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本能寺の変で信長の死体はどこに行った、またはどうなったのだと思いますか?

A 回答 (4件)

火災で炎上した(天正)本能寺。



「黒焦げの棒状」のものが有ったはず。ところが、その周辺、近辺にも、同様のものが有った。つまり、小姓や信長親衛隊などの武者の遺骸。

これらも真っ黒の棒状の、区別のつかないものだった。

何しろ、信長が、本能寺の「奥のほう」に入って、放火し、自決した、など、そんなことは、明智光秀(明智勢)は知りませんでした。

だから、本能寺の「奥」で発見された、真っ黒焦げの遺骸は信長--こんな推測も出来なかった、のです。何しろ、その近辺に、小姓や信長親衛隊などの武者の、真っ黒焦げの遺骸が散乱していますし。。。

ゆえに、信長の遺体は、これだ!、など、とても特定できなかった、そんなところでしょう。

もちろん、(裏付け、証拠の無い)「想像」は自由なのですが。
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本能寺から脱出できた者はいました。

信長の命で脱出したのは、女性と弥助と呼ばれていた黒人です。この弥助は信忠のいる妙覚寺に走り、信忠と共にそこで明智軍と戦ったとされています。したがって脱出できた者もいたのですから、信長も逃げれたのではないかという説があるのです。しかし信長の性格からもし生きて脱出したのなら、その後何の反撃にも出ないはずはありませんから、やはり命を絶ったと考えるのが妥当でしょう。死体がなかったといわれているのは、判明できないほどの黒焦げの死体ばかりだった事なのではないでしょうか。何しろ信長の近習30名以上が死んでいるのですから。また異説では阿弥陀寺(上立売通大宮)の玉誉清玉上人は僧20名と共に本能寺に駆毛付け信長の遺体を引き取り荼毘に付し自分の手多に葬ったとの逸話もあります。阿弥陀寺には「織田信長公本廟」が現存するのです。
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燃えちゃったのだと思います。


現代では火葬した後に骨が残るので燃えても骨が残ると思っている人が多いですが、あれは骨が残るように弱火で長時間かけて焼いているから残っているらしいです。つまり火事などで強火で長時間焼かれると骨も残らず焼けるらしいです。

また頭蓋骨が残ったとしても、それだけで信長と判別できるとは思えませんから、『見つからなかった』という意味では正しいと思います。
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最大のミステリーです。

本能寺にはいなかったなどの話もあります。
実際には逃げる途中で亡くなったのではと思います。
髭を剃れば信長だと分かるのは側近の人間だけです。どこかで身を隠している間に失血死しても不思議ではないでしょう。
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