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6月10日、丸焼きされた少年の遺体の身元が発見されたのですが、
①長崎市の平和団体で原爆に関する事を収集や分析している平和グループは何という市民団体(市民グループ)なのでしょうか?
②九州大学大学院の法医学の専門家は誰だったのでしょうか?


NHK長崎
“黒焦げの少年”身元判明か

長崎の原爆の爆心地付近で撮影され原爆の恐ろしさを象徴する写真として知られる「黒焦げとなった少年」の身元が、当時13歳の中学生である可能性が高いことが長崎市の平和団体の調査によって明らかになりました。
「黒焦げとなった少年」は長崎に原爆が投下された8月10日、旧日本軍のカメラマンの山端庸介氏が爆心地付近で撮影し、原爆の恐ろしさを象徴する写真として知られてきました。
少年の身元は戦後71年間、不明とされてきましたが、長崎市の平和団体で原爆写真の収集と分析をしている調査部会の深堀好敏部会長らが調べたところ、当時13歳で付近に下宿していた瓊浦中学校の1年生、谷崎昭治さんである可能性が高いことが明らかになりました。
この写真については調査部会が2015年7月、長崎市の長崎市立図書館で開いた写真展で展示したところ、会場を訪れた女性が「兄に似ている」と話したため、九州大学大学院の法医学の専門家に鑑定を依頼したということです。
鑑定では少年の顔の輪郭や目の形などが谷サキさんとよく似ていることがわかり、同一人物の可能性が高いという結論になったということです。
調査部会の会見に同席した谷サキさんの妹の西川美代子さん(78)は「兄の遺品は被爆した水筒と傘の骨だけでした。こんな形で写真が手に入るとは夢にも思いませんでした」と涙ながらに話していました。
長崎に投下された原爆では、昭和20年だけで7万人以上が亡くなったとされ、長崎市によりますと、遺骨などが残るものの、いまだに身元の分からない人は8964人います。
これらの人たちの遺骨は、長崎市の平和公園のそばにある無縁死没者追悼祈念堂に安置されています。
長崎市は1990年から毎年遺骨を遺族らのもとに返そうと、かろうじて名前が分かっている死没者をポスターで掲示していて、去年も122人の名前が張り出されました。
しかし長崎市によりますと、問い合わせは年々少なくなっており、2006年に2人の兄弟の遺骨が親族に引き取られたのを最後に、身元が判明した遺骨はないということです。
06月13日 21時43分
http://www3.nhk.or.jp/lnews/nagasaki/5033077751. …

A 回答 (1件)

ttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160613-00010009-nishinp-soci


「71年かかりやっと会えた」

西日本新聞 6月13日(月)14時4分配信
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