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教えて。信長と家康どっちが上なんですか?幕府とか上様とか大名とか戦国時代の仕組み詳しく解りやすく教えて下さい。また、どういう中でも徳川とか、織田とか、こういった人が出来たのか?選挙とかできまったのですか?

A 回答 (4件)

この時代の幕府は室町幕府です。

元々日本の国土はすべて朝廷(天皇)のものでしたが、
平安時代に開拓地は私有地という法律ができて私有地(荘園)が増えました。各地の国有地や
荘園を管理する役人や貴族の家臣はだいたい京都にいて現地にいませんので現地で雇われていた
代理人がいるんですが、こういう人たちが武士になり、戦争をしたり、もめ事を仲裁したり
していて混乱してきたので、武士を統括する将軍という役職の人が誰がどこの国有地/荘園を
管理する武士(地頭)かを決めるようになりました。また朝廷が地方を統治する単位として
国という範囲を決めていましたが、それぞれに治安維持に当たる軍隊=武士を配置したのが
守護です。室町幕府の時代になると地頭はほとんど守護の家来になっていて、守護の力が
経済的にも軍事的にも強くなり、将軍より守護のほうが力が強いような状態になり、
その主導権争いから守護同士が戦う戦国時代に入っていきました。守護は幕府の政治を
動かすので京都にいて、現地には守護の家来が現地で監督責任を負うようになりますが、
これら守護の家臣の武士の中に守護自身よりも強く知力、財力、軍事力を持つような
武士たちが出てきました。織田氏も徳川氏もそのような豪族です。
徳川氏は元々三河の守護が事実上いなくなったので三河を支配していたのですが、
自分ちの内紛で家康のお父さんが殺されたので家康は最初織田信長に人質として捕まります。
その後今川義元の人質になりますが、織田信長が今川義元を倒して徳川家康を自由にし、
家康は三河の支配権を取り戻します。その時の条件として徳川は織田に味方すると
約束したので織田信長が死ぬまでは徳川家康は同盟関係です。名目上は同等です。
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信長と家康どっちが上なんですか?


    ↑
同盟関係ですから、建前は同等です。
しかし実力は信長が上です。
つまり、日米関係みたいなものです。
日米は主権国家ですから、建前は同等ですが、実質は米国が格上であり、
米国が信長で、日本が家康です。



幕府とか上様とか大名とか戦国時代の仕組み詳しく解りやすく教えて下さい。
   ↑
幕府とは武家政権のことを意味します。
当時の将軍は足利氏でしたから、幕府は足利幕府です。

上様てのは、古くは天皇に、室町時代には大名に、
江戸時代には将軍に対して使われました。

しかし、将軍の力が衰えて、各地に戦国大名がのし上がって
きました。
その戦国大名の中に、信長や家康がいたわけです。

その戦国大名が天下を狙って喧嘩した時代が戦国時代です。



どういう中でも徳川とか、織田とか、こういった人が出来たのか?
選挙とかできまったのですか?
   ↑
徳川、織田は世襲です。つまり
代々の領主などであり、世襲により引き継がれ
それが戦国大名に発展しました。

秀吉は織田の家臣でしたが、頭角を現し、信長亡きあと
天下を取りました。
つまり、力です。権力で決まりました。

権力てのは人を動かす力です。
人を動かす為には、人々の支持が必要です。
現代では選挙で選びますが、当時は力で選ばれました。

こいつに従っていれば、俺も生き残れる、偉くなれる
ということで力が集まるわけです。

そうやってリーダーが選ばれ、それが領主になり、
更に大名になり、将軍になるのです。
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秀吉が上。


百姓からの上り代が大きい。
人を殺した数で評価すると、家康が上。
ことほどさように、評価基準をどうする、というものがないと、上下の論議はできない。
選挙で決まりました・・・多くの群雄の中から、多くの賛同者を得たのが、徳川であり、織田でした。選挙と言ってよいでしょう。
これで満足?
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ひとまず、小学館とかの”まんが日本の歴史”とかを図書館ででも読んでみたら?

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