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グーグル開発の囲碁プログラムがプロ棋士に5戦全勝と。様々なゲームで強くなる人工知能、どう思いますか?

参考URL:Google囲碁ソフト プロに5戦全勝
http://news.goo.ne.jp/article/jiji/world/jiji-16 …

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gooニュース編集部から時事問題に関する質問をお届けします
http://news.goo.ne.jp/

A 回答 (9件)

「これが google の開発した人工知能だ!」とか言う前に、まず日本語にもなっていない google 翻訳をどうにかして欲しいで

すなw
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将棋やチェスなどでもさんざん言われていることですが、


本来、人間同士の対局と、対コンピュータとの対局は、別の競技だと割り切って考えるべきだと、個人的には思います。

工場の機械化とは違うのです。
機械が優れた能力を発揮したら、人力が不要になるわけじゃありません。

自転車競技にバイクが出てきて、バイクが勝ったからといって、
肉体を使った競技が不要になるわけじゃないでしょう。

強ければなんでもいいわけじゃありません。
一定の、同条件の部分があるから競技として成り立つのです。

将棋の電脳戦などは、エキシビジョンとしてはおもしろいですが、
あれは人間対コンピュータというより、棋士対プログラマーの意味合いが強いんじゃないかなと思います。
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囲碁も趣味としているプログラマとしては「予想以上に並列化が進んでいる」「何スレッド(プロセス?)走らせてるのか」「学習に何件の棋譜を読ませたのか」「局面の解釈の仕方は」「何人月かかってるのか」「負けたプロって誰」「どのように収益につなげようとしているのか」ということに興味があります。

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2045年問題が、いよいよ現実味を


帯びてきた、と思いました。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8A%80%E8%A1%93 …


つまり、人類が何万年もかけて築いてきた、知の
積み重ねを、電脳が超えるのが2045年だ、という
ことです。

そのとき、どういう問題が発生するか。
SFじみていますが、非常に興味があります。

電脳に追いつき追い越されようとしたとき、人類は
どうなるか。
2001年宇宙の旅、という映画では、人間は
さらなる高次の存在に転生する、としていました。
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ディープラーニングの実装がおおきなブレークスルーとなって


ついに囲碁もプロに手が及ぶようになりましたね。
思った以上にソフトの進化が早いですね。びっくりです。


いまから4年ほど前、将棋の第一回電王戦で米長会長がソフトに敗れた直後に
同じような趣旨の質問がありました。
<https://oshiete.goo.ne.jp/qa/7248472.html>

それは、今後将棋界はどうなってしまうのかといって
>1 将棋そのものが衰退する
>2 将棋はそのまま残るがプロは衰退する
>3 逆にソフトの普及で将棋が発展する
のどれでしょうかと問う質問でした。

その質問への回答が、今回のご質問への回答にそのまま適用できると考え再掲します。

駄文の本旨は
トッププロは「プレイヤであり表現者であることが一層求められる」ということと、
「下手の実力に応じて「ちゃんと考えれば正解を見つけることができる局面」に誘導してくれるような
指導者としてのプロ」の意義は当面失われない。
というものです。


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アマの将棋ファンです。
 あえて質問に答えるなら「その他:そんなには変わらない(但し条件付)」です。



「1  将棋そのものが衰退する」

これはあまり考えられないでしょう。
実際にプロ棋士に指導してもらっているアマチュアなんてほとんどいないんです。
それでもそれなりに将棋は盛んに指されています。
それは自分の身の回りの(プロではない)アマチュア同士やソフトとの対戦が「楽しいから」です。
「とてつもなく強いソフトが現れること」と「将棋を指して楽しいこと」に直接の関係は
なさそうですね。将棋が衰退することは、あまり考えなくてよいでしょう。



「2 プロは衰退する」
プロの意識改革によって衰退を免れると考えます。
正直にいってプロには「トップを目指すプレイヤ」としてのプロと、
「アマの指導、普及を担う指導者」としてのプロがいます。
ゴルフのプロに「トーナメントプロ」と「レッスンプロ」がいるようなものです。
この2つに分けて考えましょう。


「トップを目指すプレイヤ」としてのプロ
これまでは単に強さを追求し「世界で一番強い男を目指す」だけで充分に存在価値が
ありました。それだけで「将棋について誰よりもわかっている」ことになったからです。
「強さ」こそが権威でありそれこそが尊敬を集める根源だったわけです。

強いソフトの出現によって「最善手はソフトに聞いた方が正確である」という日が
やってきます。いまでも「詰む詰まないはソフトに判定させる」のが最も正確なんです。

これからはプレイヤであり表現者であることが一層求められると考えます。
人間同士の対局の思考過程、息遣い、なぜそう指したか、なぜ最善手を逃したかといった
ことへの表現が今まで以上に求められるとおもいます。
そこに人間同士の戦いのドラマがあることをファンに伝えていくことが重要でしょう。
観戦記者にまかせっきりでなく棋士自身が内面を表現することが大事になってくると思います。
あえていうなら「自分の弱さを表現する」ことが求められると思います。



「アマの指導、普及を担う指導者」としてのプロ
アマの指導者としてのプロの地位は当面は揺るがないでしょう。
ソフトは強さの追求では一定の成果を挙げ、また一層強くなることは間違いないので
いずれトッププロを凌駕する日がやってきます。(数年内かも?)

とはいえ、アマが求めているのはそんなピュアな強さではなく、下手の実力に応じて
「ちゃんと考えれば正解を見つけることができる局面」に誘導してくれるような
指導者としてのプロです。

必ずしも「いわゆるプロ棋士」(将棋連盟の四段以上)である必要はありませんし、
現にアマ強豪や指導棋士(元奨励会員など)にそのような指導力の素晴らしい人材もいます
がアマ有段者を掌の上で上手に転がすよう指導してくれるにはプロ棋士級の実力が必要です。
ソフトでも「レベルを落とす設定」などありますが、現状では、実に不自然な悪手を織り交
ぜてくるので到底、「指導」という観点では役に立ちません。

ソフトには、ピュアに強さを求めるのとは違った進化が求められていると思います。
ただし、多くのアマがそのようなニーズを持っている以上、市場原理に従って、
ソフトもいずれそのような機能を持つような進化をします。
「指導プロ」も長期的に安心してよいとはいえないでしょう。




話は変わりますが、「定跡書」のようなものはソフト(コンピュータ)の能力が最も発揮
される分野で、「局面を動かしながら」「有力な手を表示し」「悪手がどう咎められる」
かをわかりやすく読者に伝えることができます。

しかも、これまではあらかじめ筆者が想定した手順のみを覚える(原稿に書いた範囲のみ)
ことしかできませんでしたが「強いソフト」をバックボーンにもつことによって
「筆者の想定外の着手に対する応手」をソフト自体に考えさせて表示させることができるようになります。
(場合によっては「筆者の想定」そのものが不用となるかも)
近い将来、紙媒体の棋書は廃れ、強いソフトを併用した電子ブック形式に変わっていくでしょう。
このようなソフトの出現によって「向上心あるアマ」は便利にはなるでしょうが、
ただちに「将棋が普及する」といった大きな影響はないでしょう。

(ちなみに、いまの将棋ソフトだって、「検討モード」などと称してそれぞれの局面における定跡の手、
有力な手を提示してくれる機能がありますので、それを少し発展させるだけです。)




なにはともあれ、電王戦の結果によって将棋界(将棋連盟)が大きな転換期を迎えたことは間違い
ありませんので、今後の動向について、私も興味深く見ていきたいと考えます。
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「囲碁」に関していえば、今後も、大勢に影響はない、と思います。



囲碁とは、失敗するゲームとも言え、だから楽しいし、悔しい。
「囲碁プログラム」が万能であれば、常勝だし、そこに、楽しみも、悔しさも、無い。

この為、好みで、プログラム同士の、対局はあっても、人間の興味の対象には、なれないと、思います。

少なくとも、人間同士の対局に、囲碁プログラムが、参入できるとは思えません。
そこには、悔しさ、楽しさ、が無い、からです。

一方、プロ野球、プロサッカーが盛んなのに、草野球、草サッカーが隆盛なのも、
その目的が、楽しむこと、だからだと、思います。

「囲碁ソフト」の位置付けは、良いとこ、「バッティングマシン」の位置ではないか、と思います。

他の、ゲームでも、仕組みは同じでしょうから、やはり「道具」の域をでることは、無い、と思います。

しかし、「複雑な人間の思考」に対する、一種の解決方法を見出しつつある、と言うのも
事実で、本丸は、こちらだと思います。

この手法が、思いもよらぬ方面へ波及し、例えば、宇宙の起源を探る、とかの
道具になればいい、と思います。
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どれほどの経験を積み、熟達した人間でも、本番での緊張や水面下での


争いでミスを犯したり、思いもよらぬ好手がでたりする。
逆転につぐ逆転といった、片時も目を離す事ができない攻防をするから
こそ人対人の対局はなくならない。
むしろコンピュータソフトとの対局で、これまで考えられていなかった
手が生まれたり、上位棋士との対局数が限られている、若手棋士の研究
に用いられて成長に寄与するかもしれません。
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冷静になって考えてみれば・・・



プログラム構築には「プロ」の打ち筋や手順がいるんでショ?
そのプロの中には「自分」も居るのでは?
「大勢のプロ」+「自分」が束になって「自分」に襲いかかって来たら
勝ち目なんてある訳がない。

プログラム上のアルゴリズムの問題もありますが、
囲碁ソフトや将棋ソフトにしろ、SIRIにしろ
自分相手に勝てる人間なんていませんよ。
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ご質問読ませていただきました。



プロ棋士としては、存在する意味がなくなります。最近、パソコンを利用していて感じるのは、字が書けなくなった事です。あまりに、コンピューターに頼りすぎるのは、人間として生きるうえで、その本来の能力を退化させるのではないかと、危惧しています。以前に亡くなられた、俳優の菅原文太さんも「科学技術の進歩の速度を落とすべきだ。」と生前語られた記憶が、今思い出されました。

以上、参考まで。
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