我々が通常、神や仏と考えるものは人間原理のことである。
つまり願望である。
イエス・キリストもヤーベもアラーもアマテラスもみな人間原理が生み出した願望に過ぎない。
そのような願望は人間の脳内にのみ生息する生き物のようなものである。
生き物であるが故に時代とともに、文化とともに、また環境とともにその姿形を変えて現れては消え、消えては現れるのである。
これが神や仏の実態である。
そのような神や仏を明文化し、組織的に拝む行為が既成宗教である。
既成宗教の目的はそのような人間原理の願望を利用し、神や仏を明文化し、これを集団社会に組み入れることにより、社会に一律性をもたせ、これにより社会を統治しやすくすることである。
イエス・キリストもヤーベもアラーもアマテラスもみなこの目的のために造られた。
ところがこのような目的のために造られた神は世の必然として人間から離れ一人歩きするようになるのである。
イエス・キリストもヤーベもアラーもアマテラスもみな人間から離れ一人歩きしたのである。
その結果地球上の至る所で十字軍が結成され、ジハードが起こり、島原の乱が起こり、争い事が生まれ、ついには戦争へと発展したのであった。
このように数多くの人間が人間原理で造られた神や仏の犠牲になり死んでいったのである。
人間原理で造られた神や仏は必ず暴走する。
イエス・キリストもヤーベもアラーもアマテラスもみな同じ道を辿り、暴走してきたのです。
それ故に人間原理で造られた神や仏を拝む時代は終ったのではないか。
A 回答 (13件中1~10件)
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No.13
- 回答日時:
仏教は、法前仏後。
一神教は、神前法後。人間原理とは、ヒューマニズムの事。あなたには、根本的な知の基礎がないよ。あなたの有瑠慶さんは、キリスト教徒と同じような絶対神であるだけに、キリスト教と同じく人智に頓着しない方なのかも知れないが、だったらあなたとしては黙るの筋だろうね。
これはあなたの恥であって、有瑠慶の恥ではない、と私は分別しよう。
んでもって、「これが神や仏の実態である」とありますが、神については実在論が問われるので人間原理から解離するし、仏教はそもそも実存からの解脱を真理とするんだよ。
No.11
- 回答日時:
no.8です。
前の回答を前提とした上で補足します。個体発生は系統発生を繰り返す①
それと同じようなことが、成長と歴史にも言えるのではないでしょうか。
精神性が絡むので①ほど顕著な相関はないかもしれませんが
その傾向は少なくともみられるような気がします。
伝統的宗教には
拠り所として最先端の科学的成果とも矛盾しない部分と
歴史の中のより未熟な時代への対応を余儀なくされた部分
とがあって、後者の部分も
個々人にとって避けて通れない成長過程の未熟な時期において
普遍的な要素として機能させることは十分に可能で
むしろ大切なことなのかもしれない
そんな気がします。
No.10
- 回答日時:
★★(№4お礼欄) ~~~~~~~~~~~~
>『人間の力を超えたものに対する畏敬の念』
果たしてこれを国語や数学や理科のように教育によって教えることは可能
なのかという疑問があります。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ そういった《きよらかなおそれ》は 誰しも大自然のチカラを知る機
会があれば おのづから心にいだくようになりますよ。
学校ではそのことを確認しようとするのみ。
《アルケーなる神のチカラ》は 霊としてもともとわれらが身と心とに初
めから宿っている。のではないの?
★★ また既に統治のための宗教が蔓延しているなかにあってこれを教え
ることは可能なのかという疑問もあります。
☆ だから シュウキョウがわざわざそのような《畏敬の念》を説こうと
しているのなら それはシュウキョウが言う必要はないということをも確
認させるのがよい。
《統治のためのシュウキョウ》というのは そのオシへの基本的な内容と
しては 倫理規範となりうるものではあるのです。まぁ 不殺生戒や《な
んぢ ころすなかれ》の一本だけかも分かりませんが。
だから そのオシへは 神ではない つまり信じるものではなく考えるも
のだと学校ではおしえるとよいでしょう。
《畏敬の念》をみづからの心の内に確認するためのヨスガにはなるかも知
れない。と言いますか オシヘは もともとは個人の内面から出て言葉に
表わされたものなのですから たとえば《むさぼるなかれ》という規範に
出会えば ひとは内に還り見ることでしょう。
★★ 統治のための宗教は国が文明の力と普段の努力により過去のもので
あることを教え、自然消滅の方向に向かわしめるべく国民を指導すべきで
はないでしょうか。
☆ 《アルケーなる神は 唯一絶対であり ほかに神はいない》と言って
いるアホンダラ教が出て来るかぎりそれは シュウキョウの存続と繁栄に
寄与するだけのことでしょう。
きよらかなおそれとは 普遍神のことです。
神と言えば 普遍神のことであるに決まっていましょう。
にほんじんは 普遍神を信じて来ているのだけれど 必ずしも積極的にそ
うは言わなかったし わたしのようにことさら言う必要はないと思って来
た。
いま世界の中で そのように言って確認すると 世界は霧が晴れてすっき
りし 富士山の日本晴れとなりましょう。
そのことが世界の人びとにあっても心で分かれば シュウキョウというシ
ュウキョウは消えて行きます。
No.9
- 回答日時:
#4です。
▼『人間の力を超えたものに対する畏敬の念』▼
>果たしてこれを国語や数学や理科のように教育によって教えることは可能なのかという疑問があります。
:
そうですね、たしかに教え方には工夫がいることでしょう。
>また既に統治のための宗教が蔓延しているなかにあってこれを教えることは可能なのかという疑問もあります。
:
これもおっしゃるとおりかもしれません。
しかし、変えていけるとすれば、ここ(子供)しか無いと思います。
>統治のための宗教は国が文明の力と普段の努力により過去のものであることを教え、自然消滅の方向に向かわしめるべく国民を指導すべきではないでしょうか。
:
両面作戦が必要でしょうね。
大前提として経済最優先の現行思潮をどうにかする必要もあります。
No.8
- 回答日時:
エントロピー減少への寄与
という大筋を外さない限り
信仰も多様性を持っていい。
つまり他者への凶暴性にならない限りにおいて
同時に自殺もよくないということも含めて。
日常では誤差に紛れてしまう
現代科学でも説明しきれない
信仰が必要になる状況もある。
その際の自由度を奪ってはいけない。
同時にその際の説明を悪用してもいけない。
信仰に関してはそんな感じの接し方をするのが妥当なのではないか
と個人的には思っています。
No.7
- 回答日時:
早くこたえろ。
答えられなければ まいったと早く言え。
もっときちんと勉強せいや。
うわっつらを撫でただけの知識を振り回す知性ではダメだ。
わたしの胸を貸してやるから しっかりかかって来なさい。
No.6
- 回答日時:
しかしそれに代わる考えがない。
アイデアがない。思想がない。最近の若い人とか思想哲学とか言ったらキモイと思われますよ。
情報ばかり、スキルばかり、根性ばかりで、方針も共感も道徳もない
今はワンピースですよドラゴンボールです戦う時代だそうです
なんかきな臭いですねえ 嫌な予感がします。
考えのない若者が非人間的な社会で使い潰されるのではないかと思っていしまいます。
神を信じて人を損なわず 進化する宗教ならいいのですが。
宗教は大概頑固なんですよねえ。全くです。
No.5
- 回答日時:
★(№3お礼欄) ~~~~~~~~~~~~~~
単純な昔の人たちには分からなかった。
人間原理で造られた神や仏は人間のためにはならないという真理が明らかになる
までに、人類はヤーベの時代から3000年、イエス・キリストの時代から2000年
という長い長い歳月を要したということです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ アブラハムからは四千年ですが その歳月の問題はよいとして。
アブラハムは のちにヤハヱ―と呼ばれる神について 自分だけの心の中におい
ていだいていた。だけですよ。
《この神の場にあってこの神のチカラに添って生きるときには ひとは 自分を
も他人をも ころすことはない》というヒラメキを得ました。
そこまでです。おのが主観の内にとどまっています。
これを 《なんぢ ころすなかれ》と表現して人びとの集団にとってその秩序を
図ろうとするための法律(オシヘ・オキテ・戒律)としたのは その後のモーセ
のときからです。まさに 人間原理です。
共同体として社会生活をおくるためにという人間の必要性や目的をおもんぱかっ
て そうしたのです。
ということは このとき アブラハムにとっての神も
★ 人間原理が生み出した願望に過ぎない。
☆ のかどうか? が問題になりますね。
どうお考えなのですか? それはどうしてですか?
つまり アブラハムにとっての神は あなたにとってのアルケーと おそらくま
ったく同じあり方をしている。と思われるからです。名が違うだけだというかた
ちだからです。どうですか?
No.4
- 回答日時:
基本的に同感です。
拙問 「祈りの地位の回復 ー 現行宗教批判」
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9168790.html
においては、
▼「象徴としてではない神」に祈るという現行宗教の形は、絶対的摂理、つまり、真理から人びとの目を逸らさせている、という点で誤謬を重ねている▼
のように表現しているところ。
ただ、「祈り」自体を無くすことは無理だと思います。
▼人智の及ばぬことに関して、思考停止状態で望みがかなうように請い求めること。▼
これが私なりの祈りの定義です。
しかし、人が祈る際、「人智の及ばぬ自然宇宙の絶対的摂理よ、どうか願いを叶えたまえ」では長すぎて冗漫になってしまうので、比喩的に「神よ、どうか願いを叶えたまえ」のほうが祈りやすい。
hitonomichi34さん流に、「アルケーよ、どうか願いを叶えたまえ」なども良いかもしれません。
この場合のアルケーは世界言語としてのエスペラント語のような位置づけになるかと思います。
ただ、留意しなければならないことが2つあります。
まず、アルケーとは、常々おっしゃっておられるように、「万物の根源」「宇宙の摂理」のことであって、決して「神の名」ではない、という点だと思います。
つまり、「アルケーの神」と表現してしまうと、現行宗教の信仰対象と同列になってしまう、ということです。
次に、god・アッラー・仏様などなど、祈りの対象に対する好みがある、ということです。
これは、おそらく、「人智の及ばぬ自然宇宙の絶対的摂理」に対する解釈、あるいは想像の内容が異なるためだと思うのですが、そもそも、こうした好みが発生してしまうには、幼児期からの刷り込みが極めて大きな役割を果たしているはずです。
そこで、現行学習指導要領で、早くからこうした真理・摂理について教えるべきではないか、という質問もしたことがあります。
現行の内容としては、〔第5学年及び第6学年〕の道徳3(3)で、
・美しいものに感動する心や人間の力を超えたものに対する畏敬の念をもつ。
という項目があるようです。
『人間の力を超えたものに対する畏敬の念』
という言葉が小学校の指導要綱に明記されていたのは驚きでしたが、どうも扱いが弱いような印象も受けます。
もっと早い段階から、そして、もう少し明確に示すべきだというのが私の考えです。
いずれにせよ、教える立場の教師自身が、このことの重要性をどこまで理解しているのかということが、最大の問題点なのでしょう。
いずれにせよ、「人智の及ばぬ自然宇宙の絶対的摂理」に起因して我々は生き、生かされているのだ、ということを実感できるぐらいの教育が為されることにより、
◎統治のための宗教◎
は、自然消滅の方向に向かうのではないか、というのが現段階での感想です。
>『人間の力を超えたものに対する畏敬の念』
果たしてこれを国語や数学や理科のように教育によって教えることは可能なのかという疑問があります。
また既に統治のための宗教が蔓延しているなかにあってこれを教えることは可能なのかという疑問もあります。
統治のための宗教は国が文明の力と普段の努力により過去のものであることを教え、自然消滅の方向に向かわしめるべく国民を指導すべきではないでしょうか。
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