プロが教えるわが家の防犯対策術!

フランスのルイ16世の息子ルイ17世やロシアのニコライ2世の娘アナスタシアなど、正史では死亡とされたものの、世間から見て確認が不確かだったので、その後いろいろの偽物が現れ、近代になって遺骸のDNA鑑定により最終的に死亡が確定された、という例は幾つかあります。そこで質問ですが、正史ではいったん死亡とされたものの、あとで生きていた本人が見つかった、というような皇族・王族の例はあるのでしょうか。あとで見つかった、という意味は、本人の死亡(仮)から十分な時間(10年以上)がたって事態が落ちついてから、実は生きていたと分かった、ということです。

A 回答 (3件)

昔は、本人かどうかは「首実検」で、本人を知っている人が「本人である」と認定することで行っていました。

DNA鑑定や、公式な医学的な死亡認定なんてありませんでしたから。

 ですから確認者の勘違いや、似た者の死体を使った偽装、意図的に違う人間を「本人だ」と認定するケースも、皆無とは言えなかったでしょうね。

 だから、「源義経が生き延びて大陸に渡って、ジンギスカンになった」といった伝説も生まれるのでしょう。

 実際にあった事例としては、モスクワ大公国のドミトリー2世(1581~1605、在位1605~1606)は、殺されたはずの皇太子ドミトリーを名乗ってポーランドで挙兵して、モスクワ大公国の王位についています。結局は、反対勢力から偽物として殺されていますが。本当の皇太子の生き残りか、名をかたった偽者かは、神のみぞ知る、でしょう。
 プーシキンの戯曲やムソルグスキーのオペラ「ボリス・ゴドゥノフ」は、この史実に基づいています。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%81%BD%E3%83%89 …
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。お教えいただいたサイトにあるドミトリー2世の件、初めて知りました。サイトによれば、ドミトリー2世(=偽ドミトリー1世)の他に、偽ドミトリー2世と偽ドミトリー3世もあったそうで、まるで小説のような話です。それにしても、いったん息子を承認したのに後で思い直して否定した母親もいいかげんなものですね。同じことを偽ドミトリー2世にもやったそうで、いったいどういう母親なんでしょうね。以上、たいへん面白い話で勉強になりました。

お礼日時:2016/04/29 12:30

オイディプス王。


ギリシア悲劇の最高傑作であり、精神分析のエディプスコンプレックスのもとにもなりました。エディプスコンプレックスはフロイト理論の中心概念の一つです。

……失礼しました。これは歴史というより文学や心理学のカテゴリーかも。「実は生きていた王族」がスフィンクスのなぞなぞを解いて、自分も知らないまま父親殺しと母子相姦を犯します。オイディプスはじわじわと恐ろしい真実を知り、衝撃のラストを迎えるのです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございました。物語にはそういう話が幾つかありそうです。白雪姫なども「実は生きていた」という話ですね。

お礼日時:2016/05/03 01:02

中国なんかは、帝の子で子供のころ追われたが乞食に化けて逃げ延びた~みたいな話が好きで、どこの馬の骨かわからんやつが権力を取るとそう

いう話をでっちあげるようですw
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。中国の歴史は昔から下剋上で無秩序なところがありますから、実は王族の末裔、と詐称するようなことがいろいろあったかもしれません。

お礼日時:2016/04/29 12:40

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!