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浄土真宗の僧侶や御法話を聞かれている方に質問です。

私は、以前、「〇森〇鸞会」の信者だったのですが、現在は「〇森〇鸞会」をやめて、東・西本願寺別院などで御法話を聞かせていただいています。「他力の信心」をいただかないと、地獄に堕ちると思って心配しているのですが、なかなか他力の信心はいただけません。
蓮如上人の「御文章(おふみさま)」に「他力の信心」ということが出てくるのですが、本当に「他力の信心」をいただかないと地獄に堕ちるのでしょうか?

よろしく御指導を下さい。

A 回答 (11件中1~10件)

No.2 みっさん


「四苦八苦」は立派な仏教用語です。
ただし、この宗教に入れば・・今は存在しているかどうか。
当時はカルト教団と呼ばれていました。
○価○会は、日蓮大聖人の教えを守り、宿命転換の為に題目を挙げています。
*日蓮大聖人には6人の弟子がいて、その一人(日興上人)が今の創価学会の基礎になっています。

他力本願については、自分自身に遇脱した考えを持つ考え方です。
浄土真宗(親鸞聖人)は浄土宗(法然上人)から分かれて、再分裂となり西・東になりました。
宗教を考えると、相当議論しても開結はしないです。
現在のキリスト教・イスラム教にしても、映画の十戒に有る様に2千年も遡らないと解決はしないと思います。
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この回答へのお礼

○価○会をはじめとする仏教以外の宗教を宗教というのならば、仏教は宗教ではありませんし、
仏教のことを宗教というのならば、○価○会をはじめとする仏教以外の宗教は宗教ではありません。

お礼日時:2016/07/03 20:30

あると思いたいのでしょうね!

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この回答へのお礼

あると思いたいのではありません。

お礼日時:2016/07/03 04:36

考え方としては、現在の法律の元になるのが宗教や教えです。



昔まだ法律というものが無く、正しい考えや行いを人々に守らせる事が出来なかった時代に
あれやこれやと考えられたのが宗教であり、その1つが地獄というものです。

昔の親は、言う事を聞かない子供に、悪い事をすれば鬼が来るよ、とか、お化けが出るよ、
と言って悪い子にならないように躾けていたのと同じ、と考えれば解りやすと思います。

悪い事をすれば地獄に落ちる、そういう事を広める事で
人に悪い事をさせないようにしようとしたのが仏教というものであり、地獄というものです。

現代において、それらを信じるかどうかは個人の自由となりますが、
宗教の基本は、基本的には正しい行いが出来る人間になりましょう、
という事だと思っていれば問題ありません。

それと、「他力の信心」の意味を質問者さんはどういう意味だと思われてますか?

間違ってはいないと思いますが、
他力の意味を、他人の力とか自然の力と解釈しているなら大間違いです。

教行信証には、「他力というは如来の本願力なり」と書かれていますが、
これは、「阿弥陀仏の本願力」を意味しています。

したがって、「他力の信心」とは、
私たちの心で何かを信ずるという自力の信心ではなく、
阿弥陀如来から賜る信心である、という事を意味しています。

要するに、簡単にまとめると、自分の考えを抜きにして
仏教の教えを心を無にしてすべて受け入れなさい、という事です。

自分の考えに囚われて、仏教の教えに従わず、自分勝手に生きるという事は
悪い事をする可能性もあるから、そうなると地獄に落ちるよ、という事です。

つまり、悪い事をすると刑務所に行くから悪い事をしちゃだめだよ、
という現代の法律・社会の仕組み、と同じ事を意味している訳です。

まぁ私は阿弥陀如来ではないので、
私の言う事は信じる必要はありませんけどw
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この回答へのお礼

阿弥陀如来から賜る信心を早くいただきたいです。

お礼日時:2016/07/03 04:40

地獄に堕ちる、というより、自分の罪に苦しむ



と解釈しました。

そもそも地獄の閻魔様というのは人間が作り上げた想像のものだと思われます。
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この回答へのお礼

自業自得ですか。

お礼日時:2016/07/03 04:41

私の母が生きていたころの話です。


時々口寄せと言って恐山のイタコと同じように、先祖を呼んで話を聞くことが出来る人が近くに居ましたので、先祖を呼ぼうとしたら、私の祖父さんの弟が突然出てきました。

その時に話したことは、自分の子供に財産を残したくて、母にかなり酷い仕打ちをしたらしいです。
だから母に謝るに出てきたらしいです、その時に言った言葉だそうです。

「子供に財産を残したくて酷いことをしたから、死んでから狭くて暗い所に一人ぽっちで閉じ込められて、どこにも行けないから、母に許してほしい」言って出てきました。
「許すと言ってくれればもう少し広いところに行けるから」と言ったので、兄が30何年前の話だから母に「許した遣れよ」と言ったので、母が「判った許す」と言ったら帰って行ったそうです。

地獄かどうかは解りませんが、狭くて暗い所に一人ぽっちでいることは、死んだ人でもかなりつらいと思います。

知っている人がガンで危篤状態になって、意識を戻した時に行っていたことは、「きれいな花畑の中で一人いたら、御先祖様がお前が来るのがまだ早いから帰れ」と言われて、気が付いたら病院のベットの中だったそうです。

こういう話は時々聞きますが、本当かどうかは解りませんが、これが地獄と天国のように感じました。
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この回答へのお礼

恐山のイタコとは、あまり信用が出来ません。

お礼日時:2016/07/03 04:43

鍋にうどんがぐつぐつと煮えている。


ところが、腕の長さよりも長い箸しかない。

我先にと無理に食べようとするが、食べることができずに苦しむのが地獄。

天国の人たちは、お互いに相手の口に入れてあげるのでみんながおなか一杯になることができました。

地獄も天国も、この世ではありませんか。
http://www.mobilkubota.com/manabi/246.html
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この回答へのお礼

この世ですか。この世が極楽になる様にしたいです。

お礼日時:2016/06/28 14:26

ありえません。


仏教では極楽地獄、キリスト教では天国地獄と言います。
信心しないと地獄に落ちると脅して、信仰に向かわせようとする
作戦です。

善人や信仰のある人は極楽、悪人や信心のない人は地獄へ行くと言っても、
その境目はどうやって決めるんでしょう。心の51%が善良な人は天国、49%の人は
地獄となったら、ほんのわずかの違いで全く正反対の所へ送られるなんて理不尽すぎるでしょう。
良い人悪い人といっても、いろんな要素があるので数字では表せないでしょう。
この選別は、神様仏様でもできないに違いありません。

宗教は、人間が死の恐怖から逃れようとして発明したものです
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この回答へのお礼

他力の信心は、0点か100点かどちらかではないでしょうか。

お礼日時:2016/07/03 04:47

神仏を信仰していない者だけれども、お寺さんの説法などは心して耳を傾けている。


信仰していなくても、人間が生きる上で大切な教えや道標も多いからね。

その中で「他力の信心」については、質問者のような「いただけないと地獄に落ちる」という理解ではないかな。
阿弥陀仏の『大慈悲心』を人間がいただくためには、『大慈悲心』を『名号』へ変換する必要がある、そして『名号』が心の中に入ると『信心』と呼び方が変わる。
この場合の信心とは ”信じる心”ではなくて、”阿弥陀仏の心”ということ。
南無阿弥陀仏と心から唱えることができるなら、それはすなわち心に信心があるということ。

もしも質問者が「地獄に落ちたくない」と言う理由で南無阿弥陀仏と唱えても、それは私利私欲であり「他力の信心」ではないだろうね。
しかし、自らの行いを反省して御仏の御慈悲にすがって唱えるなら、それは「他力の信心」たりえると思うよ。
人間がそうできるように御仏が名号を作って下さったのだから。


・・・という感じで参考になった?
イマイチだったら、やっぱり本業のお寺さんに話を聞いた方がいいかな(笑


冒頭述べたとおり、私は信仰していない。
でも、御仏でなくとも、誰かが自分たちのことを気遣って何かをしてくれるというのはとても嬉しいことだと思うんだよね。
また、自分でも誰かを気遣って何かをしてあげたいとも思う。
信仰ではなくても、人が生きていく上でこうした温かい気持ちは大切だと思う。
「他力の信心」の話からは、私はこういう教えをいただいたと思っているよ。
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この回答へのお礼

大慈悲心を名号へ変換する必要がある。そして名号が心の中に入ると信心と呼び名が変わるのですね。

お礼日時:2016/07/03 04:51

死んで戻ってきた人はいないから、誰にもそれはわかりません。


宗教は生きる指針であって、
真実かどうかはあまり重要じゃないと思いますよ。

それでも答えるとすると・・・

自分の心に悪があれば苦しいです。
それが地獄だと思います。
無我の境地になると、自分の心に悪(? 煩悩?)はないから、苦しまないんじゃないでしょうか。
だから他力の信心をいただくと地獄はない。
ということかなと。

私の勝手な解釈です・・・。
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この回答へのお礼

真実かどうかという事が重要だと思います。

お礼日時:2016/07/03 04:53

「四苦八苦」という言葉が有ります。


この中には、「生」も含まれます。
何時頃だったかは忘れましたが、この宗教に入ったら「四苦八苦」は無いと言われました。
「生」がないなら苦もないです。
天国・地獄は存在しません。
*良いと思う心は、天国。
*嫌と思う心は、地獄。
嘘をついたら、「閻魔様に舌を抜かれる」・・子供への躾の一環です。
宗教は理解するほど前は暗くなります。
・・気にしないで、他人の間違った事を気にしないで人間の生活を楽しむ事です。
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この回答へのお礼

仏教以外の宗教の事を言われている様ですね。

お礼日時:2016/07/03 04:57

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