」としたら、これは憲法が定める住居の自由より町内会の方が優先することになり、町内会に入りたくない人は町内会のない町にしか住めないことになり、憲法の基本的人権が法律に根拠のない町内会によって事実上否定されかねないものになります。
 町内会がどのようなものかはわかりませんが、加入しない人は町内会に加入して得られる利益の享受を拒否しているだけで、加入しないが利益を与えろと言ってるわけではないですから、加入しないからどうのこうの論ずるのは正しいとは言えませんね。ただ、町内会に入っていない小生でも、地域住民として街灯に関する費用、ごみ置き場清掃費用などは負担しています。

「町内祭の寄付」も難しいですね。町内会で「町内会の人は祭りに寄付する」みたいな決め事があれば、町内会員たちは自分たちのル-ルですから従わざるを得ませんが、町内会に入っていなければル-ルに従わなくても文句言えませんね。少なくとも誰かに義務や負担を課そうとしたら、それを認めるル-ルがなければならず、町内会のル-ルは町内会に入っていない人には適用されないのです。

 この件についてはもっと根源的な問題もあります。『祭り』が神社など宗教的性質を帯びるなら、その寄付を求めるのは信教の自由にかかわりかねないからです。

「警察や市役所に相談してもその行為自体には違法性がないので取り合ってもらえない」とありますが、それは当然です。弁護士さんを介していろんなことを言ってくる件ですが、当人は弁護士さんに「自分は被害者だ」と言ってるはずで、弁護士さんは被害者だと信じ、被害者の言葉として聞いているだけですから、被害者として行うことが許されるだろう範囲内のことをしているわけです。建前としてはそういうことです。真実はわかりません。それは法廷などで争われて判明することです。

 あと、その人個人のことは指摘しないこと、考えないことですね。こういう人だ、ああいう人だ、という言い方には、しばしば「自分たちと違う変な人」という考えが潜みがちで、それはナチスのように異なる他人の存在を認めない考え方になりがちな危険性を秘めているのです。
 貧乏でも清く正しい人がいるし金持ちでも悪い人がいるし、高い学歴に反して道徳心の低い人もいます。社会では『こうであれば、こうであるはず』という明確な基準はありません。個人個人の資質や環境を持ち出して「自分たちと違う困った人だ。変な人だ」とするのは、自分たちと異なる人を認めないことにつながりかねない危険性を常に秘めています。
 小生は、逆立ちして歩く人、後ろ向きに歩く人、そういう人が変な人だと思っていて、今までそういう人に出会ったことがありませんから、「社会に変人はいない」と思っています。
 人はみんな異なる存在です。全部が自分と同じならどう思いますか。自分がトイレに行く時はみんながトイレに行く。食べる物も考えることも、遊びも飲酒もみんな同じ時に同じことをし、何するのもみな同じだったらどう思いますか。自分と同じだから安心しますか。小生なら薄気味悪くなりますよ。
 最後にもう一度書きますが、法は我儘とか自儘を許して保護しているのではありません。その人が「自分は被害者だ」と弁護士さんに訴え、弁護士さんが取り敢えず被害者として扱ったため、弁護士さんは被害者なら行うことが許される行為を行っているに過ぎないのです。そこのところを誤解しないでください。
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この回答へのお礼

町内会に入らないなんて・・・常識を疑いたいと感じるわたしです。
なんでも人権人権と言う人たちはどうも苦手です。
特に赤い系統の人。それだけで排斥したい。
日本の社会は隣組 集団の利益のためには個人は多少我慢することで成り立ってきたのではないですか。

お礼日時:2015/11/26 20:09

法律家の端くれとして書きます。

二分割になります。

「法は、道徳や社会通念のようなものを無視する者をも保護する一面がないですか?」。
そのように見えなくもない場合があることは確かですが、見えなくもない場合があるというだけのことです。あなたの場合でいうと、受任してくれる弁護士さんがおらず戦えないため、反面、相手が保護されているように見えるということがあるのかも知れません。しかし、法は決して道徳を否定してはいません。法学を学べばわかることですが「法は最低の道徳」だからです。但し、書かれている「社会通念」というのは社会の意味、通念と思っているらしいことが本当に通念として法的価値を与えられるものか否かというようなことはあります。
『周囲に自分がいやだと感じるからと「○○の自由」を振りかざす人がいませんか?』
これはいますよ。腐るほどいます。見飽きてます。
「調停や裁判を起こそうとする人がいて迷惑をしています。」
そもそも訴訟を起こすのは国民の権利ですから、迷惑だとしてもそれは止められません。その人は訴訟マニアかも知れませんし、自分が嫌だから対象となる人はもっと嫌に違いない。だからその人たちが嫌になることをしようという意図で調停や訴訟を起こしているのかも知れません。ですから、その人が後者のタイプなら訴えられる側としては迷惑だと思わずチャンスだと捉えるべきではないですか。
 なぜなら「いやだと思った人には、面会謝絶を要求。それでも接触しようとすると弁護士が郵便を送ってくる」ため、家を訪ねて話すことさえ困難になっているように窺えるからです。
 つまり弁護士さんから「嫌がってる人間に家を訪ねて面談を強要するな。そんなことをしたら訴えるぞ」と言われ、それでビビッてしまっているわけですね。ところが「訴えるぞ」という言葉には「法律と裁判所の判断には従う」という意味が含まれています。まさか「判決が気に食わなければ、判決に従わない」ということではないはずだからです。そしてまた原告として訴えるということは、反訴被告として訴えられるのも仕方ないということですから「あなたの方で訴えるのもかまわない」と言っていることにもなります。私ならその立場を最大限に利用しますよ。
 ですから、あなたの言う道徳と社会通念が法の保護を受けるに値すると思ったら裁判で争えばいいのです。訴えるのも訴えられるのも嫌だというのでは法は保護してくれません。何もしなければ何も生まれないのです。黙っていれは何もなかったのと同じで法は保護しません。「法は自ら助けるものを助ける」ということですね。そして、訴えられ被告になるというのも自分を助けるチャンスなのです。

 「周囲に、事実と異なる(事実と異なることの立証が困難)記載が多々ある文書を送りつけ」るということですが、この意味がいま一つ分かりかねます。誰が立証するのが困難なのでしょうか。相手方の弁護士さんから「村の人たちに意地悪された。これ以上意地悪したら訴えるぞ」というような通知が来たとして、村人側が「自分たちは意地悪をしていない」ことの立証が出来ないという意味なのか、相手方で「意地悪された」ことの立証が難しいということなのか、どちらでしょうか。
 不法行為方では一義的に「迷惑をかけられて損害が発生した」と訴える側が不法行為の存在と損害の発生を立証しなければなりません。加害者とされた側には自分が不法行為をしていない立証責任はありません。ここで「事実」とは「真実」のことですが、真実と異なるのですからでっち上げになります。相手側は「訴えたことは真実であってでっち上げでない」ことを証明しなければなりませんから、真実と異なって立証出来ずに困るのは被害者であって、加害者とされた側ではないのです。もちろん、証拠自体がでっち上げられることもありますが、原則はそういうことです。
 訴えられることを覚悟し、その準備をしたらどうですか。例としては相手方の反道徳的行為を写真に撮るなどして証拠を用意し、次に反道徳行為をやめるよう求める手紙を出すのが第一歩ですね。
「家の工事の音がうるさい」などという個別のことは世の中には有り余るほど在りますよ。ただ、それが極めて短期間で受忍を求めるのが不公平でないなら認めてもらわなければなりませんね。それさえ駄目だとされたら、相手方の受忍を求める裁判をするしかないでしょうが損害の比較較量といって、相手方が工事を受忍して受ける損害と工事する側が工事をしないために受ける損害のどちらの方が大きいかが裁判で争われるでしょうか。その時、相手方としたら、自分は騒音を受忍したくないからお前さんの家が壊れても俺は知らない。勝手に壊れた家に住めばいいということは言えませんね。また、受忍が短期間且つ軽微なのに対し、家の不具合の方が放置出来ないなら、裁判を待たずに着工することもあるでしょう。
「ピアノの音」は家の工事とは違いますね。ピアノ音が原因になった殺人事件もあるくらいですから。
「ゴミだし」は地域のル-ルの問題です。ある地域では夜でも可能なのに別の地域では朝に出すことになっていたりするわけで、それぞれにそうした理由があるはずです。
「注意したら逆切れ。怒られたのがとても怖かったから心理的に傷ついた」としても、注意した側が社会通念上、注意と認められる範囲内で注意したのなら、いちいち相手方がどう受け取るかまでは考えなくてもいいというしかないですね。それで傷つくのなら、注意したことを「怒られて怖かった」と責められた人の方が余程傷つきますよ。
 怖かったことや傷ついたことより問題なのは、社会人として注意されなければならない行為をしたということで、まず自分がそうした行為を行ったことを認めて反省する必要があるのですがどうなんでしょうか。
 ただ「怖くて傷ついた」というのですから、注意された内容ではなく、注意の方法についての苦情ですから、自分の不適切な行為を認めていると理解されるのですが、どうなのでしょうか。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
>「あなたの方で訴えるのもかまわない」
実際弁護士に相談するとそれだけで1時間1万円以上とられます。
これだけのお金を出せる人なんてそんなにいないと思いますよ。
怒られた・・・注意された・・・
これも、会社などにいればヘマすれば怒られるでしょう。
それもハラスメントですか?
なんだかこの国はおかしな方向になっているような気がしました。

お礼日時:2015/11/26 20:06

昔の劇画作家の梶原一樹は劇画ではシリアスなことを書いてましたが


私生活は酒池肉林の生活でした!それで天罰が下り病に倒れました
また野球の長嶋も半世紀余りパフォーマンスして国民を愚弄した
天罰で半身付随になりました!
これは周りの人間が梶原や長嶋に注意しなかったのが悪いのです
そういう反道徳な人間を懲罰する人間や組織がいないのが
この日本社会のデメリットでしょう、人間は法律よりも
遵守するモノが在りますよね。
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この回答へのお礼

ありがとう

寄り添ってくださったご回答を有難うございます。
挙げられた方が迷惑だとは感じなかったのですが、
「反道徳な人間を懲罰する人間や組織がいないのが
この日本社会のデメリットでしょう、」
これはそうですね。

お礼日時:2015/11/23 07:23

はい、その通りです。

というか 法で道徳や社会通念そしてマナーは縛れません。ただし、法律は時代とともに変化しますので その時代において社会的正義に反する行為は 法律を制定し 規制することになります。つまり 以前は規制対象外だった行為も  後で法律が制定され処罰対象になることもあります(もちろん法律制定後ですが)。
そして、日本は基本的に成文法主義ですので 特に刑事事件では慣習法は認められません。ただし民事のおいては 当事者がその慣習に従うことが一般的である場合に 慣習法が適用される場合がありますが それでも憲法に違反することは認められません。(例 入会権の相続で以前は男子のみとする規定も認められていましたが 違憲であるとして現在は無効になっています)
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この回答へのお礼

有難うございます。地域で迷惑と思っても金がなければ対抗策が打てない。Njssionさんの問題だったらどうされますか?

予断ですが回答の作風が
https://oshiete.goo.ne.jp/profile/542242419 に似た方ですね。
もしかして副アカ?

お礼日時:2015/11/23 07:21

お住まいの都道府県の弁護士会に相談されてはいかがですか?


弁護士会とはその県に事務所を構える弁護士が加盟している団体で、天下の日弁連が大元です。

日弁連では市民相談として、全国の弁護士が行っている活動に対する苦情を受け付けており、
その窓口が弁護士会とあります。日本の弁護士は必ずこの弁護士会に所属しており、万が一
問題などを起こし除名された場合、国内での活動は事実上不可能となります。

もちろん私自身がそういった経験があるわけではなく、制度上の手引きを紹介したに過ぎませんが、
役場の無料相談レベルよりはマシではないでしょうか。
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この回答へのお礼

うーん・・・

有難うございます。弁護士会ですね。
結局、「受任してくれる弁護士がいたとしても延々と水掛け論になり費用が膨れ上がる」と言うことにならないでしょうか?
相手は、自由に使える金が潤沢にあるから何でもやって来る。
訴えられた側は、そんな金ないから、不快感場合によっては恐怖感を持ちつつ耐えるしかない。
弁護士って、アクションヒーローのような正義の味方じゃないのですね。

お礼日時:2015/11/23 07:17

>法ってわがままを通すためにあるのでしょうか?



そうではありません。
法を使ってわがままを通す人はいるでしょうが、わがままを通すために法があるわけではありません。


>法は、道徳や社会通念のようなものを無視する者をも保護する一面がないですか?

これはその通りです。
道徳や社会通念の中で、守らなくてはならないものを、国民が選んだ代表が国会で定めたものが法です。
逆に言えば、たとえ道徳や社会通念であったとしても、法で定められていないことは無視する人も守るのが法治国家です。
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この回答へのお礼

有難うございます。
質問のようなケースはどう対処すればよいのでしょう。
諦めるしかないのでしょうか。

お礼日時:2015/11/22 13:11

>法は、道徳や社会通念のようなものを無視する者をも保護する一面がないですか?



『法(律)』は万能ではありません。多くの人からなる社会をまとめたり、円滑に動かすために、道徳や社会通念の中で特に大事なものだけ、必ず守らなければいけない規則(破った場合は罰はある)として定めたものです。

道徳や社会通念まで、法律としてがんじがらめに縛り始めたら、それはそれで住みにくい世の中になると思います。
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この回答へのお礼

有難うございます。仰る事はわかるのですが、このような事態を法が想定していないような気もします。
権利の濫用の観点でも訴えることが難しいそうです。

宇奈月温泉事件 ここまではっきりしていればよいのですが。
http://www.sibakiyo-minpo.com/entry/2015/04/06/1 …

お礼日時:2015/11/22 11:44

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