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戦国時代、日本では金鉱山、銀鉱山が開発され、世界中に日本産の金銀が出回っていたと言われています(南米産の金銀と並ぶほどの流通量だったらしい)。

当時の金銀は世界各地で通用する通貨でしたから、膨大に産出される金銀を用いて交易をおこなっていた日本は、当時は世界有数の裕福な国家・地域だったと思いますがいかがでしょうか。

豊臣秀吉などは、当時南米を支配していたスペイン王フェリペ3世に匹敵するほどの富を持っていたように思いますが。

質問者からの補足コメント

  • それでは、当時の日本はスペインに次ぐ富裕国家だったということですね。当然ながら、イギリスやフランスよりも裕福だったでしょう。

    No.2の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2015/12/14 12:24
  • おっしゃることは分かりますが、それは当時の西洋も同じことです。
    金銀は当時の国際通貨であり、日本人はそれを用いてスペインやオランダ、東南アジアと交易していましたが。
    当時考えうる金銀の最良の使い方ではなかったでしょうか。

    No.3の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2015/12/14 22:47
  • おっしゃることはわかりますが、それは現代の尺度に当てはめているのです。
    当時はヨーロッパも含め、王侯貴族だけが裕福で、それ以外の一般庶民は貧しい生活を強いられていることが普通でした。
    産業への投資やインフラを整備して国を豊かにするという考えは、18世紀の産業革命以降に生まれた考えであり、当時そういう方法で国を富まそうと考えた国・地域は皆無でした。
    また、秀吉は大阪城の築城、神社仏閣の建立のようなことしかやらなかったとおっしゃいますが、太閤検地とか刀狩、楽市楽座など当時先進的な政策もかなりやっていますよ。また、当時強大だった宗教の力を抑えたということも凄いことではないでしょうか。

    >海外事情に疎かったせいもあり、多くを不公平な交換率で海外商人に掠め取られてしまったのです。
    → これは初耳ですね。ソースはあるのでしょうか。

    No.4の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2015/12/16 07:42
  • あなたはやはり現代の尺度に当てはめて物事を語っていますね。16世紀は民主主義という考え方は世界のどこにもないのですよ。
    当時の世界は、スペイン、ポルトガルも含めて、武力によって権力者が富を独占し、庶民は貧しい生活を強いられるのが普通でした。
    その同じ条件の下では、膨大な金銀を産出し、世界有数の軍事力(鉄砲など最新の兵器も量産していました)を誇り、絢爛豪華な桃山文化を創出した当時の日本は、やはり世界有数の裕福な国家だと言えると思いますね。

    No.5の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2015/12/17 07:39
  • GDPが大きい国が必ずしも裕福だとは限りませんよね?中国のようなGDP大国よりもスイスのような小国の方が豊かだと誰でもわかります。
    また、その推計はおそらく労働による生産のみで、金銀産出による富は考慮されていないのではないでしょうか。貨幣経済が発達していなかったので測りようがないのでしょう。

    確かに秀吉は多くの富を保有していたでしょうが、あなたの言うように独占していたわけではなく、惜しみなく使っています。金銀を産出し、それを国内のみならず海外へも流通させたというのは日本が豊かだったという証ではないでしょうか。ちょうどドルを刷り、世界中で流通させているアメリカのように。

    No.7の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2015/12/17 20:52
  • 豪華絢爛たる桃山文化、世界一ともいわれる鉄砲の生産量、そして金銀の産出。これで当時の日本が豊かと言わずして何なのでしょうか。

    富の独占の意味をわかっていますか?全てを自分のものにするということです。いくら秀吉とて無理ですよ。例えば江戸時代の将軍や大名は金がなくて困っており、商人が金をたくさん持っていましたよね?
    そもそも金銀は交換手段ですから、誰かが独占することはできません。経済学の基本です。

    そしてGDPは通貨の貯蓄額(ストック)ではなく流通量(フロー)の合計です。多くの金銀を海外に流出させたというのはすなわち、外国との交易活動が活発で経済活動が盛んだったという証拠です。おそらく国内の商取引も活発だったでしょう。これらは全てGDPに反映されますから、当時の日本はそういう意味でも豊かだったと言えるわけです。

    No.8の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2015/12/18 00:22
  • >桃山文化が日本中に蔓延していたわけではありません。秀吉の周りだけだったのです
    秀吉の周りだけでなく、博多、堺、大坂、京都の大名、豪商、商工業者が文化の担い手だったと言われています。

    >国内の鉱山から算出した金銀は精錬され、現物として大部分が秀吉の金庫に入れられたのです。
    それが事実だとしても、海外との交易や国内取引においてこれらの金銀は使われていますね。一般庶民は永楽銭を使っていたとしても、大口の取引でこれらの金銀は使われていたことでしょう。つまり金銀は国内、海外に流通していたのです。これをもってどう独占というのか、理解に苦しみます。

    >だからといってそれが国内で庶民の購買力の向上には、まったくといっていいほど結びついていません。
    ソースを教えてください。金銀の産出に裏付けられて経済活動が活発化したのは事実ですから、国全体として豊かになったと考えるのが自然です。

    No.9の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2015/12/19 10:53

A 回答 (9件)

銀に関してはスペイン銀のほうが圧倒的に多かったかと。



安土桃山時代ではなく戦国時代の前半なら、日本の銀は匹敵していたといっていいと思います。
16世紀半ばからアメリカ大陸での銀産出量が激増してしまったので。
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桃山文化が日本中に蔓延していたわけではありません。

秀吉の周りだけだったのです。あなたは金銀が単なる通貨として存在していたと理解しているのですか?だから独占なんか無理だと・・・?庶民の通貨は銭でした。中国から輸入された永楽銭などです.これも国内流通量は限りがあり、かなり質の悪いものも使われていたようです。そのため信長などは選銭令をたびたび出しています。金銀を使うのは稀でした。国内の鉱山から算出した金銀は精錬され、現物として大部分が秀吉の金庫に入れられたのです。これを独占といわず何と理解するのでしょう。

それに金銀はそれ自体が商品です。南蛮貿易でポルトガル船が扱った輸入品は硝石と絹織物やガラス製品が大部分でしたが日本から持ち出したもの(輸出品)は漆器や刀剣と並んで銀そのものだったのです。これが交換率の違いで莫大な利益を彼らに与えました。金銀が海外に流出したのは何も貿易の対価としてではなく、その大部分が輸出品(商品)としてだったのです。国内の商取引の活発化を必ずしも促進させるものではないですよね。

江戸時代になって徳川幕府が財政的に行き詰ってきたのは、これら鉱山資源が枯渇したことも原因です。人口が増え物価の上昇に伴って、貨幣の増産に用いる金銀に不足が出、家康の遺産として江戸城に蓄えられていた金銀は三代家光以降にほとんど供出してしまいました。

あなたが何処に国家の豊かさを見出しているのかさっぱりわかりません。確かに秀吉の時代日本は世界でも有数の金銀の産出国でした。アメリカ大陸のゴールドラッシュが起こる遥か以前のことです。だからといってそれが国内で庶民の購買力の向上には、まったくといっていいほど結びついていません。商人なども急成長したのは硝石の流通に携わった長谷川宋仁などだったのです。海外からの輸入品が庶民の用に供することなどまったく無かったのです。これで金銀の産出が世界有数だったからといって、国内経済活動が活発だったとはとてもいえないでしょう。

改めて再度申し述べます。秀吉の時代日本は金銀そして銅さえも世界有数の産出国でした。しかしその富は豊臣家の財産として独占されたのです。決して「日本国」の富ではありませんでした。絢爛豪華な大阪城があったからといって、日本が豊かだったと見るのは間違いです。
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それは国民一人当たりの所得で比べているからでしょう?そんなものを豊かさの指標に出してきたら、あの時代の統計が推定されるかどうかわかりませんが、日本が豊かさの上位にランクされると想いますか?


おかしなことを言いますね!秀吉が独占していたから惜しみなく使えているのでしょう?何度も言うようですが、多くの金銀を海外へ流失したことで秀吉が豊かだった証にはなりますが、日本が豊かだったという証には何もなっていないのですよ。
アメリカだってドルを世界中に流通させているから豊かだ、と想われてるわけではないでしょう?GDPも個人所得も高く、社会資本も充実しているので豊かというのではないですか?
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民主主義の視点で語っているのではないのです。

国家が豊かであったかどうかをそんな点で判断すべきでないと申し上げているのです。それではフッカー家がいたアウグスブルク(今のドイツ)やメディチ家のいたフィレンツェ(イタリア)やハプスブルク家のオーストリアが裕福な国の上位に入ってしまいます。国の富を計る指数GDPの推計値を調べた機関があります。1500年や1600年頃の富の大部分は農業生産高です。したがって国土が広く人口の多かった国家がメインです。

このように国家という規模の噺になると、富を独占した一家の存在だけで鵜呑みにしてしまうのは単純すぎると申し上げているのです。
「安土桃山時代の日本は世界有数の金持ち国家」の回答画像7
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No.5で大事な記載間違いをしました。

ポルトガル船です。失礼しました。
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あなたが金銀を莫大に産出していたから、日本という国家が世界でも有数の豊かな国だと主張されるので、私はけしてそうではなかったと申し上げたのです。



明国に出入りしていたオランダ船が種子島に流れ着き、たまたま持っていた鉄砲を日本人が始めて知ることになったことで、オランダ船を仲介とする貿易が盛んになったことが南蛮貿易の起こりです。鉄砲はその後国産化されましたが、火薬の原料の硝石は日本では産出されませんでしたので、すべて輸入に頼ることになったのです。これを一手に引き受けたオランダ船は、明国から日本に運びました。その過程で彼らが学んだのは、金と銀の交換比率です。当時の日本での金銀比価は1対12でしたが、中国では1対5でした。つまり日本から大量の銀を運び出し、明刻で金に交換することが莫大な差益を生んだのです。これは南蛮貿易のどの資料にも記載されている事実です。

日本に持ち込まれた輸入品は絹製品やガラス製品であって、とても庶民の需要に供するものではありませんでした。このように貿易の恩恵は庶民の暮らしに何のかかわりも無かったのです。またあなたが言われる秀吉の太閤検地とか刀狩だって己の権力基盤の安定が目的であって、庶民の豊かさになんら関与していないでしょう。また秀吉が何もしなかったなどと私はいってはいません。独り占めした国内の富を己の贅沢の為だけに浪費したといったのです。

このように武力で国内の諸侯を従わせた秀吉だけが、当時の最新技術の導入で産出を増大させた国内資源を独り占めし、己の贅沢の為だけに浪費したような人物を戴いていた日本が、果たして世界的に裕福な国家だったといえるでしょうか?
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日本が豊かだったのではありません。

秀吉個人だけが豊かだったのです。もちろん当時の日本は世界有数の産金・産銀国でした。精錬方法の発達に伴い純度の高い製品を生産できていたのです。但しその富は国民(多くは農民ですが)に還元されることは無く、産業への投資やインフラの整備には向かわなかったのです。多くは豪華な大阪城の築城や、神社仏閣の建立に浪費されました。それに海外事情に疎かったせいもあり、多くを不公平な交換率で海外商人に掠め取られてしまったのです。東洋のちっぽけな島国で発見された何箇所かの鉱山は、短い間にそのほとんどを産出し尽くしてしまったのです。今から想うととてももったいない気がしますね。
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何をもって裕福だったかは異論あり。


金銀を産するから裕福だったとは短絡。
金銀を何かに使うから裕福となる。
当時の日本に国、国民、民族等の意識があったとは思えない。
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安土桃山時代は大航海時代と重なり、世界的に貿易が栄えた時代です。

前近代では最高の栄華を誇りました。
その中でも更に、当時の日本は「黄金の国ジパング」と呼ばれ、金銀の埋蔵量が破格に多いことで知られていました。その日本で名実ともに最も権力・財力を持ったのが天下人である太閤殿下です。
恐らく、当時の豊臣秀吉太閤殿下は当時の世界で5本の指に入るくらいの大富豪であった事は間違いありません。
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