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ウエストファリア条約とウィーン会議を背景とした近代国家の成立についてなるべく詳しくご説明下さい。理系の大学生なので、こうしたレポートはさっぱりわからず、図書館で調べてみてもしっくりきません。どうぞよろしくお願いします。

A 回答 (1件)

歴史好きの元文系学生今オヤジです。

ここで詳しく説明するのは無理がありますねぇ。理系だからわからない、ってことは、多分時代背景や17世紀に至る歴史観に関する知識が不足しているのでしょう。私見ですが、参考までに概要を紹介しましょう。その上で図書館に行かれると、同じ本でもわかるかも。。。
●ヨーロッパは、ローマが台頭するまでは世界的には後進地方だった(BC2頃まで)。
●ローマの台頭で、世界的な先進地方の仲間入りをした(AD4頃まで)。
●ローマの滅亡によって、その文化、技術、制度の多くは失われ、後進地域に逆戻りした(う~ん・・・いわゆる中世の始まりの頃)。
●帝政ローマの後半から、宗教が人々の共通基盤になった(それ以前は法)。
●後進地帯に戻って、群雄割拠というと聞こえは未だ良いが、ようは単に皆が好きなことをやるだけの蛮族社会になった。特にドイツとイタリアでその傾向が強かった(ドイツやイタリアという国はなく、現在の両国版図の辺りという意味)。
●当時、皇帝と言えばローマ皇帝を意味したが、神聖ローマ皇帝は皇帝にあらず。皇帝とは即ち、国民の第一人者であり、軍隊の総指揮官であり、精神的にユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)の後継者でなければならない(皇帝を意味するエンペラーは、総指揮官(インペラトール)が語源、皇帝の別語であるカイザーは、カエサルが語源)。
●北欧やフランス辺りでは、若干状況が良く、いち早く中央集権体制が整った。
●そんなこんなで、年中戦争ばかりしてた。
●ウエストファリア条約は、ドイツを舞台にした30年戦争にカタをつけようとしたもの。フランス、北欧の領土欲、中欧以南の宗教対立(カトリック、プロテスタント(ルター、カルヴァン))などなどがからみあって、泥沼状態だった。
●このような状況で、各国家元首(国王、皇帝、主教、領主、・・・)が集まって、打開策を論じて得たのが、ウエストファリア条約。ま、はじめての国際会議&国際条約ってところ。でも結果は、フランスとスウェーデンの領土がちょっと広がって、信仰の自由が踏みにじられて、宗派間の対立が深まって・・・、客観的には得られたものが少ない。
●意味合いは、条約の中身ではなく、国際間で協議、協定を作る足がかりを作ったってこと。これを以って、近代社会の礎を成したとの評価もある。

これくらいでどうだっ!?
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