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下線部を和訳せよ。

Law, in its true notion, is not so much the limitation as the direction of a free and intelligent man to his proper interest, and prescribes no farther than is for the general good of those under the law. Could they be happier without it, the law, as a useless thing, would of itself vanish; and that hardly deserves the name of confinement which hedges us in only from deep streams and precipices. So that the end of law is not to abolish or restrain, but to preserve and enlarge freedom. For in all states of rational beings, where there is no law there is no freedom.

そう思いませんか?昔の東大生っていったいどんな勉強したんでしょう。

質問者からの補足コメント

  • つらい・・・

    もう一つ質問なんですがいまZ会東大選抜映像コースを受講しています。
    いまや和訳問題が簡単になっているのに,このコースでは
    昭和の過去問を平気でだしてきます。意味あるのでしょうか………

      補足日時:2016/01/18 05:19
  • 他に
    stroll→walkに変えて入試に出してたりします。今の灯台は。

    一方1950年代の東大英語はhedges、precipicesを注なしでだします。

    つまり,もう今の東大の教授は,「単語を覚えるな」って言ってるようなもんです。
    strollなんてちょっとレベルの高い受験生は誰でも知ってる。

      補足日時:2016/01/22 13:11

A 回答 (3件)

#2のWindFallerです。



本当に、心よい返事をいただいてありがとうございます。

todaiさんは、さすがに頭がよいなって思うのは、私のような取り留めもない最後のあがきを書いている人間の書き込みを、きちんと読んでくださっているわけです。

残りのもう一つのエピソードを、なるべく要点を絞って書かせていただきます。

私が大学の時教わった恩師は、東大ではないけれども、恐ろしく語学のできる人でした。その先生は、1960年代に受験生だった人ですが、高校生の時から語学だけは突出して秀でていたようです。アメリカの大学に留学している時には、同じ韓国からの学生と、どちらが語学力があるか競うなら、新しい言語で競うおうか、絶対に負けない、と言ったそうです。

戦前戦後、伝説的/伝統的にあるのは、英和辞書の丸暗記です。この話は耳にしたことがあるでしょうけれども、その先生は、授業の時に、単語をひとつ挙げると、辞書の例文を暗唱してみせました。調べてみると、高校生が使う三省堂の"The New Crown English Japanese Dictionary" であることが分かりました。

おそらく大学受験の際に、そのようにして覚えていったようです。一応、あまり細かな単語を拾い出さなければ、それだけでも、20,000語優はありますから、英文を読むのには、問題はないはずです。受験生にとっては、英単語は頭の痛い問題のひとつでしよう。渡部昇一さんなども、英単語暗記を奨励しています。

とかく、一昔まえの学生は、本当によく英単語を知っていたように思います。
斎藤兆史氏の『英語達人列伝』(中公新書)の中で、新渡戸稲造の学生時代の同級生が休んだ後、次の日に、それを先生に伝えるために、"ascending and descending(あがったり・くだったり)"と、苦し紛れに答えたと記録に残っているそうです。そういう私も、'excrement' なんていう単語は知っていても、'dung'とか'feces'なんていうのは、相当長い間知らないままでしたし、paralyze は知っていても、numb は知らなかったり、こんなことは、笑えないですよね。

前述の斎藤兆史氏自身も、高校時代ですでに、推定、1万語レベルは越えていたように思えます。よく日本の学生は難しい単語をよく知っていると褒められたりしますが、あれは使い方を知らないという皮肉であって、到底、英語ネイティブには敵いません。

ただ、これも、英単語暗記も1万語を越えて行くと、ひどく効率の悪い学習のひとつです。それでも、テレビに出てくる東大生が、まあそんな単語をよく知っているなって、驚かされることがあります。少なくとも、その単語は受験単語ではないことは私には分かります。

受験生のみなさんは、英単語不足で悩んでいる方も多いわけですが、ご質問最初のジョンロックの英文だと思われるセンテンスを、JACET8000分析に掛けてみますと、76%(最下段の添付の画像)は、JACET1000レベル(2000~3000語)で納まってしまうということです。それでも、読めないものは読めないのです。

http://j-varg.sakura.ne.jp/
JACET8000分析プログラム

ここの掲示板でも受験生の人たちは、とかく英単語がネックになるようですし、特に、Z会の書籍等で出てくる例文には難しい単語が出てくるようです。難関大学の英語の試験の単語を90%以上網羅しているとかいう単語集を買ってきて、やってもやっても追いつかず、余計に、できないという不安や葛藤に巻き込まれてしまう人がいるわけです。逆に、それができる人は大したものだと思います。私は、とうてい、そんなことは真似できません。

私は、英語は、英単語だけを追いかけるのは、愚だというのは、私自身の反省もあってのことです。受験英語の勉強の仕方の中には、英単語の意味を複数覚えて、何が文章中にあっているか、それを探しだすとかいうのなら、永遠に語学などできるようにはならないと思うのです。

「英語の勉強には英単語の学習はカウントしない」というのが私のモットーなのです。誤解する人もいるのですが、英単語だけ勉強していれば、最後はなんとかなると思い込んでいる人がいるからなのです。それは最悪な英語の勉強法だと思うのです。

たかが英単語、されど英単語なんですね。

グラフは、質問の英文の英単語のランク別の分析
「1950年代の東大和訳問題 難しすぎてワ」の回答画像3
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この回答へのお礼

英和辞典といえば,私は最近ロングマン英和辞典を利用して勉強しています。例えば,go, hold, takeのような汎用性がありすぎる英単語やらaccount, serviceなどの意外性のある意味を持つ単語を調べ,例文ごと丸ごと覚えるという勉強です。例えばgoなら
・go about
(1)I want to set up a website, but I am not sure how to go about it.
(2)People were calmly going about their work as if nothing had happened.
(3)She went about saying that S V

キリがないのでやめます笑 最近ぼく辞書って最強じゃないのかって思ってます。windさんが例にあげた辞書勉強法はいまの東大ではでてこなそうな英単語もすべて覚える形をとりますが,僕の場合は絶対に東大にでてもおかしくないと経験的にわかる英単語を丸暗記する作業です。違うようで似ている。今の時代に即したMy 勉強法だと思ったりしています。

英単語勉強法は確かに苦痛です。しかし,不思議なことでありますが,最近はどんどん頭に入ってきます。
脳みそが英単語を覚えることに拒否反応を示さんのです。
僕は東大受験さえ終われば辞書丸暗記できる気がしてならない。
今でも難しすぎる英単語帳(キクタンSuper)を終わらせて,先生に「こんなもん勉強しないで別のことやれ」と言われたぐらいです。
今はあえて,易しい単語帳(市販している鉄壁の単語帳)で易しい単語を完璧に覚えようと尽力しています。しかしながら,やはりだるいものです。

英単語の勉強はノーカンかぁ。最近は英単語の暗記というより文レベルの暗記しています。最初は英作文の勉強のつもりで勉強しましたが,もうはっきりいって,簡単な文章だったらなんでもかけてしまいそうです。

グラフみて思ったのですが今の東大ならすべて青色でしょうね。
知ってましたか?出典先ではtellephone boothになってるのに入試ではtellephone boxに変えて出題しているんです。今の東大。

今日も楽しい雑談どうもありがとうです。こういう英語の話は面白いものです。勉強とは別に。

お礼日時:2016/01/22 13:04

こんにちは。



>昔の東大生っていったいどんな勉強したんでしょう。

私は、東大の受験英語に対する対策を、どうするべきかなどとは言う立場ではありませんが、ずっと気になっていたことがあります。

まず、私の読んだ本の中の記録に、東大の大学院で教えている斎藤兆史(よしふみ)さんの高校時代の話があります。むろん、彼は1957年生まれですから、受験時は、1970年代ですが、彼は、こう語っています。

「高校2年のころ、原書などは手に入らぬ田舎町で、研究社、成美堂、南雲堂などが出しているバートランド・ラッセル(Bertrand Russell)の注釈付き随筆集を買い漁って読んでいた」(出典は不明)

今、その痕跡があるのは、渋谷の平岡塾です。Bertrand Russell, Somerset Maugham, Robert Alan Dahl などを教材にするというのですが、今も続けているかは不明ですが、なんとも時代遅れにも感じます。その斎藤先生の学生時代は、それが50年以上前に書かれていても、その時代とラッセルなどの文面の内容が奇妙に合致して、それが面白かったのかもしれません。60年安保から、学生運動の終末期であり、中華人民共和国では、文化大革命の嵐が吹き荒れ、アメリカはベトナム戦争であり、そんな中で、日本は、戦後からのモダニズムの構築期だったからこそ、意義があったのだろうと思うのです。

バートランド・ラッセルのポータルサイト
当時の大学の問題で使われたラッセルの一節だそうです。

http://russell-j.com/beginner/R-JUKEN2.HTM

私が、別途気になるのは、今、渋谷の平岡塾のような英語塾で、勉強する子供たちが、ラッセルなどは何のためらいもないのか、と思うことです。斎藤先生の学生の頃から、40年も経っています。1960年代・70年代、言い換えると、私は、今の総理の安倍さんと同年代の受験生の人たちのことを思い出すのです。

当時から有名だった原仙作、佐々木高政、伊藤和夫とかいう人たちの古典的な受験参考書などが、まだ現代まで一定の評価を受けていること自体、一体どうしたものなのか、と思ってしまうのです。40年50年前には、権威してしか映らなかったものも、今日では見劣りがしてしまいます。受験産業で、こうしたものが、無批判のまま、軽微な修正のままに、受験生に提供されるものは、問題なのではないのかと思うことがあります。名文を味合うなんて余裕はないと思います。

アマゾンでの、旺文社『英文標準問題精講』の書評
★3つ
『本書に収められているような古典的で、難解な構文とともに深遠な内容を説く英文を解釈することは、人生におけるひとつの喜びである。-中略-私が違和感を覚えるのは、今日の受験英語の「標準」をはるかに越えながらも「標準」の名を掲げる本書が受験生たちを翻弄させている点なのだ。標準的な英語読解力を身につけることを目指す受験生は、本書が自分にとって有効かどうかをしっかりと見極めたうえで利用(購入)すべきである。』
http://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R1OC …

今は、東大への受験生が『The Universe of English』
http://amazon.co.jp/dp/4130821008
を読み込んで東京大学に入るとも聞きます。東京大学教養課程のテキストですが、これならば、何ら異論はないと思うのです。

ご質問で書かれた英文は、ジョンロックの『統治二論』をリライトした一節だと思いますが、日本語でも読むかどうか、というところになってしまいます。Z会のものは、たぶんにそうした古典的なものを使うようですが、ご質問者さんが、もし、そこに多少の疑問と躊躇がおありのように感じました。

くだんの斎藤先生は、昔と今の学生の英語の格の違いを、新渡戸稲造氏を引き合いにして、以下のように書いています。
http://yamabukijuku.web.fc2.com/kakukamoku/colum …

これは、NHK朝の連続ドラマ『アンと花子』の翻訳家・村岡花子氏の例を挙げても、同様のことがうかがえます。彼女は、戦後すぐに、裁判の時に、弁護をかって出た経験もあるそうですが、村岡氏の機転の利いた対応に、裁判の後で、裁判長から「あなたはまるでポーシャのようだ」と英語で褒められ、すぐさま『ベニスの商人』のポーシャだと分かって、反応したと聞きます。彼女の在籍した、東洋英和女学院では、彼女のために図書館を増築したと言われるぐらい、洋書を読んだというそうです。

最近、ドイツ語の関口存男(つぎお)氏の伝記を読みましたが、戦争がなければ、もう少し違う人生を歩んだかもしれませんが、逆に、学問の中央に座しなかったことによって、彼の語学研究は深まったとも言えます。彼は、ジャーナリズムから文学、戯曲までに精通し、反骨を貫いたまま終わっていった不出生の学者です。彼は、多読主義で、一に多読、二に多読と学生に説いたそうです。彼が課したのは、一人一年2,000ページで、逐一、読んだ後のレポートを求めたそうです。

話がそれましたが、今の大学受験で、時代遅れというよりも、今の時代に外れた内容が、受験で必要とされるとは思えないのです。今は、時代が違うとだけで片付けるつもりはないし、知っていることは悪いことではないと思いますが、それしか知らないというのは問題かと思えます。

何をどう勉強しようと何を読もうと自由なのですが、1970年代は、スパルタ教育という言葉が流行りました。ご多分にもれず、東京大学など旧帝大を目指していた受験生は、そうしたスパルタ教育の中で優秀な成績を収めてきたのですが、与えられるものを従順に消化していればよいという人たちに、こういう人が政治を担っていくのかと、将来の不安を感じたのを未だに忘れられないのです。それで、1954年生まれの安倍晋三首相とその頃の学生とダブってしまうのです。

勉強にも一本通った「哲学」というものが必要ではないのか、と思ったのです。
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この回答へのお礼

ロックですか。世界史にでてきますね。その和訳を迫るなんて凄い時代ですわ。はっきりいってそんな難しい内容は大学に入ってからでええやん。ましてや,英語ならなおさら。もうそういう時代になってると思います。実際,東大の入試問題がそうおっしゃってる。実際,いまの東大の和訳問題にここまで難しい問題ないですからね。メッセージだと受け取ってもいいかもですね。

多読ですかぁ。僕はハリーポッターの原書を読み進めたことがあります。実際読めないことはないです。映画でも見たことがあるから場面が想像できるのです。難しい単語を適当に読み飛ばしても,はっきり全体像はみえてきます。しかしながら,即効的な効果があるとは全く思えない。夏目漱石も多読ばかり主張しているが,その多読の量は尋常ではないレベルの多読のことをいっているに違いない。受験生には非効率にしか思えないのですよねぇ。

昔の人がラッセルはすごいと言っても,価値が鬼のような勢いで多様化している昨今,今の若者がラッセルの文に感動していることなんてなかなかないでしょう。頭のいい人はゲームとして和訳や英文解釈の勉強しているだけだからラッセルの英文読んでもそんなに抵抗はないんじゃないでしょうか。この英文は素晴らしいな,など一度も思ったことがないですが。それが時代だと思います。

東大の教科書はよきオススメ教材としてあげられますね。しかしながら,これ,東大生の先輩の話によると,和訳に「ツァラトゥストラはかく語りき…」なんてことが書いてあるらしいです。とても今の東大入試にぴったりとは思えません笑 まあ時間あったら読んでみたいとは思ってます。

Z会のテキストはやっぱ時代にあってないのかもなぁと。
しかし,「やる価値がある」と思ってしまうのが憎いところで,
滅茶苦茶いろいろ学べるんですよ。こういう昔の難しい文章って。
時代がいくらあっていなかろうが,無駄な知識なんてないので,
結局ぼくはやります。英語で差をつけたいから,頑張るのみです。
流石に昭和の問題でるとは思わなかったですが笑

興味深いエピソードが多く,しかも引用や出典もしっかり記載し,丁寧な解説,ほんとうにありがとうございます。英語教育を考えるだけでも歴史というものがよく見えてきますね。楽しいお話どうもありがとうございました。

お礼日時:2016/01/20 14:31

もしここでこんなことやる意味ない、という回答がくればどうされるおつもりですか?



まず、東大レベルの練習をしようと思うと過去問をやるしかない、ということがあります。
私は実際そういう東大クラス、京大クラスなどいくつもクラスのある予備校でテキストや模試を作ってきました。
教科書はまず過去問。
大学別の模擬試験はさすがにオリジナルですが、普段の練習のためにオリジナルを作る余裕はないし、
あのレベルのものはなかなか作れません。

過去問と言っても限界があるので、ある程度古くさかのぼります。
最近のだと普通の志望者はさすがにすでに解いていますので。

それと、ああいうテキストはなかなか全体を作りかえるということはせず、
少しずつ改訂する程度で古いものが残っていくというのもあります。

東大に限らず、昭和(1950年というと、昭和という以上に古いでしょうが)の問題の方が難しいです。

この英文については根幹となる notion がはっきりとしていてわかりやすいと思います。

本気で東大を狙うならこれくらいはやってもいいと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。やる必要がないと言われても多分やります。
なぜなら知らないことがめちゃくちゃ学べるからです。
でも,
いまの過去問比べると和訳の難易度が桁違いなんですよね。
「この知識ほんとに役にたてるのかいな…」
「やたら難解な和訳やるよりはリスニング対策に講じた方がよいのでは?」
「今の時代難しい文章を読むよりは簡単な英文を書ける方が傾向にあっているのでは?」と思ってしまうのです。
だから本当に意味あるのかなぁと思ってました。
昔の東大の和訳は今の京大の和訳問題と同等ぐらい難しいです。
京大志望の人と東大志望の英語の対策は全く違うでしょう。
傾向が違う勉強し続けるのは,本当は危険じゃないか,そう思うわけです。
実際,東大受かった人は,ここまで難しい解釈の対策はしたという話を聞いたことがありません。
しかし,東大目指すならやっておけとあなたが仰るなら本気でやります。ありがとうございます。

お礼日時:2016/01/18 22:39

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