1. 《非思考の庭》にあってすでにわれは いのる相手である神とカカハリを持ち あい
向き合っている。ならば 神が神であり普遍神であるなら神にその祈りの中身を何も知られ
ていないと思うほうがおかしい。

2. よって 望み願うことは――むろん控えよとかやめよというべくもなく おこなって
構わないわけだが―― じつは必要はない。願う前に神は 知っているのだから。

3. ただ われここにありと自覚するために 願い祈るのだ。

4. わたしがわたしであるその自然本性の姿に立ち還り その姿をチカラとする。

5. 《信じる(非思考の庭)》を差し置いて 願い祈るのは 賽銭だけで願いを叶えて欲
しいという虫の良い料簡である。――しかもこの取り引きが 実を結ぶことがありうるんだ
から・・・。どうなっているのやら。


ご見解をどうぞ。

A 回答 (3件)

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Ein Gespenst geht um in Europa – das Gespenst des Kommunismus. Alle Mächte des alten Europa haben sich zu einer heiligen Hetzjagd gegen dies Gespenst verbündet, der Papst und der Czar, Metternich und Guizot, französische Radikale und deutsche Polizisten.

Manifest der Kommunistischen Partei (1848)
https://de.wikisource.org/wiki/Manifest_der_Komm …(1848)?uselang=ja

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『宣言』冒頭の有名な一文「ヨーロッパに幽霊が出る――共産主義という幽霊である」は、ローレンツ・フォン・シュタインの著作『今日のフランスにおける社会主義と共産主義』(1842年)中のフランス共産主義に関する文章に酷似している。マルクスはこの著作を大変な熱意で読んでいるが、マルクス自身がここから直接にヒントを受けて「共産主義=幽霊」としたと断言しているわけではない。しかし『宣言』にはシュタインの著作に影響を受けた共産主義者同盟幹部の職人革命家たちの政治的な意識や見地が反映されている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/共産党宣言

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マルクスとかは単に宗教批判として読んだことがあっただけだから
どうして唯物論なのに、幽霊なのか不思議だった。というか今も不思議だと思っている。

それで幽霊は幽霊でも悪霊なのだろう。


聖書の悪霊を追い出した話などは、共産主義との戦いの話にもなるのだが
それは文学と時代の問題であり、今はどうでもいいけれど。


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概要[編集]
アティーシャの『菩提道灯論』に範をとって主著『菩提道次第論』を著し、仏教のあらゆる教説は行者が凡夫から悟りへと至る修行の道程として統合されるとする「ラムリム」(修行の道程)の思想によってチベット仏教教学を大成した。また、『秘密道次第』を筆頭に密教的著作も数多く残している。
思想的には中観帰謬派(プラーサンギカ)の立場をとり、顕教においては特にチャンドラキールティの説を奉じた。また、それと呼応して密教教義の解釈にも中観派的な視点からの捉え直しを行い、なかでも性瑜伽などを観想上のものと規定することで、左道密教的な実践を廃し、修行者に持戒を求めたことは、綱紀の粛正の面で大きな役割を果たした。

ツォンカパ
https://ja.wikipedia.org/wiki/ツォンカパ

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なぜか戒律が問題になっているようだけれど、
反社会的要素が多かった後期密教をファンタジーにすることで
なるべくまともなものにしているチベット密教とかいうものがあるのだから
いちいち私に因縁をつけなくてもいいのにと思うのだが。

この場合、幻想にするために、空の思想が必須ということになって
結果的に仏教を学べということになるのだろうけれど。
つまり、密教の学習には顕教の学習が必須ということに。

ああ、たぶん呪術を擁護したから
密教の問題を押し付けられている状態なのか。
ばかばかしい。

なるべく合理化すれば反動がきて、反動を擁護すれば
今度は因習を咎められる。

だから瑩山紹瑾なんか面倒なんだ。

また関係ない回答を投稿したことで、ブロックされてしまうか。
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Definitions for aṅgīrasa

Concise Pali English Dictionary
aṅgīrasa
m. the resplendent one; the Buddha.

Pali Proper Names
Aṅgīrasa

One of the ten ancient seers who conducted great sacrifices and were versed in Vedic lore. The others being Aṭṭhaka, Vāmaka, Vāmadeva, Vessāmitta, Yamataggi, Bhāradvāja, Vāseṭṭha, Kassapa and Bhagu. The list occurs in several places. Vin.i.245AN.iii.224MN.ii.169MN.ii.200

The same ten are also mentioned as being composers and reciters of the Vedas. DN.i.238


https://suttacentral.net/define/aṅgīrasa


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“Cando yathā vigatavalāhake nabhe,
Virocati vigatamalova bhāṇumā;
Evampi aṅgīrasa tvaṃ mahāmuni,
Atirocasi yasasā sabbalokan”ti.

saṃyutta nikāya 8
1. vaṅgīsavagga
11. Gaggarāsutta

https://suttacentral.net/pi/sn8.11

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aṅgīrasa
https://suttacentral.net/search?query=aṅgīrasa&lang=en%2Cpi&define=1&details=1


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buddhaの神格化
 初期の経典においても、仏陀あるいは釈迦を「ヤッカ」と呼んでいることがある。これは後の「夜叉」であるが、その当時は、なにかしら神聖なもの、超自然的なものであって、崇拝さるべき霊的存在を意味していたらしい。原始仏教聖典をみても、ヤッカは崇拝の対象とされていた。仏教聖典の最古層におけるヤッカの観念は、ジャイナ教とも共通で、ジャッカ(jakkha=ヤッカ)は龍(naaga)や霊(bhuuta)とならべて考えられている。
 また原始仏教聖典の古い詩句の中では、「ゴータマよ」と呼びかける代わりに「アンギラス族の人よ」(aNgirasa)と呼びかけていることがある。これはバラモンのうちの特殊なひとつの家系である「アンギラス族」という名をゴータマの呼称としているのである。これは『リグ・ヴェーダ』的観念の名残りであり、非常に古いと考えられる。aNgiras(男性名詞)とは、神々と人間との間の存在であって、両者の仲介者、天の子息、人間の先祖、神々の恵みを人間にわかち授ける者として登場する。

http://www.wikidharma.org/jp/index.php/ぶっだ

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やはりというかアンギラスの知名度がなくてオリジナルだと思われているようなので、
補足をしました。
ブラジュロンヌさんには説明の必要がないとは思ったのですが
ここの投稿を見た皆さんが疑問に思われたようです。
そんなわけで質問とは関係ありませんが、再度、失礼しました。
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不信仰な批判の基本は「人間が宗教をつくり、宗教は人間たちをつくらない」ということだ。もっと言うと宗教とは、まだ自分自身を手に入れていないか、あるいはまたもや自分を失ってしまった人間の自己意識と自己感情である。しかし、人間、それは世界の外で屈み込んでいる抽象的な本質ではない。人間、それは人間の世界であり、国家であり、社会性である。この国家、この社会性が宗教、すなわちひっくり返った世界意識を生み出すのは、それらがひっくり返った世界だからである。宗教はこのひっくり返った世界の一般的な理論であり、その百科的概説書であり、一般向けの形式におけるその論理であり、その精神主義者の名誉に関わる点であり、その熱狂であり、その道徳的な是認であり、その壮麗な補いであり、その一般的な慰安と正当化の根元である。それが人間的な本質の空想的実現であるのは、人間的な本質が本当の現実を何も有していないからである。ゆえに宗教に対する闘争は間接的に、精神的な香りが宗教である先のひっくり返った世界に対する闘争である。
 宗教的な惨状は、現実的な惨状の表現に、そして現実的な惨状に対する抗議に存在する。宗教は窮迫した生き物のうめき声であり、それは精神なき状態の精神であるように、無情な世界の心情である。それは国民の阿片である。
 国民の幻覚の幸福としての宗教の廃止は国民の現実的な幸福の要求である。国民の状態に関して幻覚を捨てるよう要求することは、幻覚を必要とする状態をやめるよう要求することである。ゆえに宗教の批判は萌芽では、神聖な光が宗教である涙の谷の批判である。
 批判が鎖から想像上の花々を引き裂いたのは、人間が空想なき、慰安なき鎖を身にまとうためではなく、鎖を投げ捨て、生き生きした花を摘むためであった。宗教の批判が人間たちを失望させるのは、理性に戻った人間のように人間が考え、行動し、失望し、自分の現実を形成するためであり、人間が自分自身の周りを回るため、そして自分の現実的な太陽の周りを回るためである。宗教は、人間が自分自身の周りを回らない限り、人間の周りを回る、単なる幻覚の太陽に過ぎない。
 ゆえに真実の向こう側が消えた後に、こちら側の真実を確立することが歴史の使命である。人間的自己疎外の神聖な形態を暴露した後に、自己疎外をその非神聖な形態において暴露することが、さしあたり、歴史の役に立っている哲学の使命である。これによって、天の批判は地上の批判に、宗教の批判は法の批判に、神学の批判は政治の批判に変わる。


ヘーゲル法哲学批判
https://ja.wikisource.org/wiki/ヘーゲル法哲学批判

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Die Kritik des Himmels verwandelt sich damit in die Kritik der Erde, die Kritik der Religion in die Kritik des Rechts, die Kritik der Theologie in die Kritik der Politik.


Zur Kritik der Hegel’schen Rechts-Philosophie
von Karl Marx.

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これを引用するようになるとは思わなかった。
べつに私は「地上の批判」はしませんけれどね。

むしろ「地下」の問題もあるような気がするが
言葉遊びに過ぎないだろうか。

しなくてもいい投稿をしました。
またブロックしてください。

ゴータマ・ブッダもアンギラスと呼ばれたことがあるのですから
呪術というかヴェーダに詳しくてもいいような気がするのですが、
呪術を肯定すると今度は疑似科学批判の人が騒ぎそうだから
どうでもいいです。

いつも重なりあった状態の話をしているので
シュレーディンガーの猫かよという気がしてきた。
もはや存在は確率になってしまうのだろうか。

瑩山紹瑾は面倒です。なぜこんなのを研究している学者に粘着されなければらないのか
正直どうでもよくなってきているので、介護しているような気分です。
自分で考えることを辞めないで下さいね。それでは。
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