プロが教えるわが家の防犯対策術!

20代の男子大学生です。

自分は、過去に虐めと両親に否定をされた経験があります。
それに、自分はバイという事もあり次第に自殺願望が芽生えました。
そのため、人間不信に陥りました。

中、高では、話した事のないヤンキーや女子が庇ってくれて
大学に入学してからは、バイト先の店長や行き付けの洋食屋やカフェの人に励まされながらやってきました。

最近は、父親もかつてより丸くなり母親もかつての過ちを謝罪してくれてバイセクシャルというのも受け入れてくれました。
SNSも辞めて人間関係を整理して親友8人が残りました。

1人は、生まれる前からの幼馴染で友達が多いのですが彼は、自分の事を一番の親友と言ってくれています。
他にも、中学からの付き合いで一番信頼出来る相手、年齢を気にしないでタメ口で対等に付き合える憧れの先輩、プロの観点から相談に乗ってくれる精神科医、高校時代の友人で変わらない関係の男子
女友達三人も恋愛感情を抜きで対等で付き合えます。

親友では、無いですが他に何人か頼れる人が居ます。
正直、SNSに縛られたくなくてtwiiterもfacebookもやめてしまったし
Lineもこの8人と家族、信頼できる人が数人だけなので
他人からしたら友人がかなり少ないと思います。

生活圏が違うこと、自分が一人が好きということもあり普段は一人行動していますが
周りを見ると、大勢で楽しんでるのみると自分は、集団が好きではないのに惨めになります。

とりあえず、誕生日が近いのでいい加減、変わりたいのです。
どう、変わったらいいでしょうか。
回答よろしくお願いします。

A 回答 (3件)

主さんは、交友関係も


広くて友達もいるので、
変わらなくてもいいと思います。

私も、1人で行動するのが
好きで、出掛けるのも
ほとんど1人です。
私は、1人が気楽でいいので惨めだとは
思ったことないです。

逆に、友達といるときのほうが気を遣うし、
神経も遣うので
気疲れします(´-ω-`)

人それぞれ、考え方も違うし価値観も違うから、
無理して変わろうと思わずに
自然のままでいいと
私は、思います♪
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この回答へのお礼

安心しました。
回答ありがとうございます

お礼日時:2016/03/13 14:50

変わっていきたいと感じて正常であると思います。



私もそうでしたし、それが本能であると思います。


ただし、

時代が変わったのか、お話を聞くと違和感を覚えます。

成人男性の人物像というか、イメージが伝わっていないんでしょう。

大人の男性に求められることは、

孤独を孤独と感じない自立した強さであり、自律的な行動です。

孤独を愛して、孤独であることを憎んではいけません。


そして、

迷わず惑わず、すべきことを為し、年下を導くことです。

「他の人と一緒でないと不安を感じる」

という感覚は子供時代に終わらせるべきです。

「他の人に迷惑をかけていないか?」

だけを確認し、よく配慮した後、自分のしたいことに取り組む。

ベタベタしないものです。



しかし、

これは理想的イメージであり、自分が獲得できる保障はありません。

また、同様にほとんどの人が獲得できないものでしょう。

ですので、

「集団に安息を求めて、一人になるとパニックを起こす人が多いだろう。」

と世の中を捉えておき、

「一人でも行動できる人が、そうでない人を助けないと世の中は成り立たない。」

と考え、

「しかし、自分独りの考えが何時も正しいわけではないし、

 間違って人を導いたら怖い。」

と気がついて、

「いざとなったとき、自分は誰かを正しく導けるだろうか?」

と疑い続けることです。

「そんな理想像は求めなくても良い。普通が一番。」

と言う発想に負けないことです。

誰もがそうしてしまったら、本当に烏合の衆になるでしょう。




ここで考えてみてください。

同じ人生の中で、

いざとなったとき、

皆も含めて何とかしたいと考える人と、

誰かに責任を求めて助けてもらおう、

と考える人に分かれているとしたら?

平常時にどんなに仲が良くても、茶番ですよね。


誰もが自立した人であるならば、有益であり社交的と捉えられます。

しかし、そうでないならば?

普段、仲が良く見えるのは、

いざとなったとき助けてもらう為の算段となります。


「独りで生きていけないため、不安感に押しつぶされそうになる。」

そのため定期的に皆で集まらないと心が苦しくなる。

と言う事であれば、

その根底を何とかしないといけませんよね。

皆で楽しそうに笑うとして、それが幸せであるとは思えません。



大勢で楽しむことは悪くはありませんが、

根底にある孤独感が消えるものではありません。

20歳代の若者が、必要以上に集団での行動を求めるとするなら、違和感を感じます。


また、その根底を何とかするためには、

自分が集団より優れていると感じないといけませんし、

これを確認するために競争しないといけません。

多くの知識を活用し、頭の回転を良くし、行動的でないといけません。

専門的な道で経験をつみ、及第点を取らないといけません。

忍耐力をきたえ、パニックを起こしたり、

八つ当たりをする自分を押さえ込まないといけません。

これらに時間をかけて取り組み、上には上がいることを常に意識し、

劣等感に耐え抜いて努力を継続しないといけません。


これらは辛いですが、永遠に続けることにはなりません。

年上は必ず老いて引退しますし、同年齢は諦めて成長を止めるからです。

30歳前後でライバルがいなくなり、始めて自分が晴れやかに顔を上げられます。

勿論、自分より優れている人は、多数います。

しかし、世の中のジャンルが多いため、互いに手分けをすることに成ります。

その一つ一つのジャンルでは、誰もが自分を頼るようになるでしょう。


例えば、1000人に一人の逸材がいたとします。

しかし、日本国内には10万人もいることになります。

10万と言う数字は、1万のジャンルに対して10人を配置できると言う事です。

世代ですと二人くらいですね。

この段階までこないと、本当の孤独感から逃れられないはずです。

身近に見える人が、笑いあって幸せそうに見えても、

確率99.9%で、本当は楽しくないと想像がつきますよね。

これを羨ましいと感じたら、滑稽です。


私の時代には、

こういった論理を大人の男性が良く知っていましたから、

硬派と軟派に分けて、子供に教えていました。

軟派になってはいけないと。


軟派を是とし、軟派を羨ましがる風潮があることに、違和感を感じます。



自分を大人と感じられず、必死に大人ぶって誉め合っても、

いざとなったとき、誰かを頼ろうとする気持ちが消えないはずです。

「人を頼るくらいなら、潔く消えよう」とする気持ちが成熟していないはずです。

誰かに頼られる自分でない事に劣等感を感じているはずです。

年下を指導できない実力に劣等感を感じているはずです。

これを誤魔化して、自分を普通だといい続けるのは・・・

苦しいはずです。


また、誤魔化し続けて生きれば、年を取ってしまいます。

晩年になり、若さが永遠でないと気がつけば、パニックを起こすでしょう。


子供の頃に求めるものは、限定されています。

大人に成れば、次のモノを求めるようになります。

しかし準備不足では、欲求を感じても、手に入れられなくなります。

学校があって教育がある理由は、大人になって欲しくなるもののためです。



ここに気がつけば、

自分が欲しいものは友人ではなく、人に頼られることであり、

そのための実力であると分かるはずです。

また、年下の人が求めるのも、やはりこれになるでしょうし、

そのため、実力があれば、指導をすることで感謝されます。


つまり、実力と言うものだけを磨くことです。

同じ実力の友人が出来ますし、

これにより頼りにされますし、後輩を指導できます。

親の愛や友人、または権力だけを求めていると、ここで手も足も出なくなります。

軟派になるなと昔の大人が教えたのは、

その道は行き止まりだからです。

一見して社交的であり、マジョリティ(主流)に見えます。

しかし、社会において凡庸であると言う実力では、年下の世代には魅力がありません。

付き合うと時間の無駄になるオッサンやオバサンでしょう。

年を取って自分がそうなったと思えば、天から落ちたように感じるはずです。

不安が消えないので、定期的に集まる。

実際にこうなりますから、気をつけましょう。



自分が子供から大人に成り、欲求が変化する。

その理由として肉体的な完成もありますが、経済的な力も関係あります。

短期的にも、変化します。



人が持つ欲求と言うのは、段階で分けられるそうです。

大変有名な話なので、少し調べると出てきます。

以下はWikiより。

1.生理的欲求 (Physiological needs)
2.安全の欲求 (Safety needs)
3.社会的欲求 / 所属と愛の欲求 (Social needs / Love and belonging)
4.承認(尊重)の欲求 (Esteem)
5.自己実現の欲求 (Self-actualization)


1から順に段階が進むそうです。

これらは短期的に生じます。つまり、日々の生活の中で状況により変化します。

例えば、体からの欲求には逆らえず、これを無視すると何もできなくなります。

次に安全を求め、安全が確保されたあとは、愛を求めます。

その後に、自己を確立し、人に認められたいと感じます。

最後は、誰にも強制されない、自分の憧れに対して挑みたいと感じます。


子供時代は、大人の力で前半部分が満たされてしまいます。

大人に成るときは、

自力で為す必要が出てくるため、自分のステータスが落ちる感じがします。

ここは誤魔化さず、さっさとクリアすることです。

簡単に言えば、一人暮らしをし、自分の力で食べることです。

例え貧困であっても、(大人の庇護を)失うかも知れないと怯える毎日より楽です。

これをクリアし大人に成ると、相対的に後半の欲求が強くなります。


しかし?

いざとなったとき、

人を頼りにしようとしている本音があると、欲求を感じても満たされない次元ですよね?


と言う事は、ほとんどの人はこの生き地獄の中にいるという事です。

所属し、友愛を求め、これを得る成功をしたとしても、

その手段では4,5は叶えられないんですよ。


こうした方々が社交と呼ぶものは、

「いざとなったとき助けてくれるよね?

 信頼して良いよね?

 私のこと好きだよね。だから助けてくれるよね?

 尊敬されなくて苦しいので、誉めてくれるよね?

 私をおいて、自分の世界で楽しまないでよね? 自分が惨めに感じるから。」

と言うものばかりになり、これの念押しになります。


これを嫌ってもしょうがないので、

「いざとなったら任せてくれ。頼ってくれ。

 信頼してくれ、お前のことが好きだから。

 良く頑張っている。俺はそこまで出来ない。凄いと思う。

 自分には、やりたいことがあるので、一緒にやらないか?」

と言う立場になることです。



この関係に注意をすることです。

前者と後者の人に分かれていると感じるはずです。


質問者さんが羨ましがっている対象は前者ではないでしょうか?

全ての人は後者を目指さなければ、ストレスが貯まり、他人に酷いことをします。

このメカニズムを知り、後者を理想像とし、必要な実力を磨くことです。



以上、ご参考に成れば。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます

お礼日時:2016/03/13 14:49

私なんて友達本当に少ないです。

そのうち何でも話せる人は誰もいません。友達に話すべき内容じゃないような重い感じだから。

私も親の離婚や、親に受け入れられない思いにとらわれて自分が価値がない人間と思って生きてきました。

主さんはバイセクシュアルとのことですが、性別にとらわれず人を愛せるのは素晴らしいと思います。

親友が8人もいるなんて羨ましい限りです。

そのままで充分だと思いますよ
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この回答へのお礼

そのままで、良いんですね。
ありがとうございます

お礼日時:2016/03/13 14:51

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