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繊細で、もろい精神を、強靭な、鋼のように鍛える方法がありますか。それとも、もって生まれた性質は変えられないものでしょうか。

A 回答 (23件中1~10件)

お礼ありがとうございます。



>良いふうにとれば、私のカウンセラーは、これから利己的に生きることで、今まで、利他的に過ぎた私が、結果的に、中道=自律的に回帰できるよう、配慮したのかもしれません。

私も同じように思います。
アメリカ人は、家庭教育で「自律心」を養います。
自分の意見を持つこと、意見を発言すること、自分で選んでやってみること。
日本人は、そう言う家庭教育は多数がしないので下地が違うんですよね。

自律心が土台で、利他的を多く選んでいれば利己的を選ぶ回数を増やせばいい。
日本人は、自律心を養わないで「他者のためになる選択」が、今の多くの基準です。
それは「今までの価値観を捨てろ」に相当し、結果迷走してしまうことになりかねないのですね。

なので、自分が心底で選びたいものが「他者の笑顔」だとしたら、行動原理の根拠が自分に有るので「自律」になります。
「人にどう思われるか」「人から認められるか」などを考えるなら、同じ行動でも他律であり、利他的が重荷になります。

つまり、行動が利己的でもその行動原理がかうに従っているだけなら他律であり根底は利他的なのです。
そう言う二重構造は、苦しみが増す恐れがあるということです。

自分が「やりたいのか?やりたくないのか?」の根拠が自分に有ることがポイントです。
つまり、自分の中の声に従うのがいいのですが、自分の声を汲み取れるかが問題です。

やり方
自らに問う「自分がやりたいのか?誰かを気にしているのか?」
などのような具体的やり方を用いなければ、思いだけで気持ちを好きな方向に向かせることはできないです。

No.11で書いたのもやり方ですが、あれは具体的「反省」です。
日本人の多くは反省を間違えて覚えている。
ネットで辞書も見れますので、不明であれば検索してみて下さい。

上手くいかなくとも自分を責めない。責めてしまったら、自分を許す。
日本人は、自分を許すことを忘れることが多いです。
神に許されなくても、自分で自分を許せれば強くなれます。

自律は、自分の中の明らかな根拠や背景です。しっかりと考えて明確に出していく必要があります。

慣れないと試行錯誤で、感覚で掴むまで数年かかるかもしれませんが
鋼のように強くなると言うことですので、地道にやってみて下さい。
異国で暮らす方に、ささやかなエールです。
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この回答へのお礼

応援のメッセージをありがとうございます。

当初の目標を達成できないときに。。。あるいは、窮地に陥った時に、どのように対応するかで、人間の品性が判断できると思うのです。他人を責めるのが一番楽なやり方ですが、私は比較的自分を責めてしまいます。自分の能力のなさに、いらいらしますが、最近は、どうやら、挽回のために少しだけ攻撃的な姿勢をとれるようになりました。

大きな進歩です。

しかしながら、内面では、無力な自分にうんざりしている、もう一人の自分がいます。長年のアメリカ暮らしで、本当におしゃべりになりましたが、沈鬱で冷静なもう一人の自分が、心の中の冷たい湖の底に巌のように存在しています。人間である限り、誰もがこうした二面性を抱えていると信じたいです。

自分の中で明らかな根拠や背景。。。私の場合は愛=自己犠牲でしたので(キリスト教の教えがやけにぴったり来たのにも納得がゆきます)。。。今でもそうですが。。。そこからの脱却が可能かどうか、少しづつでも、本来あるべき姿に回帰するべきでしょう。

とりあえずは、ぎりぎりのところまで体を鍛えつつ、自分のために何ができるのか,計ってゆきたいと思います。

度々のご回答、ありがとうございました。

お礼日時:2016/06/09 01:43

しつこさはここまで、です。


粘着質タイプではないから。

自我は巌のようにはなっても、宙に浮いた状態と思います。
自己は蘆のようであっても、大地に根を張っているはずです。

次々と思いついてくることを記して見ました。
以上です。
どうぞ、気を悪くされないようお願いします。
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この回答へのお礼

私のつたない質問で、思いつかれたことをあれこれ、お教えいただき、ありがとうございます。

皆さんからのご回答から、たくさんのヒントをいただきました。これからの暮らしに必ず役立ってゆくと確信しています。

大地に根を張る自己の庵のレンガを、積んでゆきたいと思います。

失礼ながら、あまりにもご名答が多かったため、ベストアンサーをどうしても選べません。こちらのお礼蘭を借りて、皆様に、もう一度お礼申し上げます。

ありがとうございました。

お礼日時:2016/06/19 04:26

欧米人の精神は外向きだから、クリスチャンとしての行動に宗教的確信を持てるのだろうと思います。


日本人は内向きなので、その行為に偽善を感じてしまうのかも知れません。
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この回答へのお礼

内向き、外向き、と例えておられますが、東洋の仁と西洋の愛は同じではないかもしれませんね。これは、別な質問をいたします。

例えば、311の震災の際、アメリカ軍が総出で敢行した、トモダチ作戦は、やはり偽善ぽかったでしょうか。

ご回答、ありがとうございました。

お礼日時:2016/06/19 04:20

「曲者」


これを私は良い意味で捉えます。

自我的精神にとっては煩わしいかも知れませんが、自己的世界にあっては必須であると言えます。

また、ciao さんは自己的世界にこそ強靭な精神を求めるべき人だと思います。
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この回答へのお礼

精神を鍛えるためには、まず、自己を確立しなくては。透明無色の精神世界を、少しでも、自己の色に染めてゆくことでしょうか。

あれこれ、お励ましいただき、ありがとうございます。

お礼日時:2016/06/19 04:17

欲望、と言っても好ましい欲望もありますね。


神の御心に叶うような生き方をしたい、と言った思いはその最たるものでしょう。

二人の自分の葛藤は、まだこれと言った信念のようなものがつかめてないから。
それで迷います。

クリスチャンとして生きる。
さすれば、悩みは消えます。

Ciao さんはそんなお方だと、思います。
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この回答へのお礼

お礼が遅れて申し訳ございません。

そうですね。私の理想は、”旅の空で客死”することなのです。以前何かで、オーストリア・ハンガリア帝国の最後の皇后であるエリザベートについて読む機会があり、”ああ、なんと美しい”と感極まりました。

でも、彼女の生き方は、普通の人から見ると、”ちょっと精神的におかしい”です。私にもそんなところがあります。根っからの旅人なのでしょう。

どっしりと聖書の教えに根差した、マザー・テレサの生き方とは対極のところにあります。この、ずれが、問題のように思われます。

皆様のご回答で、少しずつ、ほぐれてきたように思います。
ご回答、ありがとうございました。

お礼日時:2016/06/19 04:10

お礼ありがとうございます。



>私は、美しいもの、正しいもの、豊かなものに惹かれる傾向があり、比較的、”我欲”で動くことは稀です。そんなところも、ヒントになりましょうか。

具体的なことは書かれて無いので、我欲で動く基準がどの程度かは分かりませんが、自分でそう感じておられると言うことですので「自分を大切にする」と言うのが、かなり抜けていると思います。

そう言う話しの方向に進むのであれば、心理学を学ばれた方がいいと思います。
それは鍛え方には遠ざかる方向です。
知識で理解するのでは無く、行動して体感で理解しない限り精神は鍛えられません。

日本人がやっているカウンセラーを探した方がいいかもしれませんね。
日本で育って、留学して開業した方はおられると思います。
人数は少ないでしょうが、顔を突き合わせて話さないと詳細は分からないですから。

心理学は、本来質問に答えるためにあるのでは無く、どうしたらいいのかを出すためだと私は考えています。
それは、すでに書いています。
その中に自分を大切にするは含まれています。
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この回答へのお礼

ようやく週末が訪れ、お礼を書いています。遅くなりまして申し訳ございません。

行動で体感して、その経験を積み重ねて行かなくては。。。というお教えには、共感を覚えます。何が、自分を大切にすることになるか。。。が、キーになりそうです。

何か大事が起きたときに、自分がどうしたいか、何が自分の得になるかを基準にせず、例えば、家族全体のバランスや、夫のキャリア・アップのために何が一番良いか、そんなことを最優先にしてしまいます。その結果、夫は単身赴任中、子供たちも、飛行機で飛んでゆく距離に住んでいます。

これは、保守サイドのアメリカ人の間では、大変珍しいことです。家族がお互い支えあってゆくため、自分の育った土地を離れても、何年かして、帰ってくることが大変に多いのです。最近の日本の事情は分かりませんが、昔は、育った土地を捨てる人間は、ろくなものではない(=幸せにはなれない?、)といった俚諺がありました。

心理学は、大学で専攻した人を何人か知っています。博士号をとらないと商売にならないうえ、とにかくレポート提出の宿題が多いので、非常に大変です。関係書籍でも探してみましょうか。

ご回答、ありがとうございました。

お礼日時:2016/06/19 03:59

ciaoさんはクリスチャンだと云うので、私の思いを述べて見ます。


自己と自我に付いて。

なぜ人は自身の二面性に触れるのでしょう。

宇宙の本体を精神、と捉えると宗教的世界が理解しやすくなります。
例えで想像すれば、大海を宇宙、岩に砕け散る波のしぶきが我々、とするのです。
宇宙の精神のしぶきが人の心とすれば、我々は神の子と思えます。

神の子であるところの心が自己。

でも、自己という精神はそのままではこの世に存在できないので、或いは表現を変えれば、自己と云う精神をこの世で存在させるために、と云う事は生き続ける命として、心の自我が必要となるのです。
自我がこの生命を存続させる原動力だからです。

また、生命は自身の意志で好き好んでこの世に生まれ出たわけではなく、事故のように岩礁に砕け散った波しぶきなのだ、と思えば元の海に帰ってこそ、と思えるのではないでしょうか。

帰趣。

生命は元の海(神の世界)に帰りたいのです。そうした意力が備わっているんです。
生命の本質的流れです。
この流れ、意力、が信仰心です。

脱却するのではなく、大切にしなければ。
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この回答へのお礼

同じキリスト教でも、宗派によって考え方が違う可能性がありますが、うちの宗派では、死後、最後の審判があり、その後に、神の国で暮らせるようになると教えられています。比較的、聖書の記述に忠実な解釈だと思っています。

そうなると、この世は仮の世界。何をして生きてゆけばよいかというと、聖書の教えを広めるのが使命です。それぞれ、人によって役割が違うのですが、私は、イコンを描くことによって、他者とつながってゆこうと考えて、実行しています。

けれども、絵を描いているだけでは生きてゆけません。日常の雑多な、さまざまの困難を抱え込むのですが、それが、回答者さんのおっしゃる、自己を弱らせます。

いつかは神のもとへ帰るのですから、はっきり言って、煩雑で細かなことは、どうでも良いはずなのです。しかし、悩むことに変わりはないのです。そして、参ってしまいます。

ほかの方へのお礼に、”美しいもの・正しいもの・豊かなものに惹かれる傾向性”をあげました。この、美しいもの・豊かなものを愛する心が、実は曲者です。そんなものも本当はどうでも良いことで、できれば脱却してしまえば、もっと、心安らかなのではないか。。。でも、ご回答で、それも大切にしつつ、しかも、現在を生きてゆくとのお勧めです。

長くなりましたが、海の波のたとえは、とてもよくわかります。美しい描写です。

ご回答、誠に、ありがとうございました。

お礼日時:2016/06/13 03:18

№15の回答とそのお礼文を見ての意見です。



二面の内の一面を自己と云い、一面を自我と受け止めます。
"自己"に忠実に生きた象徴的人物が現代ではマザーテレサです。

普通には無理な生き方であって、そこまで"頑張る"必要などないと思いますが、この心情(自己)は大切にしなければなりません。

自我は自己を育てるための"必要悪(宗教的には)"なのです。
自我(生きる力・意志)が命(もう一人の自分)を存続させています。
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この回答へのお礼

お礼が遅れて申し訳ございません。

日曜から木曜まで、アダルト・バレエクラスがありまして、初心者クラスから、中級まで、片っ端からとってみました。もう、木曜日には、疲れてしまって、ぐったりですが、終わった後の気持ちのよさは、尋常ではありません。

マザーテレサのように非凡な方の心情を、推し量るような器量は、私にはありませんが、困った人の助けになるのが、最上の喜び、という人たちは、教会内外に、たくさんいます。

ボランティアの消防士さんや、沿岸警備隊も、パート・タイムで、ほぼボランティアに近い人が多いです。うまくバランスの取れている人たちです。やはり、無償で社会に貢献してゆくのは、気持ちが良いのであろうと、想像します。

ご回答、ありがとうございました。

お礼日時:2016/06/13 03:00

訂正



>つまり、行動が利己的でもその行動原理がかうに従っているだけなら他律であり根底は利他的なのです。

つまり、行動が利己的でもその行動原理が「誰か」に従っているだけなら他律であり根底は利他的なのです。
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この回答へのお礼

丁寧にご訂正くださり、ありがとうございます。

行動原理の自発性が大切なのですね。
私は、美しいもの、正しいもの、豊かなものに惹かれる傾向があり、比較的、”我欲”で動くことは稀です。そんなところも、ヒントになりましょうか。

ご回答、ありがとうございました。

お礼日時:2016/06/13 02:41

No.12です。


お返事が無いようなので一つだけ。

「利他的」の反対は「自律的」です。
人間の心理においては、利他的も利己的も内面の偏りです。
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この回答へのお礼

また、核心を突くご回答、感謝いたします。

良いふうにとれば、私のカウンセラーは、これから利己的に生きることで、今まで、利他的に過ぎた私が、結果的に、中道=自律的に回帰できるよう、配慮したのかもしれません。

自律的に生きる(偏りがなく、無駄がない)、というのは、人生の目的を達成する近道なのでしょう。

自律的に生きることと、精神の強化には、何か、つながりがあるようにも思えます。何か思いつきましたら、補足をいたしますが、これは、時間がかかりそうな気がします。

ご回答、ありがとうございました。

お礼日時:2016/06/08 01:39

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