タイトル通り、今死ぬことについて考えすぎてしまい非常にこまっております。
私は今18歳です。
去年の秋から急「に死にたくない」という思考がでてきはじめました。
小学生の頃、宇宙の図鑑を読んでいた際、宇宙は有限である可能性がある、という内容を見て、とてもショックを受けてしまったのを憶えています。
今でこそ物事は有限であることが非常に多いというのはわかっているのですが、当時にはそれが理解できなかったものだと思っております。
話が逸れましたが、そのようなこともあり、自分自身、何かを失う、ということに非常に弱いのだと思います。宇宙に関しては、話が壮大すぎるので
もう半分くらいは割り切れているとは思います。そもそも宇宙に関しては有限か無限かすらもわかっておりませんので、そのことに関しては解消はできていると思います。しかし、やはり身近である「死」に関してはまだ納得ができておりません。度々歯にという発作が起こり、時には嘔吐しかけることもあります。いろいろなサイト、このような質問の回答を読ませていただいても、一時的には納得できるのですが、また発作を繰り返します。
発作と言っても長期的に続くわけではありません。最長でも4日ほどです。
そういうことで、私は何かを、特に「命」喪失することがとても恐怖です。
命に関しては、今巷で時折噂になっている不老不死技術などに関して期待をしたこともあったのですが、よく考えてみると永遠に生きるのも割りと怖いものです。
質問させていただきたいことを書きますと、
どのようにすれば喪失感、特に「死」に関して納得、もしくはうまく付き合っていくことができるでしょうか。
私は大学入試真っ只中で、明後日に後期試験が控えております。
出来れば早くこれについて少しでも解決して、そちらに集中しておきたいのです。
どうか皆さんのご意見をお聞かせください!
No.8ベストアンサー
- 回答日時:
昔(中学生の頃)、自分も「死」について脳裏から離れなくて恐ろしかった記憶を思い出しました。
その死というのは、自分の死と親の死のことです。
親が死んだら、どうやって生きていけば良いのか、
ということではなく、
単純に死が恐ろしかったのです。
確か1年間以内で、特に床に入ってから脳裏に浮かぶということでした。
遊んでいるときなどは、死について頭に浮かぶことはありませんでした。
それも誰にも相談できず悶々と過ごしていましたが、
そのうち何故か気にならなくなりました。
また、発作を繰り返すということもありませんでした。
君が死に対する恐怖を持ったというのは、一時的なものでしょう。
今はネット社会で、情報収集は簡単にできますので、それを調べるうちに
余計、死について考えるようになっていったのではないでしょうか?
それなら、友達と冗談交じりで「死」について悩んだことあるか
聞いてみても良いかもしれません。
経験者は他にもいるかもしれませんので、
いたら気持ちが落ち着くかもしれませんよ。
君は、頭が良すぎる関係で、余計に「死」を追求する余り、
そのことから逃れられなくなっているように思えます。
(それがきっかけで新興宗教には、はまらないようにしましょう。
そう言う人がターゲットですから。)
本題ですが、
『どのようにすれば喪失感、特に「死」に関して納得、
もしくはうまく付き合っていくことができるでしょうか。』
自分の経験からすると、自然に治癒するというか、気にならなくなるのではと
思います。
今は辛いでしょうから、他の興味あることに没頭して心を死から遠ざける
努力をすることでしょう。
多分、はしゃいで遊んだりしているときは、死について考えることはないと思います。
いずれ気に成らなくなると思って過ごすことです。
気にすればするほど、死について思い浮かぶものです。
ただ、吐き気などの症状が気になりますので、
ご両親に相談して一度精神内科に診てもらうというのもひとつかもしれません。
とにかく、何かに夢中になり(受験に影響でない程度に)死を考えないことです。
そのうち、
あの時は、何だったんだろうと思う日が来ます。
回答者さんの過去のお話が、嘔吐等の症状以外かなり似ているものであったので驚いております。
恥ずかしながら私は前期試験に落ちました。普段は私も明るく生活している程には楽観的ですが、流石に落ちこんだのでしょう、心に相当ガタがきていることが自分でもわかります。
前年辺りに少し起こり始めた発作ですが、一旦おさまると、前期試験の結果が来るまでは普段通りゲームを楽しんだり、友人と談笑してたりと、そのようなことは忘れておりました。
おそらく心に余裕というか、そういったものが今はないのだと思います。
早く解決できるよう、残りの試験で結果が出せるように頑張ってみようと思います。
回答ありがとうございました。
No.7
- 回答日時:
観念は いつまでもついて来ます。
振り払うということが むつかしい。つまり 死そのことがでは必ずしもなくて その死のあとなどを想像し
たその内容が こわいし その観念は 要らんと思ってもなかなか消え
て行かない。
ということは 別の観念を対抗させるのがひとつの手です。観念はつよ
いのですから。
たとえば わたしは平均寿命くらいまでは死なないといった観念だとか。
あるいは いやちょっとわたしは欲張りだから 百年は生きようという
観念。
そして そう決めるのです。何が何でもそうであると。
確かに死後の虚しさを想像してしまうことが一端を担っているのかもしれません。別の思考を持ってみることもいいかもしれませんね。
回答ありがとうございました。
No.6
- 回答日時:
お礼ありがとうございます。
もう一度だけ言いますね。
カウンセリングに行った方がいいです。
まずはスクールカウンセラーでも、いいと思います。
人間は、囚われてるなら自分自身に対しても説得は効きません。
ご友人がどんなに優れていても、親身になってくれても
知識が無ければ慰めか説得になるでしょう。
ご友人に、話すなと言っている訳ではありません。
上手くいかない時は、別の方法として考えてみて下さい。
受験が上手くいくように祈ってます。
No.5
- 回答日時:
~~~~~~~~~~
不浄観(ふじょうかん)とは、仏教において、身体の不浄さを観ずる行法の一つ。
様々なバリエーションがあるが、一般的には、自身や他者の身体が腐敗・白骨化していく様を観想し、そこへの執着を断つことを基本とする[1]。
九相図は、それを図画化したものである。
不浄観
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8D%E6%B5%84 …
~~~~~~~~~
およそ物の心を知れりしよりこのかた、四十あまりの春秋をおくれる間に、世のふしぎを見ることやゝたびたびになりぬ。いにし安元三年四月廿八日かとよ、風烈しく吹きてしづかならざりし夜、戌の時ばかり、都のたつみより火出で來りていぬゐに至る。はてには朱雀門、大極殿、大學寮、民部の省まで移りて、ひとよがほどに、塵灰となりにき。火本は樋口富の小路とかや、病人を宿せるかりやより出で來けるとなむ。吹きまよふ風にとかく移り行くほどに、扇をひろげたるが如くすゑひろになりぬ。遠き家は煙にむせび、近きあたりはひたすらほのほを地に吹きつけたり。空には灰を吹きたてたれば、火の光に映じてあまねくくれなゐなる中に、風に堪へず吹き切られたるほのほ、飛ぶが如くにして一二町を越えつゝ移り行く。その中の人うつゝ(しイ)心ならむや。あるひは煙にむせびてたふれ伏し、或は炎にまぐれてたちまちに死しぬ。或は又わづかに身一つからくして遁れたれども、資財を取り出づるに及ばず。七珍萬寳、さながら灰燼となりにき。そのつひえいくそばくぞ。このたび公卿の家十六燒けたり。ましてその外は數を知らず。すべて都のうち、三分が二(一イ)に及べりとぞ。男女死ぬるもの數千人、馬牛のたぐひ邊際を知らず。人のいとなみみなおろかなる中に、さしも危き京中の家を作るとて寶をつひやし心をなやますことは、すぐれてあぢきなくぞ侍るべき。』
方丈記
鴨長明
http://www.aozora.gr.jp/cards/000196/files/975_1 …
~~~~~~~~~~
受験生なら仏教の思想はともかく
文学として方丈記を読めばよいと思います。
そして死の克服より、
怖いとか恐れとか不安とか
そのような人間的な、あるいは動物的な、あるいは生物的な
感情を問題にするのはそれはそれで別の思想ですから。
ああ、最近はロボットも感情を持つらしいから、
生物的というわけでもないか。
方丈記は受験の後に読んでみようかと思います。
感情というものは厄介ですね。でも無いと寂しいのかもしれない。
回答ありがとうございました。
No.4
- 回答日時:
死に取り付かれると、かなり消耗しますよね。
「歯に」と言う発作は聴いたことがありませんので分からないのですが
>このような質問の回答を読ませていただいても、一時的には納得できるのですが
で落ち着くのであれば、その度に読めばいいと思います。
>どのようにすれば喪失感、特に「死」に関して納得、もしくはうまく付き合っていくことができるでしょうか。
これを継続的にと考えているのであれば、カウンセリングに
行く方がいいと思います。
「どう考えれば落ち着くのか」ではなく「どう考えるから囚われているのか」
が問題だからです。
問題を見極めて、あなたに合う対応を考えられるのは
対面で一緒に問題と向き合ってくれる人だけです。
Q&Aで解決できるならいいのでが、できないから
教えてgooも盛況な訳ですね。
問題を理解できる人を探すしか、本当の解決は無いように思います。
歯に、は後に発見した誤入力です。申し訳ありません。
なるほど、確かに誰にもこのことを話したことはありませんでした。一度友人に相談してみようかと思います。
回答ありがとうございました。
No.2
- 回答日時:
「死」そのものを考え出すと最終的に行き着くのは「分からない」になります。
「分からない」から怖い、と考えると、「死」は恐怖の最たるものになりますね。
だからこそ、宗教や個人は「死」をそれぞれ捉え方を変えて考えるのです。
色々考えてみました。
自分が死とどう付き合っているのか、どう納得しているのか。
他人の「死」については、その人間の終焉だと思っています。
ただ、喪うわけではない。
その人は、人生という道を歩いてきて、そこでゴールを迎え、道端に腰を下ろしたと。
自分はまだ先にゴールがあるから、そこに向かって歩いていく。
ただ、振り返ったりしませんから、見えなくはなりますけどね。
でもこれは隣で同じように歩いている人=同年代の人であって
年上の人は先の方を歩いているんですよね。
だから、その人が死んでしまうと、見えるとこで立ち止まってしまう。
いつか自分が追い越してしまう。
だから悲しいんだなぁと。
自分の死については、正直不安なんてありません。
喪うとは思っていません。
有限だからいやだという考え方は、すごくよく分かります。
出来るだけ無限に近いものを選びたくなりますしね。
けど、「死」は有限の終着点ではないと思っています。
喪うのではない。
今まで積み上げてきたものが、自分の周りの人に残っていく。
なんというか、自分本位ではないのかもしれません。
他人の中に自分を残している、という感覚でしょうか。
自分がたとえ命尽きたとしても、自分の意志、持ち物、何もかもを
きっと周りの大切な人たちが引き継いで大切にして、活用してくれる。
そう信じています。
だからこそ、今をしっかりと生きて
自分が死んだときに、誰かが納得してくれるようにしている、と、思います。
自分だけで世界が完結していると、「死」はすべての終わりになってしまう。
しかし、周囲を含めて自分の世界なら、自分の「死」は、世界で起きる出来事の一つ。
自分の役目は終わるけど、その後も世界は続いていく、その世界のために
「死」を意識するよりも毎日の「生」で忙しい、のかもしれません。
よく分かりませんね。
あまり考えずにまとまりませんが、何かの参考になれば幸いです。
私もよく考えてみたところ、自分の死に関しては、両親の死、友人の死を考える場合に比べると少し考え方が変わるようで、どちらかというと他人の死に過剰であったのかもしれません。
回答ありがとうございました。
No.1
- 回答日時:
>どのようにすれば喪失感、特に「死」に関して納得、もしくはうまく付き合っていくことができるでしょうか。
こういう理解できない恐怖を克服するために、宗教ってのがうまれたんだよ。
あなたの持っている恐怖は、人類が持つ普遍のものなんだよ。
だから怖いって思うのは当たり前で、ただちょっとそれに対する反応が過敏で激しいんだよね。
何か特定の宗教を勧める気はサラサラないけど、あなたの問にこたえられるのは、そういう宗教的なところだと思うよ。
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皆さんの回答を読ませていただいて、いろんな考えがでてきました。
やはり考えても答えはでない、なら死を前向きに捉えれるような、死をいい事(死ねば楽になるから早く死のう、とかではないです笑)のように捉えるのもいいのではないかといった考えができました。
カウンセラーさんにも診てもらおうかと思います。
みなさん本当にありがとうございました。