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アインシュタインは「神はサイコロを振らない」と言ったそうです。
ところで、彼はどういう背景で、この言葉を言ったのですか?
1、 彼の個人的な考えによるのですか?
2、 当時の文化的・宗教的な影響ですか?

A 回答 (8件)

アインシュタインのボルンへの書簡での言葉ですが、まだハイゼンベルグの不確定性原理も発表されていない状態ですから、量子力学の理論的根拠が不十分である事に対する言葉でしょう。


ハイゼンベルグ自身も、不確定性原理は測定方法に対する攪乱が原因として、説明していたので、必ずしも、素粒子の存在確率が、根本的性質とは捉えていませんでした。(ハイゼンベルグの不確定性原理の測定方法による攪乱の効果は、見積りより少なくできる事がわかり、量子ゆらぎの存在が一般的理解となりました)
当然、この言葉はアインシュタインの個人的な考えによります。
コペンハーゲン解釈については、必ずしも、全ての物理学者がうけいれているわけでは無く、隠れた法則が存在すると言う解釈も完全に否定されてはいません。(コペンハーゲン解釈は、単純に観測していない事はわからないと言っているだけとも解釈できます)
どちらにしろ、観測すれば、結果はわかるわけで、むしろミクロな部分に確率的な部分があるのに、マクロでは因果律が成立している事の方が不思議とは言えると思います。(部分はバラバラでも、全体は一定の方向へ変化する性質はどこから生まれるのかを研究するのが大事でしょうね)
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
言及した時期を考慮すると
<量子力学の理論的根拠が不十分である事に対する言葉でしょう。>
ですね。そして、
<ミクロな部分に確率的な部分があるのに、マクロでは因果律が成立している事の方が不思議>
ですね。論争していた時代から。もう100年経ちますので、そろそろ次の天才達の出現が待たれますね。

お礼日時:2016/07/16 16:39

もっともらしく言ってみただけでしょう。


彼にとってはただのおふざけだと思います。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
<ただのおふざけ>
ですね。これで思い出しましたが、舌を出した顔写真がありましたよね。

お礼日時:2016/07/16 16:30

不確定性原理をベースとする量子力学において、


「存在」の本質は、確率的な広がりを持っており、
いわゆる「かっちりとした実体=有限性」は、
階層現象(超弦(量子定常波)<クォーク<素粒子
<原子<分子<細胞<個体(認識))を表面的に
(いい加減に)捉える事で、その原理的不確定性を
潜在化させ、二次的に派生させられたものです。

その事は、二重スリットを通して、電子を1個
ずつ飛ばした時、その向こうのスクリーンに
残る痕跡の集まりは、次第に(二本線ではなく)
干渉縞を描く事で、証明されています。
つまり、1個の電子が2つのスリットを同時に
通過した確率同士が、干渉しているのです。
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この回答へのお礼

早速にご回答ありがとうございました。
私のような頭の硬い者にとっては、
<確率的な広がり>
などは、理解できず「神はサイコロを振らない」に心情的に惹かれます。

お礼日時:2016/07/16 10:25

量子力学の不確定性原理に、アインシュタインが反論するときに述べたものです。



少し長くなりますケド背景を要約すると以下となります。

量子力学に対するボーア達とアインシュタインとで論争が起こり、思考実験でアインシュタインの考えが自分で作った相対論によって負けました。
その時に言った言葉だったと思います。

不確定性原理とは、「粒子の運動量と位置は、同時に正確には測ることができない」ということで、それは元々決まっておらず確率によってしかわからないと考える人が多かったのに対し、アインシュタインは決まってはいるが人間にはわからないだけだ、と考えました。

確率でしか答えが出ないという量子力学の理論に対して、「たとえ今は発見されていなくても、自然界の物理には明確な法則があるはずだ」という考えのアインシュタインは、「神はさいころを振らない」という言葉で表現して反論しました。

量子力学の世界では、「全く同じ条件」で実験を行ったにも関らず、実験結果が同じにならないのです。
それまでの物理学の常識的考え方では、全く同じ条件で実験を行ったなら全く同じ結果になるはずです。

これは科学の世界でそれまで確認されたことのない現象だったために、大論争を巻き起こしました。

ボーアを先頭とする科学者達はこの不思議な実験を何度も繰り返し測定するうち、奇妙な法則性を発見しました。

それは、この実験の結果は100%の確率で予測はできない代わりに、
「X%の確率で結果"A"になる」「Y%の確率で結果"B"になる」「・・・・・・
というように、”確率的”にのみ、どのような結果になるかが予測できるというものです。

このような考え方はさすがのアインシュタインでも受け入れ難かったらし
実験で、『全く同じ条件』で実験をしたと主張しているが実はそれが間違いではないか。

現在の人間の技術では測ることができない何かの物理量が存在し、それが異なっていたために実験結果が異なったのだ」というものです。

アインシュタインの考え方はより”常識的”です。
そこでアインシュタインは「測定した瞬間に”確率的”に結果が決まる」とするボーアらの考えに対し、「神はサイコロをふらない」と精一杯の反論をしました。

どちらが正しいか、今の本当の結論は出ていません。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
<さすがのアインシュタインでも受け入れ難かった>
のですね。私のように常識的な凡人にとって
<何かの物理量が存在>
に惹かれます。

お礼日時:2016/07/16 10:18

》 1、彼の個人的な考えによるのですか?



アインシュタインは「量子力学」が説明するところの理論が納得できなかったものと思います。

ところで、

アインシュタインの言葉の意味を(イメージ的にでも)理解するには、科学(物理学)がどのように発達してきたかを知る必要があります。

とりあえず、下記の本を読んでみましょう。中古本が「1円+送料」で変えます。

「神さまはサイコロ遊びをしたか―「宇宙の法則」に挑んだ人々」 小山 慶太 (著)
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうござました。
<量子力学」が説明するところの理論が納得できなかった>
という科学や科学者としての見方なのですね。明快な結論の出ない(否、出ないように楽しんでいる)哲学とは距離のある物理学でも、論争があるのですね。

お礼日時:2016/07/16 08:49

不確定性原理では、量子の運動量と位置は互いに正確に決められないことを示しているのですが、


これに対して、アインシュタインは「決まっているが人間に分からないだけ」ということで「神はサイコロを振らない」と1926年にマックス・ボルンに送った手紙に書いたそうです。
不確定性原理は量子の運動量δpと位置δxがプランク定数hによって決めれれてしまうことを示していて、
δp×δx≧h/2
と運動量か位置のどちらかを正確に求めようとすると片方が曖昧になってしまうことを示しています。
この頃ようやく発展してきた量子力学の問題で当時から論争があって、その中でアインシュタインが述べた言葉です。

この問題は21世紀でも議論されていて、改良補完された式が提案されています。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
量子力学について、科学や科学者としての見方なのですね。私は、量子力学については、わかりませんが、
<「決まっているが人間に分からないだけ」>
には、惹かれます。

お礼日時:2016/07/16 08:41

量子力学に対する反発です。



量子力学では、物質は確率的にしか
存在しません。

そんなバカな、というところから、このセリフが
出てきたのです。

これに対して、
お前は神に指示するのか、とやり返しました。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
<量子力学に対する反発です。>
ですね。科学・科学者としての見方なのですね。
<お前は神に指示するのか>
の台詞は、痛快だったでしょうね。

お礼日時:2016/07/16 08:30

どちらかと言えば、1ですがマックス・ボルンに送った手紙の中で不確定性原理へ反論したときに使った言葉だそうです。

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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
<不確定性原理へ反論したときに使った言葉だ>
なもですね。科学・科学者としての見方なのですね。

お礼日時:2016/07/16 08:24

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