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真理を求めるに 故人の書いた書物を研究するのが哲学のスタイルですが

真理は目の前の現実の中にあるのであって ハイデッカーやサルトルを研究しても

真理は見つからないのではないでしょうか?

A 回答 (14件中1~10件)

>我々はそれを見極めようと色々と工夫し考えた



末に、知りえないことを発見したのです。これは超進化した人間だろうが、超高度なAIだろうが、観察側からは、知りえません。
さらに、高度な技術によって、この宇宙から、他の宇宙を作りだすことが出来ても、未だ観察側なので真理を知ることはないでしょう。

真理を知る視点というのは、物理法則などを、自由に変更できる立場なんでしょうかね。よく解りませんが・・・
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この回答へのお礼

Thank you

成る程ですが 物理法則を変更というのはどうでしょうねえ?

しかし真理を知るものと言われたのが神そしてイエス・キリストだった。神格化されたのです。

勿論他の宗教でもお釈迦様でも真理を知るものと祭り上げられたが

実際には無理です。真理は不雑なようで明解 明解にして複雑です。

まるでS理論の様です^^

お礼日時:2016/06/17 13:56

お礼ありがとう。

怒らず聞いて欲しいのだが、あなたはS理論に固執する事を除けば随分とまともな人なのに、もったいないと思う。強い思いもあるし、それをどこかに活かせないものだろうかと。
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この回答へのお礼

ありがとう

どうしてみなさんS理論を嫌うのだろうか?そっちの方が僕は不思議です

哲学を始める前はある程度まともな人間だったので

そんなにおかしな人間じゃないとお思います。

お礼日時:2016/06/23 10:51

確かに大きな問題のうち、かつて例を見ないものも多い。

それはあなたの言うとおりであり、歴史から学ぶだけでは足りない。

私は大学のことを知らない。経済学部や哲学科がどの様に機能しているのか知らないし、費用がどれだけかかってるのかも知らない。故にそれらが役立たずの穀潰しであるとはとても言うことができない。

ただ、この今の消費社会は長くは続かないだろうとは思う。その様に、自分の生きる社会についての危機感を表す事はできる。
しかし私にはそれを解決する手段が思いつかない。大学を出ればその解決策を思いつくというものでも無い気がする。ただ、教育や啓蒙が、消費者や市民の意識を変え、問題解決に導ける可能性はあると思う。

だが、人は自分が痛い目を見ないとわからないのかもしれない。沈んで行く南太平洋の島の価値や、溶けて行く北極海の氷の意味など深く考えることなど無いのだろう。目の前の自分の利益しか見えないので、森林伐採も止まらない。大金持ちも、自分がずっと大金持ちで居られることを望んでいて、社会を良くする為に私財をはたこうと考える人も少ないのだろう。

何かとりとめの無い話になってしまったが。

もっと他者に関心を抱いてもいいのでは無いかとは思う。

、、質問の主旨から離れてしまっただろうか。
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この回答へのお礼

ありがとう

我々の時代はまだましだったのではないでしょうか

若い頃はフォーク、ニューミュージック 先はまだまだこれからと思っていました

しかし今の人は 多額の日本の借金、少子高齢化。温暖化・人口爆発・環境破壊

他者に関心を持ちたいけど 自分の就職、仕事、家族の事で手一杯なのかもしれません。

次世代の人未来の存在には出来るだけまともな世界を残してあげたいものです。

お礼日時:2016/06/17 17:54

★(№5お礼欄) ~~~~~~~~


認識と現実を分けて考えます。
現実は認識し得ない世界です。
しかしどう考えても現前と在る様です。
~~~~~~~~~~~~
☆ 何を言っているのか 分かりません。




次のような提言をします。

たとえば 黙って座ればピタリと当たるといった言い回しが
あります。

あたかもそれと同じように 面と向かって相い対すれば 相
手のことが――そして互いにならなおよいこととして――分
かる。

こうなれば ≪真理≫が現実に効いて来ていることになります。


つまり 相手がいま何を考えているのか。おのが人生をどう
いう問題に直面し何を考えどう処理して来たのか。

いまなお悩んでいるとしたら それは何か。

これらのことが たちまち分かるという状態にまでさとりを
得ているなら あなたの夢とのぞみは ほぼすべて叶うよう
になるのではありませんか?

それが 存在主義なのでは?

でも 存在性思想という場合には ただそこにある空気をつ
かむというような内容しか見当たりません。
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この回答へのお礼

ありがとう

存在主義は存在性思想から生まれてきたのですから

何を言ってるのかわかりません で済まされては

こちらも 何を言ってるのか分からなくなります

存在しているといっても 人間は存在について知らなすぎる

存続しているものを「存在している」と言っているようです。

存続は存在への手段です。

お礼日時:2016/06/17 14:08

お礼ありがとうございます。


質問の意図が、大学や学会などでの、哲学の文献研究もしくは、哲学研究に関する批判だとしたら、確かに先人の哲学を学んでも意味は無いでしょう。
ただ、0から哲学が出来るのであれば、そうすれば良いだけであって、大学や学会の研究者が何をしようとどうでも良いのでは無いでしょうか?
0から哲学できる人が、自分で納得できる哲学が出来るのであれば、無理に先人の哲学を知る必要は無いですし、哲学自体は別に、先人の哲学を知らなければ出来ない物でもないです。(ニーチェなどは、途中から論文を書くことはやめて、独自の哲学を展開しました)
質問の意図を読み違えて、申し訳ありませんでした。
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この回答へのお礼

ありがとう

私が大学に電話して「聞いて貰いたい事があるのですが」と言ったら

「私はトインビーを研究していますが あなたは?」と聞かれました

「私は我流で哲学しました」と言うと「それでは話になりませんね」と

話は終わってしまいました。

大学は権威の世界ですから 大哲学者を研究してるのでしょう 哲学史です。

しかし私が幾ら書いても みなさんは「分からない」で済ましてしまう。

残念でなりません。私がここで死んだら「あいつは何を考えたのか」と

少しは読んでくれるのでしょうねえ。そういうものですねえ現実は。

意図は読み違えても それは書いた方の書き方が悪いのです お気にせずに また。

お礼日時:2016/06/17 14:03

NO.8の解答は、質問者の意図に沿ったものではなかったかもしれない。

そうならば特に気にしないでいただきたい。
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この回答へのお礼

いえ 為になりました。ありがとうございます。

お礼日時:2016/06/17 07:57

気持ちはわかるが、人間は歴史から学ばなければならない。

どの様な時に貧困が起き、どのような時に闘争がおきるのかを学んで現代や未来に活かさなければならない。しかしそれができていないのはなぜだろうか。歴史を他人事だと思っているからではないだろうか。人類の知恵は歴史を持つものである。それは、過去に学ばなければ未来には行けない性質のものではないだろうか。
権威におもねる必要はないが、権威だからと言ってそれを無視しようとするのも間違った姿勢であるだろう。
他人が何をしようと、過去の文献を耕していようと、自らがどうするかしか人には決めることが出来ない。学界の風潮や体質と言うものについて賛否両論あるだろうが、それと自らに出来ることというのは言って仕舞えば関係無い。違うだろうか?他者のやりようや道について口出ししている暇は無いと思う。
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この回答へのお礼

ありがとう

歴史から学ぶことは多いと思います。世界人権宣言、日本国憲法も歴史から学んだのでしょう

ただそれだけでは不十分で 今歴史にはなかった大問題が刻々と近づいてきています

地球温暖化と人口爆発 或いは経済問題、資源の枯渇、戦争テロ、格差問題

これらは歴史を学んだのに起きてきた事柄です。新しい要素が入っています

大学の経済学部が何をしたでしょうか?哲学科が何をしてくれたでしょうか?

お金ばかり食って 怠慢でしかありません。

我々はその様な権威に構ってる暇はありません。もう時間がないのです。

お礼日時:2016/06/17 07:56

>矢張り現実を感知する手前の世界を言っているのでしょうか?



どんな言い方をしてもいいのですが、見て聞いて触れて体験しているものごとが現実で、それはいわば受信側、受け手ですね。
真理は、光、音、剛性、などなど(これらも受け手の判断ですが)の発信側、つまり、現実の外側にあります。
例えば、光と感じていることが体験だけど、その光をある周波数のコヒーレントレーザー光線だと解析しようが、波動方程式で表現できようが体験であって、真理に近づいているもののあくまで受け手。真理そのものを知ったことにはならない。
つまり、その光自体を存在させている側に立たなければならないってことです。
そこには波動方程式なんてものも周波数がどうだこうだなんて無いでしょう。人間の解析、把握なんて非常に有用ですが間違っているんです。

それが何なのかは残念ながら知りえません。
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この回答へのお礼

Thank you

仰ること、よく分かります。私も数学で表した波動方程式が光だとは思っていません

ただ現実の中には光があるはずだと思っています。

我々からすれば外ですが 現実から見れば内です、中です。

真理があるかどうかも分かりませんが 我々はそれを見極めようと色々と工夫し考えているのではないでしょうか。

お礼日時:2016/06/16 18:23

学ぶことに長けた人は誰の言葉からでも学ぶ。

誰が言ったかではなく、何が言われたかを聴くからです。
古い書物だから、昔の人の言ったことだから、そんな理由でそれらの言葉を軽視するなら、その人の学びは拙いものとならざるを得ない。
権威主義に陥るのではなく、世の中にある言葉達を平らかに聞き及んでそれらを自らの道の歩みの糧と為し、戯言と本当の所を聴き分ける、それは聡いことである。

自分の見知った現実だけが現実ではない。
その様に世界の広さを知っても、自らの縁に従って寄り道をせず、自らの目的(ここでは真理を見出すこと)に適う道を歩むならば、生きている間にそれを見出すことも夢ではないだろう。
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この回答へのお礼

ありがとう

大方仰る通りですが 生きている間に真理に見えることは難しいと思います。まず無理でしょう。

問題は真理を求めながら有効な知恵を 勿論過去の哲学者をチェックすることは必要です

ですが 大学で50年も100年も研究して権威を持たせてどうするのでしょうか?

有効な知恵を使って現実を少しでも良い方向に変えようとする しかありません

現に貧しさや戦争で苦しみ亡くなっていく人が多いのです、我々がやらなければ彼らには出来ませんよ。

何とかしなくてはなりません。過去の文献を耕してる暇はないのです。

お礼日時:2016/06/16 18:57

★(№1お礼欄) ~~~~~~~~


(あ) 我々にとって現実は感覚器官を使って見る 少し遠い存在。

(い) 唯心論になると現実は精神の方が現実となります。

(う) それに対してその現実の中にある真実に対して「現実の外」
と言うものがあるならば

(え) その手の届かない現実の手前にある 我々の精神の世界、思
いの世界、観念の世界が現実の外と言えるかとお思います。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ はっきりしません。

(あ): 五感の知覚は 身近な経験現実ではないのですか?

(い): 精神は 唯心論の専売特許ではあり得ない。でしょう?

(う): ≪身(知覚)と心(精神のハタラキ)≫とから成る自然本
性〔であるわたし〕が世界を認識する。

つまり その世界事実の認識についてのわたしの主観真実がある。
その≪真実に対して「現実の外」と言うものがあるならば≫:↓

★ (え)  その手の届かない現実の手前にある 我々の精神の
世界、思いの世界、観念の世界が現実の外と言えるかとお思います。
☆ ?????????

≪観念の世界≫というのは いわゆるヴァ―チュアル・リアリティの
ことを言うのでしょうか? リアリティと呼ぶ≪現実の外≫だと見る
ということですか?

小説などの虚構の世界・あるいは 個人の信仰ではなく組織的な宗
教における人間の考え作った神としての想像物の問題 これらが
≪現実の外≫でしょうか?

これらも 虚構としての現実であるのでは?
そして マの違い・あやまち・錯覚としての現実であるのでは?

なぜなら 現実存在たるわたしは 実際じょうの問題としてこれら
の≪想像世界≫に向き合っている。

ぜんぶを現実として捉えてよいのでは?
★ ハイデッカーやサルトル
☆ も当然 現実の世界の中にある。のでは?

一人独りが大きく現実の世界にあって むしろそれぞれその≪わが
固有時≫において あたかも≪真理≫と向き合っている。のでは?
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この回答へのお礼

ありがとう

認識と現実を分けて考えます。現実は認識し得ない世界です。しかしどう考えても現前と在る様です。

現実の中 と書きましたが 中という言葉にそれ程の意味はないです ただ現実の範囲 という意味です。

認識の世界に真理は捉えきれません、迷妄と推測、仮説の中に彷徨っています。

長文が苦手で 長い文を読むと腹痛がしますので 読み落としがあったら失礼。

お礼日時:2016/06/16 17:11

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