プロが教えるわが家の防犯対策術!

正月早々、良いテレビ番組を見つけました。「奇跡のレッスン」というタイトルで、一流のスペシャリストが子供達を一週間教育するというコーチングの番組です。
私が見たのはバスケットボールの回でして、「運命は自分でコントロールするんだ」という様な言葉がコーチの口から出ていました。カッコええなぁ、、俺もこんなコーチ受けたかったなぁ、などと思いながら見ました。自信のなかった子供達の表情が明るく変わって行くのが印象的でした。他の回の紹介では、「自分で見つけた答えは一生忘れない」→(子供が自分で答えを見つけるのを待つ)とか、「出る杭は下から押し上げる」と言うのもありました。
当方、いつもこのサイトで回答者の皆様にお声かけていただき、「レッスン」を受けている身ではありますが、あらためて尋ねたいと思います。

良いコーチ、先生に巡り会えた方もそうで無い方もいると思いますが、自分が諭された言葉や、自分なら子供達にこう語る、という言葉を選んで、ご回答頂けると嬉しいです。

質問者からの補足コメント

  • そんな大した大人に離れていません→そんな大した大人にはなれていません

    誤字修正です。

    No.5の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/01/03 16:25
  • 先祖の話、早速アマゾンでポチりました^^v
    読んでみますね。

    No.20の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/01/05 01:01
  • 一応、齟齬があるとよくないと思い、冒頭の1〜4についてお答えします。
    1.そういう場合もあるかも知れない事を考慮するが、私自身はそういう事は思っていない。
    2.これは1.に同じ。
    3.良い教師はやる気を引き出すと思っているので、そう思っています。
    4.始め、大体の事は自分でやれないが、できる様になると信じて精進すれば、大体の事はやれるようになる。多くの人から、或いは自分よりも劣った人からも学びは得られる。この様な考え、スタンスです。進度やスピードはまちまちで、一を覚えて十を知る事もあれば、十を教わりニしかものにできない事もある。

    No.30の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/01/07 01:26
  • 皆様へ。
    この質問は、スレッドが更に伸びないかぎり、来週いっぱいで締め切らせていただこうと思います。どうぞよろしくお願いします。

      補足日時:2016/01/07 22:03
  • 女王先生ですか^^; 
    一話だけではなんとも言えませんが、、、歪な教師だとは思います。生徒を締め付けるタイプのようで、あまりいいとは思えませんでした。このような教師が居て良いのか悪いのか、、現実には変人教師というのは居ますから、それこそサイコロさんの言う距離感でもって対処するのが良いのかなと思います。

    No.64の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/01/13 01:23
  • ウィトゲンシュタイン関連のご投稿を少しですが咀嚼しました。現代哲学における身体の肯定的な捉え方と、行為へのパースペクティブというものに着目しました。この度の質問は、スポーツのエキスパートが子供達のコーチをするという番組についてでして、身体の捉え方とパースペクティブという観点から繋がりそうかな?と思いましたが如何でしょう。もうちょっとウィトゲンシュタイン関連の方も読み直してみますね。

    No.75の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/01/15 14:44
  • サイコロさん、どの職業が偉いとか、そんな話をお礼欄に書いてしまいましたが、流石にそれは無いかと思い直しました。スルーしてください。サイコロさんを侮る様な事を言ってしまいました。

    No.78の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/01/15 16:00
  • #96の投稿が、残念ながら息をしておりません。
    その全文を保存しておりますが、短い補足のスペースですのでそれを全て掲載することは出来ませんし、運営の方針も尊重したく思いますので、宛先のない短いコメントをして彼が存在したことを記録したいと思います。
    #96に記された内容は、現代教育のあり方と、素敵な歌と、空想の酒席でした。
    褒めることについて生徒が天狗になって後、人ん話をきかなくなり伸びなくなるというVTRの件ですが、私は、出来るから褒めるのではなく、出来ないから褒める、ってのが褒めるタイミングだと思うんです(マグジーもそうしてた)。凹んでいる子のモチベーションや自信を回復してやる効果が得られます。
    カントアイさんと猪突さんの酒席ですか。座を同じくすれば異なる意見もいい肴にきっとなると思います^^あほなも同席させていただければ、そこでもあほなことを言いますよ(笑)。

      補足日時:2016/01/17 22:13
  • すみません。今読んだGOOからのメールに、今回は削除理由が明記されていました。理由は、個人情報だということです。おそらく、他の方のブログのURLを転載したことが引っかかったのだと思われます。

    No.99の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/01/17 23:33
  • えー、ついに2月になりましたね^_^
    月日の経つのは早いです。
    投稿も落ち着いてきたので、そろそろ閉める準備に入ろうかと思います。
    私の感想としましては、多くの方のお話を聞いて、自分自身を振り返るに、友達には恵まれたが、教師には恵まれなかったのかなという事があるも、教師の像というものをこのQAを通じていろんな角度から知ることができ、視野を広げることができました。皆様ありがとうございます。

    BAの選定に数日をかけますので、皆さんから頂いた回答を楽しみながら振り返りつつ、これかなー、というものをBAとしたいと思います。

    ながらくこのQAにお付き合い、盛り上げてくださり、重ねて御礼申し上げます。
    m(._.)m

      補足日時:2016/02/01 17:36

A 回答 (142件中41~50件)

#103関連で:



雨合羽お姉は相変わらずの迫力と説得力のある論を語るね。頼もしい。

>日本人の多くはたぶん、くじかれもし、さまたげられもして、制限付きで生きているのです。

私の経験では、日本の若い連中は失敗を過剰に恐れる傾向があるように見受けました。そんな連中に私は何時も

「失敗が新しい世界を見せてくれ、失敗がその人を大きく成長させてくれるんだよ。失敗したことのないものは、信用なんて出来ない。何故なら、全然成長できていないからだ。失敗を隠すのでなく、失敗をしたことを指導者に報告することをためらっちゃ駄目だよ」

と教えています。でも、これって口で言って頭で考えても、体験を通してでないと結局入っていかないようです。

私はそれを学生のみに叩き込む方法を知っています。私の場合、研究の指導で、色々な仮説を立てて、決め付けで先に進んで行かせます。そして、その仮説が正しかったらどんなに素晴しい発見であり、素晴しい論文が書けるか相手に夢を持たせます。その夢に勇気づけられてどんどん先に進んで行くと、学生は必ず、仮説の誤りに気付きます。ほとんどの場合、学生はそこで落ち込みます。このときが教育のチャンスです。その落ち込んだ学生に向って、次のように言います。

「そもそも、研究って誰も解らないことをやるんだから、前もって正しい仮説を立てられる奴なんているずないじゃないか。もしそんな人がいたら、研究をすることすら意味がないじゃないか。だから、先生だってその仮説が正しいか間違っているか解るはずがないじゃないか。さらに、海とも山とも付かない段階でもっともらしい仮説が立ったとしても、それで正しい答えが出てしまったような問題に重要な問題があるものか。

今貴方は、誰でも考え付きそうなもっともらしい仮説が間違っていることが解るようになったのだ。だから、その段階でもう、その他大勢の人たちには想像が付かなかった新しい世界を見たことになる。だから、その仮説が正しかった場合より、間違っていることを知ったことの方が大きな成果じゃないか。

研究って、そのように、仮説を立てたときに、それが巧く行ったらどんなに素晴しい世界が見えるのか、その反対に、その仮説が間違っていることが解るようになったら、どんなに素晴しい世界が見えるのか、どちらに転んでも素晴しい世界が見えるのだと言うように、その仮説の正否から見えて来る世界を前もって考えておかなくては駄目なんだ。

私なんか、巧く行かなかったときの方が何時も大発見だと興奮して喜んでいるんだ。失敗だ!失敗が貴方を成長させてくれるんだ!」

そして、その仮説の誤りの気付きの下に、新たな仮説を立て直して、また決め付けで先に進ませます。そしてまた、修正された仮説の誤りに気付く。これの繰り返しで、自分でも納得できる想像だにしなかった新しい驚きの世界が見えて来る。

誤った仮説で、数学的に正しい計算をやって行くのだから、何時も話が支離滅裂になる。仮説の下に正しい計算をやるほど簡単なことってありません。ところが、仮説が間違っているから難しいのです。だから、研究って、支離滅裂な混乱の連続です。この混乱を持ち堪えるのは、悲観的な人にはほとんど無理です。無責任で能天気なくらいの楽観的な性格の人でないと、潰れてしまう可能性が大です。

そして、その支離滅裂でこんがらかった糸が段々と解けて来る。そんなある適当な段階で論文にまとめるのです。学生も、仮説の誤りの挫折感を経験させた後では、失敗を恐れなくなって、喜んで失敗の報告をして来るようになります。
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この回答へのお礼

自分の過ちは、知っている人の前にでてみればすべからく暴露されてしまいます。それを恥ずかしいと思う人の気持ちもわかりますが、私はいつも恥ずかしいかもしれないが、知らぬままでは済まされぬという気持ちで一歩前に出るようにしています。それが何か自分のためになるような気がするのです。

失敗が糧となることに気がつけば、より一層、研究の推進力が力強く得られるのですね。

お礼日時:2016/01/20 00:30

あ、75に補足をいただいていたのですね。

ありがとうございました。
そうですね、おっしゃるようにマウジーさんはスポーツの専門家なのですから、子供たちのパースペクティブを1人1人、的確に読み取るということが、即、チームの布陣や動きや勝機に繋げられそうです。やっぱり子供子供の、心理とか気質とか持って生れた特徴とかがありますから、バスケでも、スペックなんていう言葉だけでは測りえない奥行きや広がりや心の配置を感じたいですね。ヴィトゲンシュタインは、その人の世界という意味で、ミクロコスモスと言います。偶然も必然もそこに起こっていく、意志することで身体が判断より早く動く、すると状況・環境が生まれる。こういうことはスポーツ指導では伝えやすい。ヨットなどもですね。スポーツって、誰一人同じ条件の同じ動きをする人間はいないでしょう。そしてじぶんの限界にさらされているでしょう。ヴィトゲンシュタインみたいに言葉が自分の限界だというのと違って、身体的限界や精神的限界の地図を書き換える経験が出来るわけですから、自分の未来の環境を招くと思います。本当に奇跡のレッスンですね。

いろいろ、ざっと皆様のご回答を流し読みしましたが、あほなさんは高専なのですね。合わない子はとことん合わないと言われますから、気苦労のおありだったことでしょう。ほかにご自分の体験を書かれているかたもいらして、とてもわたしなどは振り返る気にもなれません。今、脳を忘却に押しやるべく猪突さんの書き込みに触発されて赤ワインを飲みました。まあ、1つ思いだすのは、中学の奇跡のレッスン、満点近くばかり取るわたしに、ある学期の代理教員で来た数学教師が「お前なんかほんとは出来ないんだ」と何度か囁きました。言われてきょとんとした記憶がありますが、その学期の数学は60点台で免疫がなかったので血の気が引きました。はは。
日常的な体罰の校風はなかったかな。意味のない体罰を繰り返された記憶から自分を救い出すのは自分だけです。立ち上がろうとする時になにかと制限のかかってしまう自分を、どうやって力強く未来へ向かえる自分に変えられるか、言葉のパースペクティブの限界を拡げることも鍵です。言外とか、行間とかも含めてです。
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この回答へのお礼

>身体的限界や精神的限界の地図を書き換える経験が出来るわけですから、自分の未来の環境を招くと思います。本当に奇跡のレッスンですね。<

ウィトゲンシュタインは哲学者であったから、言葉の限界=哲学の限界=自分の限界となったのかなと推測します。ところがマグジーは、「バスケットボールを出来る期間は限られている(年齢的に)。しかし、その後も人生は続くのだ。」と言っていました。一人のバスケットマンとして以上に、一人の人生の先輩として、生徒たちに向かい合っていたマグジーには親しみが溢れていましたし、私は番組を見て彼のファンになりました。マグジーのパースペクティブは、バスケットコートを遥か広く超えていたのです。

多くの回答者様がご自身の経験を交えて今回の質問に答えてくださりました。ありがたいです。雨合羽さんの出会ったその代理教員もそうですが、歪なサイコパスが教員の中に混じっていることもあります。完璧超人を求めているわけではありませんが、せめて生徒たちとともに成長するような先生が、たくさんいてくれたらと思うのです。

今あるパースペクティブは、自ら生み出したものであれ即ち自己の限界でもあります。自分を越えて行くというのは、今あるパースペクティブを描いた過去の自分自身を越えていくことなのでしょう。

お礼日時:2016/01/18 20:27

猪突さん、ありがとうございます。



戸塚宏さんのは、ずっと以前見たことがあります。
暴走族ですが、何かを熱心にやり遂げると言うのは
得るものが、十分にあると思います。

私もそれなりの年齢ですし、かなり勉強もしましたので
支配が目的なのか、やつあたりなのか、見せしめに
利用されているのかなど、十分に判別は付きます。

7歳前後は、意味不明でしたけどね。


エールをありがとうございます。

私は、まだまだそこまで行きません。

14年で、付き合い含め3回ほどは飲みました。
見たいものを見、叶えたいものを叶えるまで、さほど飲む気は起きません。
断酒はしてないです。

今の酒より、未来に手にするものが楽しみです。
完成のあかつきには、友人と鍋で飲む予定にしています。

死ぬ寸前まで笑って働けたら、結構いい人生じゃないかと思えるのです。
とにかく人が好きなので、自分ができることをやり続けたいですね。

ありがとうございました。
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コーチングとは、短期間集中的におこなって効果を狙うものです。

長期でプログラムを組んだ場合、中に休みを取って、反復学習による効率や速度を上げる単純な訓練期間を挟まなければなりません。
きっとよくおわかりでしょうが、コーチングの背景には、やる気や気づきの契機と、次の段階へ進むためのコツコツした準備とが揃わねばならないのです。そんなのあたりまえじゃんか、と思うようなことではありますが、明治からこっちの集団教育に関して言えば、この両輪をうまく回す環境は、日本にはないです。
日本は、教育学を科学として捉えてきていません。スポーツ科学なんていう分野では欧米の科学的なアプローチを移植しましたね。でも学校教育については、独特の文化を固守しているといえます。師範学校の格式や伝統によるところもおおいにありそうです。教師は生徒とぶつかりあい受け止めて成長しなければ、ということで、教師個人の力量とか、覚悟とか、根性とか、愛情とかをバロメータにしていますね。
こういうのを、社会モデルが無い、と言います。
それぞれ異なる個人の行動に、全体で同じレベルの質や結果を求める場合と、同じレベルの行動になるように準備された用具を、異なる個人が使って質や結果を弾き出す、という場合とがあって、後者を社会モデルといいます。実証的な科学は、社会モデルを構築してくれるものなのです。

数年前に総務省が立ち上げたICTドリームスクールが、ぼちぼち動きだしています。
初等中等教育に1人1台のパソコンやタブレットなど情報機器を導入しながら、教育のモデルを変えようとしているのです。なんか想像つきますでしょう、あれれな感じが。
実験校でごく一部、例外的で先進的な小学校があるにはあるのですが、ベテランの先生は情報機器など使わなくても学級を回していけるのですし、未熟な先生はどう活用したらいいかわからないのが現状だそうです。
情報機器を使う最大の利点は、子供は自分のペースで学習し、自分で課題を見つけ解決するという一方で、先生は全員を監視して能力に応じた手助けができる、ということですね。
だから、次世代教育のねらいというのは、コーチングできない数多の凡才の先生でも、コンピュータ頼みで偏差の大きい集団の個々に寄り添うことが出来るようにしたい、ということかもしれませんね。こうして、社会モデルは北欧など教育先進国に追いつくとしても、より深い問題は、先生という職業の地位や魅力が、日本は低いという現実にあるかもしれません。先日、フィンランドの様子を友人から見せてもらい話を聞いたときは、ため息が出ました。教員室は開放的でうちとけて機能的で、教員スタッフのケアを第一に考えているものでした。4時から4時半までには終業です。生徒1人ずつのカリキュラムが組まれているのは当たり前で、20数人の教室での取り組みはモザイク状、どうかするとバラバラで、先生は何も強制しないのだそうです。欧米では馴染みあるスタイルですが監視員はべつにいますから、先生は学習のことしか関わり合わないのです。れっきとした専門職で、尊敬される職業ですから、1人1人の生徒と向き合う責任もあり能力も期待されているのです。日本の先生はあれは生徒の下僕ですか?
まあ、先生はうらやましいとして、生徒の方はどうか正直わかりません。だって、フィンランドでも高校中退してひきこもりになる子はいるのですからね。それでも介入はあってサポートも厚い社会ですが。

短期間のコーチングが、やる気や気付きの契機だと前の方で述べましたが、その後、孤独で単調な継続力があるか、情熱を維持できるか、ということは、やはり最初のコーチングが重要だと思います。
内的動機ほど人間を行動に駆り立てるものはありません。コーチングが必ずしも人間の大人によるとも限らなくて、大自然だったりすることもあるでしょう。同意、聞き届けられ、認められること、感情の発露や高揚を妨げられないこと、和解に裏付けられた情熱は、動機を長く育むと思います。一方、逆境をバネになどとよく聞きますが、そもそものやる気をくじかれ、気付きを妨げられる経験は、より創造的な段階へ進んでいくとき、自分を制限してしまうことになるでしょう。たとえ反復学習が効を奏していて器用に伸びている時期があってもです。

日本人の多くはたぶん、くじかれもし、さまたげられもして、制限付きで生きているのです。まあ、その良し悪しの答えはわたしには出せません。欧米では、あなたは自由なのよ、すべては可能なの、とか、自分の人生でしょう、他人の言うことなんか聞いちゃ駄目だ、とか、よく言い合いますが、万能や幸せの観念にとらわれすぎている人たちではないのかと思うことがあります。日本よりも前向きの素敵なキラキラした観念を口に出すかわりに、けっこう暗闇を貯め込んで裏表のある社会のようにも思います。トラック運転手のプラポチさんなら、制限付きがいかに役立つかを語ってくださるでしょう。
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この回答へのお礼

これは密度が高いですね。読みこなすのに時間がかかりそうですが、ひとまずお礼を。
社会モデルの構築が課題ですか。日々の変化はスピーディで、教育だけ従来式というわけには行かないと思っていました。しかし、昔から伝わるものの良い所は残していくというのがセオリーでもあり、具体的な教育像は私の経験や知識では思い描けない部分も多く、この度TV番組を見たのを契機に質問させていただいた次第です。

あれれな感じ、ありますねー^^;そういう短絡的なことじゃないと思うけれど、ともかくもそういう感じで実験していることはわかりました。

>こうして、社会モデルは北欧など教育先進国に追いつくとしても、より深い問題は、先生という職業の地位や魅力が、日本は低いという現実にあるかもしれません。<

日本では、でもしか先生という言葉があったそうですが、そもそも先生というのはそれなりの人格の整った人にしか務まらない難しい職業だと私は捉えていました。しかしそういう精神論よりも、実学としての教育を学んだ専門家としての先生を育成し、社会の認知を変えていくのが筋道なのでしょうね。

>生徒1人ずつのカリキュラムが組まれているのは当たり前で、・・・・期待されているのです。日本の先生はあれは生徒の下僕ですか?<

そうですかー、まるで回転焼きのように整列して机を並べ、黒板に向かって垂直な視線を注ぎ、教壇の先生の話に傾聴するという日本のスタイルとは随分違う、フレキシブルなスタイルですね。ところで、最近の先生は生徒の下僕のようなのですか?それはそれで問題ですね。生徒の下僕というより、保護者のクレームが怖くてそうなっているのでしょうか。教育界隈はほんとに入り組んでいますね。改革のてこの入れようがないというか。立派な親や教師、生徒は世に少ないと言っても、誰しも真っ当な大人にしてやりたいというのが親心であると思います。それが子供達に伝わるのは思春期を過ぎた頃になるのが普通でしょうか。北欧の、キラキラした観念も結構かもしれませんが、堅実さというものを忘れてほしくないと思います。
プラポチ先生には先程化学と漢字の授業をしていただきました。とてもわかり易かったです^^
ご回答有り難うございます。

お礼日時:2016/01/18 20:14

100回目記念に、#96で消されてしまった、私の#93のkanto-iさんへのエールをもう一度ここに載せておきます。



『霜月のころ大岡といふ所を過ぎて、 ある唐松林に尋ね入ることはべりしに』と言うブログに載せた本歌取りの散文詩です。

もう葉も落ちてしまった唐松の山路を登りながら、かう口ずさんでみた。

来しかたを 繰り返し 繰り返し見る 落葉かな

世に住むこと二十年にして、日の当たるところには影がさすと悟った。三十は我武者羅だった。四十にして明暗は表裏のごとく、影がさすところにはきっと日の当たるところありと知り、好きな酒を断った。五十にして己を知り、酒で一介の脳味噌を溶かすのも乙なもんじゃと、また好きな酒を飲み始めた。

人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向こう三軒両隣にちらちらする酒好きのただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、酒を断つことはあるまい。あれば味気なしの国へ行くばかりだ。味気なしの国は酒の世よりもなほ住みにくからう。

越すことのならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、くつろげて、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに酒といふ甘露ができて、ここに肴といふ天食が降り、ここに歌がうまれ詩がうまれ、画がうまれる。あらゆる芸術の士は人の世を長閑にし、人の心を豊かにするがゆえに尊い。
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この回答へのお礼

記念すべき100番は猪突さんでしたか^^
このQAに長らくお付き合いいただきありがとうございます。

この教育というセンシティブかつ大切な題材について、時にユーモアを挟んだ楽しい回答を幾つも投稿していただき有難うございます。

これからも精進して、回答者皆様のご意見を自分の糧と出来るようにしていきたいと思います。

お礼日時:2016/01/17 23:20

いや〜驚いたな〜。

#96の私の回答が消えていますね。あの回答のどこにも、乱暴な言葉が伝われていたり、誰かを誹謗したり、名誉を傷つけたり、していまいのに。

折角の教育談義だ。#93のkanto-iさんの私の意見に対する回答として、一般に公開されている、戸塚宏氏の体罰の意味を深刻に考えてみたらどうかと言う講義の動画を紹介し、また自衛隊の体験入隊での過酷な訓練をした10人ほどの暴走族で、這いつくばりながら最後まで訓練を受けた人は、その後暴走族から足を洗ったが、途中で訓練を放棄した人たちは、その後も暴走族を続けていたと言うテレビドキュメントを紹介しただけだ。戸塚氏はマスコミから叩かれてはいるが、彼の教育論は深刻に聞くだけの価値が十分ある。一般公開されている動画が著作権問題に触れるとも思えない。

それに加えて、kanto-iさんが好きな酒を断って自分の夢を叶えようとしていることに対して、私も壮年期の10年ほど好きな酒を断って、我武者羅に頑張った時期を思い出して、丁寧にkanto-iさんにエールを送っただけだ。そこのどこに、私の回答が消えてしまう理由があるのだろうか。

plapotiさんも以前他の質問回答欄で、全うな意見を述べているのに回答が消されてしまったと、苦情を述べておられた。それって、このことなのかな。

自分の意見と反対の意見や都合が悪い意見があると、それを闇から闇へと葬ってしまうような、言論弾圧の典型的な出来ごとがまさかこの質問回答欄で起こっていないことを祈ります。まさか、この回答にもクレームが付くわけではないでしょうね。

あほなさん、事情をを知っていたら、皆さんに報告して頂けると、言論の弾圧や自由に関して、教えて!gooの質の向上に役に立つと思いますが、如何なものでしょうか。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

残念ながら、回答削除の意図は質問者に知らされることはありません。教えてGOOではたまにこういうことがあります。これは言論弾圧ではなく、回答を読んだ人々の中で、ひどく不快に思った人が居た場合にこういうことが起こると推測しています。
私のスタンスは、ある発言に対しひどく不快に思ったり傷ついた人がいて、その回答が通報され、それを運営が承認し削除が行われた場合、それはやむなしと思って受け入れています。運営の人も、この回答数100を超えるスレッドの全てを読んで、QAの流れを理解して削除対象を吟味するという労力を割くことは難しいと思われますし、両方の肩を持つということも出来ないでしょうから、少々の不自由は我慢してくれという事だと思っています。

お礼日時:2016/01/17 23:14

87です。


マグジーさんにはそんなサクセスストーリがあったのですね。
アメリカの教育現場や生活域内でバスケットのルールを教われ、
子供が使える体育館や運動場、バスケットボールがあったのが幸いしているのも事実。

アフリカで育ってたら希望したくても努力したくても長生きしたくてもできなかったり、
そもそもバスケットなるもの、があることも知らないで
過去や自分の過ちも未来予想も「知らないことさえ知らない」で終える人だっている。
マグジーさんは教育を受け大人になって常識を備え、
感情のコントロールができるようになったのであって、
一人の人格者が運命や常識という奴(レールだったり衣装だったり)を変えるのは、
不可能とはいわないが、
常識を基準にして既に見て知っていなければあり得ないことになりますから。

我が家にかかっている
「やってみせ、言って聞かせてさせてみせ、ほめてやらねば人は動かじ」
というシンプルなのに好きな深い言葉。

良いお手本があると真似しやすいし、学ぶ=真似ぶ?
そして教育者自身に美点や信念が備わってて
生徒が出来るようになった喜びと共感できるから、師にとっても弟子は必要になるし、
弟子はつい感動=動かされてしまう。

「必ず報われることになる注意力を発展させること」が教育の本来(アラン教育論)で、

誰もが理解できる形で、意思の行使には幸福感が伴ってないと教育の足しになれないし、
未来が必要な子供には長年に渡り征服されてきた時代の果実という、懐旧的ではなく
見過ごされて居たり、忘却の彼方へ葬られていたものが思惟の対象として
日々が新しい発見の連続♪という風に映ると、いいな。

私見ですが
よい師となる人は思いのたけに躊躇ない(?)ですね。
教え子によく「ありがとう」といいます。
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この回答へのお礼

お礼遅れてすみません。m(_ _)m

真似ぶですか。それは学びの本質的な部分ですよね。
師の人生は真似できないが、その生き方のエッセンスは学ぶ事ができる。
巫女弟子さんも、何か教えている人なのでしょうか、教え子がいるという事は。

常に前進する師に追いつけないという弟子さんもきっとこの世にはいるでしょうが、弟子から学ぶ師というのもありだと思います。色んな形で師弟関係というのは成り立ちうるのでしょうね。
やってみせ、、、のくだりの台詞、これは確か山本五十六だったでしょうか?私もこの台詞は好きです。その現場が目に浮かぶ様な教育方針ですね。

気がつけば新進気鋭の若手たちが、老齢に差し掛かった師達を追い越してゆく、そんなシーンで、師も弟子も、競い合いながらそれぞれの奥義に到達するのかな?とか思ったりしました。

私は精神論を好む傾向があるので、心技体という言葉が好きですね。三つ揃って初めて完成するというか、そんな風に学ぶことを捉えています。

お礼日時:2016/01/19 18:07

>たこ焼き式で少しお話を。



私の至福のときは、モーツァルトを聴きながら、ワインを飲み、たこ焼きを食べることです。最近は焼酎が多くなりました。「溢れ出る教育」といふのも、おもしろい発想ですね。子供の受容能力は巨大です。そして何よりも単純な繰返しが苦にならないのがいい。習ふより慣れろ、は真実だと思ひます。手元に本がなくて記憶にたよつて書きますが、リチャード・ファインマンによれば、微分に理屈はいらない、一目見て答がわかるやうになるまで、たくさんの問題にあたれ、とのことださうです。

>生徒を見捨てないという姿勢にも繋がるかと思いました。

私は善人ではありませんので、他人のことまで頭がまはりません。職場では、各人が最低限のことをしてくれたら、それでいいのではないかと思つてゐます。足りない部分は、互ひにカバーできます。しかしながら、いはゆる「お荷物」に対しては、考へ方がわかれてきます。私などは、とうていカバーしきれないので「何が何でも」やらせようと試みます。「何が何でも」には、回答番号92のやうな内容も含みます。化学の話を出したついでですが、塩酸や硫酸、水酸化ナトリウムなどはかはいいもので、飛び散つて服に穴があいた、と喜んでゐればよいのですけれど、弗酸となると別です。のんきな取扱ひをする者には、場合によつては、ひつぱたいてでも恐ろしさを判らせなければなりません。「お荷物」さんがかはいさうだ、と綺麗事をならべる人のほとんどは、自分では何もしない人です。自分がその人の分まで責任をとるつもりがないから、どんな理想でも語ることが可能です。私は自己チユーに過ぎないのですが、責任感の強い人は他の人の役割まで背負いこんで、つぶれてゆきます。だからこそ「何が何でも」やらさなければならなくなります。学校教育はまた別の話ですけれど。でも似たところもあるのではないでせうか。

漢字のことも書きましたから、追記します。ヘンとツクリのやうなことは、書取りをやりながらだんだんと判つてくるものですが、生徒よりも判つてゐないのが、戦後の文部省、日教組、マスコミです。

佛→仏
拂→払
沸 [そのまま]

假→仮
暇 [そのまま]
霞 [そのまま]

漢字の構成をばらばらにしておいて、覚えやすくしたのだ、と主張します。ローマ字竝みに画数が減れば易しくなる、といふただそれだけの発想です。かういふ見方がcyototuさんの指摘する「西洋かぶれ」なのだと思ひます。

さきほど「並み」を「竝み」(なみ)と表記しましたが、立つてゐる人がふたりのほうが、私ははるかに覚えやすいと思ひます。

*** *** *** *** ***

>今回は主にぷらぽてぃさんへの返信です。

仕事はデジタル派ですが、普段はアナログ派です。そのうち手紙を書きます。

もうすぐ回答数100件ですね。
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この回答へのお礼

お返事ありがとうございます^^クラシックを聞きながらワインにたこ焼きが至福だと?あほなを謀っておもしろがるこの無礼者めっ(笑)と言いたいところですが、たこ焼きは海鮮ですので白ワインとはよく合うはずです。

さて、危険なお仕事をされているのですね。釈迦に説法ですが、事故にはくれぐれもお気をつけ下さい。危険物の取り扱いは厳重に処さねばなりません。出来ない人には仕事は任せることは出来ないでしょう。取り返しがつかない失敗はありますからね。
・・・・・・・
世の中で、お荷物さんとか、落ちこぼれと言われても、また生きる場所や道を別に見つけて、そこで元気にやっていけば良いのです。要するに社会に多様性があればいろんな生き方ができ、学校で落ちこぼれても何の問題もないのですし、ある労働においてはお荷物さんでも、転職すれば急に力を発揮することもありえます。
ですが、それでも色々な要因を持っていてどうしようもない人というのは現実には居るもので、労働だけが、役に立つことだけが人生の価値ではないという価値観を担保していないと、彼らの存在意義を無視してしまう場合もあります。ですから私の場合はお荷物さんが可哀想だという発想は持っていません。誰かをお荷物さんや落ちこぼれと認識すること自体を止めているのです。
・・・・・・・
漢字は、本家のほうが簡略化しましたよね。日本のほうが古い漢字が多く残っているとも聞きます。
>漢字の構成をばらばらにしておいて、覚えやすくしたのだ、と主張します。ローマ字竝みに画数が減れば易しくなる、といふただそれだけの発想です。かういふ見方がcyototuさんの指摘する「西洋かぶれ」なのだと思ひます。<

なるほど。「並」の件については立が二つならぶほうが確かにしっくりするし、字義として妥当ですね。親しい友達に大手牛丼チェーンで働いておるものがいますので、進言しておきます。

お礼日時:2016/01/17 22:43

お礼、ありがとうございます。



>セルフイメージというものが一つのキーになっているのかなと思います。

おそらく、それなりにあると思います。
教育においては「今の価値観」であり、適当な時に更新しますから
また内容は変化していくでしょう。

その時の価値観に違えず行動に気をつけるために、時々見直します。


教育においての奇跡のレッスンは、私から見ると
言葉を変え同じことを言っている。

あるいは、言葉に対する別の印象か固定観念であり
中身は同じと見えます。

その説明に、あえて体験を出し「教育」と「奇跡のレッスン」を
話したつもりですね。
私個人の「それは貴方が問題では?」が出ないようにと思慮したのですが。

日本人はかなりの確率で(ここでは過去の担任の行為を教育として)
批判している側を、貴方が問題を起こしたからではありませんか?
が、詳細や状況を聴かずに大抵入ります。

猪突氏は、ちょっとした反論で特に問題と言うより
話しが長引くのが、私が嫌な訳ですね。

その頃の子供に対して大人の言うことは、全て正しくて絶対ですよ。
しかし、もう過ぎたことです。


人間は不得手があっても、生き延びるために努力をすれば
どこかが伸びます。

読書が大好きで、大量の本(小学生でのべ2000冊ほど)を読んでいたので
情報収集・分析・解析・明確化・再構築・対策対応の創造などは
得意となりました。

できることをやって行けば、時間がかかっても
人間って何かを手にすることは、できると思います。


それでも頭は良くなりたいので、今回ここで気がついたことを
実際にやってみようと思います。
時間はかかっても、理解力は上げたいですね。

ちょっとした摩擦より、長らくの問題解決が
私には有難いです。
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この回答へのお礼

ありがとう

揺れ動く価値観と、定まっている価値観があると思いました。

>教育においての奇跡のレッスンは、私から見ると
言葉を変え同じことを言っている。<

それはきっとそうなのでしょう。定まっている価値観が、教育という基本的な事柄に付帯しているのは自然なことだと思えます。

それにしても2000冊の本ですか。私は小説を除けば一年に2,3冊しか読みません。こないだ先祖の話という本をこのQAサイトで勧められまして、それを今は読んでいます。

>できることをやって行けば、時間がかかっても
人間って何かを手にすることは、できると思います。<

私もそう思います。

>ちょっとした摩擦より、長らくの問題解決が
私には有難いです。<

このQAで、質問者だけでなく回答者にも益があったというのは大変ありがたいことです。

軽い気持ちで立ち上げたQAでしたが、話の題材が題材なだけあって、自分自身含め多くの回答者様に響くものがあったのでしょう。私も自身のより深い気持ちに気が付き、また多くの示唆をいただくことが出来ました。
有難うございます。

お礼日時:2016/01/17 22:54

ベルトコンベヤーの結果


満足な豚をしているneutralingです。


あふぉなさん、ご返事ありがたうございます。
サイコロさん、声かけてくれてありがたうございます。



取り急ぎ、拝読しました、
といふ業務連絡でした。





これだけでは回答にならないので、
少しだけしゃべります。




またまた小学生の話ですが。


たとえば1年生で足し算と引き算を習います。
3+5=?
始めは【足す】という【概念】
を覚えてもらわなくてはならないので、
テーブルの左端に蜜柑を3つ、
テーブルの右端に蜜柑を5つ並べて、
全部合わせるといくつになるのかな、
え~と、12345678…あ、8だね、
みたいなことをしますが、

こんな寄り道を毎回繰り返していては、
学習する側も疲れてしまひますから、

こんなことをするのは初めの1回か2回で、
足し算カードの裏の回答を【丸暗記】です。


2年生になると九九を習います。
たとえば5×8=?
これも初めの1回か2回は【かける】という
【概念】を覚えてもらわなくてはいけないので、
5+5+5+5+5+5+5+5、だね、
え~と、5が8個で40だね、
みたいなことをしてもよいのですが、




実は、
覚・え・な・く・て・は・な・ら・な・い
ことというのは確実にあり、その他に
好奇心を発揮して、
ど・ん・ど・ん・考・え・て・よ・い
ど・ん・ど・ん・感・じ・て・よ・い
ことというのがあります。




大学受験までの数学なんか、
たいてい丸暗記です。


ただし、
わたしが回答欄の余白が無くなるまで
細かい文字で数式を書いて、30分かけて
ゆえに回答はこうだ、
という方法しか取れなかったのに対し、


同じ問題を出されて、
図を一つとグラフを一つ書いて、5分で
ゆえに回答はこうだ、
と発想できる人も少人数いて、


回答はわたしのと同じなのに、
ちょっとうらやましかったです。





___________





ぶっ飛びますが、またまた【方程式】
を素直に覚えるかどうか、の話です。


人生の【方程式】は、やはり幼少時に
素直に覚えて置いたほうがよいと思います。



5×8=? を解くために、毎回
5+5+5+5+5+5+5+5……
とかやってたら、自分疲れるし、
他の人にも迷惑かかりますから。





あふぉなさん。
今回は主にぷらぽてぃさんへの返信です。




時間ができたらまたきます。
開いてたらですが。ではでは。(^^)/
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この回答へのお礼

ほいほい^^
お忙しい中お立ち寄りくださりありがとうございます。
九九の話ですが、インドの九九は桁違いだとか。コンピュータサイエンスで頭角を現しているインドですが、基礎教育にもレベルの違いがあるようです。

お礼日時:2016/01/17 19:43
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