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ショパン作曲のピアノ協奏曲第2番を聴いていたら、ベートーベンを連想しました。ショパンはどの程度、ベートーベンから影響を受けているのでしょうか?なにか、裏付けとなるエピソードなどを交えて頂くと、楽しくなります。

A 回答 (2件)

ショパンのピアノ協奏曲第2番を聞いていて、ベートーヴェン的だと感じられ、両者の関係が知りたくなったとのこと。

ショパンの協奏曲第2番はヘ短調ですね。ベートーヴェンの有名な《熱情ソナタ》作品57もヘ短調ですから、へ短調の響きで連想されたのかもしれません。それはさておき、Tastenkasten様の回答を補足するかたちで、少し異なる視点からご説明させていただきます。

1. 「華麗な協奏曲(仏concerto brillant:コンセルト・ブリヤン)」と「交響的協奏曲(仏concerto symphonique:コンセルト・サンフォニック)」
まず、ショパンの活躍する時代は、ベートーヴェンがちょうど亡くなることろです(ベートーヴェンは1827年没)。ショパンの生きた時代、協奏曲は大きく分けて2種類あることが音楽家や批評家たちの間で認識されていました。一方は、「華麗な協奏曲」、他方は
「交響的協奏曲」です。結論から言うと、ショパンは前者、ベートーヴェンは後者に分類され、協奏曲というジャンルの括りにおいては、かなり性格のことなるものと考えられていました。つまり、ジャンルという視点から見た場合、協奏曲においてショパンに対するベートーヴェンの影響を強調することにはムリがあります。
 ショパンの2作の協奏曲に代表される「華麗な協奏曲」は、ショパンの生前、音楽界で大変権威あるピアニスト兼作曲家だったドイツ人のフンメルやフランス人のカルクブレンナーといった先輩たちによって模範的な作品が生み出されていました。ショパンが直接の手本にしたのは、彼らの協奏曲です(但し、ショパンが1831年にパリに到着して間もなく、ショパンはカルクブレンナーに対する賞賛的な態度を批判的な態度に変えてゆきます)。「華麗な協奏曲」の特徴は、独奏者の名技的な技巧に重点を置くことです。主題を提示する序奏があり、ソロがはいると、ピアノが再び技巧的にこの提示部分を、オーケストラと掛け合いながら演奏します。オーケストラとソリストの掛け合いは、主題の展開が行われる部分、主題が戻ってくる部分にも見られます。
 ところが、「交響的協奏曲」は、ピアノ独奏が入ってきてからも、オーケストラが主題を朗々と歌い上げたり、フガート(短いフーガ)を演奏したりします。つまり、オーケストラのパートが単なる伴奏ではなく、音楽の展開において重要な役割を果たします。今の感覚では少し変わった表現に聞こえるかもしれませんが、当時、パリの音楽批評雑誌では、ベートーヴェンの協奏曲は「独奏ピアノつきの交響曲」という風な言い方がされていました。ベートーヴェンの協奏曲は、少なくともショパンの生きたパリではめったに演奏されませんでした。これは、多分、ショパンが協奏曲を書いたポーランドでも同じだったと思われます。というのも、1830年代から40年代は、ピアノという楽器自体が、急速な連打ができるようになったり、中音域が充実した響きを持つように改良されたりした時代で、これらの機能を生かすことがピアニスト兼作曲家たちの関心事だったのです。ショパンも当然、名手の技巧と進化するピアノの技巧を披露するのに適し、ソナタ形式という古典的でエレガントな形式で書かれた「華麗な協奏曲」を選んだというわけです。

2. 他のジャンルでの影響
 しかし、ショパンがベートーヴェンについて無知だったということにはなりません。たしかに、ドラクロワの日記で、ショパンはベートーヴェンよりもモーツァルトの方を好み、敬意を払っていたと書いています。それでも、パリ音楽院の定期演奏会では毎度のようにベートーヴェンの交響曲が演奏されていましたし、ショパンがパリで信頼を寄せていた親友シャルル=ヴァランタン・アルカンというピアニスト兼作曲家は、ベートーヴェンに深いシンパシーを持っていましたので、ベートーヴェンについて議論する環境は、ショパンの周囲に自然とあったはずです。1830年に七月革命が起こった当時のパリでは、ベートーヴェンは文字通り音楽的英雄でしたし、交響曲はベートーヴェンの英雄的なイメージを表す代表的なジャンルでした。では、ピアノ音楽ではどうでしょう?ベートーヴェンのソナタは、今日ほど広く普及していたわけではありませんが、ショパンの生前、パリでピアノ曲の大半は出版されていました。
 ショパンは、ピアニスト、教育者として、有名な「月光ソナタ」を主要なレパートリーにしていたといいます。これまで、「月光」の第一楽章とショパンの《前奏曲》作品45の類似がしばしば指摘されてきています。長く伸ばす低音とアルペッジョ、「ナポリのII度」と呼ばれる和音の多用など、類似点が多いのです。
 また、ショパンの《ピアノソナタ第2番》作品35の冒頭とベートーヴェンの最後のピアノソナタ第32番作品111の冒頭を聴き比べてみてください。
・ベートーヴェン

・ショパン
https://www.youtube.com/watch?v=OPvat98fBGM

とてもよく似ていると思われないでしょうか?冒頭の類似だけをもって、このソナタがベートーヴェンの影響とは言えませんが、ショパンの念頭にこの曲の印象があったのかもしれませんね。ショパンはベートーヴェンのように構造的になりすぎることよりも、モーツァルトの単純さ、明快な論理性を好んでいました。そのことは、画家のドラクロワが日記で証言しています。確かに、ショパンの3曲のソナタはベートーヴェンの後期ソナタのような複雑で長い展開を避けています。大規模な作品を通して壮大な物語を作るよりも、ショパンは明快でクリアな小中規模の響きの中に、玄人にしか理解できないような複雑な和音をちりばめています。こうした創作者としての気質の違いが、ショパンとベートーヴェンを隔てていると考えられます。

以上、多少なりとも参考になりましたら幸いです。
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この回答へのお礼

ピティナさんによる音楽史の歴史考証に基づく説得力ある説明を得て,この時期のピアノ協奏曲の概念が明解に理解できました。そして,ドイツ人のフンメルやフランス人のカルクブレンナーからの影響について,ひとつ前の回答者さまと同様に指摘なさってるので,協奏曲に関しては,おそらくはベートーベンからの直接的影響は薄いのかなと思いました。協奏曲の構造という点では,確実にconcerto brillantの系譜に位置するショパンですが,あのパセティックなうねりに満ちた律動感は,やはりベートーベンの書法に近いのではないでしょうか。もちろん,この点についても,実例を挙げて曲想と構成・規模の観点から素人には知り得ないショパンの指向性について教えてもらいました。非常に,頭の中が整理されてきたことに感謝します!!

お礼日時:2016/02/01 03:54

ショパンとベートーヴェンの関係は微妙です。

ショパンの伝記を読むと、ベートーヴェンは必ずしもショパンが好んだ作曲家ではなかったことがわかります。

ショパンは6歳のころ、父親の古い友人だったジヴニーという人から正式にピアノのレッスンを受けるようになり、ワルシャワ音楽院入学後も師弟関係は続いています。このジヴニーという人は完全に18世紀的な人物で、敬愛していたのがバッハ、ハイドン、モーツァルト、同時代の作曲家で評価していたのはフンメルとモシェレスで、ベートーヴェンは好きではありませんでした。ショパンがこのジヴニーからベートーヴェンの曲を教わることはなかったと考えられます。

ワルシャワ音楽院では、作曲をエルスナーという人に習っていますが、この人のもとでベートーヴェンを研究したかどうかは明らかではありません。

ショパンが16歳のころ、父親から個室を与えられ、勉強に集中するようになりましたが、このころその部屋に積み重ねられていた楽譜は、バッハ、モーツァルト、フンメルのほか、おもにピアノ曲中心に作曲をしたカルクブレンナーと、ベートーヴェンの弟子にあたるフェルディナント・リースによる作品でした。

ピアノ協奏曲第2番は、出版が遅かったため第2番となっていますが、第1番より先に書かれました。その前の年に書かれたピアノ・ソナタ第1番を見ると、まだショパンの個性は出ておらず、古典的な作曲技法習得のための習作にとどまっています。そして、ピアノ協奏曲第2番よりは、むしろピアノ・ソナタ第1番の方にむしろベートーヴェン的な性格が感じられます。とはいっても、これがベートーヴェンからの直接の影響であるかどうかは疑問です。なぜなら、ショパンが影響を受けたフンメル、カルクブレンナー、モシェレス、リースなどの作曲家はベートーヴェンと同時代の作曲家なので、これらの作曲家の音楽の語法や性格にもベートーヴェンと共通する部分が多いからです。しかし、これらの作曲家は一流の作曲家ではなかったためほぼ忘れられ、今日演奏されることは滅多にありません。彼らの作品を聞いたことがない人がほとんどなので、ショパンの音楽の中に聞き取れるこれらの作曲家の影響からベートーヴェンを連想してもおかしくはないと思います。

ただ、ショパンのピアノ協奏曲第2番に関して、ベートーヴェンの名前を挙げて論評したものが初演当時からあったことはありました。1830年にこの曲がショパン家のサロンで初演されたとき、新聞の批評に、「その独創的な思い付きの中に、ベートーヴェンの深み、フンメルの芸術と快適さを見たように思った」と書かれました。しかし、「深み」という漠然とした印象なので、作曲技法についての専門的判断からきている論評ではありません。また、作曲家シューマンもこの曲を批評して、「まぎれもなくベートーヴェンからインスピレーションを受けている」と書きました。しかし、この曲の中に、ベートーヴェンにしか見られないような作曲技法を取り込んだ形跡はありません。シューマンは作曲家なので、作曲技法をよく見たうえで書いたと思いたくなるのが人情ですが、シューマンという作曲家は、ロマン主義という自分自身の芸術上の理想を持っていて、批評の際にもそれを先行させて自身の価値観に合致するような著述法を取っていたので、実証的な見地から書かれた評価ではありません。ショパンが、こういうシューマンの批評を非常に嫌っていたことは有名です。

基本的に、ピアノ協奏曲第2番にベートーヴェンからの直接的な影響があるということはほとんど立証できませんが、全くないかというと、必ずしもそうは言いきれない微妙なところはあります。ショパンはこの曲の作曲に非常に苦心し、完成までに長期間かかっています。その頃、楽譜店とサロンが一緒になったような店があり、多くの音楽家が集まって、新しく届いた楽譜の研究をしていましたが、ショパンはそこでベートーヴェンのピアノ三重奏曲の一つを見て、「これほど偉大な作品は長いこと見ていない」とある手紙の中で書いています。必ずしも最も好きな作曲家ではなかったとはいえ、ベートーヴェンを評価していなかったわけではないのです。ショパンがピアノを教えるときも、生徒たちに弾かせた作曲家の中にベートーヴェンは入っていました。ショパンの愛人、ジョルジュ・サンドの娘、ソランジュにも、ベートーヴェンのソナタを教えたと伝わっています。それに対して、シューマン、メンデルスゾーン、シューベルトの作品を生徒に弾かせることは全くありませんでした。また、実際には書かれませんでしたが、ベートーヴェンの主題による変奏曲を書く計画があったことも知られています。1832年から33年にかけての冬にパリへ戻った時は、ベルリオーズがそれを祝って自分の『幻想交響曲』を演奏しましたが、ショパン自身はその曲よりも、それまで聞いたことがなかったベートーヴェンの第9の演奏に感動したようです。

それでもやはり、ショパンがベートーヴェンに対して一定の距離を保っていたことは確かです。リスト、ベルリオーズ、ショパンの三人が語り合ったときも、ショパンとほかの二人の意見が一致することはまれでした。リストとベルリオーズは、音楽を束縛から解き放ち、ロマン主義的革命の道を開いた作曲家としてベートーヴェンの偉大さを信じていたのに対して、ショパンはベートーヴェンの音楽を、曖昧で完結性に欠けると評し、ベートーヴェンが称賛される理由は、見かけの荒々しい個性ではなく、永遠なる原理に背を向けたことである、モーツァルトはそのようなことはしなかった、と友人に言っています。リスト自身も、ショパンはベートーヴェンの情熱をあまりにも過剰なものと感じていたようだと証言しています。ショパンは、フンメルのような作曲家がベートーヴェンほど偉大でなかったことは自覚していましたが、通俗性に走らない謙虚さという点で、ベートーヴェンよりもフンメルをより評価していました。

ショパンがベートーヴェンから距離を置いた理由のもう一つは、論理性です。通常、音楽史の記述では、ショパンはその年代に即して、単純にロマン派の作曲家と分類されます。これは非常に誤解を招くことで、ショパンは、ベートーヴェンをきっかけに起こったロマン主義の運動には同調しませんでした。ショパンが音楽において最も重要と考えたのは「論理」で、これを伝えるエピソードはいろいろあります。フランスの作家、テオフィール・ゴーチェと会ったときも、芸術に一番大事なものは論理であるという点で意見が一致したという話があります。また、ショパンが画家、ドラクロワと親しかったことは有名ですが、ドラクロワから音楽理論について教えてほしいと懇願された時も、音楽における論理とは何かを、バッハのフーガやモーツァルトの音楽に触れつつ語り、この「論理」という点に関して、なぜモーツァルトがベートーヴェンよりも優れているかを説明した、とドラクロワは書き残しています。

作曲家は、たとえ本当に自分の好みの作曲家でなかったとしても、見るべきものが少しでもあれば貪欲に取り込むものです。そういう意味では、ショパンがベートーヴェンから全く影響を受けなかったとは言えませんが、あったとしても限定的なものだったと考えるのが妥当でしょう。


参考作品:ショパンが影響を受けた作曲家たち

フンメル:ピアノ協奏曲第3番


カルクブレンナー:ピアノ協奏曲第1番
https://www.youtube.com/watch?v=CclQ1tGmGws&list …

モシェレス:ピアノ協奏曲第3番
https://www.youtube.com/watch?v=WmILM1ruuFE
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この回答へのお礼

これはそうとう勉強になりました。ショパンが自らの世界を切り拓くまでの道のりだけでなく,彼を取り巻く当時の音楽界の状況まで,俯瞰できました。tastenkasutenさんのおかげで,ショパンについて自分も調べてみようという向学心が湧きましたし,ベートーベンへの他の作曲家のまなざしについても,興味を覚えました。ピアノ協奏曲第2番からベートーベンを連想した記者がいたこと,そしてシューマンもまたその曲にベートーベンを関連づけて聴いたということを知ったときには,正直言って,自分の見立ても狂ってはいないと思い,嬉しくなりました。丁寧な説明に心から感謝します。

お礼日時:2016/01/29 13:42

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