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昨日のことです。

私が公園でひと休みしていると高校生数人がいました
そうしたら、その中の一人がタバコを吸い始めたのです!
一緒にいる他の高校生は、その有様を気にも留めない
様子でした

しかも周りに子供がいるのにです


私の感覚では未成年でタバコを吸うなんて覚醒剤を吸うか
殺人と同じレベルになります。
たとえ、どんなに好きな人でも未成年でタバコを吸っていたら
百年の恋も冷めます
顔も見たくないくらいです

なぜ私がタバコに嫌悪感を持っているかというと喘息もちで
副流煙を少しでも浴びると呼吸もままないからです
そんな人がいるかもしれない外で何食わぬ顔で喫煙する人は
どんな人でも嫌に感じます



聞くところによると高校生、中学生でタバコを吸うことはジュースを飲むの
ように、ありふれたこととのことですか、本当であれば嘆かわしい限りです
私の考えが古いのかもしれませんが未成年がタバコを吸うなんて正気の
沙汰ではありません。


この考えはおかしいでしょうか?

A 回答 (19件中1~10件)

昭和時代から見れば減りましたけどね。



良いんじゃないですか、好き嫌いは個人の自由ですし。
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この回答へのお礼

好き嫌いは個人の自由ですが喫煙するなら人のいない
所でしてほしいです

お礼日時:2016/06/24 12:41

No18です


お礼をいだきまして、ありがとうございます。

>それはあなたの感覚では?
そうですよ。質問自体が「どう考えますか」と回答者の受け止めを聞いているのでしょう。

私は未成年の喫煙を不快と思わない、質問者様は不快と感じる。それで良いと思いませんか。
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この回答へのお礼

次からは、そのような不快な輩には関わらないようにします

お礼日時:2016/08/18 00:49

あなたはちょっと 神経質すぎかな!


私はタバコをすいませんが 吸っている人を見ても何とも思いません。
自分の近くで吸われても特に何とも思いません。

ただ未成年は法律で禁止されてますよね その意味ではいいことではありませんね
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この回答へのお礼

それはあなたの感覚では?

お礼日時:2016/07/19 12:41

お礼をいだきまして、ありがとうございます。



>それは人それぞれではないですか?
そうですよ。最初から個人の問題だと書いています。

そして、個人の感覚であれば、それを他者に強要する必要はないでしょう。
私は未成年の喫煙を不快と思わない、質問者様は不快と感じる。それで良いと思いませんか。
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お礼をいただきまして、ありがとうございます。

No.10です。

未成年の喫煙を見ることが不快だと思うのは、質問者さんでしょう。
私は別に不快と思いません。

理由は喫煙年齢が国によって変わるからです。
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この回答へのお礼

それは人それぞれではないですか?

お礼日時:2016/07/14 13:56

考えはとても正しいと思います。


子供時代に吸い出すと依存症率がとてつもなく高くなりますしね。
しかも副流煙の害なんか考えてもいないと思います。
それ以前にその子達の教育がなってないところも怖いですね…。
もっと日本は厳しくしてもいいと思います。
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この回答へのお礼

仰るとおりです。
アメリカ並みに厳しく取り締まるべきです

お礼日時:2016/07/08 23:37

全然おかしくないと思いますよ。


安心してください。(*`・ω・)ゞ
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この回答へのお礼

共感してくださりありがとうございます。

お礼日時:2016/07/08 23:38

そういう不良は親も似たような人生なので、日常的にも子供に対して不干渉となっている傾向が強いです。


そういう親の環境で育った彼らは、当然どこかで吸ってはいけないことは知っていますが、あえて吸うことで虚勢を張ったり、自己主張したり、偉さを喧伝する材料に使ったりという意識で、到底まともな類ではありません。
ろくな人生を歩まないという烙印を押された人間ですから、可哀想と一瞥するに限ります。
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この回答へのお礼

「この親にしてこの子あり」ですか…

反面教師にします

煙草でしか自己主張できないなんて気の毒です

お礼日時:2016/07/08 23:38

未成年と言う定義は、成長途上であって人として完成していないという状態です。



タバコや酒類を禁止したり、風俗関係を禁止するのは、子供の成長に影響するからです。

またこれらを大人が注意しない社会は健全に思えません。

もとの思想は子供や若者を愛する心から生まれた法律です。

いずれは自分達を超えて世の中を支える愛しい存在だからです。

愛する気持ちが無ければ、注意することも出来ません。

近所のおじさんやおばさんが注意しなくなったのは何時ごろか?

覚えてらっしゃいますか?

今から30年以上前ですが、そうした風潮を問題視する話が沢山ありました。


例えば、

「喫煙をする子供の親と懇意にしていたり、その子が幼い時から世話を焼いていた。」

そういう関係があれば、自信を持って諭すことが出来るでしょう。

これが無ければ、我が身のことを考えて近づかないはずです。

自分の生活を脅かす悪人を罰するために法があると理解されては困ります。


社会から愛をなくしてしまうと、権力層や優秀層が他を圧して富を独占します。

ここには容赦が無く、最後は人間を動物と同じように扱い始めます。

感覚が麻痺して行くからです。

家族には人間でも、他人は燃料に見える。

動物にとっては、こちらのほうが自然なんです。



基本的な人権を尊重するように、弱者の保護を義務とさせることで対抗するべきですが、

それを履行することは非常に労力がかかり、ストレスが生じます。

「あー、めんどくせえ。もうやめた。自己解決で。」

となれば、すべてがご破算です。


例えば、私たちは病気に掛かるとき、医療費を払います。

このうち7割は税金で負担されています。

この7割を辞めてしまおうと言う話もあります。

慢性的な傷病を持つ人には大変な損失に成ります。

生活が圧迫されれば、寛容さがなくなり、攻撃的になります。

企業内でも不和が広がりますから、

雇用側はそうした人を避けるように採用面接の方針をたてるでしょう。


一度病気を患ったら、今生は諦めるという時代が、そう遠くない昔の常識だったんです。

昨今はここに戻りつつあり、海外の先進国も似たような方向に進んでいると思えます。

高齢化が進み、生産の担い手と成る世代の負担が大きいからです。


いずれ自分の医療費を賄ってくれる世代を愛していますか?

いずれは彼ら世代が、

「どういった年寄りから切り捨てて行くべきだろうか?

 寝覚めの悪い話だが、現実問題、誰かがやらないといけない。

 案はありませんか?」

と深刻に論ずるときが来るはずです。

私たちは今後老齢を迎えるに当たり、

「あなたに生きていられと、社会費用を圧迫するので迷惑だ」といわれ始めます。

愛がなくなればそうなります。

「生産世代に迷惑をかけても生きていたいのか?

 それは人として可笑しくないか?」

こんな論法を使われたらどうしますか?

「命だよ?何言ってるの?」

と言い返しても、

「あなたが若いときは、人に迷惑をかける人間は許さないとしていました。

 私たちはそれを見て育ちましたので、迷惑をかける人の命は軽微なことだと感じます。」

といわれるでしょう。


これに対しては、

「いずれ君らもそういわれるんだぞ。」

と話すのならば全うです。

今の時代を良く理解して、共感できる話で訴えているように思えます。

しかし、

「私は年寄りで弱いんだから、そういった人に迷惑をかけない様にするのが、

 人として当たり前でしょ?」

と返してしまえば、立場を理解しない発言として、世代間の戦争になります。

ヨーロッパの島国で世代間の戦争が起きました。

選挙と言う形です。

若者や優秀層が其の他を無視し続けたせいです。


本来は愛や協働で結ぶべきコミュニケーションを、

一般常識やルールで強制しようというのは、システムの悪用です。


とても当たり前の話をします。

愛してくれた大人の言う事しか、子供は話を聞きません。

注意しても、いう事を聞いてもらえないと直感したら、

彼らが成長途上のときに充分に愛してあげていないからです。

自分たちが悪いのです。


それでも自分の利益を守るために、

別の大人が作ったシステムを利用しようと言うのは傲慢でしょう。

これを作ったのが自分であるならば、少しは理もあります。

他の人が作ったものに相乗りしようと言うのならば、その人に良い所がありません。

風潮や他の人の意見に相乗りしても同じです。

そういう意図を扇動するといいます。


これからの社会を想像します。

生産世代として負担を覚悟する層があり、

負担を心配して愛してくれる老齢層があり、

一般常識やルールを用いて自分を守るべきと主張する小うるさい老齢層が生じます。

どこから切り捨てられるか自明でしょう。


また、それでも弱者を保護すべきであると主張する派閥があったとします。

この対立して主張する層が愛をなくして溝を深めたとき、

弱者は、対立する両派閥の中で足手まといになります。

結局は、どちらの派閥からも排除されるでしょう。

「自己解決でお願いします。力があって賛同する方だけ参加してください。

 そうでない人は、この戦いが終わるまで何とか生き延びてください。

 苦情を言いたいのはわかりますが、自分で解決してから来てください。」

となりますよ。



たばこを吸っている人も税金を納めて、自分の医療費を払ってくれています。

子供はいずれ成長して、自分を戒めて、禁煙します。

早いうちに始めた場合は、もう少し我慢しなさいと注意をする必要があります。

ルールはノルマとして働き、弱者を排除する合理性に結びつきます。

自分の不利益が生じたとき他人を攻撃する人は、真っ先に排除されます。

テロと同じだからです。



苦情を言ったり、攻撃することで他人の行為を辞めさせることは出来ません。

普段から相手の方を愛して助け、

対立においては、その「助けを打ち切る」という行為で対応するのが大人です。

普段から相手の方を愛して助けていない場合は、何も出来ません。

対立に備えて、それくらいは自分がやっておくべきことなのです。


ですので、

質問者さん個人に特化した傷病が原因で憎しみが増大しているならば、

それは話が違うと思います。

彼らを愛しているからこそ出来た法律を、その逆に使おうとするのは可笑しいでしょう。

ましてや私たちは年を重ねれば、生きる権利を問われ続けます。

この中で考えを変えて、立場をわきまえて、謙虚に闘い続けるしかありません。



今の自分が大事にされていなければ、

トラブルが生じても、誰にも助けてもらえません。

その様な状態で、常識やルールを叫んでは、

自ら争いを引き起こすように思考してはいけません。



「未成年者が喫煙をすると、その方々を愛している人が心配するので、

 出来る限り気がついた大人が注意をしてあげる。」

というのが、本質ですよ。


ルール違反や喫煙行為だけに着眼し、

子供への愛が念頭からかけている事に違和感を感じます。


愛して尽くした人にだけ、そっと一言注意できる。

この法則を諦めて受け入れて、法や常識を用いて他の大人を扇動しないことです。


家族のために禁煙をしたとか、

子供が生まれたので禁煙をしたという人が沢山います。

うちの父もそうしました。


愛で解決すべきことを別のものに摩り替えてはいけません。


以上、ご参考に成れば。
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タバコは今は民間企業ですからね。

葉たばこの農家とか関連する企業で生活している人が沢山いますからね。一概にとやかく言うのも問題があります。貴方が愛煙家なら言わないはずです。がき共の喫煙の件は貴方と思う事は皆さん同じですね。バカ親のしつけの問題ですから。
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