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武士道を用いて卒業論文を書こうと考えています。
しかしどのような切り口で書いていこうか悩んでいます。

武士道にしようと思ったのは、単純に日本人の精神論みたいなものを考察したい…と思ったからと、ゼミ教授に進められたからです。
しかし、いざ論文にしようと思ったとき、そもそも武士道自体に日本人の精神論が書かれてあるのに、『日本人の精神論』を軸に書いたら、本の内容をまとめたような論文になってしまうのではないかと思いまして……;

何かと関連付けて考察するのがいいかなとは思うのですが、なかなか思い浮かびません。
些細なことでもいいので何か助言いただけると助かります。

ちなみに当方心理学部ですが、哲学系のゼミに所属しています;

A 回答 (15件中1~10件)

日本人の武士道は、悟りの仏教が根本ですね。

切腹の覚悟も悟りがあるから選択の一部になっています。死の恐怖に縛られ無い根本ですね。いつかは、死ぬ時が来る事を悟っているからですね。人生の目標を何処に置くかその目標が、生死を超えているのです。
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#14に誤植がありました。



第1段落中ほど、

方形制度 => 封建制度

と読んでください。何時ものように、他にも誤植が多々ありますが、その部分は察して読んでください。
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#13の追記:



そこで書き忘れましたが、坂口の主張に対する突っ込みどころは、何故人類史において日本と西欧だけが、中央集権制度を取らずに、日本では天皇と武家との二極による封建制度を創成し、西欧では教皇と西ローマ帝国皇帝下での方形制度が創出され、さらに、その二ヶ所だけが産業革命の成功者に成り得たのかと言う分析の欠如です。

さらに坂口の論考には、当時の社会主義者であったカナダ人のエドガートン・ハーバート・ノーマンによる『日本における近代国家の成立』で論じられているように、モンテーニュモドキの逆接的な論考がなされていない弱みがあります。その逆接的論考とは、産業革命直後のイギリスでの貧民救済を目的とした人民救済のために小作税の上限を下げたことが、農村の地主と都会の工場経営者の敵対関係の原因となり、結果的にロンドンの貧民街が以前にも増した悲惨になってしまった。それとは反対に、日本の小作人に対する一見過酷な税制が、農村の地主と工場経営者の協力関係を助長し、結果的に、西欧の産業革命に出遅れた日本が、すんなり産業革命を成し遂げて、欧米列強からの植民地化を免れ、強いては、小作人たちの安泰へと導いたという論考です。

インドの例でも分るように、植民地化されてしまうことの悲劇は筆舌に尽くし難い。イギリスがスコットランドを併合したときのように、併合と植民地化は途轍もなく次元が異なっております。実際、イギリスによって植民地化かされたインドでは、優秀な子供が出るとその子供たちの手首が切り落とされていたという記録すら残っております。私は母親から、お百姓さまに感謝しなさいと言われながら育ちましたが、小作料の高さ故に、出稼ぎ制度が確立して日本の産業革命をスムースに成し遂げたのだと言うノーマンの指摘を受けて、日本の水呑百姓だった小作人が日本の植民地化を免れるに当ってそんなにも重要な役割を演じたのだと認識し、お百姓さん本当に有り難うと、実感をもって言えるようになりました。
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何人かの方が、坂口安吾の『堕落論』を武士道の考察のために推薦しておりますが、これをモンテーニュに読ませたら、他の日本人の綺羅星のごとき評論家たちとは全く違った論評が得られたのではないかと想像を巡らしています。

モンテーニュの本質は徹底的な懐疑にある。彼は、ある人間の行為や事象に対してそれの是である根拠を説得力のある論法で論じてみせ、その考察後に、今度はそれに対してその非である根拠を、また説得力のある論法で論じてみせる。彼の『エセー』は全編その具体的な例を示すことに費やされている。

ところが、日本の評論家たちにはそのような冷静で冷徹な視点がないように見受けられました。モンテーニュのように、坂口の主張を非とする視点からの考察を並列していない。是ばかりを主張したり、非ばかりを主張する論法で複雑な事象を論じるのはプロパガンダの常套手段で、大変危険な方法です。

そもそも『堕落論』は1946年という、敗戦直後の精神的混乱と興奮の真っただ中に書かれている。歴史的事象の客観的な分析は、その事象の利害関係に絡んだ当事者がまだ生きているうちは不可能であると言うのが歴史学の鉄則です。その中に、興奮や政治的意図など、知らず知らずに入り込んだ分析になってしまうからです。坂口の論じたのは歴史ではなく文化論だと主張する方もおられるでしょうが、文化論には冷徹な歴史的分析が不可欠だ。なのに、坂口の主張は、戦前の興奮した振り子の揺れが、敗戦と言う衝撃で、逆方向に揺れたに過ぎない。そんなものが、学術的に評価される論法たり得ないというのは、人間を考察して来た人なら誰でも理解できることでしょう。さらに、上記の綺羅星の評論家たちも、敗戦の精神的混乱と興奮の真っただ中で、坂口の本を論評しています。

戦後70年経ちました。私は、この精神的混乱と興奮が徐々に冷め始めたこれからが、モンテーニュの提唱した方法論である、是と非を並列して論じる冷静で冷徹な分析が出来るのではないかと考えております。
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#11関連で。



複雑な事象に対する物の見方は多面的です。その多面性故に、切り口の選択の序列付けにその人の価値観が現れてくる。ある人に取ってはどうでも良い切り口が、他の人に取っては重要な切り口になっているってな具合です。

私は、日本人の経験して来た支配構造が他の民族と比べて、過酷さにおいてずっと緩いものだったので、日本人は他の民族よりも権威に相対的に信頼をおいている。だから権威にお任せすると言う従順さが他の民族よりあるのだと思っております。

また、日本で個人主義が自然発生的に生まれなかったのは、他の民族に比べて社会や村の意思決定に参加できる機会が比較的に多く人々に与えられていたので、自分のアイデンティティを各個人の中に見出すのではなく、社会や村の一員としての自分に見出していたので、集団としての意志に従う傾向が出来てきた、それが 

>それは良い面ばかりでもなく、権威に弱く、「赤信号みんなで渡れば怖くない」

に要約されているのだと思います。

どんな民族でも人間である限り、武勇や信義を讃えられる人間が歴史上に一人や二人出て来るのは全く驚くことでは在りません。ですから、中国にも居たではないかと言っても、そりゃ居ただろうと答えるしかない。しかし、中国での武士道や騎士道なるものが中国の文化を特徴付ける中心概念の一つであるとは、寡聞にして、私は聞いたことがない。その理由は、中国の安定期は圧倒的に中央集権制度で、ですから官僚と言う文民支配だったことにあると、私は考えています。#7にも書きましたが、世界各国の官僚の共通項は、裏切り、後ろから刺す、未練がましい、厚顔無恥です。卑近な例を知りたければ、日本の官僚を見ればその例はいくらでもご自身で見つけることが出来るでしょう。私は武士道や騎士道なるものが中国の文化を特徴付ける中心概念の一つになり得なかった本質は、この中央集権制の官僚による文民支配にあると考えております。

どこの国でも、官僚は選挙によって選ばれるのではなく、官僚組織内のエスタブリッシュメントによって作られた基準で選ばれます。例えば公務員試験などがその好例です。また一党独裁の中国には選挙がなく、官僚による内部基準で官僚が選ばれている。だから官僚制度には自浄作用がない。ですから、ソ連や中国を待たずとも、どの世界でも官僚はある時期が来ると必ず腐敗しきたことを人類の歴史は教えてくれています。

民主主義の知恵は、この必然的に腐敗することを免れない官僚を選挙で選ばれた政治家の支配下に置き、その政治家は選挙によって国民の支配下に置く、というものです。ですから、民主主義を維持するには、選挙制度は決定的に重要で、さらに、官僚自身が政治家に簡単になれるような体制は極力避けなくてはならない。残念ながら、日本では官僚出身の政治家が多過ぎる。今回の都知事選でも、実務派と言う名目で官僚出身者を担ぎ出そうと言う動きがある。311の東北大震災の原発災害によって、政、官、産、学、マスコミ、の鉄の五角形の実態が暴かれましたが、それと同時に、その五角形の頂点に立っているのが官であることも暴かれました。私は、この官をを何とか押さえることができれば、今よりはましな日本になるのではないかと夢想しております。
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No.7でcyototuさんに批判されたので反論させてください。



中国や朝鮮と違い日本の農民は狭い土地にしばりつけられてきた、ということがあります。島国であるということ、そして各地域は山々にさえぎられて孤立しています。標準語が行き渡るまでは、人々は実に様々な方言を話していました。歩いてどこまでもいける大陸とは事情が違います。同じ地域に同じ人が住み、そして代々それが引き継がれていく。日本人が規範に従順であるのはそのことが大きな要因であると思います。それは良い面ばかりでもなく、権威に弱く、「赤信号みんなで渡れば怖くない」式の付和雷同と表裏一体でもあります。特定の民族が優れているとか劣っているというようなことは、簡単に言えるものではないと思います。

武の民の共通項としての、義、正々堂々、潔さ、恥を知るについてですが、どこの国の武勇伝を見ても「信義」や「武勇」を重んじるのは同じですね。現実には卑怯、未練、厚顔無恥がありふれていたからこそ、そういうものにあこがれるのではないでしょうか。『保元物語』の為朝が日本人の精神を象徴しているというならば、三国志の関羽が中国人の精神を代表しているという言い方も可能です。

それと、すとーんずふろあさんにもう一言、No.6でsamu222kさんが勧められていますが、坂口安吾の「堕落論」は是非お読みになっていただきたいと、私からもお勧めします。
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補足です



君と臣の関係、つまり単に「虐げる者」と「虐げられしもの」という図式的関係ではなく、虐げられる側の心理に、「マゾヒズム」的要素、「堪えることへの陶酔」は、まるで存在しないのだろうか。という視点です。

封建時代である江戸時代から明治、戦前・戦中、そして高度成長を経て21世紀の今に至る日本の精神風土に「武士道」の通奏低音である「サディズム」と「マゾヒズム」の関係性を見て取ることはできないだろうか。

『武士の命は己がものにあらず、主君のためのものなり』という封建的「武士道メンタリティー」は21世紀の現在にも生き延びてはいないだろうか。
また「殉死」の精神など、より大いなるもの=「忠」或いは「大儀」などのため「命を投げ出すことに」、「美」を見出す精神はないだろうか。

人間の社会はいずこも同じ。いくらシャッフルしても必ずピラミッドを構成します。けれども、上からの「仕打ち」に対して反撃するか?「マゾヒスティック」に忍従するか?その辺の比較文化論的考察も可能でしょう。
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現代にも通じる縦社会。

上の「嗜虐」ー下の「被虐」の系譜(心理)という視点から考察されるのもおもしろいかもしれません。
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死に様

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古今東西、群雄割拠下では、『プルターク英雄列伝』やトゥキディデスの『戦史』のギリシャとローマの武人、日本の源平合戦と戦国武士、『ナポレオン戦線従軍記』に書かれているナポレオン軍の下級将校の武勇など、武の民の共通項は、義、正々堂々、潔さ、恥を知る、に要約できるでしょう。

その反対が、中央集権制度下の官僚や官僚が世襲化した貴族や、また、武の手段を持たない女性方で構成されている後宮の共通項は、裏切り、後ろから刺す、未練がましい、厚顔無恥、に要約出来ます。日本のこの武人の資質は、清盛や義経や義仲よりずっと以前の『保元物語』の敗者であった為朝の武勇に見事に描かれています。

現在でも日本人だったら誰でも持っている世界に突出した恥の概念は、ただただ上から虐げられて来た民衆が自然発生的に手に入れることなど出来ない。社会の自発的な一員としての自覚があり、武勇を讃える国民全般の共通認識があるからこそ、日本人なら誰でも持っている性質として生まれて来たはずだ。

日本人の武に対する深層心理、耐えることに対する深層心理を象徴した現象に、嘗て中国や朝鮮で恐れられていた、「海乱鬼(かいらぎ)」というのがあります。

http://ameblo.jp/texas-no-kumagusu/entry-1175512 …

に載せてある動画に海乱鬼の感動的で詳しい説明がしてあります。そこでも紹介されているように、第2次世界大戦で首相だったイギリスのチャーチルは、日本人の武の恐ろしさ、それにも増して、それを最後の最後まで使わずに耐えぬく精神構造の恐ろしさについて述べており、その精神構造のゆえに、イギリスはインドを失ってしまったと、恨み節を述べています。

#5の御坊哲さんの

>東日本大地震の際には過酷な状況のなかで、秩序正しく対応する人々の姿が世界中から称賛されたことも記憶に新しいと思います。人々の精神の底には、過酷な圧制を耐え続けてきた農民精神が流れていると見ることはできないでしょうか。

のご意見には全面的に反対です。過酷な圧制を耐え続けてきた農民の典型的な例は、東アジアの中国と朝鮮半島に見ることができる。指導層ですら自分の国を信用せず、巨万の金を外国に預金して何時でも逃げられるようにしている中国人の世界的に顕著な個人主義、また、事大主義で裏切り続けてきた、恥とは対極にいる朝鮮半島人の文化。彼らは日本人の緊急時のあの冷静さを驚嘆の目で見ております。過酷な状況が起こると、日本人とは全く正反対に、収拾のつかない暴動が起こって来たのが、圧政で虐げられ続けてきた彼らの歴史でした。
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