プロが教えるわが家の防犯対策術!

博士課程に進学を考えてる修士生です。

険しい道が続く博士過程に進学をされ、見事博士の学位を取られた方に質問です。
どういう理由で進学され、その後どういう心構えや努力をして学位を取られるに至ったのでしょうか?
今後の参考にしたいので回答をお願い致します。

A 回答 (3件)

ずいぶん高い志をお持ちですね。

感心します。私は以下のような感じだったので、ほんと、真面目な方々には申し訳ないです。

>どういう理由で進学され

楽しい時間をもう少しだけ、というのが正直なところです。

>その後どういう心構えや努力をして学位を取られるに至ったのでしょうか?

いやぁ、毎日が楽しかった。研究をしていると、ときどきぽろっと成果が出たので、キリのいいところで発表してました。そんなこんなで学位授与の要件を満たしたようで、大学が学位をくれました。取るに至ったというよりは、おまけのようについてきた。

ちなみに、No.1の方のご回答は同感です。100倍というのが適当な表現なのかはわからないけど、DCの生活よりは社会に出てからの方がはるかに険しいです。きっと大半の方は同様に思われているでしょう。
    • good
    • 3

非常に特殊な理由です。

戦争前、祖父が東大法学部を卒業するとき教授から引き留められました、ですがそれは無理だった、祖父は三重の出身ですが旧制中学頃郡長だった父親を失い喰うや喰わず。余りの才能に篤志家が無条件で支えて呉れ、奨学金と合わせて何とか旧制名古屋の五高を経て東大へ来るのがやっと、母、弟、妹を養わねばならなかった、教授は涙されたそうですが、国営だった日本興業銀行へ就職しました。私は外孫でしたが初孫で男の孫はあと一人だけ、神童だった私を祖父は溺愛しました、大きな社宅があったので母は長女、早い話居候、だから私は十歳になるまで祖父の家に居り、大学院の時も再度同居しました。定年後以前の部下で祖父に抜擢された某大企業の社長のお世話で子会社にしばらく居りましたが、居座ることは出来ない、有能過ぎる祖父には仕事が無いのが非常につらかった様です。私は何とか就職させようとした父の努力を潰して周り、奨学金を得て大学に居座りました。私が無事(かなり淋しい内容だが)博士号を得た三月、同じ年の六月祖父は他界しました。葬儀委員長は上記の方が時間など無いはずなのに務めて下さいました。私は巨大だった祖父に比べ小さいが、祖父孝行したと思っております。
    • good
    • 3

>険しい道が続く博士過程に進学をされ



社会に出る方が100倍険しいので、気にしなくても大丈夫です。
    • good
    • 2
この回答へのお礼

頭悪そうですね。
病院に行ってください。

お礼日時:2016/02/15 10:30

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!