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先日、東寺の五重塔の内部見学をしました。そのとき、「昔は紙や木造建築ばかりだったので、火が最も恐れられており、水を司る龍神の絵が描かれた」という説明がありました。
そういわれてみると、ガイドブックでもお寺に所蔵されている龍神や風神雷神の絵画が紹介されています。

龍神などは日本のアニミズム信仰であるような印象を持っていましたが、こういった日本における土着の信仰と仏教の融合(この表現が適切であるかは分かりませんが)は何時ごろから見られ始めたのでしょうか?

A 回答 (5件)

仏教にも「八大竜王」などの信仰がありますから、竜神信仰は必ずしも、神仏習合とは結びつきません。

仏教で言う竜王とは、インドの蛇神・ナーガのことです。ナーガは本来はコブラの姿ですが、中国では竜と同一視され、そのまま日本へ伝わったようです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%83%BC …

神仏習合(少なくとも、本格的なそれ)は、神社に付属する仏教寺院(神宮寺)が置かれたことに始まると思っていいでしょう。記録が確認できる最古の神宮寺は、715年に創建されたという気比大社の「気比神宮寺」(福井県敦賀市)です。同じくらい古いとされるのが、剣神社(同県越前町)と若狭彦神社(同県小浜市)の神宮寺ですから、福井県は神仏習合の先進地域だったようですね。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%A3%E6%AF%94 …
ほかには宇佐神宮(大分県宇佐市)も、725年に神宮寺を設け、781年ごろから祭神を「大菩薩」と称するなど、神仏習合が盛んでした。

これらは8世紀の事例ですが、『日本霊異記』によれば、備後国三谷郡(ほぼ広島県三次市)の郡司が7世紀、「諸神祗(神々)のために」三谷寺を建てたそうです。神のために、神社ではなく寺を建てたのですから、これも神仏習合の一例と考えられています。この記録が事実なら、神仏習合は7世紀には、すでに始まっていたと言えるでしょう。
http://www7b.biglobe.ne.jp/~s_minaga/b_jinguji.htm
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。お返事が遅くなり、申し訳ありません。

絵本程度の知識で、八岐大蛇の神話から河川における蛇や龍の神の信仰、伝承に繋がる=日本におけるアニミズム信仰と考えておりましたが、
水を司るものとして蛇や龍を信仰することは日本に限らず世界各地でみられる伝承だったのですね。
お寺にみられる竜の絵が日本神話に由来するものではなく、仏教にあるものだと分かり、疑問が解けました。

神仏習合についても詳しくご説明していただき、とても勉強になります。

有難うございました。

お礼日時:2016/02/20 23:22

龍神は中国渡来のものでしょう。

仏教と同じです。

日本においては、日本土着の神道も渡来の仏教の一面と考えられてきましたので、この神様が神道でこの神様が仏教で、みたいなのはなくて、どれもこれも同じ仏教の仏様がいろいろ化けたもの、同じ神様たち、という考え方でした。
戦国時代にキリスト教が入ってきますが、日本人の基本的な考え方はあれもこれも同じ神様です(などと言うとキリスト教の人は怒るでしょうが)。七福神などを調べると、なかなか面白いです。

とはいえ江戸時代くらいになると、逆に神社から仏教的なものを無くそうなどという運動が起きて、出雲大社なども昔っぽい造りに変えられたり、伊勢神宮なども素っぽいものになったりなどがあり、更に明治に神仏分離などで完全に分けられて、それまでのどっちも同じものという考えが消えてしまいました。
なので今みるとお寺に神社的なものがあったり、神社にお寺的なものがあったりすると、おかしいと思ってしまうのですが、本来は一緒にあるのが普通なものでした。

ちなみに神社の、鳥居が(寺の)門のように大きくなって人がくぐれるようになったり、社が(寺の)本殿のように大きく人が中に入れる(下手したら住める)ようになったり、というのは全部、仏教の影響なんで、仏教的要素を無くそうという考えは無理な話だったりします。
神道の大元は、天の岩戸の話のように、(建物を持たず)野外ステージで踊って宴会して、朝を告げる鳥(ニワトリ)をとまらせてたのが鳥居の原型、と考えられているようです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。お返事が遅くなり、申し訳ありません。

神さまと仏さまをとくに区別せず同一視するように説くことで、仏教を広めたのですね。
いま、こうして私が疑問に感じていることも、昔ならば疑問に思うこと自体が疑問であったと考えると、歳月というものは恐ろしいです。
仏教が伝来する以前の神道についてのお話、とても興味深いです。

有難うございました。

お礼日時:2016/02/20 23:36

仏教伝来の頃からありました。


ただ、このことを融合とは言わないでしょう。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。お返事が遅くなり、申し訳ありません。

仏教の認知を広め、浸透させるためにそもそも行われていたことだったのですね。
ご指摘有難うございます。確かに、融合という表現は些か意味合いが強すぎるかもしれません。

有難うございました。

お礼日時:2016/02/20 23:23

現在でもお城やお寺、一般の家の屋根に「しゃちほこ」が飾ってあるというのは、火災除けのまじないです。



 仏教は6世紀半ばに日本に伝来されましたが、もちろん日本古来の神道を守る立場(物部氏)と、新しい仏教で人々を守ろうとした立場(蘇我市)で争いが起こり、結果として仏教が勝つということになります。もちろん神道はずっと残りますが。

 仏教と神道は相容れないものだったものが年数を経るうちにお互いが寄り添い合い(おそらく時の為政者にとっては国を治めるためには両方共大事なことだったのでしょう)やがて「神仏習合」と「本地垂迹」という考え方にたどりつきます。奈良時代は710年から始まりますが、その頃には「神宮寺」すなわち神社の中に寺を作るところが出てきます。
世界遺産でもある奈良の興福寺と春日大社はもともとは同じ敷地内にあり、それぞれが中臣氏から藤原氏となった藤原一族の菩提寺であり、氏神でもありました。東大寺の鎮護社は手向山神宮、薬師寺の鎮護社は休ヶ岡八幡宮など現在でも比較的大きなお寺には鎮護社として、お寺を守る神社が併設されています。
しかし、明治時代に天皇=神とし、日本の近代化と帝国主義、富国強兵のために神社と寺は別のものとし、神道のみが素晴らしく、お寺は迫害を受けることになります。廃仏毀釈ということですが、もちろんその考え方も改められ、現代では関西の有名なお寺と神社では「神仏霊場会」なども開かれています。http://shinbutsureijou.net/
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。お返事が遅くなり、申し訳ありません。

しゃちほこを、Wikipediaですが調べたところ、元はお寺の装飾にあった想像上の動物なのですね。お寺で用いられるようになった際の出典が気になります…
仏教と神道の関係性について、分かりやすくご説明していただき、有難うございます。
とても勉強になりました。

有難うございました。

お礼日時:2016/02/20 23:15

はじめから。

仏教を入れるにあたってその土地で受け入れやすくするために。
日本に来たのは大乗仏教ですけど、これもそもそもの仏教から北上するにあたってその土地土地にあわせて
変化してきたもの。日本上陸にあたって、日本の古い信仰に沿って改変したの。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。お返事が遅くなり、申し訳ありません。

はじめから、でしたか。
一方的な押し付けよりもその土地に馴染んだ宗教観に寄り添う方が、教えを広めるうえで得策だったのですね。

有難うございました。

お礼日時:2016/02/20 23:15

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