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http://www.asahi.com/articles/ASHDT5HRVHDTULFA02 …
この動きは以前からありましたが(流通業の参入など)ここまで来てしまったかと絶句する限りです。

代々檀家総代をつとめていた家です。菩提寺は人口も多い大都市内にあります。
市内の地域による人口増減(地区による人気不人気)はありますが、
500年以上の長い歴史を持っていますが大きなお寺ではありません。
拝観料を頂いているようなお寺でもありません。ごく普通のお寺です。

昨今、マスコミで報じられる急速に過疎が進む地方のような問題ではありません。

わたし自身はそこから列車で4時間かかる地に住むので檀家総代の打診を断っています。
それでも年に数回は墓参をします。

本音を言うとこの菩提寺の存在が面倒だと感じることもありますが、
表立っては口が裂けても言えません。
住職はとても誠実な方でもうけようとなどはしていません。
どうすればお寺に人が集まれるのか? と言うことを考えて行事を企画されています。

インターネット上では、

1.離壇して改葬すればよい
2.お寺とけんかしたことを武勇伝のように語る(これがもっとも不愉快)
3.信仰の自由の侵害だ

とか、「勝手気ままな意見」が支配的なように感じました。
私の立場(その土地に住んでいたら檀家総代も自然な流れ)から見ると
不快で無責任な意見に感じています。

しかしながら・・・縛りがない人はいいなあと思うことはあります。
でも、誠実な住職に「離壇したい」など・・・恐れ多くて言えません。
我が家伝来の家系図を見る限り、お寺との深い関係(明治維新以前)も記録されています。

このようなことは、お寺と深い関係がないから言えることだと思っています。
しかしながら、檀家制度の名残は今も厳然と存在します。

お寺の行事に参加する方も年々高齢になっているように見えます。
私はこの人たちを壮年の時代から知っています。大正末期から戦前生まれの方々です。
(私が子供のときから気遣ってかわいがってくれた人もいます。私が知らない、曾祖父母 
 その上の話も耳にします。身につまされる思いを感じることがあります。
 ~~私は父を若くして亡くしています。)

20年後 今のお寺の行事に参加している方々はこの世にいないでしょう。
 
次の世代(戦後生まれ)はあまり見ません。いたとしても付き添い役。
私は、高齢化している人たちの子せ代ですが、このようなお寺の将来はどうなっていくのでしょうか?

人がその土地にずっと根付き暮らしていた場合はそれほど問題がなかったでしょうが、
今の時代は、海外までが生活の拠点になります。

この問題を考えると心配になってくることがあります。
私の周囲(友人・知人)ではこの問題で困っている人がいません。

都市部の著しい人口減少がない地域での普通のお寺の将来はどうなって行くのでしょう。
・東京などでは「お墓マンション」にされる寺院も聞きますが、そこまでの需要もないと思います。
・それでも少子高齢化で人口は減って行きます。

A 回答 (3件)

>>代々檀家総代をつとめていた家です。

菩提寺は人口も多い大都市内にあります。
>>わたし自身はそこから列車で4時間かかる地に住むので檀家総代の打診を断っています。

今はどういう立場なんでしょう?
総代では無い様に思いますが、一般檀家?世話人?
あるいは、総代職だけど、代表総代では無い?

わたし、生まれてからずっとこの場で暮らしていますが、寺の役員さんで、生まれ育った所に暮らしていない、或いはその地に暮らしていないことを理由に役員を断る、でも、完全に一般檀家になるのもイヤみたいな、この地に居る者にとって、はっきりしないのは、邪魔以外無いです。
なんか、上に席を作るなら座るが、みんなと同じ平らな所じゃイヤ、というのがどうしても見えてしまいます。

>>でも、誠実な住職に「離壇したい」など・・・恐れ多くて言えません。

一般檀家なら、離壇するなどと言わずに、フェードアウトすれば良いと思っているので、その時が来たら、寺に行かない、維持費を払わない、法事、葬式はしない(墓は寺の境内で無く、町内の墓地がありますので)わたし一代の時間があればできるでしょう。
わたしまで何十代続いているか判りませんが、フェードアウトすると決めたら、出来ると思っています。

私の菩提寺が珍しいのか判りませんが、代表総代さんだった人が総代をやめて、一般檀家になった人もいますし、総代さんが次の代がここに暮らさないと決めたので、自分の代までお世話になりますと、先祖代々を含めて、共同墓地に移してもらって、永代供養の手続きをした人もいます。
田舎の方がスパッとするような気がします。
役員さんで、私がそこにいると新しい人が座る席が無いと悪いので、役員を辞めるに当たって、位牌殿を一般の人たちの方に移して、阿弥陀様と並びの席を空けた方もいます。
もちろん、しがみついているのも居ます。

右習えでなくて、各家々が決める時期が来たのかと思います。
昔みたいに先祖のお世話なっていた寺、住職に惹かれて檀家になった寺、今生活しているところで供養してもらっている寺が有って、それぞれに維持費を払い続けられればそれが一番なんでしょうが。
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この回答へのお礼

一般檀家です。但し行事のときは当日だけお手伝い側に回っています。
(仕事の都合がついて行けるときだけ。)
総代となると、月に一度程度集まりがあり、まさか4時間かけて行くわけに行かないでしょう。
地元か、寺まで小一時間の範囲じゃないと難しいと思います。
>離壇するなどと言わずに、フェードアウト
これはつらいですよ。うちだけいつも花がなく草ボーボー ご先祖に申し訳ない。
どうしても行けない時は、石材店さんに掃除とお供えをお願いしています。

お礼日時:2015/12/29 18:38

私は若いころは、僧侶になり禅の修業をして悟りを得たいと思っていました。



お寺が、住民の結束の中心的存在であったり、心の
より所であるという意義は認めますが、だんだん薄れています。
どんなに強い人も、時代の流れには勝てません。

私は宗教家というのは、生活費をかせぐ「職業」であっては
ならないと考えます。議員も同じです。

私の中学の担任の教師は僧侶でした。そのように、僧侶が
別に職業をもっていて、宗教では必要経費をいただく程度にすれば、
高額なお布施や戒名料がなくなって、坊主丸儲けなどという言葉も
なくなるでしょう。
宗教活動だけで生きて行きたいという僧侶なら、肉食妻帯を避け、食べ物は
托鉢で得るくらいの覚悟はしてほしい。
今の僧侶は、葬儀や法事を行うことによって生活費を得ているということは、
人の不幸の上に、自分の生活が成立しているということは忘れないでほしい。
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この回答へのお礼

有難うございます。
先生と兼任の僧侶は昔はいましたね。住職との兼任 今の時代の教育体制では難しいのではないでしょうか。
(実際のところは知りません。)
・今も浄土真宗では兼任が多いとは聞きます。(実態は知りません。)地方に行くと会社員との兼任だったり。

これも気になる記事です↓
http://sougi-soushiki.beauty-box.tokyo/entry/201 …

葬儀や法事を行うことによって生活費・・・こう言い切られるところが気になるのです。
お寺の本堂が維持できなくなったら困るのは檀家です。代々のお墓がどうなるのか。
葬式だけしかしなくなった仏教 の問題と言うことでしょうか。
参考
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question …

皆さん厳しいご回答ばかりです。ますます私の不安は広がります。
どなたかわたしの思いに寄り添った、それでも現実的なご回答をいただけないものでしょうか。

お礼日時:2015/12/26 10:04

宗教行為なんてもうずっと前から商業行為なのに


自分たちがそれを意識していない。
いや、承知のうえで意識するのを避けているのかも。
あんなものはコンビニと同じ考え方でいい。
必要なときに便利なところを利用するだけ。
実際、寺なんて生きていくのに必要はない。死んでからの話。
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この回答へのお礼

有難うございます。あなた様のようなご意見は、私も質問文の中に含めたつもりです。
先祖の墓参をするとすっきりします。家の近くならば毎日でも墓参したいぐらいです。
ご先祖様がいたから今があると言う思いです。)これは親のしつけ、教育(悪く言うなら「刷り込み」)もあるのでしょうね。)
わたしのような縛りを感じている者の声なき悲鳴は、あまりインターネットや書物で見かけません。
>寺なんて生きていくのに必要はない。死んでからの話。
申し訳ありません。どうしてもこの言葉に「嫌悪」のような、「震撼」させられるような思いを感じてしまいます。

どなたか・・・この思いに寄り添った、現実的なご回答をいただけないものでしょうか。

お礼日時:2015/12/26 08:22

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