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一発屋ミュージシャンが、5年以上経ってから再ヒットを飛ばした例はあるのでしょうか?

A 回答 (5件)

コブクロがそれに当たると思いますね。


2000年頃、エールという曲を出し当たりましたが、それ以降はヒット曲が出ず。
それが2005年頃、そこにしか咲かない花がヒットして今の地位を築きましたし。
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「海援隊」


1973年リリースの「母に捧げるバラード」が、年末から翌年に掛けて大ヒット。74年にNHK紅白歌合戦に出場。
しかし、その後はヒットに恵まれず、所属レコード会社の経営危機にも巻き込まれ、低迷期を迎える。
1979年に、メンバーの武田鉄矢さん主演の学園ドラマ「3年B組金八先生」の主題歌「贈る言葉」が、翌年春に、オリコン1位、94.5万枚の大ヒットで、この年に、NHK紅白歌合戦に、2回目の出場。
 http://www.takedatetsuya.com/kaientai/
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一発屋というとひっかかるところがあるけど、



・クリスタルキング
「大都会」で150万枚以上の大ヒットした約5年後にアニメ北斗の拳の主題歌
「愛をとりもどせ!!」で50万枚のヒット。
とはいえ、クリスタルキングといえばこの2曲のイメージがあるけど、
「大都会」の次の曲「蜃気楼」は75万枚のヒット曲。

・CHAGE and ASKA
「万里の河」で50万枚のヒットを出したものの、その後はあまりヒット曲は出ず、
世間的に知られる曲は「万里の河」の5年後の「モーニングムーン」、
オリコン1位をコンスタントに取るようになるのは10年後の「SAY YES」から。
とはいえ、「モーニングムーン」以降がなかったとしたとき一発屋に分類されるのかな?
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よく考えたら、再ヒットを飛ばした時点で一発屋ではありませんね(笑)



こういう例もあります。
山本リンダが「こまっちゃうナ」でデビューしたのが1966年。この曲は大ヒットして翌年の紅白歌合戦に出ています。
以降、歌手としては鳴かず飛ばずで、1971年放送の「仮面ライダー」にも出演していましたが、1972年「どうにもとまらない」が大ヒット。以降紅白歌合戦も4度出ています。
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吉幾三が「俺はぜったいプレスリー」でメジャーデビューしたのが1977年です。

当時そこそこ売れました。もちろん世間はコミックソング扱いでした。
その後「俺ら東京さ行ぐだ」がヒットしたのが1984年ですが、これも本人の思惑は別としてコミックソング扱いだったと思います。なかなかいい歌ですが。
その後は演歌のシンガーソングライターとしての活躍はご存知のとおりですね。
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